第九章:静かな時間から騒々しい時間へ
「という訳で今日から“期間限定”で住むジークルーネと新しい従者のクレセントだ」
夕食の席で夜叉王丸は真夜と美羽に伝えた。
「ちょっと!“期間限定”って所を強調しないでよ!!」
ジークルーネが夜叉王丸の肩を叩こうとした。
「気安く父上に触るな」
パンッ
ジークルーネの手を美羽が叩き落とした。
「何するのよ?!」
「黙れ。父上の命を狙う不届き者が。私が成敗してくれる」
時代劇の役者が言うようなセリフを述べた美羽は琉球空手の構えを取った。
夜叉王丸の養女だけあって、それなりに武術などを齧っている。
「面白いわね。やれるものならやってみな・・・・・・・」
「クレセント」
夜叉王丸が名前を呼ぶとクレセントは直ぐに動きジークルーネを雁字搦めして抑えた。
「ここは食卓よ。暴れる所ではないわ」
幸いにも料理はまだだが、埃が舞っては堪らない。
「ぐっ、放しなさいよ」
「暴れなければ放す」
そんな二人の争いを尻目に夜叉王丸は美羽の頭を軽く叩いた。
「美羽。客人に失礼だろ?」
「父上の命を狙う女を客人などと思いません」
断固とした意志の強さを見せる美羽。
彼女からすれば命を狙う刺客を屋敷に住まわせる養父の方が理解できないだろう。
「そう怒るな」
ポンポンと美羽の頭を叩いて宥めようとしたが今回は中々うまくいかない。
「私は本気で父上の身を案じているのですっ。ダハーカおじさん達は父上の言いなりですから困ります!!」
美羽の辛口な発言にダハーカ達は何とも言えない顔になった。
彼女が養女になってから既に十年以上も経過している。
彼らから言わせれば真夜を含めて娘であり妹みたいなものだ。
その娘にこうも手酷く言われると悲しい。
親友が夜叉王丸に食って掛る中で真夜は冷静だった。
頭に血が上り易い美羽を止めるのが彼女の役目だ。
「美羽も怒るのを抑えなよ。二人が怒るのも無理ないけど飛天さんが決めた事だし、いざとなればダハーカさん達が助けるよ」
ねぇ?と問う真夜にダハーカ達は頷いた。
美羽は親友に宥められながらも未だ不機嫌だった。
無表情にしか見えないが彼女からすれば憤怒の如く怒っているらしい。
『こうなるとジャンヌ位しか宥められないな』
夜叉王丸とダハーカ達は早く来てくれとジャンヌ達の到着を待った。
美羽は幼い頃から頑固な面がありこうと決めると梃子でも動かない所があった。
そうなると夜叉王丸でも宥め切れず唯一できるのはジャンヌだけとなる。
『早く来てくれ』
夜叉王丸が願うと直ぐにジャンヌ達が盆に料理を載せて来た。
「お待たせしました。あら?美羽ちゃん。どうしたの?」
美羽の只ならぬ雰囲気にジャンヌは何かを感じ取ったのか盆をテーブルに置いて近づいた。
「母上っ。私は父上の為を思って、この曲者を・・・・・・」
「ちょっと誰が曲者よ!!」
「美羽ちゃん」
怒鳴ってきたジークルーネに拳を打ち込もうとした美羽をジャンヌが止めた。
「美羽ちゃん。ジークルーネさんは怪我をしてるし飛天様が招いたお客様よ。そのお客様に乱暴しては駄目でしょ?」
「しかし、母上。この女は、父上の命を・・・・・・・」
「美羽ちゃん」
ジャンヌに名前を呼ばれ美羽は押し黙った。
「父上を想う気持ちは解りますが、父上を困らせるのは駄目ですよ」
優しく静かな言葉だったが、美羽には怒っている声に聞こえた。
「美羽ちゃん。ジークルーネさんに謝りなさい」
「・・・・すいませんでした」
敬愛する母親に言われて渋々ぶすっとした口調でジークルーネに謝る美羽。
それを見てジャンヌは美羽の頭を優しく撫でた。
「そうよ。最初から謝れば良いのよ」
「図に乗るな」
美羽の態度を見て偉そうに微笑むジークルーネにバシッと頭を叩く夜叉王丸。
「痛っ」
軽く叩いたのに頭を抑えるジークルーネ。
「たくっ。騒がしい客人だ」
はぁ、と溜め息を吐きながら自分の席に着く夜叉王丸。
それに倣いダハーカ達も座る。
クレセント、ジークルーネは急きょ用意された場所に座る。
料理が並べられた。
今日は兎のパイとポテトサラダだ。
「いただきます」
『いただきます』
夜叉王丸が箸を掴んでから皆は食事を始めた。
「美味しい!!この兎のパイ!?」
ジークルーネは大声で兎のパイを頬張った。
もう食べ終わったと思いきや別の兎のパイが皿に乗っていた。
綺麗な容姿の割に食欲は旺盛のようだ。
対してクレセントは無言で頬張っていたが少し食べてから手を止めてジャンヌを見た。
「・・・・とても美味しいです」
感情の無い声だったがジャンヌはありがとうございます、と言った。
その後はジークルーネが黒闇天を素性は聞かないから是非ともワルキューレに入れと誘った。
しかし、黒闇天は一笑して断った。
その傍らではクレセントをカリ、ヴァレンタインが油断ならない眼差しで見つめるなど騒がしい夕食だった。
食事が終わるとヴァレンタインは夜叉王丸に少し話を聞いて下さいと言って夜叉王丸の自室に入って来た。
「あのクレセントは本当にヴラド一族の生き残りですか?」
部屋に入り夜叉王丸がディスク・イスに座るとヴァレンタインは切り出した。
「あぁ。あいつの口から聞いた」
夜叉王丸の答えにヴァレンタインは渋面を浮かべた。
「それだったら何で彼女を従者にしたんですか?ご自分を殺そうとした一族の娘を」
「あいつの腕は確かだ。報酬を与えれば、それなりに働く」
「しかし、いつ夜叉王丸様に刃を向けるか分からない危険人物です」
ヴァレンタインの言葉は的を射ていた。
常人から見ても彼の行動は常識から外れている。
「私が夜叉王丸様の立場なら、例え人手不足でも危険人物を従者にはしません」
「シルヴィアにも同じ事を言われた」
当たり前ですとヴァレンタインは言った。
「私は近衛兵ではありません。ですが、大恩ある夜叉王丸様を護りたいと思う気持ちに変わりはありません」
天使でありながら悪魔を護りたいと言うヴァレンタインに夜叉王丸は苦笑しながら礼を言った。
「ありがとう。お前の気持ちは嬉しいよ」
素直な言葉を述べた。
ヴァレンタインは少し頬を赤く染めた。
夜叉王丸は気付かれないように笑った。
気付かれたらヴァレンタインが怒るからだ。
「まぁ、この話はこの辺にして、酒でも飲まないか?」
イスから立ち上がり部屋の中にあるキッチンバーに足を向ける。
恩人に誘われてヴァレンタインは釣られるようにキッチンバーに足を向けた。
「何が良い?」
「では、バラライカをお願いします」
ウォッカをベースにしたロシアの楽器の名前が付けられたカクテルを頼んだ。
「了解した」
夜叉王丸は背中の酒棚からウォッカ、ホワイトキュラソーを冷蔵庫から冷やしたレモンジュースに氷が入ったアイスペールを取り出した。
アイスピックで氷を適度に壊してシェーカーにウォッカ、ホワイトキュラソー、レモンジュースをメジャーカップで計量してから氷を入れて蓋をしてから上下に振った。
「・・・・素敵」
ヴァレンタインは惚れ惚れとした表情で夜叉王丸を見て呟いた。
「何か言ったか?」
シェーカーを振って聞き取れなかったのか夜叉王丸が聞き直した。
「あ、いえ。何でもありません」
振っていた手を止めて残念そうな表情になりながらヴァレンタインは首を振った。
「?まぁ、良いや。出来たぜ」
鋭角な逆三角形のカクテル・グラスに出来上がったバラライカを注ぎカウンター席に座るヴァレンタインに差し出す。
「ありがとうございます」
礼を言ってからバラライカを受け取った。
「さて、と次は俺だな」
今度は自分の分を作り出す夜叉王丸。
「夜叉王丸様は何を飲むんですか?」
「俺はドライ・マティーニでも飲むかな」
答えながら自分のカクテルを作る為にドライ・ジンとドライベルモットを取り出した。
シェーカーに氷と共に計量した材料を入れて再び振った。
その姿をヴァレンタインはまたも惚れ惚れとした眼差しで見ていた。
出来あがったドライ・マティーニをヴァレンタインのカクテル・グラスとは対照的な曲線を描いたカクテル・グラスに注いだ。
「それじゃ、食後に乾杯」
「・・・・・乾杯」
ヴァレンタインは夢にいるような声を出して夜叉王丸が差し出したグラスに自分のグラスを当てた。
チンッ
ガラス同士が当たった音が部屋に静かに聞こえた。
グラスを口に含もうとした時に
ドンッ
抉じ開けるような音を立ててドアが開いた。
「飛天!助けてたもれ!!」
黒闇天が紫の浴衣を振り乱してカウンターを越えて夜叉王丸に抱き付いて来た。
普通ならよろけて壁にぶつかるが流石か夜叉王丸は微動もせずに片手で黒闇天を抱いた。
「どうした?」
右手に持ったドライ・マティーニを飲みながら尋ねた。
「ジークルーネは変態じゃ!!童が入浴している時に行き成り抱き付いて来たのじゃ!!」
ヒステリックな声を上げる黒闇天。
この態度に夜叉王丸とヴァレンタインは目を見張った。
普段は冷静で毒舌家な黒闇天がここまで変わるのだから余程の事だ。
「ちょっと誰が変態よ!?」
少し間を置いてジークルーネが怒鳴り声を上げて部屋に入って来た。
入って来たと言うより怒鳴り込んで来たと言った方が良いのかもしれない。
黒闇天と同じく負けないくらい着ている服が乱れていた。
鎧を脱いで白い布を体に巻いた状態だった。
髪の毛が少し湿っていたから風呂上がりなのだろう。
「何を言う!貴様が童に抱き付いて来たのじゃから変態であろう!!」
黒闇天は夜叉王丸に抱き付きながら言い返した。
「私は将来ワルキューレに入る者を調べるために・・・・・・・って何よ。その眼は」
ジークルーネは黒闇天からヴァレンタインに視線を移した。
ヴァレンタインの朱色の瞳は不機嫌を超えて怒りが宿っていた。
「貴方に常識って言葉はないの?今は夜よ。それなのに大声を上げるなんて」
刺々しい言葉を言うヴァレンタインにジークルーネは明らかに不機嫌になった。
「失礼な言い方をするわね。これでもワルキューレ。常識はあるわよ」
「常識があると口で言う割には夜に大声を上げるんだな」
夜叉王丸がヴァレンタインに助力するように言った。
「それに行き成り抱き付くなんて女とは言えセクハラだぞ」
「そうじゃ。立派なセクハラじゃ」
黒闇天も弁上する形で言った。
「な、何よっ。三人そろって私を虐めて楽しいの?!」
逆切れ状態で怒るジークルーネ。
「誰も虐めてない」
はぁ、と溜め息を吐きながら夜叉王丸はマティーニを飲んだ。
「黒闇天。お前も部屋に帰れ。明日も学校だろ?」
今の時間は夜の12時。
現代の子供なら未だ眠らないのが殆どだし夜叉王丸も何も言わないが、今はヴァレンタインが異様なほど機嫌が悪い事から部屋から出そうとしたのだ。
「まだ眠くない。それより主はヴァレンタイン殿と二人で何をしようとしていたのじゃ?」
ヴァレンタインの異常な怒りを敏感に感じ取ったのか黒闇天が探るように聞いてきた。
「ただ酒を飲もうとしてただけだ」
なぁ?と聞く夜叉王丸。
「・・・・はい」
ブスッとした声で答えるヴァレンタイン。
「お前らが来て邪魔された。分かったら部屋に戻れ」
これ以上こいつを怒らせるなと暗に言う夜叉王丸。
「童も酒が飲みたい」
「私も酒が飲みたくなったわ」
二人は夜叉王丸の心配を無視するように酒を羨望してきた。
「お前ら俺が部屋に戻れって言ったのに分からないのか?」
二人の身を案じて言っているのにまったく無視するため夜叉王丸は少し怒った口調で喋った。
「酒を一杯飲ませてくれたら戻る」
「・・・・分かった。その代わり、戻らなかったら腕づくでも部屋に戻すぞ」
仕方ないと諦めながら釘をしっかりと刺した。
二人は頷いてカウンター席に座った。
「何が良い?手間が掛る酒は断るぞ」
「何を怒っているのじゃ?童はジン・トニックを頼む」
「私はビールが良いわ」
「生憎だが、ビールは置いてない」
「品揃えが悪いわね」
横暴な態度を取るジークルーネに夜叉王丸は小さく息を吐いた。
「俺はビールが余り好きじゃない」
「それでもビール位は置いておきなさいよ」
命令口調で喋るジークルーネ。
バリッン
ガラスが砕ける音がした。
「・・・・・いい加減にしなさい」
ヴァレンタインが砕けたグラスを握りながら殺気が含まれた声で口を開いた。