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「廃校の化物」

みんなで廃校へ肝試しに行く話です。




 悲鳴と怒号、それと血の匂い。

 暗闇の広がる廃校で、死に物狂いで逃げ惑う人々。


 「助けて、助けてくださ————ア”」


 『ソレ』は、びちゃりと飛び散る赤に目もくれず、また新たな獲物を探しに行く。


 幽鬼のようなその姿が、酷く苦し気に泣いていたのを月だけが見ていた。



◎◎◎



「グリムリーパーが、肝試しニ行くなンて、トんだ笑い話ジャねーか?」


 晴天。数々の店が道々に立ち並ぶ、中心街を俺達は歩いている。

 雑踏の中、ヒソップはカミルの頭にしがみつくように乗り、にやにやと笑っていた。


「遊びじゃねぇぞ。俺達は任務で来たんだ。くれぐれも、カミルと一緒にはしゃいでくれるなよ」

「ん!きもだめし、楽しみ!」

「おい」


 それに感化され、テンションが上がったカミルの額を軽く叩きながら、俺は任務の内容を思い出していた。




 ソレルから任務の依頼が来たのは昨日だ。

 リビングのソファに座り仕事をしているとぴりり、と連絡用の端末から音が鳴った。


「ねぇラバン、入れば二度と戻れない……なんて言われてる廃校に、行って見ないかい?」

「はぁ?」


 この人の連絡はいつも唐突だ。そしてその口から出る言葉もまたそうで。

 俺は端末越しに、盛大に眉を潜めた。


「あはは!まぁ聞いてよ。都心で今、行方不明事件が多発しててさ。肝試しで、街のはずれにある廃校に行ったっきり、帰ってこないっていう話。まさに、お化けの仕業か!ってさ」


 相変わらず真意の読めない軽い声で言うソレルに、どうにも実の入らないため息をこぼすとさらに「いやはや、神隠しかも」なんて戯言を重ねた。


「……はは、面白い話ですね女ウケがよさそうだ。近々お見合いでもするのか?頑張ってください」

「待って待って、いや、本当に」


 口の減らないソレルにいい加減痺れを切らし、端末を電源ごと切ろうとすると、慌てた声が聞こえてきて少し溜飲が下がった。


「その事件の調査に、行ってきてほしいんだ」


 軽口で遊ぶのに満足したのか、ようやく真面目な雰囲気を見せ、俺はメモを取るために手帳を取り出した。


「俺に言うってことは、それにチョーカーが絡んでるんでしょう?」

「ううん……まだ、明確な情報は上がって来てない。張り切っているところ申し訳ないけれど」

「また、お得意の勘ですか」

「ああ。そうだ」


 自信満々に「勘だ」と答えるソレルに、また今回も面倒そうな任務だなと予想がついた。


 ソレルの勘は当たる。チョーカーに関することは特に。

 この勘、もといその卓越した洞察力と知識のおかげで、先のようにうっとおしい軽口を言っても、組織内での威厳が保たれていると言っても過言ではない。


「情報を探ろうとしたって、なんせ肝試しから帰って来た人はいないんだぜ?」

「本当なのかそれ」

「ま、誰も帰って来てない、なんてのは脚色さ。命からがら逃げてきたっていう話もあるしねぇ。ただ、僕が気になるのは……」


 そう言葉を切った後、かさりと紙をめくっている音が聞こえた。


「その廃校ってのが、1年前の事件に関係してるんじゃないかって思ってね」

「1年前の事件?」


 俺は、手帳へ向かっていたペンを止めた。


「うん、1年前にも同じ街で、行方不明事件があった。とはいえ、こっちは肝試しで……なんてもんじゃなく、カルト団体が組織的に行った連続誘拐事件ってことらしいぜ。その街で評判だった大屋敷のご子息ご令嬢も攫われたってので、ちょっと話題になったのさ」

「そんなことが……捕まったのかそいつらは?」

「いいや、残念ながら。ただ、いつからか誘拐事件も、ましてやそのカルト団体もぽっきり音沙汰が無くなった、ってね。全く不思議だよねぇ」


 警察組織に摘発されたわけでもないのに、事件もましてやカルト自体も消えた。

 何の理由もなしに、なんてあり得ない事象だ。


「そんで。その事件と、今回の肝試し騒動。何が繋がるってんだ」

「そうそう、そこね。実はその廃校、1年前に件のカルト団体が根城にしてたって噂があるのさ」

「あ?んだそりゃ。怪しすぎるだろ」

「そうだよね」


 カルト団体の使っていた廃校が、1年越しにまた、行方不明事件の中心地となっている。

 明らかに、何かある。


「楽しくなってきたね。まるで気分は探偵さ」

「はは、椅子に座ってそれっぽく推理するだけなんて、さぞ楽しいだろうよ。……というか、なんでその案件、俺なんです。都心なら組織の拠点の方が近いだろう。拠点に常駐してる連中には言わなかったんですか」

「そのつもりだったんだけど……みんな今出払っていてねぇ。君にお鉢が回ってきたわけさ。まぁ、君も『手段』が増えたんだろう?うまく使ってみなさいね」

「…………了解した」


 手段とはカミルのことだろう。

 カミルを拾った初日に連絡して以来、アイツについては当たり障りのないことしか伝えていなかったため、やはりソレルとしても気になる事項であるのだろう。


 組織にカミルがチョーカーであることを隠せている限り、ソレルはカミルの個人的なプロフィールにとやかく言うことはないはず。

 だが、いい加減『価値』くらいは示した方が良い。特に、カミルが戦えること。


 俺自身、カミルの戦闘力については未知数だ。

 今回でそれが分かるか、価値を示せるかは不明だが……おそらくチョーカーだろう母を探すために、今より任務の数をこなしたい俺にとっては必要なことだ。


 ちなみに、ヒソップのことは伝えていない。

 レディベリーを紹介してくれたソレルを筆頭に、組織にとって隣人は比較的身近な存在だ。


 カミルと違い、必死になって隠すこともないだけに、言うタイミングもなく放置してしまっている。いずれ、勝手にバレるだろう。


 それに、今は外でも、俺やカミルの周りだけだが、好きに飛ばせたり乗せたりしている。


 ミツの時は、近所付き合いを考慮してミツが困らないよう、ヒソップが自主的に潜んでいたようだが……もう吹っ切れたというか、俺らならどう思われてもいいと考えているのか、ある程度自由な様子だ。


……そう一瞬思考をあちこち飛ばしていれば、がさがさと手元の書類を片付けていたのだろうソレルが、一息ついて言った。


「よしそれじゃ、必要なことは伝えたから、よろしくね。今回も気を付けて」

「ああ。では」


 プツッと通話の切れる音と共に、俺は席を立つ。

 キッチンから、レディベリーとカミル、ヒソップの声がする。一緒に菓子でも作っているのか。


 ならば、菓子が出来るまでに、明日の準備をしておこうと、自室へ向かって足を踏み出した。



◎◎◎



 調査の基本は聞き込みから始まる。

 午前中は、ずっと街の人間に肝試しや廃校の噂を尋ね回っていた。


「ああ、あの廃校。心霊スポットで最近話題になってるらしいね」

「肝試しに行って、誰も帰ってないって噂よ~怖い怖い!」

「廃校の亡霊に、あの世へ連れてかれるんだって!友達が言ってたの!」

「あそこ、化物が住み着いてるんじゃなかったか?逃げてきたって奴が騒いでたぞ」

「廃校が何に使われてたかって?さぁね。大通りとは離れた奥まったところにあるし、随分前に閉校したから、最近まで存在すら知らなかったわ」


「…………そうですか。ご協力ありがとうございました」



 昼食に入ったファーストフード店で、俺はため息を吐いた。


「はぁ。大衆はやはり、行方不明事件というより、よくある怖い話としてそのエンタメ性を楽しんでいるみたいだな。はっきりした話が一つもない」


 カミルとヒソップがバーガーとポテトをむしゃむしゃと食べている。その手や口周りはソースでべたべただ。

 ……あぁ、まだバーガーはこいつらに早かったかもしれない。カミルに袖を捲らせ、服だけは汚さないよう言った。


「もウ、その廃校ってヤツに行ってミる方ガ、早そうダゼ。人の話ヲ聞くのモ飽きテきタ」

「あきてきたー」

「そうかもなぁ……」


 朝から人込みに飲まれながら行動していたため、皆それぞれ疲労が見える。終盤ヒソップは特に、カミルのフードの中ですやすやと眠っていた。

 ぬいぐるみの姿は軽いため、カミルはそれに結局気付かなかったようだが、たまに、ヒソップを探すようにきょろきょろと周りを見ていた。


 午後はどうしようか、と考えていると、店内からより騒がしい声が聞こえた。


「肝試し、楽しみだなー!廃校で夜とか真っ暗だろ?考えただけでぞっとするぜ!」

「はっ、お前ビビってんのかよ」

「私は怖いわよぉ!お化けいたらちゃんと守ってよねぇ!」


 男女の若い3人グループが、興奮気味に話している。その内容は、まさに俺達に関わるものだった。


「オオ、アイツら肝試し、行くってサ」

「一緒、行く、するー?」

「おうおウ!どウせ行くなら、多い方ガいいゼ!そっチの方が楽しソうダ」

「おー!」


 ポテトをつつきながら適当に言う二人に、これといって突っかかる理由もなく、俺も素直に頷いた。


「……まぁ、曖昧な噂を聞き続けるよりは、いくらか有意義かもな。案外、あれくらいの気概で言った方が、『化物』さんも出やすいだろうよ」


 そう言い、だらだら話しながら食べる相手に合わせ、こちらも食事を終わらせた後、同じタイミングで席を立った。


 彼らが外に出たところで、話しかける。


「すみません。その肝試し、僕たちも一緒に行かせてもらえませんか?」



◎◎◎



 日が落ちるころ、俺達は再びファーストフード店の前に立っていた。


 あの後、若者たちは俺の提案を「人数多い方が楽しいっしょ!」と二つ返事で受けた。

 今夜だけとはいえ、このノリに付いていけるか心配だったが、どう考えても無理に決まっているので早々に諦めた。



 集合時間が少々過ぎたところで、道の向こうからにぎやかな声が聞こえた。やっと来たかとそちらを向くが、どうやら俺達の待ち人ではないようだった。


「ああ満足!この通りはワタクシ好みの美しいものが多くて、ぜーんぶ買うのに時間がかかってしまったわねイチイ!おーっほっほっほ!」

「本当ですよぉベラドンナさん……自分で持たないくせにこんなに買ってぇ!宝石も造花ももうあなたの部屋いっぱいじゃないですかぁ?どこに置くんだもう……」


 ゴールドの髪を美しくたなびかせ、絢爛なドレスを着ている女性と、癖のついたグレーの短い髪と黒くくたびれたスーツ着ている猫背の男。

 その背は、姿勢の良い女性の横にいることも相まって、酷く曲がって見えた。


 レースの手袋に覆われた手を口元に当て、ご機嫌な高笑いをする女性に、男はショッピングバッグを大量に持ちながら、呆れたような声を出している。


 目立つ二人をつい視線を向けると、ふと女性と目が合った。いや、正確には、女性がガッ!っとカミルの方を見つめた。


「あら?あらあらあららぁ!あなた、とっても素敵な髪と瞳ね!その隈もチャーミング!おーーーーっ名前は!?」

「お!おお?おおお?」


 ずいずいっと知らぬ間にこちらへ寄ってきて、カミルの顔をじーっと見る女性。ヒールを履いているからか、カミルと目線の高さは同じで、それにカミルは戸惑い驚いていた。


「あぁぁ、ベ、ベラドンナさん!す、すみませぇんとんだ失礼を……この人、自制って知らないんです……」

「い、いえ。コイツも突然で驚いているだけなので、多分大丈夫です……」


 半泣きで女性の服を容赦なく引っ張って抑えようとする男に、同情を隠さないまま答える。

 カミルはその間に落ち着きを取り戻したのか、自身の髪へ伸ばされた女性の手を避け、少し離れながら言う。


「オレ、カミル!なに、用、ある?」

「あら~~~~!なぁにその話し方、まるで汚れを知らない未就学児のようねカミル!ワタクシますます気に入ったわ!」

「ちょっと、ベラドンナさん!?」


 カミルから視線を外さず、自由に話す女性に、男が慌てたように口を挟んだ。


「う、うっかり連れて帰ったりなんて、絶対ダメですからねぇ!彼が『そう』かは分からないし……それに!そろそろ行かないと、でしょう?」

「分かってる分かってるわ!『所長』のお願いを無視することなんてできない!でもカミルのこともずっと見ていたいわ!永遠に!ああ、ワタクシ一体どうすれば!」

「んん~?」


 彼女らも、これから予定があるのだろう。男が離れるよう促すが、女性は相当カミルに惚れているようだ。


 しかし、俺達もいつまでもこうしているわけにいかない、それにそろそろ……と思ったところで俺達の後ろから、これまた賑やかな集団が近づいてきた。


「うぃーっす!すんません遅れて!」

「お、取込み中か?」

「こんばんはぁ!!ラバンさん!カミルくん!」


 それは、昼間に見た顔たちだった。


「こんばんは。ようやく来ましたね」

「へへぇ、マジ申し訳ねっす~!んで、その人たちも一緒に行く感じっすか?」

「ああ、いや」

「あ、す、すみませぇん!僕たちはその、通りがかっただけなので……ご予定の邪魔をしちゃいましたね!さ、ベラドンナさん行きましょう!」


 もともと縮こまっていた男が、もっと小さくなり、ぺこぺこと謝りながら女性の背を押す。


「あらあらあらら!そうなのねカミル……もうここから去ってしまうのね。ええ、悔しいけれど飲みましょう。大丈夫。美しいワタクシは、美しいあなたにまた会えるはず!それもきっとすぐに!おーっほっほっほ!」

「お!う、うん!」


 彼女は他の人に目もくれず、名残惜しそうにカミルを見て、仕方なく男と歩いて行った。


「アア、なンだったんダアイツら……」


 ずっとカミルの頭に乗っていたにも関わらず、今まで黙っていたヒソップが眉を潜めて言う。

 通り雨ののような人たちだったが、切り替えて俺達の仕事をしなければ。


「改めて、今夜はよろしくお願いします」

「へへぇ、よろです!おじさんノリ固いっすね~!タメ口でいっすよ!俺ら年下なんで!」

「…………そうか。ならそうする」

「クク、オ、オジサンだッテ」


 彼らのリーダー的な存在だろう茶髪の男と、挨拶を交わす。

 ヒソップがなぜかうざったらしい笑みを見せたので、やわらかい頭を容赦なく掴んだ。


「やめロ!頭の形ガ変わっチまウ!」

「小顔にしてやるぜ。感謝しろよ」


 そうしてヒソップに絡んでいると、明るい髪を結んでいる女性が不思議そうに話しかけてきた。


「そういえば、昼から気になってたんだけど、そのぬいぐるみなぁに?話すなんてすごい人形なのねぇ!おじさん意外と金持ち?ちょっと触ってもぉ?」

「オイ!気安ク近づくナ!」


 女性がヒソップに手を伸ばす。ヒソップはそれを避けるように動き、カミルの頭から横へ傾くように落ちるも、カミルがさっと片手で受け止めた。


「おー?ヒソップ、落ちる、あぶない」

「フン、文句ナらこのニンゲンに言えヨ」

「あぁ、ざんねん!ってか口悪っ!おもしろいけど、この子にどういう学習させてるのよぉ」


 女性は、初めて会った俺のようにヒソップをAI玩具だと思っているようだ。


 昨今、AI技術が急速に発達し、愛玩用のAIロボットも数は少ないが売られている。

 それらも、さすがにヒソップほど柔軟で自由な会話ができるわけではないが、精霊やましてグリムリーパーなどの存在を知らない人間には、そう思う他選択肢がない。


 勘違いしてくれているのなら、わざわざ訂正しなくても良いだろう。

 バレたらバレたで本人は構わないようだが、面倒を避けるためヒソップにも、感情に任せて自分の正体を言うのはやめろと言っている。


「さて、行こうか。もうすぐ日が落ちきるぞ」

「よーし!楽しみっすね~!ばっちり化物探してやる!」

「いねぇってんなもん」

「いても見たくないよぉ!やだやだ絶対離れないでね?!」


 話しているうちに日が落ち、周りが暗くなる。若者たちは、俺の言葉に持ってきた懐中電灯をつけ、にぎやかに歩き始めた。

 俺達は、それに後ろから付いていった。



◎◎◎



 廃校に着く頃には月がすっかり顔を出し、目の前の建物を不気味に照らしていた。

 思っていたよりも随分と大きく、今は所々崩れているが意匠も凝られている。都心に近いこともあって、中々上級の学校だったのではないかと伺えた。


「おお~雰囲気あるう~!」

「流石に暗いな」

「もう怖い!もう怖いよぉ!」


 3人は相変わらず仲良さそうに引っ付き合って騒いでいる。

 彼らは「化物を探す」などと意気込んでいるが、俺達はここでチョーカーに関する情報を見つけなければならない。


 まぁ結局は、おそらくその『化物』とやらを追うのが最短の策だろうし、とりあえずは、はぐれないよう付いていくしかない。

 ついでに、一般市民である彼らをなるべく傷つけないことも、考慮する必要があるだろう。


 俺はカミルに近づき、小声で言う。


「カミル。万が一何かあれば、お前はあいつらを守れ」

「まもる?」

「なるべく怪我をさせるな。俺もそうする。分かったな」

「ん!けが、ダメ!分かる!」


 こくりと大きく頷くカミル。

 コロッセオで剣闘士として生きていたカミルは、今この場の誰よりも動ける。

 気配や五感に敏感なカミルがいれば、異変にもすぐ気が付けるだろう。


「そうだ、これ渡しておく」


 そう言って、俺は懐から小ぶりのナイフを取り出した。これは俺が組織から配布された対チョーカー用の武器だ。

 俺は専ら銃を扱っているため、今まで出番はなかったが、カミルならうまく使えるだろう。


「コロッセオでは何を使っていたのか知らないが、ナイフくらい使えるだろ?」

「ん!できる!ありがと!」


 カミルはナイフを受け取り、柄を何度も握ったり、器用に振ってみたりと感触を確かめた後、にこりと笑った。

 それを見て俺は一つ頷き、校舎へ足を進めた


「じゃあ、入るぞ」


 遠くで、鳥が木々から複数飛び立つ音がした。




 建付けの悪い大きな扉を開けると、カビや土埃の匂いがした。


「おお!思ったよりきれい?」

「崩れる心配はなさそうだな」

「ねぇねぇ、なんか寒くない?」


 テンションの上がっている彼らに俺達は素直についていく。歩きやすい広い廊下を進む中、時折、人骨めいたモノが部屋の隅にあるのを見つけるが、気づいていない彼らにそれを言うことはしなかった。


 3人からはぐれないように歩く中で、ヒソップに問う。


「グリムリーパーさん?お前こういうとき、どこに人がいるかとか分からないのか」


 人の魂を回収するグリムリーパー。未だにその生態は分からないが、仕事内容から考えるに、魂を認識することができるのではないのだろうか。


 そう考え聞くと、ヒソップはおもむろに目を閉じ、その後首を横に振りながら目を開けた。


「期待しテるとこ悪いガ、俺ッチがはっきり見えンのは、今死んだヤツか、今すぐ死ぬヤツの魂だけダ。目の前に死体ガありゃ、いつ死ンだか位は、分かるがナァ……今、探ってミたけど、俺ッチに見エる魂はなかっタゼ。タダ……」

「ただー?」

「匂いハするナ。どコが、とは分かラんが、ここ全体強い死の匂いダ。イハッ、こノ数、ここヲ担当したグリムリーパーは大変ダッたろうナ。想像しただケで、気が滅入りソうサ」


 どこか面白そうにそういうヒソップに、俺は背筋が凍る感覚がした。

 つまり、ここには死体がいくつも転がっているってわけだ。


 ソレルが言っていた一年前の事件と関係があるのか、それとも、違う要因か。ソレルの勘では、チョーカーが絡んでいると言っていたが。

 ……なるほどこれは思ったよりも厄介な案件なようだ。


 明らかな異常事態だが、これを言ったところで前を歩く3人が信じようはずもない。彼らを早いところ、ここから出したいがどうするか。


 とりあえず、彼らが早々に満足することを願って、俺らで警戒をするしかないな。




「わ!今ぞわっとした!なんかいるってー!」

「気のせいだろ」

「ちょっと!嘘つかないでよぉ!え、ホントに!?」


 彼らは彼らなりに、肝試しを存分に楽しんでいるようだ。声が校内によく響く。


 しばらく歩き、大きな講堂のような場所に辿り着く。

 講堂の後ろの扉から入ると、そこは、当然寂れてはいるものの、他の部屋よりは比較的綺麗に残されているように見えた。


「お、ここは広いなー!」

「何人入るんだ」


 この空間に慣れてきたのか、男の二人は感心したように行動を眺めているが、女性は、何かを見つけたようにぶるぶると震えた指を上げた。


「え、あ、あれ、あれ見て!みんな!なにか……」


 その指し示す方には、月の光を浴びた教卓がある……いや、その手前、教卓のすぐそばに横たわる少女が見えた。

 長く白い髪や、オレンジ色をしたタートルネックのワンピースを、汚れるのも気にせず惜しげもなく床に放っている。


「おい!大丈夫か!…………ッ」


 俺は直後、少女に駆け寄る。

 しかし、その数歩前で足が止まる。体に触れることなくそれに気付いたからだ。


 その少女は目を閉じ眠っている。眠るように死んでいた。


「…………くそ、遅かったか」

「死んでるナ。魂もとっクに回収さレてる」

「んー」


 ヒソップとカミルが追って近づいてきた。

 カミルは少女を見るやいなや、鼻を動かして言った。


「ラバン、これ……泥、匂い?」

「泥?お前それって—————」


 泥の匂い……ミツのときにも言っていたが、と問いただそうとしたところで遅れて3人がやってきて、言葉を中断させた。


「なッ!!なんだよこれ……本当にこんなことが……」

「う、ウソだろ……」

「ね、ねぇ!ダメだよここ!おかしいよ!こんな普通に、人が!」


 それぞれ目の前の光景に、動揺と困惑、恐怖を露わにしている。


 10歳ほどに見える少女は、眠るように息絶えており、服は全体的に黒ずんでいる。おそらく、血の跡だろう。


 気になることはあるが、なんにせよ少女と共にここから出なければ、と手を伸ばしたところで、「ドゴンッ!」と後ろの扉が吹き飛んだ。

 カミルが瞬時に振り向き、険しい顔をしたのが横目に見えた。


「泥、匂い、いっぱい————ッ」


 カミルがそう言った瞬間、3人の前に立ち、『ソレ』と肉薄していた。


「う……ッラバン!こいつ、ダメ!みんな、危ない!」

「グ、アアア!!!!サ、ワルナ、サワルナァア"ア"ア"!!!」


 初めて聞く、カミルの必死な声。

 それと同時に耳に入る、全てを憎んでいるかのような重々しい響き。


 こんな人間を見た事がある。理性を飛ばしたぎらついた目、表情。開いた口からは涎が絶えず垂れている。

 月に照らされ見えた、首に浮かんだ黒い痣。それは、鎖のような複雑な模様をしていた。


 チョーカー。それも重度の。


「おい、逃げるぞ!!意地でも立て、走れ

ッ!!!」


 カミルの言葉を聞き、固まっている3人に叫ぶように指示を出す。女性は腰が抜けたのか、床に尻を付いているが、それを強引に立たせ、前方の扉へ向かった。


「ヒソップは、カミルと居ろ!何かあれば、飛んで来い!俺は、こいつらを逃がす!」

「ハハッ!分かっタゼ!」


 頼もしいと言うべきか、この状況を楽しんでいるヒソップに「頼んだぞ」と言い残し、3人と廊下を走る。


 こちらも中々に大変だが、カミルを一人にするのは得策ではないだろう。

 ただでさえ、重度チョーカーとの初遭遇だ。ヒソップが付いていてくれるだけで、いくらか安心できる。


 俺は、愛銃に弾がちゃんと入っているかを確認しながら、時折彼らに声を掛け玄関へ向かった。



◎◎◎



 チョーカー同士の戦闘ッテのは、早ク、圧倒さレるもんだナァ。


 ラバンが講堂を出テしばらく経つ。戦闘は激化しテて、俺ッチが真ん中に立とうモノなら、すグに潰されソウなほどダ。


 カミルは、コロッセオで化物ト戦っていタと言っていたガ、その時かラなのか、手加減ってモノをしらナイ。ラバンかラ貰ったナイフを、ブンブンと好きニ振り回していル。


 講堂はもはヤ、机も椅子モ、粉々ダ。


 俺ッチは巻き込まレないよう、天井近クを飛んでいるガ、いろンな破片や、そもそも本人達すら飛んでくるもンだから、油断できナい。


 戦況はどうだロ。見たとコろ、カミルが押してイる……か?

 しかし、相手のチョーカーの動きガ、所々おかシく、それが影響していルだろウ。


 カミルが、女ノ子供の近クに行くタびに、過剰に反応しテ、まるでソレを守るようニ動ク。

 何を理由ニ、と考えてイる所で、カミルの顔に男ノ、鋭い爪が向かウ。


「お、ダメ!」


 そレに、カミルは顔を逸らシて交わすも、爪が襟に引っかカり、服が避けタ。外では珍しク、カミルの白い痣ガ見えル。


「ああ!レディ、くれる、服!おまえ、切る!」

「ウウ"ウ"ウ"ウ"ウ"!」

「オレ、怒る———する!」


 カミルがそう言ウと、その首の痣ガ脈打ち、シンプルな線から茨のようナ模様が上下に広がっタ。

 痣が感情ニ、呼応しタのか。


 そシて、方向を転換さセ、まっすグ子供の方へ向かウ。


「…………ッ!チガ、チカヅクナァ"!!!!」


 男は、それに気づクとすぐサま、カミルの前に踊りでタ。


「やっぱ、来る、する…………なッ!」

「ウ、ガアッ!!!!!」


 しかしカミルは、それを狙っテいたかのよウに、無防備な横っ腹を容赦なく蹴っタ。

 「ドゴン!」と壁に男ガ突っ込んデいく。


「ウワァ。あレは痛そうダナ」


 その後もカミルは同ジ動きを繰り返し、その度男が蹴られていク。

 しかし、男は馬鹿の一つ覚えのみタいに、行動ヲ修正しようトしない。


 何度目かに男ヲ蹴った後、カミルは怪訝な顔ヲして止まっタ。


「おまえ、それ、守る。から、オレ、ける……なんで…………」


 カミルが、子供ノ前で唸ル男に問う。


 なぜ蹴られルことが分かっテいるのに、子供を守ろうトするのか、俺ッチにも理解できないコトだ。


「ア、ウ"ウ"。サワルナ……ヤメロ、チカヅクナ……ァ"……」


 男も警戒しタように、息を切らしタまま、その場に留まル。

 そコで、ようやく落ち着いテ男を見らレた。


 歳はカミルと同じクらいの若い男。髪は短く、昔は綺麗に切り揃えらレていタんだロナ。

 この子供とどウいう関係なのカ。やけに執着シている。

 それも死体ニ……


 …………ン?コイツ、そもそモ、子供が死んでイることに気付いテいるのカ?


 服は汚レているモのの、まるで"たった今"、死んだカのような、綺麗ナ死体。

 理性の失っタ、コイツに、そレが理解できているのカ。


 そう思い立チ、俺ッチは、カミルに近づいタ。


「カミル。アイツ、子供がまダ、生きてるっテ思ってルんじゃナいか?」

「そう?」

「だっテ、おかしいだロ。モウとっくに死んでルってのに、指紋一つすら付けなイように守るなンてヨ。自分は、それデ、ふっとバされテんのにサ」

「んー」


 カミルはソれを聞いて、少し考えルように首を傾げタ。目は男の方ヲ、じっと見たマま。


 考えがまとマったのか、ゆっくリ顔を正面に向けタ。そして、真っすグ声を出ス。


「それ、もう。死ぬ、した」

「—————ッア"ア"ア"ア"ア"!!!!」


 瞬間、今までノ比にならナい速度デ、男が突っ込んデきた。

 虚を突かレたカミルは、それを上手クいなせず、「ドッ」と馬乗りニされた。


「お!………………く、がはッ!」

「オイ、大丈夫カッ!」

「ウア"ア"ア"ア"ア"!」


 俺ッチが知覚スる前に、カミルの首に男の歯ガ迫る。


「や、める!するッ!!」


 ギリギリの所でカミルが、ナイフをその顔に振りかざス……が、


「…………わッ!」


 バキリ、と音がした。

 なんダそれ、ありえネェ!あの男、ナイフを歯で折りやがッタ!


「イ、ガアア"ア"ア"ア"!マモル!!!マモルウ"ウ"ウ"ウ"ウ"!!!」


 男はナイフで切っタ口をそのマまに、またカミルの首を食いちぎロうとすル。

 …………マズイッ!!


「クソッ、カミルッ!!!!」


 俺ッチがそう叫ブ時には、男とカミルに、もう何を挟メる余地もなイ。

 クソ、このまま—————



 ——————バンッ



 銃声ガ、聞こえタ。



◎◎◎



 息を切らしながら廊下を全力で走る。出口までの道は覚えていたため、案外すぐに着いた。


「は、はぁ……やっと着いたぁ!!てか、なんスかあれ!!!」

「本当に、いたの、か!化物が」

「ひい、もう、歩けないぃ……」

「怪我はないか。おい、座るな。立て」


 転がるように玄関の扉を潜り抜けた3人にそう言いながら、それぞれの腕を引っ張り上げる。幸い、かすり傷以外の怪我はなさそうだ。


 『アレ』の被害が街に出ていないところを見るに、廃校から出てくるとは思えないが、長くここにいるわけにもいかないだろう。

 3人を街へ帰し、カミルの所へ行かなければ。


 そう思っていたところで、茶髪の男が「お!」と声を上げた。


「なんだ怪我か。見せろ」

「ち、違うっすよおじさん!これ落ちてる!見て、見てこれ!」


 そう言い、興奮気味に地面を指さす。


 そこには、いくつもの硬貨と、青緑と紫が2層に混ざった大きい石が付いた、ペンダントが落ちていた。

 金銀のコイン、それからペンダントを飾る石以外の装飾は、月日が経っているのか、それなりに変色している。


 そばには汚れた、銭入れの機能をしていたのだろう小袋があり、落ちた拍子に中身がこぼれたのだと簡単に予想できた。


「ええ~!綺麗!綺麗ね~!!誰のぉ?誰のだろう!」

「お、おおこれ金か?こっちはフローライトだな。すっげぇ高そう」

「この石、服で拭けばほら!光ったぜおじさん!どう?」


 外に出られた安心からか、少しおかしなテンションになっている3人に引きながら、渡されたペンダントを見る。

 石は当然、その周りの意匠も凝られており、土に塗れる前は、さぞ美しかったのだろうと分かる。


 ここにあったということは、落としたのか、捨てられたのか……立ったままの視線では見えなかった。

 走った勢いのまま座り込んでいた彼らだから、気が付けたのだろう。


「これ、俺が預かってもいいか」


 何に使えるとも分からないが、ここで拾ったものだ。意味があるのかもしれない。


「いいっすよ!俺のじゃないし!」

「え~~私はちょっと欲しかったなぁ……もっと磨けば使えそうだし?」

「そう言って磨かないだろお前」

「言えてる言えてる!んじゃ、いいよぉ」


 快く承諾してくれた3人にお礼を言い、ペンダントをコートのポケットにしまう。

 さてそろそろ、と思ったところで校舎の中から「ドゴン!」と音がした。


「……っ、じゃあ、お前らは早く帰れ。俺は戻る」

「戻る!?あの中にっすか!??」

「連れを回収しなけりゃならん。さっさと行け」


 破壊音が続けて鳴る。中がどうなっているか分からないが、一刻も早く戻る必要がある。

 彼らに帰るよう強く促すと、3人は町へ足を向けた。走り去る直前、彼らが言う。


「お、俺ら!あの店の前で待ってるっすから!」

「無事でいてくれ」

「絶対!帰って来てねおじさん!!」


 そう言い残し、俺が何か言う前に走り出した。


 俺は一瞬固まった後、「いや、家に帰れよ……」と返事をしたが今更届くはずもない。俺は頭を振って切り替えるように一息ついた後、校舎へ戻った。

 ……若いアイツらを、いつまでも待たせるわけにはいかない。なるべく早く解決して帰ろう。



◎◎◎



 —————いや、こんな危機的な状況とは思っていなかった。


 月の光が入り、照らされた講堂。俺がそこに着いた時、カミルはチョーカーに圧し掛かられていた。

 それを見た瞬間、何を考える暇もなく、リボルバーの引き金を引いていた。


「グ、アガア"!!!!」


 弾はチョーカーの足を貫く。体がぐらりと揺れ、その隙にカミルがチョーカーを蹴り飛ばした。チョーカーはそのまま壁に激突し、沈黙した。


「お!ラバン!」

「カミル、無事だな。今はどうなってる」


 その場で警戒を続けているカミルを見る。

 動けているということは、どこも折れたりはしていないだろうが……ただ、襟が裂けて、茨の模様が生えた白い痣が見えていた。


「お前、その痣」


 戦闘で気が昂れば痣が広がるのか。それとも、何かされたか。飢餓感や、食人欲が出てないか。カミルの痣が変化するところを初めて見た。

 そう一人で焦っていると、カミルはいつもの調子を崩さずに答えた。


「避ける、した!けど、切る、される!から、怒る!」

「なンか、苛ついてンだとヨ」

「い、苛ついてる…………それだけか?」

「ん?ん!」


 受け答えもできる。理性がある。

 ……本当に、感情が高ぶっているだけなのか。良かった。ここでカミルが制御不能になれば、完全に詰みだった。


「見てタ限リ、カミルにでケぇ怪我はナいゼ。ナイフが粉々ニなったくラいだナ」

「粉々に?いや、それよりあの子は———……ッ!!」


 「ブオン!」と突然、蹴りが眼前に迫って来る。


「ら、ば!」

「ラバン!」

「あッ!っっっっぶねぇ!!!」


 それに間一髪で避ける。しかしその拍子に、ポケットに入れていたペンダントが空へ飛び出した。


 —————そのペンダントが、チョーカーの視界に入った途端、チョーカーはぴたりと足を止め、それを凝視した。


「……ウ……ア?ア"ァ…………」


 からん、とペンダントが落ちると同時に、チョーカーも頽れるようにその場に膝をつき、恭しくペンダントを拾った。


 俺達はその行動に動揺しながらも距離を取り、息を止めてそれを見つめた。


「な、んだ?止まった?」

「オイオイ、急に大人シくなったナ」

「あれ、なに?きれい、石!」

「フローライト鉱石のペンダントだ。校舎の前で拾ったんだが一体……」


 数秒か数分か、動かずにそうしていると、男がずりずりと足を引きずりながら、少女に近づいていった。弾が貫通し、満足に歩けないのだろう、時折転げながら必死に進んでいる。


「ウ"ウ、アァ」


 月光の中横たわる少女へようやくたどり着くと、また膝をつき、そのペンダントを少女の手へゆっくりと乗せた。

 それは、ぼろぼろのこの場所に似合わない、静かな光景だった。


「あれは……」

「アイツ、正気に戻っタのカ?」

「いや、そんなはずはない、が」

「んー?」


 カミルが異質なだけで、重度チョーカーが理性を取り戻した例はない。

 それに男も今、人間としての思考を蘇らせたわけではないだろう。


 ただ、彼の心が、その行動を取らせている。


「少女はあれにとって、よほど関係の深い人間なのか」

「それは言えテるナァ。アの子供に近づけば、アイツは何があってモ、俺達を攻撃しテきた。サワルナってサ」

「あの子、守る、する。なんで?」


 ヒソップは感心したように言い、カミルは眉間にしわを寄せ、じっと男を見つめている。


 少女に対する過剰なほどの執着と、庇護心。その理由は、おそらく。


「大事だから、さ。あの子が」

「だいじ、だから…………?」

「カミル?オい」


 カミルが俺の言葉を真似し、空を見つめた。何かを考えているのだろう。

 いや、これは、思い出しているのか。


 ……ああくそ今か……平時なら、思い出すまでこのまま何時間も待ってやっていいが、今はそんな場合ではない。

 そう思い、数秒待っても動かないカミルの肩を叩こうとしたところで、カミルがこちらを向いた。


「ラバン!オレ、言う、される……ある!」

「なに、『大事だから』?」

「んー、誰、に?人、女の。花、匂い————」

「オイオイ、ちょっと待テ」


 また過去へ思考を飛ばしたカミルに、ヒソップが羽で叩く。


「ソう悠長に話しテる暇ないゼお二人さン。動クぞ、アイツ」


 そのヒソップの言葉に、即座に男を注視した。


「ウウ"ウ"ウ"ウ"ウ"」


 男は横たわる少女を背にこちらを睨み、唸っていた。


「戦闘再開っテか?どウするラバン。重度は処分対象なンだロ。殺しちまウかァ?」

「分かってるのに聞くな。チョーカーの情報が少しでも欲しい今、記憶が見られるに越したことはない。それに…………苦しいよりは苦しくない方がいい」

「ミツと、同じ、する?」

「ハハァいいゼ!俺も他のグリムリーパーに、魂掠め取られなくて済むしナ!まぁただ、アイツにその意思がなけリャ、無理だゼ?」


 ヒソップが対象を、文字通り永遠に眠らせるためには、対象自身の同意が必要だ。

 ミツの時は、彼女が最初からそう望んでいたからスムーズに出来たことだが、今はそうではない。


 いや、そもそも重度のチョーカーに言葉が届くのか。説明したところで、聞いていなければ意味はない。


「あのチョーカー、言葉は理解しているか。様子を見るに、感情はあるみたいだが」

「カミルの言葉にハ、激昂してたゼ」

「んだそりゃ。何を言ったんだ」


 そう聞くと、カミルは一瞬唇を噛みしめ、真剣そうにチョーカーを見つめ、口に出した。


「あの子、死ぬ、した。言う」


 カミルがその言葉をこぼした途端、劈くほどの咆哮がチョーカーから放たれた。


「アアアアアア”ア”ア”ア”!!!!」


 しかしそれは長く続かなかった。


「…………ガッ、ハ、アア”ァ」


 声の振動が足に響いたのか、途中で体がべしゃりと前に倒れたからだ。

 戦闘での疲労と足への負傷、それに先ほど無理に動いたことで、出血が思ったよりも多い。もう、それほど持たない。


「アーア。早くしネェと、勝手にくたバるゼ」

「なるほど、言葉は通じるみたいだ。カミル、チョーカーを抑えてくれ。あれじゃ、もう満足に動けないはずさ」

「ん!」


 カミルに指示をすれば、すぐに俺の隣から出ていき、チョーカーの抵抗できないスピードで、今度はカミルが馬乗りになった。


「……あぁ、ラバン言う、とおり。おまえ、もう強い、ない」


 どうにか逃れようと藻掻くチョーカーを、カミルが余裕そうに押さえつけている。


 なるべく少女には近づかないよう、俺はチョーカーに寄り、話しかけた。


「おい、聞こえるか」


 それには、ただ唸りで返される。俺は話続けた。


「お前はもう長くない。分かってるだろ。だから、俺達に任せてくれないか。お前を痛みなく眠らせたいんだ。その代わりお前の記憶を見せてもらう」


 反応は変わらない。視線も一度も交わらない。……少し、刺激してみるか。


「……それに、その子をこのままずっと、ここに置いておくつもりか」


 それには唸り声が大きくなる。やはり、少女のことには過敏だ。

 だが、俺達が少女を害すると考えている。それを正さなければならない。


「俺達は彼女を家に帰してやりたい。綺麗な場所で休ませてやりたい。絶対に傷つけない。言ってる意味が分かるか。おい……大事なんだろ、その子が……!」


 そう語気を強めると、ようやく視線が交わる。それでも、信じられないのか、信じる心を無くしたのか、首を横に振って抗っている。

 まだ同意を得られる状態ではない。ここままでは……と思ったところで、カミルが口を開いた。


「……だいじ…………おまえ、その子、だいじ!なら……見る、聞く!する!」


 カミルはぐい、とチョーカーの肩を強く押し、顔を近づける。

 チョーカーからも、視界一杯にカミルが写っていることだろう。


「……カミル?なにを」

「ラバンッ!チョーカーの、様子ガ!」



「ア、ア"ァ——————…………オ、マエ……?」



 月光に反射し、美しく照るカミルの白い髪とそこから覗く無垢な黄色い目が……チョーカーの動きを止めた。



◎◎◎



 痛い。乾く。腹が空く。怒りが湧く。

 見たくない。聞きたくない。なにも分からない。


 アレを『飲まされた』時から、ずっと満たされずぼんやりとしていて、でも体は勝手に動いて、まるで違う生き物を外から見ているみたいな感覚。


 ……今は、なんだっけ。

 床に、押さえつけられている気がする。何かが、声を出している気がする。部分的に耳に入る音は、上手く処理できなくて、苛々する。

 あの子のことを言っている時は特に、怒りが瞬時に全身を包む。


 …………でも、あいつの言う言葉は、なぜかよく見える。よく聞こえる。

 俺と同じくらい早い奴。俺と同じくらい強い奴。


 ———「それ、もう。死ぬ、した」


 ああ、分かってんだよ。知ってるんだ、俺が一番。あの子が『そう』なってること。

 でもよ、だからって、あの子と同じ髪で、同じ瞳で…………そんなことを言うなッ!!!!


 …………同じ、髪?同じ、瞳……ああ、そうか。似てるんだ。背丈も声も全然違うのに、さらりと流れる白い髪と甘く黄色い瞳だけが、泣きたいくらいにあの子とそっくりだ。


 そんなお前に、触られたら。そんなに近くに来られたら!

 俺は見てしまう。その声を聞いてしまう。


「だいじ……おまえ、その子、だいじ!なら、聞く、見る、する!」


 今、視界一杯に見えるその必死な顔が、俺の記憶と混ざる。


 ——……そういえば昔、あいつにもこんな顔をされた日があった。


「もう、がんばる、しない、いい」

『もう!今日くらい頑張らなくたっていいじゃない!—————お兄さまってば!』


 あれは、俺が風邪を引いた時だった。

 それでも夜、日課の鍛錬をしようと屋敷を抜け出した俺に、妹のあいつがすぐ気付き、寝室まで引っ張って止めてくれたんだ。


「痛い、も、苦しい、も、いや。オレ、分かる」

『痛いのも苦しいのも嫌いでしょう?私には分かるんだから!』


 その時、妹の首に下がる『ペンダント』が、淡い月光に輝いて、妙に目に留まったことを覚えている。


「寝る、する。痛い、苦しい、なくなる」

『一晩ぐっすり寝れば、頭が痛いのも、息が苦しいのも、すぐ無くなるわ!』


 ……そうだな。このまま目を閉じれば、お前の言う通りすぐ良くなるんだろうな。


「だから」

『だからね』


 おい、そんな泣きそうな顔をするな……あれ、あいつはあの時、そんな顔してたっけな。

 肩に圧がかかる。分かった分かったよ。お前がそんなに言うなら。


「眠る、しよう?」

『眠ろう?お兄さま!』


 —————ああ、おやすみ…………ありがとう。


 俺、お前をちゃんと守りたかったよ。



 瞼の奥で、世界が青白く光った。



◎◎◎



「お兄さま!早く早く!」


 昼下がりの街中、彼女のお気に入りであるオレンジ色のワンピースを翻し、急かすようにこちらを振り向く7つ下の妹。

 俺はそれに呆れながら、少し歩みを早くして答えた。


「おい、そう引っ張らなくても、店は逃げないだろ?」

「お父さまとお母さまが、せっかくお小遣いをくれたのに、売り切れちゃったら嫌じゃない!」


 先ほど、屋敷のエントランスで俺達を笑って送り出してくれた両親の顔を思い出し、苦笑した。


「はぁ、父上も母上も、お前の頼みだからって甘やかしすぎじゃないか?お前のペンダントと揃いのなんて、いくらすると思ってんだよ。早々売り切れないさ」

「気持ちの話よ気持ちの!早く、お揃いにしたいの!」


 両親と俺が選び、妹の誕生日に送ったフローライトのペンダント。妹は当然のように毎日磨いて身に着けて、大切に扱ってくれている。


 それが先週、俺が風邪を引いた日の翌日から急に、「お兄さまもペンダントを身に着けるべきだ」と言い出した。

 訳を聞くと、俺がまた体調を崩さないよう見張っててくれる石が要るとのことで。


 ……そこは、守ってくれる、とかではないのかと疑問だが、可愛いお嬢様がそう言うならこの家ではそうなのだ。


 この町で一番の宝石店までは、もう少しある。このスピードで歩けば、そう時間はかからないだろうが、その時にはこいつが汗だくにならないだろうかと心配だ。


「なぁ、少し遅くなるくらい大丈夫だ。ゆっくり行かないか。お前体力無いんだから」

「むう……そうね、乱れた髪で行く店ではないものね!分かったわ!」


 そう言い、前をせかせかと歩いていた妹は、ようやく俺の隣まで下がった。

 そうして、いつもの速さで歩き出せば、何かと顔の広い家のおかげか、街行く人々から挨拶をされる。


「こんにちはお嬢ちゃん!今日は買い物かい?うちのも買っていきなよ~!」

「ごきげんよう!ありがとう!また今度伺うわ!」

「よ、兄ちゃん!相変わらず兄妹仲いいねぇ!近頃人さらいの噂もあるし、気を付けな!」

「ええ、ありがとうございます。こいつが猫みたくどこか行かないよう、精々見張ってます」


 夫婦で営んでいる服屋にそう返せば、妹が「もう!」と頬を膨らませてこちらを見る。

 それがまた、周囲に柔らかな笑いを生み出す。こんな変わらない日常の風景に、俺は暖かな幸せを感じた。


 しかし、常して日常は脆く、一瞬で崩れ去る。



 ご夫婦と別れ、また少し歩くといよいよ目当ての宝石店に着いた。

 扉を開ければ、すぐに美しい色とりどりの宝石たちが出迎えてくれるだろう。


「さ!もう着くわね!楽しみだわ!」


 もう堪えきれないと言うように、妹が一足先に扉を開けた。俺も、それに続こうと、ぐっとドアノブを引いたところで、目の前から悲鳴が聞こえた。


「ひッ……きゃあああああッ!!!!!」

「どうしたッ!!!…………なッ」


 扉をくぐった先、そこには割られたガラスケースと倒れたスタッフらしき人々。

 そして、怪しいローブを羽織った何者かに後ろから羽交い絞めにされ、ハンカチを口に当てられている、愛しい妹がいた。


 一瞬、たった一瞬で。何もかもが変わる。


「その手を放せッ!!!!!——————ガ、ぁ…………!!!」


 どうにか助けようと伸ばした手は、いつの間にか後ろにいた誰かによって、後頭部への衝撃と共に、地に沈んだ。




 がしゃ、がしゃり。固い床に何か金属の擦る音がする。

 暗闇の中、意識がふと浮上した。


 俺は、眠っていたのだろうか。一体、何があって……


 ばしゃん!


「—————ッは、ごほ、がはッ」


 頭から流れる不快な水の感触と、息苦しさに俺は否応なく目覚めさせられた。

 顔を拭おうと動かした腕は、なぜか一定の距離から引っ張られているように動かなかった。見れば、手と足が鎖で床に繋がれている。


 目の前には、ローブを着た人間が3人いた。


「ほら起きなさい」

「はは、まるで濡れ鼠のようだ」

「早く、薬を飲ませましょう?」


 声からするに男2人と女が1人、暗い空間とそのローブのせいで顔が見えない。


 そのまま視線を動かし見回せば、どこかの部屋、まるで塾や学校の教室のような場所だと分かる。

 耳をすませば、他の部屋からも人の声、いや悲鳴が聞こえた。足音もかなり多い。一体、この空間に何人いるんだ。


 いや、それより、


「……あいつは、あいつはどこだッ!俺の妹を、どこにやったァッ!!!!」


 きっと鎖が取れることはないけれど、それでも抑えられずに体を動かす。

 このまま、手が引きちぎれたって構わない。だから、俺の妹を。


 しかし、彼らは俺の質問に答える気も無く、自分勝手に口を開く。


「私たちは、新たな神を生み出す信徒」

「女神と同じ強き力と老いぬ体を持つ神を、我々は探している。すなわち適正者を」

「あのお方がくださったこの『神の薬』を飲み、適応できた者だけが神と相成る。だからそう、早く飲みなさい」

「……なに、を、言っている……?」


 こいつらの吐く言葉全てに理解が出来ない。信徒とは何だ。神の薬とは何だ。

 妹はどうなったんだ。俺は、どうなるんだ。


 女のローブの手には、一粒の錠剤。


 これを俺に飲ませるために、俺を攫った?

 俺だけじゃない、妹も、今も聞こえているいくつもの悲鳴の主も、こいつらに『神』にされるために攫われた?


 こんな、ふざけた話があるか。


「ああぁあ"あ"あ"!!!なんだお前らッ!おか、おかしい、おかしい……ッ!!こんな、こんなァッおえ、ぁ、がはっ、があぁあ"あ"あ"!!!」


 叫びすぎて、胃液が喉を焼く。それでも、声は止まらなかった。止まれるはずがなかった。


「おやおや、飲ませる前に壊れてしまってはいけない。飲ませましょうか」

「俺がコレの体を抑え、口を開かせよう」

「鼻もふさいでください。でないと、飲み込まない」


 こいつらは俺の叫びなど意に介さず、淡々とタスクをこなすように、手慣れた動作で俺に近づく。


 暴れる俺の体と顔、顎を抑え、そして同時に鼻をふさがれた。必死に呼吸を止めて抗うもそう続かない。

 1分もすれば、無理やりに口を開かされた。


 ただ何かを叫ぶだけとなった口に、錠剤と少量の水が放り込まれ、即座に顎を下から押された。


「よろしい。飲み込みなさい」

「無駄なことは止めろ。さもなくば窒息するぞ」

「あなたの神に祈るのです。同じ力を得られるように、と」


 飲まない、飲まない、飲まない。

 こいつらの思い通りにはなってやらない。


「………………んん"、う"う"う"!!!」

「なかなかしぶといですね。ではこうしてみましょう…………ハっ!」


 このまま死んでも飲んでやるかと抵抗していると、しびれを切らしたローブの男が、俺の腹を殴った。そして、


 ごくん。


「…………ングッ!!!!!…………ァ、あァああああああぁぁぁ」


 頭の先からつま先まで、ザァと血の引くような音がした。

 そう思えば、途端、どくりと心臓があり得ない程に振動する。


「あ、アァあ、ウアアァあああ!!」


 頭が痛い。息が苦しい。喉が渇く。腹が空く。心臓の鼓動が止まらない。熱い、体が熱いイ!!!


 体の変化に耐えきれずのたうち回る俺を、人間たちが見ている。

 力が湧いてくる。その代わり、理性が溶けていく。今までの自分が、どろどろと零れ落ちる感覚。

 ばきり、と手と足の拘束が外れた。正しくは外したんだ、俺が。


「おお!おおお!これは、この浮かび上がる痣は!!!」

「は、始めて見た。適応……適応している……!!!」

「神よ!!!神の誕生だわ!!!!『チョーカー』様がお生まれになったッ!!!」


 神?さっきこいつらが言っていたことか。俺は神になったのか。チョーカー様に?

 なってどうなる、なってどうする。


 ……アア、何か、大事なモノがあった気がする。なんだったか。それは、なんだったのか。


 目の前でニンゲンが喚いている。


「ああ良かった!兄の方が成功した!!良かった!!!なにせ……あなた様の妹は——————適応できなかったから!」



 ———————ぶつり、と何かが切れる音がした。




 あと何人、ここにニンゲンがいるのだろうか。

 全部食ってやる。喉が渇いたから、腹が減ったから。


 前より体が軽い。前とは?生まれた時からずっと体は軽い。

 一人、二人と、何者も逃さないよう食べた。



 浅ましくも入口の扉から外へ出ようとするニンゲンを、寸でのところで片手を伸ばし捕まえ、大きな窓に叩きつける。


 その拍子に、男が握っていた手から、小銭入れのような小袋が離れ、開いていた窓の外へ飛び出た。ちゃりん、とそれが土に落ちる。


 俺はそれに目もくれず、ただ、腕の力を強くした。


「ヒッ、ああ、神様!俺は、俺は、あなたをおし、お慕いしていますッ!だから、い、今はお助けをォッ!!」


 耳に水が入ったかのように、周囲の音がぼう、と聞こえる。

 これも何か喚いている。それが煩わしくて、容赦なく首を嚙んだ。

 その瞬間、手に伝わる重さがずしりと増した。


 …………これで、うるさいのは全部食った。あとは、あとは?


 少しも満たされない。体の中心がぽっかりと開いたような、空虚感をそのままに静かになった廊下を歩く。



 目的もなくのたりのたりと進み、着いたのは他よりも大きな部屋、講堂のようなところ。


 そこには、月光に照らされ横たわる『ニンゲン』がいた。

 歩みを止めず近づけば、今にも途切れそうなか細い息が聞こえる。


 まだ、生きている。でも、もう死ぬ。


 小さいこれも、他のニンゲンと同じように食えば、少しは満たされるだろうか……


「アアァ、ウ」


 …………そんな思考とは裏腹に、俺は繊細にその小さな体を起こし————ぎゅう、と抱きしめた。


 いつの間にかお互いの顔に出来ていた傷口が合わさり、その血が混ざり合うのも構わずに、出来るだけ近く体を引っ付けた。


「ア、アアァ、ウ、アアアァ」


 目から流れる水が止まらない。

 こんなにも動いている心臓が、強く締め付けられるような感覚がする。


 きつく抱きしめていたからか、腕の中の体が微かに震えた。そして瞼が重く、開く。


「お……にい……さ、ま…………?」


 満月のような瞳が、こちらをゆっくりと見上げている。

 それは次第に緩く弧を描き、同時に言葉を遺した。


「———————だい……す、き」



 くたり、と体が俺に寄り掛かる。

 揺さぶっても揺さぶっても、もう二度と開かない瞼と唇。


 叫びたい。今までで一番叫びたい気分だった。でも、一言だって口から出なかった。

 いくら肺に空気を入れても、言葉が出なかった。息が上手くできなかった。


 無くなった。今、無くなったんだ。

 思い出も想いも、もう何もかも分からないけれど。これがダレか思い出せないけど。

 ナクナッた。

 大事が。俺のダイジが。


 だから二度と、大事をナクサナイために。

 誰にも、サワラセない。チカヨラセない。

 


 お前は、オレガ、マモッテやる



 ———校舎から外へと続く境の場所。かつては学生たちを暖かく迎えていたその大きな扉の前に落ちた、小さな袋。


 そこからこぼれたモノ。

 金や銀に光る硬貨にまぎれ、『それ』が煌々と輝いていた。


 その、フローライトの主張に、今は誰も気が付かなかった。



◎◎◎



 世界が白み、シーンが変わる。

 俺はまた、チョーカーの記憶を見ていたんだ。


 先ほどまで、暗く苦しい夜だったのが一転、今は太陽が真上に、この町の往来を照らしている。


 記憶で見た、宝石店へ行く通りだろうか。それとも、兄妹で良く通っていた道か。

 どちらにせよ、賑やかで活発な、人の温度を感じる道だ。


 誰とも知れない人たちが行き来する中で、記憶で見た二人がいた。

 彼らは、向かい合うように立っている。


 少女の方は、涙を隠す素振りもなく、「えんえん」と泣いている。


「こら、擦っちゃだめだろ?」

「お兄さま、お兄さまぁ……!ごめんなさい、私ぃ……!」

「……どうしてお前が謝るんだ。俺の方がずっと酷いことをしたのに」


 眉を下げ、申し訳なさそうにする彼に、少女が抱き着く。


「一緒に、いてあげられなくてごめんなさい!一人にしてごめんなさい!きっと辛かったでしょ?痛かったでしょう?私は、分かってるんだからぁ!うわぁあん!!」

「そんなこと……いや、そうだな。お前がいなくて、辛かった。すごく痛かったさ。でも、それはお前のせいじゃないよ。だから泣き止んでくれ。お前を泣かせたなんて、母上と父上に怒られてしまう」


 少女の背丈に合わせてしゃがめば、少女は彼の腰に巻きつけていた腕を離し、ぐいっと止めどなく垂れていた涙をぬぐう。

 そして、届くようになった、彼の首にある痣に手をそっと添えた。


「ね、ねぇ私、お兄さまと一緒にどこまでも行くわ。だって寂しいでしょう?」


 それには、彼が目を見開いて驚いた。

 その後すぐ、今度は彼が涙をこらえるように顔を歪める。


「…………ありがとう。お前の気持ちは分かるよ。すごく嬉しい」

「ええそうでしょ!それじゃあ———」

「でも、お前と一緒には行けないんだ」


 少女が受け止められないというように、首を小さく振る。


「…………どう、して……?」


 彼が、その少女の頭を優しく撫でた。


「お前は賢いから分かってるだろう?俺はお前と同じ所へはいけない。俺の行くところは、きっと暗く熱く、厳しいところだ。お前を連れてはいけないさ」

「…………そんな、いや、いやよ!!」


 彼は、ずっと少女の頭を撫でている。まるで、そのぬくもりを忘れないように、覚えていてほしいように。


「俺は、お前がいなくなってから、たくさん人を不幸にした。彼らにも、きっと『大事』があったはず。俺達は確かに許されないことをされたけど、俺もまた、取り返しのつかないことをしたんだ。だから、罰を受けないといけないよな」

「…………ッ、あ、あぁあ……」


 少女が、彼の服をしわが付くほど強く握り、小さな叫びをこぼして俯く。


 それでも、少しすればぎゅっと下唇を噛んで、彼に向き直った。

 少女は正しく理解している。

 こんな穏やかな顔をしている時の彼ほど、頑固で自分を曲げず、譲れない思いを持っている。


「さ、もういかないと。俺もお前も」


 少女の頭から彼の手が離れる。

 彼女は、とっさにその手を両手で握りこんだ。

 そして、瑞々しいその瞳をこれでもかと開き告げた。


「分かった……なら私、待ってる!あっちで待ってるわ!」

「ま、待つって……?」

「ええ!お兄さまが、あちらで罪を償い終わるまで。ずっと待ってるわ。きっと、償えるでしょう?暗いも熱いも厳しいも、必ず終わる時が来るから。それらを欠片もくれないなら、せめて待つことにする!」


 少女が最後には笑顔になって、宣言する。

 曇天を晴らすようなその眩しい笑みに、彼は目をすぼめ、その後、軽く息を吐くのと共に目じりにしわを寄せた。


「そうか、そうだな……うん、待っててな。俺、必ずそっちへ行くから」

「もちろん!あ、それじゃあ、お守りをあげましょう!何があっても、大丈夫なように!」


 そう言って、少女は首に下がっていたペンダントを取り、彼に渡す。

 彼はそれを恭しく、受け取った。


「お兄さまが無理をしないよう、その石が見張ってくれるの!無くさないでね!そして、ちゃんと返しに来て?」

「分かった。ありがとう。ありがとうな」


 少女は「ふふっ」と幸せそうに笑っている。彼のことが心配だろうにそれを隠して、自身の精一杯で見送ろうと、努めている。


 少女の体から、白い光が溢れる。

 もう、時間なのだろう。少女は暖かい場所へ行くのだ。


 もう一度、どちらからともなく抱きしめ合った。光が少女を包む。段々と透けていく少女が必死に言葉を届けた。


「こちらこそありがとうお兄さま。私の事を大事にしてくれて!」

「当たり前だ。俺の唯一の妹なんだから」


 少女が光の粒子となっていく。

 もう輪郭もぼんやりしているのに、お互いが体を離すことはしなかった。

 最後、少女が満面の笑みを見せて言う。


「大好き、大好きよ!お兄ちゃん!ずっと、いつまでも、待っているから————!」


 ぱっ、と少女が消えた。

 彼の腕には、ただ空白が広がるのみだ。

 しかし、彼は幸せそうに、ようやく満たされた顔で静かに涙を流していた。


 ……ほんの少しそうしたままでいたものの、すぐに涙をぬぐって立ち上がる。


「さて、行くか」


 そう言い、いつの間にか出来ていた道の奥、闇が広がる方向へ、足を向けた。

 1歩踏み出した後、ふと思い出したかのようにこちらへ振り向き、俺と目を合わせた。


「お前らも、ありがとう」


 たった一言。されど、伝わる思いがあった。


 俺がそれに目礼すれば、彼は軽やかな足取りで闇へと歩き、それから一度も振り向くことなく、彼の体はあちらへ飲み込まれていった。


 世界が、光に包まれ、俺は目を閉じた。



◎◎◎



 壮絶、とはこのことだろうか。

 彼の記憶は、思い出すのも億劫なほど苦しく、そして処理すべき情報が多かった。


 あの時、カミルに押さえつけられ、動きを止めたかと思えば、カミルの言葉の一つ一つに反応を示し、最期には安らかな顔で眠っていった。


「悲しい、悲しい。でも、笑う、してた」

「そうだな」


 カミルは自分の下で消えてなくなった男を思い出すように、床を見つめている。


 記憶を見た後だと、男にはカミルの姿が、今そこに横たわる少女と重なったのだと分かる。

 そう、少女の体はまだ、ここにある。


「その子の体は、送ってやれないのかヒソップ」

「言っただロ、この体ノ魂はもう回収済みサ。そレにヨ、体が綺麗ニ残ってルから、勘違いすルかもしれネェが、本当なら骨になっテて当然なんだゼ、ソイツ」

「…………確かに。この兄妹がここへ攫われたのは1年前の話だ。なぜ、骨になっていなければ腐敗もしていない?」

「きれい、おかしい?」


 おかしい。明らかに自然の理から逸脱している。遺体を家族に返せる、なんて思い浮かんだ考えが、いささか楽観的過ぎるほどに、異様な光景だ。


 ヒソップにも理由が分からないらしく、俺と二人して考え込む。

 しかし、そこでカミルがぶっこんだ。


「ずっと、きれい!年、ふえる、ない、と、同じ?」


 体が綺麗であることは年を取らないと同じ……?それはつまり、老いないということ——————


「………………ああそうかッ!」

「わ!」

「オ、オウ?なンだうるさいナ」


 突然声を出した俺に、カミルとヒソップがびくりと驚いた。

 だが今、それを気にする余裕はない。


 俺は少女のタートルネックを少し捲る。

 そこには、彼と同じ鎖柄の黒い痣があった。


「—————チョーカー化、しているんだ。この子は!」

「ナ、はァ!?死んでルじゃねーカ!」

「死ぬ間際にチョーク症が発症して、死んでから重度まで進行したのか。それとも『神の薬』、すなわち人間をチョーカー化させるあれに、本当は適応していたのか。分からないが……チョーカーだから、死してなお、時が止まったかのように体が変化しないんだ」

「この子、チョーカー?」


 今まで、重度チョーカーを処分した際に、そのまま死体を放置するなんてことはしたことなかった。それは人道に反し、チョーカーだろうが丁重に弔うべきとの組織の考えもあったからだ。


 だから、知らなかった。チョーカーが例え魂を抜かれたとしても、『朽ちない』なんてこと。


「チョーカーは死んデも、腐らナいのか。ホント、掟破りナ存在だナァ」

「オレ、も、そう?」

「サァな。オマエは普通のチョーカーじゃネェんだロ」

「おー」


 二人の会話が耳を流れていく。

 俺は、思考を回すので必死だった。


 謎の薬を飲み亡くなった少女は、実はチョーカー化していた。

 その事実を知れば…………この子をただ家族の下へ帰すことに、迷いが生じた。



 この子は今、停滞しつつあるチョーク症の研究を、前進させるかもしれない最も近い存在だ。

 チョーク症を引き起こさせるという薬のことや、今際の際でチョーク症を患った理由。

 チョーク症とはそもそも何か。なぜ人がチョーカーになるのかまで、研究が進めば。

 チョーカーを治す薬も作れるはず。



 この少女は、希望だ—————



「この子を、連れて帰る」

「一緒、帰る?どこ、に?」

「まずは家族の所に。そんで説得して、組織で保護する。こうなった以上、この子は組織に必要だ」

「……家族ってヤツらに、どう説明すルつもりだヨ……」


 呆れたように言うヒソップに、今は「分からない」と答えた。

 事件や男のことも、家族にどこまで話すか、話さないか。帰りながら、考えることにする。


 今は、いてもたってもいられず、彼女を丁寧に抱え、出口へ向かった。



 その手に乗せられていたはずのペンダントは、いつのまにか無くなっていた。



◎◎◎



 俺のコートに包んだ彼女を横向きに抱え、来た道を戻る。ヒソップは疲れたのか、カミルに自身の体を持たせ、その腕の中で丸まった。

 日暮れに出発したからか、今は日付が変わる直前だ。


 廃校を出て少し歩いた後、前方から場違いなほどに賑やかな声が聞こえた。

 一瞬、あの3人組が戻って来たのかと思ったが、姿が見えた途端、その予想はあまりにも裏切られることとなった。


「あらあらあらら?こんな夜更けに、こんな道から誰かしらぁ…………って、ま~~~~~!!!カミル!!なんだか汚れてるわね!なのに、お人形なんか持ってどうしたの?そんな姿も美しいわ!!」

「んん!?はで、な、人!」

「わわぁ!ど、どうして皆さんがここにぃ!?」


 奥からやってきたのは、つい数時間前に出会ったあのでこぼこな二人だった。

 咄嗟に、カミルにフードを被るよう指示すると、女性が「あらぁ、隠れちゃったわ!照れ屋さんね!」と楽しそうに言った。


「……廃校へ行かれるんですか?」

「きもだめし、する?」

「肝試し?……おーっほっほっほ!ワタクシがそんな低俗な遊びに興じると思———」

「あ、あぁあ!そ、そうなんですぅ!!この町で噂になってるって聞いてぇ、僕たち行ってみたくって!」


 男がわたわたと女性の言葉を遮り、説明する。どうにも怪しすぎるが、俺の腕の中には目を開けない少女が眠っている。長居はできない。

 そう思ったところで、女性がまさに少女のことを指さした。


「その子、どうしたの?カミルに似て美しい子ね!眠っているの?それとも」

「……死んでいます、よねぇ?」


 猫背の男が下から覗き込むように問う様子に、ドキリと心臓が鳴った。


「ん。死ぬ、する。から、家、帰る」


 カミルが静かに言う。

 それに女性が目を細め、レースの手袋に包まれた指を自身の唇に寄せた。


「そう、残念。もう、すぐに無くなってしまうのね。腐って骨になって土の中…………永遠に、永遠に生きられたなら、その美しさも失わずに済んだでしょうに。悲しいことだわ」

「そうですねぇ。そうなら、さぞ貴女好みの女性だったんでしょう。ご冥福をお祈りします」


 残念そうに息を吐く二人。言葉は真に、一人の少女を悼んでいる。

 はずなのに、なにか含みがあるような、別のことを言っているような、そんな違和感を感じた。

 俺は少女の顔が二人に見えなくなるよう、抱え直した。


「ありがとう。きっとこの子も浮かばれます。では、すみません、俺達はこれで」

「ん、さよなら!」


 これ以上何も聞かれないよう、早々に会話を切り上げると、二人はその後突っ込んでくることも無く、すんなりと開放してくれた。


「そうね、私たちも行くわ。さようならカミル!次会うときを楽しみにしているわ!おーっほっほっほ!」

「すみませんでしたお邪魔してぇ……!さよなら皆さん!」


 そう言うと、暗闇の広がる道をすたすたと歩いて行った。


 一つため息をついて俺達も歩き出す。

 横を見れば、今までカミルの腕の中で丸まっていたヒソップがパタパタと飛び、じっと二人が歩いて行った方を見つめていた。

 そういえば、あのやかましいヒソップが、二人がいる時は一言も発していないことに気づく。


「ヒソップ、どうした」

「アァ……なンかなア、イヤな感じがするナァ。アの二人」

「いや、な、感じ?」

「ハッキリとは言えネェが、普通のヤツらじゃないゼ、多分ナ」


 曖昧な言葉とは裏腹に、もう何も見えなくなった暗闇を見つめるその目は、どこか厳しかった。




 街に降りれば街灯がぼんやりと付いており、目を凝らさずとも道が見えるほどに明るかった。

 先に逃がした若者たちが、待っているといっていた店をひとまず目指す。


 いなければいないで構わないが、いた場合を考えると、やはり放っておくわけにはいかない。危機感の薄い彼らが出歩くには、もう遅い時間だ。


 目的地へ近づけば、すぐに見えた3人組。

 もう閉まっている店の前で意味もなくうろうろとしたり、縮こまって寄り添ったりして待っている姿に、思わず笑ってしまった。


「そんなんで、いつまで待っているつもりだったんだお前ら」


 そう声を掛けると、3人はそろって顔をこちらへ向け、三者三様の表情を見せた。


「ああ~~~~!!!やっと帰って来たっすね!!!よかった!!!」

「はぁ、待ちくたびれた……」

「ちょっとぉ!遅いよ!!私、私!!!もう心配し過ぎて、おかしくなりそうだったんだから!!!」


 一人は喜色満面に、一人はさも疲れ果てているように、一人は器用に泣きながら怒っている。


「もう少し帰ってこなかったら、いい加減通報しようって言ってたんす!おじさんたち……特にカミルさんって多分、普通の人と違うのかなって思って、都合が分かんなかったから誰にも言わなかったけど……すんません、そんなぼろぼろなら早く言った方が良かったっすね」

「いやありがとう。助かったよ。やましいわけじゃないが、警察が来ていたら少し面倒だったから…………待っててくれてありがとな。望むなら、ちゃんと家に帰っていてほしかったが、こっちも安心したよ」

「わざわザ待ってイたのカ?ご苦労ダッたナ!」

「お!けが、ない?」


 カミルがたたたっと、3人に近づき頭から足までじろじろと確認する。

 それに3人が嬉しそうに反応を返す。


「おう!俺達は大丈夫だぜ!ありがとな庇ってくれて!」

「お前こそ随分やられてるじゃねーか。大丈夫か」

「ほんとにありがとぉカミルくん!あの怖いヤツと戦ったの?ここにいるってことは、ちゃんと逃げられたってコトよね?あと、その子も……」


 そう言い、彼女が俺が抱えている少女を指さした。


「アイツのことは解決したよ。もうあそこにもいない。この子は、ひとまず俺が預かる。安置できるところへ届けたら、家族と会わせるつもりだ。大丈夫さきっと、何もかも」

「……そっすか、良かったっす……!」


 3人が安心したように笑った。

 彼らの中でも、ようやく『今夜』を終えることが出来たのだろう。

 

「さ、本当にもう帰れ。ここから家は近いのか。遠いなら送る」

「いやいや大丈夫っす!マジ家近いし、女のこいつは俺らで送っていきますから!それに、このくらいの時間なら、ギリ歩き慣れてるんで!」

「……はぁ、夜遊びもほどほどにしろよ」

「はは、そっすね。今日で身に沁みました!」


 そう苦笑いをこぼした3人は、その後会話もそこそこに揃って明るい道を帰って行った。

 それを見送ると、俺達は車へ向かう。


 レディベリーの待つ家へ一刻も早く帰りたいところだが、ここからだと遠く彼女を寝かせられるふさわしい場所もない。


 考えた末、順番は前後してしまうが、ここから近く、さらに彼女を安置できる、組織の拠点へ行くことにした。


 俺は、この時間だがソレルへ連絡し、ゆっくりと車を走らせる。

 彼女は後部座席へ横たわらせ、助手席のカミルやヒソップにも寝ているように伝えた。


 拠点に常駐しているソレルは、事情を聞くとすぐに了承し、明日、ご家族にも組織へ赴くよう手配してくれることとなった。


 組織の人間とカミルを引き合わせることにリスクはある。

 組織に何年も所属している俺だからこそ、組織のチョーカーに対する視線がシビアであることを知っている。


 何度も言うが、カミルは重度のチョーカー。今夜の戦闘でも、痣が活性化し驚異の身体能力を見せた。事情を知らない人間が見れば、明らかに危険視される存在だ。

 良くて研究対象、悪くて処分。


 どちらにせよ、組織に張り付けにされるだろう。今の俺に、その2択を賭ける意味はない。

 こいつを手放すことは許容できない。


 だがこれもいい機会と捉えよう。ソレルにも、カミルを見せに来いと言われていたことだし。

 ああ、でもカミルの服が破れてしまったんだ。襟が切れて痣が見えている。これは、もうカミルに我慢してもらい、包帯か何かを巻いておくしかないか。それかずっと、ヒソップに首へ張り付いてもらう?……んな馬鹿な。


 ダメだ。疲れからか頭の中がごちゃついている。すでに眠りについたカミルをちらっと見て、薄く長い息を吐いた。


 

 今は運転に集中しよう。

 車の窓を少し開ければ、季節の割に冷たい風が吹いてきた。


 この風を浴びていれば、たどり着く頃にはもう少し冷静になっているだろう。

 そう自分に言い聞かせ、ハンドルを握り直した。



◎◎◎



 月が真上を通るころ、廃校の廊下を歩く二人の人間がいた。


「あちゃあ、やっぱり『チョーカー』どころか人っ子一人いませんねぇ……これじゃ、回収も何もないですよベラドンナさん」

「おーっほっほっほ!一足遅かったみたいねイチイ!」

「貴女が仕事前にたくさん寄り道するからでしょう?貴女が買ったものを全部車に積んでたから、こんな時間になったんですよ」


 それらは、今まで肝試しに来た人間とは異なり、まるで怖いものなどないというように足早に進んでいく。


「『所長』ったら、チョーカーを信仰するカルトをわざわざ作っておいて放置した挙句、1年経ってから思い出したかのように調査に行けなんて。案外、うっかりしてますよ」


 猫背の男が、眉を下げながら言う。


「この人骨の量。なにがあったのか知らないけれど、カルトの人間は皆死んだみたいね!『あのお方』を女神と崇めておいて、とんだ体たらく!貴重な薬をこんな低俗な者たちに渡したのも間違いだったのでは?はぁ、確かに甘い人よねぇ所長は」


 派手なドレスを着た女は、廊下の隅に転がっている人だったものをちらりと見て、「ふん」と鼻を鳴らした。


「薬だけもらって帰りますか。どこに保管してたんだろうなぁ」

「そうね。早く見つけてここから出ましょう。埃やカビ、耐えられないわ!ああ、カミルに会いたい!」

「さっき、会ったじゃないですかぁ」


 姿勢のせいで、女よりも低い位置から面倒くさそうに言う男。

 それに女が、にこりと笑った。


「あの美しさ!あのお方ぶりに会ったわ!服のせいで首は見られなかったけれど、チョーカーではないのかしら?あの輝き、永遠に変わらなければ良いのに…………そうだ!今度会ったら薬を飲ませてみない?きっと適応するわよ!そうでなきゃおかしいもの!おーっほっほっほ!」


 目を輝かせながら高笑いをする女に、男が苦虫を嚙み潰したような顔をした。


「はぁ、あれを本当に気に入ったようで」

「あら、イチイはそうは思わない?」

「いえ、俺は…………心底、気持ち悪いな、と」


 その言葉に、女が「あはは!」と無邪気に笑みをこぼした。


「あらあらあららぁ?イチイはカミルがお嫌い?」

「そうですね。特にあの目、どうにも直視できません。不躾に心を見られるような、どうにも暴かれそうな心地だ。貴方には悪いですが、本当に苦手です。できれば二度と会いたくない」

「悪いなんてとんでもないわ!貴方にもあの子が美しく写ったからでしょう?私と貴方の感性は似ているもの!」


 その言葉に、肺の空気をすべて出すように男が深いため息を吐いた。


「ま、いいです。それより、あの集団。なにかありますよねえ。死体を抱えていた男に汚れていたカミルくん。あと、天使の人形か……うーん、あの人形はもしかして———」

「あらあ!あったわ薬!こんなところに隠してたのね!」

「……良かった。じゃ、帰りましょう。所長に報告しないと」


 棚に手を伸ばし、嬉しそうに錠剤の瓶を取る女に男が淡々と言った。


「そうね!ああ、もう埃が付いちゃったわ。早くお風呂に入りたい」

「近くでホテルを取りましょうか?」

「いいえ、帰るわ。自分の部屋でケアしたいの。これ貴方が持っていて頂戴」

「はいはい……あ、そうだ。コレ、やっとかないと」


 男は女から瓶をだるそうに受け取る。その後、男はおもむろにジッポライターを持ち出し————その場に放り投げた。


 二人は、小さな火が次第に部屋へ燃え移るさまを見て、もう興味を失ったというように校舎を後にした。



 ごうごう音を立てて燃えている校舎を背に、街へ向かって歩く。

 男がおもむろに瓶を取り出し、手の中で遊び始めた。


「帰ったら、この薬を飲もうかな」

「ダメよ?その薬は不十分だわ!完成してから飲むことね!いいこと?」

「はは、それもそうですね」


 乾いた笑いが、周囲に響く。男は瓶を月に掲げ、からりと転がした後、感慨なくポケットにしまった。


 つかず離れず歩いていく二人の影は、背後からの揺れる熱のせいで、前へ長く、怪しげに伸びていた。




 

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