第十章:伝説の美女と後悔
「・・・・いい加減にしなさい」
砕けたグラスを握りながらヴァレンタインは殺気立ちジークルーネに言った。
「貴方は何様のつもり?ビールが無いから品揃えが悪いと言って。ここは貴方の家でないわ。飛天夜叉王丸様の屋敷よ。客人なら客人らしく慎ましくしなさい」
ギロリと朱色の眼差しで左隣に座るジークルーネを睨んだ。
「貴方こそ何なのよ。“紅の堕天使”と言われた死天使が宿敵の悪魔の屋敷で暮らしているなんて笑い草もいい所よ」
いきなり怒ったヴァレンタインにジークルーネは馬鹿にしたように喋った。
黒闇天はヴァレンタインの只ならぬ気に身を硬くした。
「貴方が何に怒ってるか知らないけど、私は私の好きなようにさせてもらうわ」
興が冷めたと言ってジークルーネは椅子から立ち上がりヴァレンタインに背を向けた。
「・・・戦いたいなら何時でも相手をして上げるわ。天使さん」
嘲笑いを上げて去るジークルーネの背中をヴァレンタインは朱色の眼差しを燃え上がらせながら睨んでいた。
「やれやれ。とんだ夜じゃな」
黒闇天はパタパタと扇を開いて顔を扇いだ。
「厄介な女を屋敷に上げっちまったな」
何処かで、こうなると思っていたが実際に起きると頭を抱えたくなる。
「・・・申し訳ありません。グラスを壊してしまい」
我を取り戻したのかヴァレンタインは夜叉王丸に謝罪した。
「いや。それより怪我はないか?」
夜叉王丸はカウンターから出てヴァレンタインの手を掴んだ。
「黒闇天。ガラスの片づけをしろ」
何で童が、と言いながら黒闇天は箒を取りに行くため部屋を出て行った。
「怪我はないようだな」
「・・・・これでも軍人ですから」
夜叉王丸に手を握られ顔を染めるヴァレンタイン。
「童が箒を取りに行っている間に何をイチャついている」
ドアを開けっ放しのまま黒闇天が不機嫌なオーラを出して立っていた。
「別にイチャついてない。それより早くしろ」
愚痴を零しながら黒闇天はガラスを片付けテーブルを拭いた。
その間に夜叉王丸はヴァレンタインの手に念のためと消毒をして包帯を巻いた。
「あいつの事は気にするな。あいつは子供みたいな奴だから相手にしなければ問題ない」
ポンポンと頭を叩く夜叉王丸。
「終わったぞ。飛天」
「御苦労。片付けてくれた礼だ。新しい酒を作ってやる」
ヴァレンタインにも、だと言ってカウンターに戻る夜叉王丸。
二人は席に着いて夜叉王丸がカクテルを作るのを見た。
「何が良い?」
「童はジン・トニックが良い」
「私はブラッディ・マリーでお願いします」
「了解した」
夜叉王丸は頷いてから先に黒闇天のジン・トニックを作る事にした。
その様子をヴァレンタインと黒闇天は黙って見ていた。
「ジン・トニックだ」
「すまんの」
夜叉王丸はタンブラー・グラスと呼ばれる寸同型のグラスに氷と一緒に入ったジン・トニックを黒闇天に差し出した。
次にヴァレンタインのブラッディ・マリーを作り始めた。
黒闇天はジン・トニックを楽しそうに飲みヴァレンタインは夜叉王丸の手をじっと瞬きもせずに見続けた。
「ブラッディ・マリーだ」
新しい逆三角形のカクテル・グラスに入れたブラッディ・マリーを渡した。
「俺はバーボンのストレートでも飲むかな」
酒棚から年代物と一目で分かるボトルを取り出した。
女性の名前が描かれたバーボンの名前はクレメンタインだった。
ゴールドラッシュ時代に川で溺れ死んだ伝説の美女と謳われたクレメンタインの名前が付いたバーボンだ。
彼女の悲劇的とも言える死は愛しのクレメンタインという曲まで作られたから計り知れない。
1920年代の禁酒時代に独特のサワーマッシュ方式により、素晴らしい香気と上品な口当たりをもつ、スムーズ&メロウバーボンの傑作として人気が高く夜叉王丸が取り出したのは1920年代物だった。
「クレメンタイン?女の名前か?」
黒闇天が興味深そうに聞いてきた。
「あぁ。伝説の美女と謳われた娘さ。歴史に名を残す美女と言われると性格が厳しかったり悪女だったりするが、あいつは温厚で心優しい娘だったな」
瓶の蓋を開けながら夜叉王丸は言った。
「会った事があるのですか?」
ヴァレンタインが興味深げに聞いた。
「まぁ、な。アメリカを旅した時に会った。誰に対しても優しくて気立ても良いと求婚者が多かったな。・・・・・・俺も中に含まれていたが、な」
どこか懐かしい感じを出す夜叉王丸に二人は内心で複雑だった。
彼が自分の事を話すなど殆どない。
それが女の事で話しだすのだから何とも言えない。
そんな事を知る訳ない夜叉王丸はオールド・ファッション・グラスに氷を入れてクレメンタインを注いだ。
「とりあえず今日の終わりに乾杯」
夜叉王丸はグラスを軽く上げてクレメンタインを飲みヴァレンタインも少し慌てた様子で乾杯してから飲んだ。
黒闇天は先に飲んでいたが、改めて乾杯して飲み直した。
「それで、そのクレメンタインとはどうなったのじゃ?」
結果が気になる口調で黒闇天が喋った。
「まぁ、どういう経緯かは忘れたが、俺が彼女のハートを射止めて結婚までは行かなかったが付き合った。しかし、善人は若死にするって言われる通り若くして死んじまったがな」
「どうして亡くなったんですか?」
少し気まずそうにヴァレンタインが聞いてきた。
「溺れた子供を助けようとして川に飛び込んで子供を助けたは良いが、自身は死んじまったのさ」
「あの時は街中が死んだように静寂してたな」
グラスを置いてセブンスターを取り出して銜える。
カラン
グラスに入った氷が転がった音がした。
二人は無言でグラスを傾けた。
嫉妬をしながら悲劇の死を遂げたクレメンタインに同情してしまったのだ。
「まぁ、一週間もすると彼女の死なんて忘れ去られたように元に戻ったがな」
時とは残酷なものだな、と夜叉王丸は呟いた。
「それで主はどうしたのじゃ?」
夜叉王丸の言葉を敢えて聞かなかった事にして黒闇天が聞いた。
「彼女が死んじまったし居る理由が無くなったから消えたさ。まぁ、命日には墓に花を添えていたが、町が無くなっちまってからは行ってない」
「これで話は終わりだ」
銜えたセブンスターにジッポで火を点けながら話を打ち切った。
「何だか悲しいが、主の誠実さが分かる話じゃな」
黒闇天はジン・トニックを飲んで立ちあがった。
「では、童は寝る」
馳走になったと言って黒闇天は部屋を出て行った。
残ったヴァレンタインは残っているブラッディ・マリーを弄びながらセブンスターを吸う夜叉王丸を見た。
『この方は私よりも悲しい目に何度も遭ってきている』
本能とも言える感情で分かった。
時節見せる表情などに悲しさがあるのをヴァレンタインは前々から分かっていた。
今の話を聞いても彼がクレメンタインの悲劇とも言える死を悲しんでいるのは明白だ。
悪魔と人間なのだから何れは別れが来るが、それでも余りに突然の別れであった事から夜叉王丸の悲しみは半端ではなかった筈だ。
しかし、それを微塵も出さずにいる夜叉王丸は何と言う精神的な強さを誇っているのかと感じた。
『それに比べて私は・・・・・・なんて惨めなの』
今日の自分の行動を思い返す。
ジークルーネとかいうワルキューレに己が状況を言われ悲しみと怒りに我を忘れて挑発に乗り夜叉王丸に迷惑を掛けた。
さっきもそうだ。
あまりに横暴な態度に怒りグラスを割ってしまった。
まるで子供だ。
身体だけが大きく中身が伴ってない子供だ。
『・・・・・私も、夜叉王丸様のように強くならなければ。そして、夜叉王丸様を護ってみせる』
あのワルキューレから、と心の中で決意するヴァレンタイン。
そんなヴァレンタインに気付かないのか夜叉王丸はセブンスターを蒸かしながらクレメンタインのオンザ・ロックを軽く飲んだ。