第十五章:ウールヴヘジン覚醒
翌朝、夜叉王丸達は人間界のバロンで彰久が来るのを待っていた。
そこにはジークルーネも居た。
魔界に連れて行く筈だったが、ジークルーネが早く見たいと子供みたいに駄々を捏ねた事で急きょ人間界で彼の鎖を千切る事になったのだ。
「まったく。餓鬼みたいに暴れやがって」
夜叉王丸はセブンスターを吸いながらジークルーネをジロリとねめつける。
「何よ。文句あるの?」
ジークルーネの言葉に皆の視線が行く。
その視線は明らかに非難の眼だった。
「な、何よっ。ちゃんと協力するんだからいいでしょ!!」
逆切れをするジークルーネを夜叉王丸は呆れた眼差しで見ながら彰久の到着を待った。
時刻は12時で残り30分で来る予定だ。
「ねぇ。そのウールヴヘジンな男はどんな男?」
暇を持て余したジークルーネは夜叉王丸に訊いてみた。
「元営業マンで先日リストラされた男だ」
「更に妻に浮気されて娘も見限り家を追い出された」
夜叉王丸の返答にダハーカが余計な事を付け足した。
「ダハーカさん。そういう家庭の事は言わない方が良いですよ」
ジャンヌが控えめながら厳しくダハーカを叱るとダハーカは頭を垂れた。
夜叉王丸は流石だと思いながらジークルーネに視線を移す。
「何だか聞くだけで同情を買う男ね」
バッサリと捨てたジークルーネ。
「しかし、そんな男だからこそ心に野獣が宿っているのではないか?」
壁に背を預けたクレセントが低い声で言う。
「どういう意味よ」
「会社に、家族に捨てられるような男だからこそ野獣が宿っている」
ジークルーネは何が何だか分からないという顔をしたが、ヴァレンタインは気付いたようだ。
「つまり心に野獣を持った人だからこそ、野獣ではない群れには馴染めないという事かしら」
ヴァレンタインの言った内容にクレセントは小さく頷いた。
「強ち間違いではないな。野獣が豚の群れに馴染める訳がない」
狼の姿ではなく人間の姿のフェンリルは固定した。
「おっ。話していたら来たぞ」
夜叉王丸はセブンスターを灰皿に捨ててドアを見た。
ドアを見ると鼠色の安物背広を着た彰久がドアを開ける所だった。
「おはようございます」
ドアを開けて中に入ると彰久は礼儀正しく一礼した。
まだ15分も余裕があるのに早いなと夜叉王丸は言う。
話し合っている内に15分も経ったようだ。
「へぇ。この男がウールヴヘジン?見るからに冴えない中年男にしか見えないわ」
ジークルーネは初対面なのに毒舌を吐く。
対してクレセントは彰久の姿を見て薄く両眼を細めた。
「この方は?」
彰久は初対面のジークルーネに毒舌を吐かれてクレセントからは眼を細められて見られて戸惑っていた。
「この毒舌女は俺の屋敷に居候中のジークルーネ。向こうは新しく雇ったクレセントだ」
簡単に二人を紹介した夜叉王丸はカウンターから出て彰久に近づく。
「で、覚悟は良いんだな?」
念のために訊く夜叉王丸に彰久は頷く。
「えぇ。例え人間に戻れなくなっても、後悔しません」
後悔などしたくないと言う彰久に夜叉王丸は満足気に頷くとジークルーネを顎で来いと言った。
「それじゃ、これからお前の中にある鎖を切る」
夜叉王丸とジークルーネは左右に別れると彰久の胸に手を当てて呪文を唱え始めた。
「そなたの心に掬う獣よ。鎖を引き千切って姿を見せよ」
「獣よ。そなたは鎖で繋がれた犬ではない。自らの意志で動き主を決める獣だ」
長々と呪文を唱え続ける二人。
彰久は少しずつ身体が熱くなってきたと言う。
「それで良い。少しずつお前の心の中にいる獣が目覚める」
ダハーカが言うと彰久は背広を両腕で引き千切った。
どうやら変化が近づいてきたらしい。
「獣よ。鎖を千切って自由の身となれ。そなたは偉大なる狼の戦士、ウールヴヘジン」
彰久の身体が徐々に変わってきた。
毛が生えてきて爪が伸びて口が裂け始めたのだ。
「あ、がぁぁああ」
呻き声を上げながら彰久の身体は灰色の毛をした狼へと変貌した。
「灰色の狼。黒い狼の次に地位が高い狼じゃない」
ジークルーネは口笛を吹いた。
狼男へと変貌した彰久は自らが変身した姿をヨルムンガルドが用意した姿見を見て驚いた。
「こ、これが、私ですか?」
「あぁ。それがお前の中にいた獣だ」
夜叉王丸はセブンスターを銜えて答える。
「映画の話とばかり思っていた狼男が私とは」
「そんな下らない感想は要らないわ。どうなの?様子は」
相変わらず毒舌を吐くジークルーネに彰久は答えた。
「身体中から力が湧いてきます。眼も良く見えますし身体も軽い」
「そりゃそうだ。狼なんだからよ」
人型のフェンリルは彰久に近づく。
「グレーか。俺の次にお前は強い」
「どういう事ですか?」
「狼にも階級ってもんがある。一番は黒、二番が灰色、三番目が茶色。俺は黒だ」
「私は2番目に強い狼ですか」
彰久は妙に納得したと頷く。
狼男に変身してフェンリルの力に気付いたのかもしれない。
「そうそう。元に戻る方法も教えないとな」
忘れていたと言いながら夜叉王丸は戻る方法を教えた。
「戻る意思を表せ。そうすれば元に戻る」
ただし、服は戻らないと付け足す。
「え?それじゃ・・・・・・・・」
「まぁ、いま変身を解けば上半身は裸で下はかろうじてパンツがある変態姿だ」
ダハーカは愉快そうに言う。
ジャンヌ達は何処か恥ずかしそうに眼を背けた。
「安心していいわよ。彰久さん。そこら辺はちゃんと飛天さんが代わりの服を用意しているわ」
美夜がダハーカの冷やかしに肩を落とす彰久に助け船を出した。
「あぁ。ちゃんとある」
ほっと肩を落とす狼姿の彰久。
「まぁ、早く戻りな。いつ人が来るか分からん」
彰久は頷く。
夜叉王丸は彼に用意しておいた背広を渡し2階に行くように言う。
彼は頷くと少し身体を試してみても良いですかと訊いてきたので、夜叉王丸は頷いた。
彰久は軽くジャンプして2階へと飛び移った。
「どうだ?」
「凄いです。こんな力が私の中に在ったなんて・・・・・・・・」
自身の隠された力に驚きを隠せない彰久に夜叉王丸は笑いながら早く元に戻れと言った。
「フェン。少し手伝ってやれ」
了解と言ってフェンリルも同じようにジャンプで2階へと上がった。
「あー、何だか慣れない事をやって疲れちゃった。ジャンヌさん。飲み物を貰えない?」
ジークルーネはカウンター席に座るとジャンヌに飲み物を注文した。
「何がいいですか?」
「一仕事したからビールが欲しいんだけど」
「昼間から酒は駄目ですよ。そうですねぇ。アイスコーヒーはどうでしょう?」
「それでお願いします」
ジャンヌには毒舌も吐かず敬語で話すジークルーネを夜叉王丸達は奇異の眼差しで見た。
「何よ?私が敬語で話すのが可笑しい?」
「あぁ。正直に言えば」
夜叉王丸が頷くと皆が頷いた。
「何よ。皆して私を虐めて楽しいの!!」
またもや逆切れをするジークルーネ。
「虐めてない」
間髪入れずに返答した夜叉王丸はセブンスターにジッポーで火を点けながら彰久が降りて来るのを待った。
10分ほどして二人が降りてきた。
今度は階段を使って。
濃紺色のスーツに身を包み降りてきた彰久の容貌は大きく変化していた。
髪の色が黒からグレーになり瞳も琥珀色となっていて、何処からどう見ても別人だった。
「どうだ?新しく変わった自分の容姿は?」
煙を吐きながら訊く夜叉王丸に彰久は苦笑した。
「なんだか自分じゃない感じです」
「まぁ、時期に慣れる」
出来るだけ早く慣れたいと言いながら彰久も夜叉王丸の隣の席に腰を下ろす。
「これからの事だが、お前を魔界に連れて行く」
「魔界?という事は、マスターは悪魔か何かですか?」
自分を変えたのだから薄々は感じていた。
「飛天さんは現皇帝の養子。つまり皇子よ」
そして私は皇帝の妻であると美夜は言い彰久を驚かせた。
「そんなに驚く程のもんじゃないだろ?」
苦笑する夜叉王丸だが、彰久から言わせれば彼が悪魔なのは自分を変えたのだから驚かないが、魔界の皇子となれば驚いてしまうのも無理はない。
夜叉王丸が非常識なだけである。
「貴方が非常識なのよ」
ジークルーネが珍しく正論を言うとジャンヌ達も頷いた。
当たり前の事である。
「あの、皇子様」
皇子と呼ばれた夜叉王丸は眉を顰めた。
「皇子と呼ぶのは止めてくれ」
「じゃあ、何と呼べば良いですか?」
まだ本名を知らないと言う彼に夜叉王丸は自身の本名を教えた。
「俺の名は飛天夜叉王丸。軍人で仏教界では“夜叉”の棟梁だ」
「それから皇子であり伯爵兼男爵で北方防衛軍の副将軍でもあるわ」
美夜が付け足す。
「美夜ちゃん。役職は言わなくていいよ」
俺にとっては重い荷物でしかないと言う夜叉王丸に美夜は悪戯っ子のような笑みを浮かべてリリムと一緒に言う。
「だって、言わないと後でダーリンから怒られるわよ」
「内の旦那からもね」
「あの伯爵様の父親というのは?」
皇子から伯爵に呼び方が変わったので夜叉王丸は眉を緩めた。
どうやら彼にとって皇子というのは禁句らしい。
「私の夫で皇帝のベルゼブルと」
「私の旦那で初代皇帝のサタンよ」
どちらも悪魔としての知名度は高い名前を聞いて彰久はまたもや驚いた顔をする。
「私は何て事を・・・・・・・・」
知らなかったとは言え、とんでもない方々の息子に馴れ馴れしい態度を取っていたのではないかと言う彰久にジャンヌが安心させるように喋った。
「彰久さん。飛天様は、そのように心が狭い方ではありません。貴方の態度は飛天様にとって嬉しいのですよ」
皇子としてではなく一人の人物として見てくれる所を、と言うジャンヌの言葉には重さが伝わってくる。
「流石はジャンヌちゃんだ。相棒の事をよくご存じだ」
ダハーカは笑いながら彰久に何時も吸っているマイルドセブンの箱を投げた。
彰久はそれを片手で難なく受け取る。
素早い動きだった。
「何だかスローモーションに見えました」
「狼の視力は人間なんぞより良い。ついでに言えば嗅覚なんてそれ以上に、な」
フェンリルの言葉に納得しながら彰久はマイルドセブンを一本とり口に銜えたが直ぐに箱に戻した。
「何だか口に入れただけで不味いんですけど」
「まぁ、五感が発達したせいで、それは不味くなったんだろう」
夜叉王丸は解説しながら彼の舌に合う煙草を吟味した。
「フェン。お前の吸っているのはアメリカン・スピリットだよな?」
「はい。一番匂いが良いんで」
「んー、彰久に合う煙草は・・・・・・・・」
しばらく夜叉王丸は悩んだが、近くにあった煙草を見つけて彰久に放り投げた。
「ポールモールの赤だ。昔、俺が吸っていた煙草でもある」
「ポールモールですか。私も昔は吸ってました」
彰久は夜叉王丸から渡されたポールモール・FK・ボックスの封を切り一本とりだして銜えた。
ポールモールは1899年にアメリカで発売された煙草で日本では280円と通常の20円も安い。
それの割に味も香りも良いので人気がある。
「これは美味いです」
彰久は銜えながらポールモールの味を味わう。
「火だ」
ダハーカがパイプ用のマッチで彰久のポールモールに火を点けてやった。
彰久は礼を言いながらポールモールを吸う。
「・・・・美味いです」
「そりゃ良かった」
夜叉王丸はセブンスターを銜えながら笑った。
「所で、お前を魔界に連れて行ってからの事だが、最初にベルゼブルに会ってもらう。それから俺の軍で訓練をやってから、フランス外人部隊に行ってもらう」
「フランスの外人部隊へ?」
「こいつは人間界でも顔が利く。それにヨーロッパを裏で支配しているマフィアでもあるからな」
「マフィアですか・・・・・・・何だか“ゴッドファーザー”や“アンタッチャブル”を連想させますね」
「お前も見たのか?」
「えぇ。まぁ」
「俺も見た。流石は名作だが、現実はあんなにロマンチックでも無いし晴れやかでもないぞ」
そこら辺は入る前に知っておけと言う夜叉王丸に彰久は頷いた。
それから彰久に魔界での知識やこれからの事を一通り教えて夜叉王丸達は時間を潰した。