第一章:拠り所
ユニコーンに乗り、万魔殿を通り朧夜谷に着いた夜叉王丸は、鉄門を潜って最初の庭、平面幾何学式庭園である立待月を歩いた。
日本庭園と風景庭園、平面幾何学式庭園など世界の名立たる庭園を元にして作られた庭はそれぞれに名前が付けられている。
日本庭園を寝待月と呼ばれて東屋や茶室、灯籠、竹藪があり、日本独自の文化が生かされていて枯山水と呼ばれる石と砂、植物だけを用いて水流を描いた庭園などがある。
主に宴や座禅などをする時に使用する庭園だ。
風景庭園は、三日月と言われていて名前の通り三日月の湖がある事から名付けられていて自然をありのままに表現した庭園だ。
わざと古めかしく作った点景廃墟と呼ばれる橋や煉瓦、芝庭などがあり主に夜叉王丸の昼寝場所などとして利用されている。
三番目の平面幾何学式庭園、立待月は、庭園で噴水や銅像、人工的に作った庭などがある庭園で門を潜ると最初にある庭園だ。
最初は、見張り台や砲台などを無造作に置いていたが、それでは客人などが怖がると言われて新たに設けてカモフラージュも掛けている。
立待月を抜けて三日月、寝待月を歩いて朧夜谷に到着した。
隣には洋風の屋敷、ムーン・セレナーデがある。
夜空の如く紺の屋根と星空を思わせる宝石などで飾られた洋屋敷だ。
ベルゼブルが客人を呼び夜会を開く為に作らせた屋敷だが、この屋敷で夜会が開かれた事は未だに無い。
夜叉王丸は朧夜谷の玄関を潜った。
玄関を潜ると紺色のメイド服を着た蒼銀髪の美人と紅色のメイド服に身を包み三つ編みにした金髪の美人が夜叉王丸を出迎えた。
夜叉王丸の屋敷で働く天使メイドのジャンヌと元死天使第七十部隊隊長、ヴァレンタイン子爵令嬢だ。
『お帰りなさいませ』
二人は声を揃えて軽く一礼し夜叉王丸の帰宅を労った。
「ただいま」
夜叉王丸は帽子を脱いで笑顔で言った。
靴を脱いで上がるとジャンヌが夜叉王丸のロングトレンチコートとソフト帽を持ち、ヴァレンタインが腰の同田貫を持って後ろから付いて来た。
「黒闇天とカリはどうした?」
何時もならジャンヌ達と一緒に出迎える二人が居ない事に首を傾げて聞いてみた。
「はい。お二人は鍛練所で勝負をしております」
ジャンヌがコートを丁寧に追って細く白い腕に抱えるようにして持ちながら答えた。
「ラインハルトは?」
「キッド殿と一緒に狩猟に出かけました」
ジャンヌよりも太い手で同田貫を持ちながらヴァレンタインが答えた。
キッドとは、夜叉王丸が皇子時代だった頃に請け負った仕事で東の辺境に行った時に知り合った猟師の息子だ。
家族を妖獣に殺されてからは、一人で辺境の地で生きていたが、夜叉王丸の誘いを受けて万魔殿に出てきたのが今から約2百年前。
辺境から来て礼儀作法なども全然知らない事から、弁護士であるベリアルとベルゼブルの側近であるスコル・ベノトが家庭教師となり、礼儀作法や読み書きを教えて紳士に仕立て上げた。
現在は青年となり、ベリアルの下で弁護士として活躍する中で、プロの猟師として貴族の狩猟などに付き合い人脈を気付いている。
ラインハルトとは数か月前に知り合って弟のように可愛がって今では良い友人となっている。
「真夜達は?」
「リリス様と美夜様に誘われまして茶会に行っております」
今日は日曜日のため学校などは休みでバロンも今日は定休日であるため皆は自由時間を過ごしていた。
ダハーカ達は、屋敷の何処かで休んでいると分かっていたが、ソフィーの姿が無い事に首を傾げたが答えは直ぐに浮かんだ。
「ソフィーは診療か?」
「はい。何でも急患で休日を返上したそうです」
少し心配そうな声でジャンヌは喋った。
「急患だから仕方ないが、出来るだけ休ませるようにしないとな」
夜叉王丸も心配そうな表情をした。
風の翼の軍医であるソフィーは元民間医であるが、今でも民間医として働いている。
“困っている患者の為に存在する医者”を信条にしているため休みなど在って無いような物である。
民間医をする傍らでバロンでも働いている事から過労は計り知れず倒れるのではないかと夜叉王丸は心配していた。
他にも何人か軍には居るが、彼等も仕事があるためソフィーだけがどうしても負担している。
「ところで今日はどういった用で城へ?」
ヴァレンタインが暗い雰囲気を打ち消すように話題を変えた。
「あぁ。軍の演習に参加しろだと」
三度目の面倒くせぇと発言をする夜叉王丸。
「しかし、夜叉王丸様の要職を考えるなら仕方がありません」
元軍人であるヴァレンタインは正確な言葉を述べた。
「まぁなー。だけど、面倒くせぇのは面倒くせぇんだよなー」
駄々っ子のような口調で喋る夜叉王丸に後ろを歩いていた二人は苦笑した。
夜叉王丸は自室に着くと革貼りのモダンソファーに無造作に腰を下ろし身体を伸ばした。
ジャンヌはコートと帽子を壁のフックに掛けて一礼して去って行き、ヴァレンタインは同田貫を夜叉王丸の傍に置いて少し離れた場所で控えた。
どちらかが夜叉王丸の傍には控える事を二人で暗黙の内に決めたのだ。
192㎝と類を見ない長身を誇る夜叉王丸が座るとオーダーメイドのソファーも小さく見えてしまう。
ベルゼブルから渡された書類を黒のベストの中から取り出して視線を移した。
場所、日時、準備する物などが大雑把に書かれていた。
細かい事を嫌う夜叉王丸のためにベルゼブルが省略して書いたのだ。
夜叉王丸は一度、書類を大理石で作られたテーブルに置いて、セブンスターを一箱、取り出した。
一本を取り口に銜えジッポを取り出そうとした時に、横から火の点いたパイプ用のマッチが差し出された。
「ありがとう」
礼を言ってセブンスターに火を点けた。
ふぅー、紫煙を吐いた。
ヴァレンタインに気を使い出来るだけ少ない量の煙だった。
一通り書類を見終えるとベストの中に入れて夜叉王丸は、ヴァレンタインにちらりと視線を移した。
何か言いたそうに身体をそわそわしていた。
瞬時に夜叉王丸は理解して口を開いた。
「将棋でもやらないか?」
「はいっ」
嬉しそうに言うヴァレンタインに苦笑しながら夜叉王丸は、テーブルの下にあった将棋盤を取り出した。
近頃、夜叉王丸はヴァレンタインと将棋をする事を楽しんでいる。
理由は数十年前にダハーカと二人で将棋をしている時にヴァレンタインが興味を抱いた。
教えると才能があるのか、力を着けていき今では夜叉王丸くらいしか相手にならない位の強さを誇るようになった。
今では、外国人で初の女流棋士となり脚光を浴びている。
将棋盤に駒を並べ終えるとコインで先手と後手を決め夜叉王丸が後手でヴァレンタインが先手となった。
ヴァレンタインは、飛車の前にあった歩を動かして夜叉王丸は左の金を斜めに動かして王を固めた。
夜叉王丸の様子を見てヴァレンタインは少し眉を顰めて、それを見て夜叉王丸は心の中でまだまだ未熟だと思った。
将棋は心理戦だ。
如何に相手の心を読んで駒を動かして勝利を得るかが問われる。
そのため相手に僅かな表情を見せてはいけないのだ。
ヴァレンタインも心掛けているが、やはりまだ表情を隠し切れていない。
夜叉王丸は予想通りの手に微笑みながら表情は変えずに駒を動かした。
初めは攻めていたが、いつの間にか押されている事に気付いた時には、既に飛車角を取られて金と銀も一個ずつ取られていた。
それでも形成を挽回させようと奮戦したが、戦況を回復させる事は出来ずに後一手で負ける状態になった。
「これで、詰みだ」
パチン、と最後に金を動かした。
「・・・・参りました」
ヴァレンタインは頭を垂れた。
「ありがとうございました」
夜叉王丸は礼を言って頭を下げて将棋は終了した。
オーストリア製の掛け時計を見ると将棋を始めてから六時になっていた。
「そろそろ飯の時間だな」
夜叉王丸はソファーから立ち上がるとヴァレンタインも遅れて立ち上がった。
その時、少し左足に痛みが走り顔を顰めたのを夜叉王丸は見逃さなかった。
「大丈夫か?」
心配そうに聞いてくる夜叉王丸にヴァレンタインは笑って安心させた。
彼女の左足には腱から上に掛けて縦線に傷がある。
天魔大戦で夜叉王丸と戦った時に天馬から落馬して足を痛めた傷痕で消える事はない。
落馬してから直ぐに応急治療が施されたが、傷痕が残り日常生活にも少し支障が残る結果となってしまった。
安心させる笑みだと夜叉王丸は分かっていたが、ヴァレンタインのプライドも考えて直ぐに頷いた。
部屋を出て歩く夜叉王丸の後ろをヴァレンタインが付いて歩く。
その姿は魔界という荒地で気高く生きる薔薇のようにも見えると、ベルゼブル達は言っていたが、夜叉王丸には薔薇よりも百合の花のように見えた。
気高い姿も決して相手に弱さを見せない為の防具であり、礼儀正しく規律であるのも相手に馬鹿にされないための剣。
剣と防具を剥ぎ取ってしまえば彼女は、ただの傷痕を残した弱い女性でしかない。
『・・・・・こいつには拠り所が必要だ』
彼女を支えられる何かを夜叉王丸は何なのだろうと考えながら廊下を歩いた。