第十一章:紅の堕天使VS戦乙女
ジークルーネを客人としてクレセントを従者として迎えて一日が経過した。
二日目の朝、夜叉王丸は日課であるジャンヌの声によって目を覚ました。
「飛天様。お目覚め下さい。朝ですよ」
ゆさゆさとシーツ越しに身体を揺さ振られ耳元で優しい声を掛けられて夜叉王丸は両眼を開けた。
寝るときは眼帯を外している。
「ふぁーあ。おはよう」
軽く欠伸をしながらジャンヌに朝の挨拶をした。
表情は何時もながら低血圧の鋭い目つきだ。
しかし、長年の付き合いでジャンヌは免疫が付いている。
「はい。おはようございます。飛天様」
ニッコリと朝から男を悩殺しそうな笑みを浮かべてジャンヌは一礼した。
ベッドから起き上がった夜叉王丸にジャンヌは食事の準備を済ませて置くから来て下さいね、と言って部屋を出て行った。
ジャンヌが居なくなってから夜叉王丸は寝巻きの帯を解いて脱ぎ始めた。
刀傷や銃痕、拷問痕など様々な傷痕が身体に無数にあり傷が無い場所など一つもなかった。
「・・・・おい。出て来たらどうだ?」
低血圧のため何時も以上に低い声で背後に声を掛けた。
「気付いてたなら、もっと早く声を掛けなさいよ」
ブスッとした声で言い返したのはジークルーネだ。
スケイルアーマーを着ていた。
「何か用か?覗きが趣味とか言うなよ」
低血圧の為か果ては女として認識してない為か夜叉王丸にしては珍しく軽いセクハラ発言をした。
「誰が覗きの趣味なんか!!」
案の定というかジークルーネは怒鳴り返した。
「だったら何だ?他人に見られながら着替えたくないぞ」
俺にだって一端の羞恥心はあると似合わない言葉を言う夜叉王丸。
「貴方みたいな男に羞恥心があるなんて意外だわ」
冗談めいた表情をするジークルーネを低血圧の眼差しで一瞥すると夜叉王丸はパンツ一丁の姿で用意していた衣服に身を包んだ。
その姿をジークルーネは黙って見ていた。
羞恥心がある割には愚痴もこぼさない夜叉王丸。
五分ほどで着替えを済ませた夜叉王丸はストレートヘアーだった黒髪を無造作に纏めて黒いバンドで結んでポニーテールにした。
「着替えは終わった?」
「見れば分かるだろ」
素っ気ない口調で答える。
「無愛想な男ね。まぁ良いわ。立会人になって」
唐突に言われた言葉に夜叉王丸はトレンチコートを取ろうとした手を止めた。
「立会人だと?誰と戦う気だ」
聞いてみて昨日の事を思い出した。
「まさか、ヴァレンタインと戦うのか?」
「えぇ。今朝、決闘を申し込まれたの」
答えを聞いて夜叉王丸はトレンチコートを羽織ってからジークルーネに身体を向けた。
「やるのか?」
「売られた喧嘩は買うわ」
「朝っぱらから面倒な事をする女だな」
はぁ、と溜め息を吐く夜叉王丸。
「貴方の気持ちなんてどうでも良いの。それでやってくれるの?駄目なの」
早く決めろと迫った。
「飯を食ってからなら、やってやる」
それで良いと言うとジークルーネは部屋を出て行った。
「あいつって意外と人の忠告は無視するのか?」
ここには居ないヴァレンタインに少し呆れながら夜叉王丸はソフト帽を被り部屋を出た。
食堂に行くと既に皆が揃っていた。
夜叉王丸の姿を見るとヴァレンタインは気まずそうに顔を歪めた。
恐らくジークルーネの後から来たのを見て知ったのだと感じたからだ。
『罪悪感を感じるなら挑発に乗らなければ良いのに』
はぁ、と溜め息を吐きながら夜叉王丸は席に着いた。
今日の朝食は焼きトーストに生の野菜サラダ、半熟の目玉焼きとソーセージだった。
「頂きます」
夜叉王丸が合掌してから食事が始まった。
唯我独尊を貫くジークルーネも今日は従順だった。
「今日は少し遅れて行く」
「ヴァレンタインさんも遅れると言いましたが、何か遭ったのですか?」
「いや。少し俺の用事で付き合ってもらうだけだ」
そうですか、と言ってジャンヌは納得したのか食事を再開した。
食事を済ませた後はコーヒーを楽しんだ。
それから人間界に行くジャンヌ達を見送ってから夜叉王丸はヴァレンタインに詰め寄った。
「昨日、言ってこれか」
若干ながら怒りを混ぜた口調で喋る夜叉王丸にヴァレンタインは首を垂れた。
「・・・・・申し訳ありません」
親に叱られた子供のように謝るヴァレンタイン。
『・・・・これじゃ俺が悪者じゃねぇかよ』
事実、彼は悪者であるが今の状態で言うなら彼は悪くない。
忠告をした翌日に決闘を申し込むヴァレンタインに非があるのだが、傍から見たら女を悲しませた男としか見られない。
「・・・・申し訳ありません」
もう一度謝ると彼女は沈めていた顔を上げて夜叉王丸の眼を見て言った。
「・・・・・夜叉王丸様の忠告を破ってジークルーネに決闘を挑んだのは悪いと思っています。ですが、どうしても許せなかったんです」
彼女が貴方様を“人間から成り上がった悪魔”と言った言葉に。
「あの言葉を聞いて、どうしても我慢できなくなって決闘を申し込んでしまいました」
申し訳ありませんと三度目の謝罪と頭を垂れた。
はぁ、と夜叉王丸は溜め息を吐いた。
彼女の行動は嬉しさ半分、自分の忠告を無視して決闘を申し込んだ事に対する怒りが半分だった。
そして、彼女がジークルーネに勝てるのか、も出てきた。
自分の事を汚されるのは慣れているため、まったくと言って良いほど怒りが湧かない夜叉王丸だが、そんな事を言えば彼女の気持ちを台無しにすると解っているので口にしなかった。
彼女は数十年の間、まともに剣を握ってない。
そんな状態でジークルーネに勝てるのか心配だった。
「・・・・あいつに勝てる自信は?」
「・・・ブランクがありますが、相討ちに持ち込んでも倒します」
本気の眼だと知り夜叉王丸は助力してやろうと思った。
「俺が少し力を貸してやる」
「力を?」
「あぁ。と言っても、助言だ」
夜叉王丸は、手を出さないと言った。
「耳を貸しな」
ヴァレンタインは言われた通り耳を傾けた。
「どうだ?出来るか」
夜叉王丸が尋ねるとヴァレンタインはやれると言った。
「チャンスは一度だ。一発で決めろ。逃がすと負ける」
そこは分かっているのかヴァレンタインは頷いた。
「さて、と行くか」
ジークルーネが待っている武道場に行く夜叉王丸の後をヴァレンタインは着いて行った。
武道場は広いだけの変哲もない部屋だが、身体を動かすには十分すぎる広さと頑丈さを誇っていた。
「人を待たせて置くとは、良い度胸ね」
腕を組んで仁王立ちするジークルーネ。
脇にはルンカとバックラーが置いてあり準備は出来ているようだ。
「もしかして怖気づいたのかしら?」
馬鹿にした笑みを浮かべるジークルーネをヴァレンタインはギロリと睨んだが、直ぐに心を落ち着かせた。
夜叉王丸に言われた事を思い出す。
『お前は直ぐに怒る癖がある。それは戦いにおいて致命的だ。相手に挑発されようと乗るな。冷静に受け流せ』
「・・・好きに思えば良いわ」
鼻で笑った。
ジークルーネはピキンと青筋を立てた。
『冷静に受け流したら相手を挑発しろ。そうすれば相手の気が乱れて動きを読み易い』
言われた事を思い出し実行したヴァレンタインは次の行動に移った。
愛剣の大鎌、ローサ(薔薇)を取り出した。
夜叉王丸に倒されてから長い間、使ってなかったが剃刀のように鋭く光り輝いていて健在ぶりを発揮していた。
「それが幾戦の戦場を掻い潜ってきた“血に塗られた薔薇”」
ジークルーネはルンカとバックラーを両手に持ち構えた。
ルンカを前に出しバックラーで身体を護る基本的な構えだった。
ヴァレンタインは後遺症のある左足を庇うように後方に右足を前に出しローサに左手を添えるようにして構えた。
メイド服に大鎌を持つ姿は異常だったが誰も言う者は居ない。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
互いに“気”を送り合い牽制しながら攻撃の機を探り合っていた。
どの位か時間が過ぎてジークルーネが痺れを切らし仕掛けてきた。
「はっ!!」
ルンカを真っ直ぐにヴァレンタインの顔面を狙った。
「その綺麗な顔に風穴を開けて上げるわ!!」
「・・・・・・・」
ヴァレンタインはギリギリまでルンカを避けなかったが、頃合いを見計らい横に避けた。
「甘いわ!!」
ジークルーネはルンカを横に動かした。
ギュン!!
空を切る音がヴァレンタインの間近に迫っていた。
ガギィン!!
金属のぶつかり合う音がした。
血に塗られた薔薇でルンカを受け止める音だ。
ヴァレンタインはルンカを受け止めると血に塗られた薔薇を捨てジークルーネに迫った。
「・・・・くっ」
直ぐに離れようとしたが、時すでに遅くヴァレンタインの腕に捕まった。
「ていや!!」
ヴァレンタインはジークルーネの足を払い頭から地面に叩き付けた。
予想外の攻撃にジークルーネは何も出来ずに気絶した。
「・・・・これに懲りたら二度と夜叉王丸様を侮辱しないで」
荒い息を出しながらヴァレンタインは気絶しているワルキューレに言った。
当のワルキューレは気絶していて聞こえていない。
「お前の勝ちだ。ヴァレンタイン」
口端を上げて笑う夜叉王丸。
彼がヴァレンタインに助言した内容はこうだ。
『相手を油断させて冷静を失わせて予想外の攻撃をしろ』
大体の戦士は型に嵌まった攻撃をする。
それを破るのは予想外の攻撃。
つまり型に入らない攻撃だ。
そうすれば相手は自ずと動きが乱れて倒せるものだと夜叉王丸は言った。
彼の剣術も型に嵌まらず相手の予想を超えた攻撃をするのが主流だ。
「いえ。私の実力ではありません。夜叉王丸様が助言してくれたから勝てたのです」
助言がなかったら負けていたと言うヴァレンタインに夜叉王丸は苦笑した。
「謙虚だな。ジャンヌもそうだが、天使って奴は謙虚な性格なのか?」
言われてヴァレンタインは何と言ったら良いのか分からずに戸惑った。
「まぁ良い。勝負も着いた事だし、バロンに行くか」
夜叉王丸は気絶しているジークルーネを置いて歩きだした。
「はい。夜叉王丸様」
ヴァレンタインもジークルーネは放っておいて夜叉王丸の後を追った。
「お前も来い。クレセント」
夜叉王丸は端の壁に背中を預けていたクレセントに言った。
「・・・・承知しました」
無愛想な声で返事をしてクレセントも着いてきた。
一人、残されたジークルーネが気絶から目を覚ますのは正午になってからである。