7話 温泉に入る
銀鎧亭はギルドから通りを二つまたいだ先にあった。
横に長い宿屋で、太い柱を使った造りは見るからにしっかりしている。
「これをギルドからもらったんですが」
入り口でプレートを渡すと、すぐに奥からベテラン従業員が出てきて二人を案内してくれた。
二人は二階の西側に、並んで部屋を取ってもらった。
「わたしはライマルと一緒の部屋でも全然よかったけどね?」
「そ、それは駄目だよ。着替えとか、いろいろ問題あるし……」
「ふふふ、わたしの着替え、気になる?」
「べ、べべ別にっ」
「そっか……わたしの身体って魅力ないか……」
「あっ、待って! そういう意味じゃない! リーシャはすごく綺麗だよ。だからこそ、男に無防備なところを見せちゃいけないっていうことで……」
「えへへ、心配してくれるんだ。ありがとね、ライマル」
いったんそれぞれの部屋に入り、夕食まで時間を過ごすことになった。
ライマルが奥で、リーシャが階段寄りの部屋だ。
室内はベッドと机、来客用らしきテーブルとイスが三つ置かれていた。
「こんな高そうなベッドは初めてだな」
カフーにいた頃は、一番安い宿を拠点にしていた。個人で部屋を取れるほど稼げていなかったから、ガーケルとケイン、ライマルの三人で同じ部屋を使っていた。ベッドは二つで、当然のようにガーケルとケインが使った。ライマルは床に薄い毛布を敷いて寝ていた。
――なんだか、お払い箱になってから急に恵まれてきた気がする。
今の方が圧倒的に自由だし、楽しい。今日の毒竜討伐はギリギリの戦いになったけれど、達成感はものすごかった。大勢で戦うよりも、リーシャと二人の方が合っているのかもしれない。
「先にお風呂だな」
ライマルは替えの服を持って部屋を出た。
彼はいつも清潔さを気にしていた。太っている自覚があったので、「脂ぎったデブなんて誰も寄りつかない」と常に危機感を持っていた。だから必ず早朝の風呂に入って寝ているあいだの汚れを落とし、一日を始められるようにしていた。
今日はさんざん毒霧を浴びたし、地面も転がった。汗もかいたしそもそも廃坑自体が汚い場所だった。しっかり洗い流したい。
従業員に風呂の位置を訊いてまっすぐ向かう。
男湯は大きな石で囲われた露天風呂だった。屋根がついていて、雨が降っても心配なさそうだ。
「わあ……」
ライマルは感嘆の声を漏らす。
安宿の狭かった風呂とは開放感が違う。
体と髪をよく洗うと、ライマルはお湯につかった。
「ふう……」
一日の疲れが抜けていく。ときおり夜風が吹いてきてたまらなく心地いい。
他に入浴客がいないため、より気楽だった。
「ライマルー、いるんでしょー?」
「リ、リーシャ!?」
板で仕切られた向こう側――女湯からリーシャの声が聞こえてきた。
「ここのお風呂、最高だね。頑張ってよかった~」
「あ、あんまりこういう場所で会話するのはよくないんじゃないかな!?」
「駄目かな? こっちは一人だけだし、わたしとライマルの仲じゃない」
「い、いやいや、ここは高級宿だし、少しはお行儀よくしてないと……」
ライマルがあたふた答えると、向こうから楽しそうな笑い声がした。
「ごめんね、ちょっと舞い上がっちゃってるみたい。やっと幸せを掴んだ気がするからさ」
「リーシャ……」
「わたしが売りに出された子供っていうのは話したよね?」
「うん、聞いた」
リーシャは七人家族の末っ子だった。だが、彼女の故郷で領主の交代があったあと、税金が跳ね上がった。そのせいで家族を養いきれなくなった一家は、やむなく下の三人を売りに出すことにした。リーシャもその一人だった。
「売られた先が豪農の家でさ、主人がすごい横暴な人だったんだよね。そこでずっと雑用してて、気に入らないことがあればすぐ折檻で……やってられるかって飛び出したのが十歳の時だった」
「確か、カフーのギルドへ行ったんだよね?」
「うん。でもさすがに子供の未経験者は登録すらさせてもらえなかった。けど、お師匠が拾ってくれた」
リーシャの師匠には会ったことがない。とても強い人だったという以外、何も聞いていない。
「お師匠は家を持たない人だったから、わたしも洞穴とかで暮らした。それからガーケルのパーティに入ったけど、使ってた宿はすごく古かったじゃん?」
「混んでる時なんてゆっくりお風呂にも入れなかったよね」
「そう! だから、こうやって広いお風呂でライマルとだらだら会話してさ、思いっきり足を伸ばしてお湯をバシャバシャできるの、信じられないくらい。わたしの選択は間違いじゃなかった」
「うん……僕も、追い出されてよかったのかもしれない」
「ガーケルは後悔してると思うよ。今度から自分で荷物を運ばなきゃいけないし、宿やギルドの手続きも自分でやらなきゃいけないからね」
「困ってみるのもいいんじゃない?」
「あははっ、言うねえ」
リーシャが足を動かしているのか、お湯の跳ねる音が聞こえる。
「しばらくこの街で頑張ろうね。わたしたち、もっと強くなれると思うから」
「もちろん。君の横に堂々と立てる人間になってみせるよ」
「…………」
すぐには返事がこなかった。
大きく出すぎたか? とライマルは焦った。
だが、
「ライマルがそう思ってくれるようになったのなら、嬉しいよ……」
しみじみとしたつぶやきが聞こえて、ホッとするのだった。
浴場を出てしばらく廊下で待っているとリーシャが出てきた。髪の毛を束ねてアップにしている。
新鮮だ……。
ライマルは思わず見とれる。カフーの安宿は男女の浴場がかなり離れていたので、風呂上がりの女性には会ったことがなかった。
「さっぱりしたぁ」
「だね」
リーシャの金髪はつやつやに光っていて、頬はほんのり赤くなっている。加えて、半袖シャツにゆったりしたショートパンツという露出の多い格好も相まって、普段ではあまり感じることのない色気を見いだしてしまう。ライマルの顔は熱くなっていた。
「明日はギルドへ行って、依頼達成の報酬を受け取らなきゃね。そしたらまた出る?」
「いや、明日は休んでもいいと思う。今日はそれだけの戦いをしたよ」
「ん、そうしよっか。また手強そうな依頼を引き受けて、どんどん強くなっていこう!」
ライマルは力強くうなずいた。
今まではなんでも後ろ向きに考えていたけれど、もうそんな自分は捨てた。
これからはひたすら成長あるのみ。
〈鋼化〉〈重量化〉〈ジャンプ力〉。
この三つのスキルを使いこなして、立派なアタッカーになる。リーシャと一緒に、ちゃんと戦えるように。
ライマルは光の差してきた未来に思いを馳せていた。