4話 ジャンプ力
ドラゴンに向かってまっすぐ歩く。
「……氷よ」
リーシャのつぶやきで、剣に魔力が集まっていく。青色の刀身は白い霧のようなものに包まれる。
膝を落としたリーシャが走った。ドラゴンが目を開ける。
「はああああ――――ッ!!」
リーシャの刺突は、起き上がろうとした毒竜の喉を的確に貫いた。ドラゴンが絶叫し、横に転がった。
「うわあ!?」
巻き込まれそうになったリーシャは、剣を手放して横に跳んだ。
「やばっ、剣が……!」
剣はドラゴンの喉に刺さったままだ。
横回転した毒竜はゆっくり起き上がり、咆哮とともにブレスを吐いてきた。紫色の毒の吐息。これは鋼化では防げない。
「ライマル、大丈夫!?」
「平気! そっちは!?」
「武器を取られちゃった!」
あっさり言うが、それはけっこうまずいことだ。
リーシャの薬のおかげで敵の毒を防げているが、ちょっと吸い込むだけで不愉快な気持ちになる。
「いったん毒を払わなきゃね。――上昇旋風!」
リーシャが右手を掲げると、地面に強烈なつむじ風が巻き起こって上空に昇っていく。それでブレスの毒が払われた。
仕切り直しだ。
ライマルは竜の右側、リーシャが左側に位置取っている。
「僕が囮になるから、剣を取り返すんだ!」
「りょーかい! 気をつけて!」
「うおおおおおおっ!」
ライマルは叫んで突進した。
毒竜が咆哮し、長い右腕を振るってくる。
「――鋼化!」
その腕を、ライマルは正面から受け止めた。鋼化のおかげで衝突の痛みはない。
毒竜の脇からリーシャが跳び上がり、喉に刺さったままの剣を引き抜く。そこからも毒の霧が噴き出した。
グオオオオオオオオオオオオオッ!
ドラゴンが吼えて、尻尾を振るってきた。
「うわあああっ」
今度は受け止めきれず、ライマルは吹っ飛ばされる。ゴロゴロ転がって壁に激突。これも鋼化のおかげで命拾いした。
「ライマル――!?」
リーシャが叫ぶ。手を挙げて無事を知らせるが、伝わったかどうか。
ライマルが起き上がると、リーシャが毒竜の周囲を動き回って翻弄している。
火属性魔法や水属性魔法は、この空間で使うと崩落の危険がある。リーシャも迂闊に使えないのだ。
リーシャの剣とドラゴンの爪が打ち合う。
リーシャは反動を利用して後方に着地するが、そこを尻尾が襲ってきた。
「まずっ……!」
「させるか!」
間に合った。ライマルは自分の胴体に尻尾を受けることで、強引に食い止める。〈重量化〉を発動したので、体重が爆発的に増加して吹っ飛ばされなくなる。元から重い体だ。どっしり構えれば竜の尻尾も受け止めることができる。
「ありがと! やっぱライマルかっこいいよ!」
リーシャが嬉しそうに言って、また斬りかかっていく。ライマルは照れくささを感じつつも、尻尾を振り払った。
その時、見えた。
毒竜のうしろ、寝床にしているであろう場所に、鳥かごのようなものが置いてあったのだ。
なんだ、あれ――?
「これで決着だあああ!」
ハッとすると、リーシャが宙を舞っていた。
壁を蹴って急加速。そこから繰り出される斬撃を防げた魔物は今までに存在しない!
グオオオオオオオオオ――――ッ!!!
毒竜が咆哮し、鱗の隙間に開いていた穴という穴から、ものすごい量の毒霧を噴射した。
「うっ、ぐっ――!?」
「がはっ……!」
リーシャが空中で体勢を崩した。剣は竜に届かない。
地に落ちたリーシャは激しく咳き込んだ。
ライマルも耐えきれず、膝を突いて呼吸を荒くする。
さっきとは比較にならない強力な毒。
薬をもってしても、その苦しみからは逃れられない。
「くぅ……」
リーシャはえずき、だらだらとよだれをこぼしている。彼女はライマルより近い位置で食らった。ダメージは相当深刻なはずだ。
「う……かはっ」
咳き込んだあと、リーシャは嘔吐した。目が充血し、涙もよだれも止まらない様子だ。苦しみながらも、リーシャはポーチに手をやった。小筒を掴むとライマルに投げてよこす。
「ライマル……もう一回、薬飲んで逃げて! このままじゃ二人とも死んじゃう……!」
「げほっげほっ……そんな、それじゃリーシャが……!」
「わたしはいい……ライマルだけでも……」
そんなバカな。
ライマルには理解できない。自分よりはるかに優れた少女が、こんな形で人生に幕を引いていいはずがない。
動け! まだ僕は動けるはずだ!
自分に言い聞かせる。ライマルは毒の影響で震える手で、なんとか筒の口を開けた。錠剤を噛み砕いて飲み込み、即座に走り出した。
よろけたがこらえる。ここで踏ん張れなかったら一生後悔する!
幸い、ライマルとリーシャはそこまで離れていない。毒竜の動きも速いわけではない。この距離だったら鈍足でも間に合う!
毒竜が足を上げ、リーシャを踏み潰そうとしている。
「やめろおおおおおおッ!!」
ライマルは飛び込んで、リーシャを腕に抱く。強引に転がって回避すると、さっきまでリーシャのいた場所に、ドラゴンの大きな足がめり込んでいた。
「はあっ、はあっ……」
「ラ、ライマル……」
「ごめんリーシャ、薬をさっきの場所に置いてきちゃった。君を助けることで頭がいっぱいで……」
「いいよ……それより、早く逃げて」
「駄目だ。薬を取ってくる」
「む、無理しないで逃げてよぉ! こんな依頼受けちゃったのはわたしの考えが甘かったせい! ライマルにそこまでさせるつもりなかったんだからぁ……!」
リーシャは泣きながら言う。彼女の言うことを無視するのはつらい。しかしライマルは、自分にもやらねばならない時があると思っていた。それが今だ。
「リーシャ、ごめん!」
ライマルは毒竜の右側面へ回り込むようにして走った。追加の薬が効いてきて、体がさっきより楽に動く。
毒竜の攻撃より先に薬の入った筒を拾い上げる。そのまま戻ろうとしたが、ドラゴンがライマルの退路に位置を変えてきた。
ライマルは横に移動して、なんとかリーシャのところへ行こうとするが、ドラゴンが睨みつけてくるせいで思うように動けない。
どうすれば……!
迫ってくる毒竜に、ライマルは追い詰められる。壁際へ下がっていくと、足に何かが当たった。
それは、さっき気になった鉄製の籠だった。
「スキルの宝珠……?」
そこには、空色の球体が一個だけ入っていた。
この世界中に神々がちりばめたと言われる特殊能力――スキルを得られる宝珠。それがライマルの足元にある。
冒険者を始めた頃、運良く野生の狼から得た宝珠で、ライマルは〈鋼化〉を手に入れた。ガーケルたちと組んでからは〈重量化〉の宝珠を使わせてもらえたが、「戦闘で活躍できない奴に使う資格はない」と言われてしまい、ライマルには縁のないものになっていた。
なんのスキルでもいい。僕に力を貸してくれ――!
ライマルはしゃがみ、宝珠を握りしめた。
右手からすさまじい熱が上がってくる。全身に宝珠の熱が広がっていく。
そして、イメージが湧いてくる。
宙に舞い上がる自分。軽快な動きで、森の木さえも飛び越えて――。
「はあっ!」
ライマルは跳んだ。
毒竜の頭を飛び越え、空中で一回転して相手の背後に着地する。
「ラ、ライマル……それは……!?」
リーシャが驚愕の声を上げる。
ライマルは感動していた。
デブで足が遅くて、動きの鈍かった自分が、こんなに軽い動きを披露してみせた。
ドラゴンを一回のジャンプで飛び越えた。この僕が!
ライマルが手に入れたスキルは〈ジャンプ力〉だった。
文字通り、ジャンプ力が上昇する。それだけの能力だが、ライマルにとってこんなにありがたい能力はない。
リーシャの元に駆け寄り、薬を渡す。彼女はえずいたが、なんとか薬を飲み下した。
「ライマル、ありがとう……楽になってきたよ……」
「よかった。リーシャが助かって……」
だが、まだ危険は去っていない。
二人の背後で毒竜が吼える。まだ致命傷すら与えられていないのだ。
「リーシャ、ちょっといい?」
「うん、なに?」
「ジャンプ力を使った戦い方を思いついたんだ。それであいつを攻撃するから、リーシャがとどめを刺して」
「いいけど……どんな戦法?」
「とりあえず見てて」
ライマルは地を蹴った。まっすドラゴンへ突っ込んでいく。
毒竜がブレスを吐いた。
「はっ!」
ライマルは跳ぶ。
このホールの頭上には穴が開いている。そして、ドラゴンはその真下に立っている。
絶好の位置!
ライマルは竜の遙か上空を取ると、そこで〈鋼化〉を発動した。同時に〈重量化〉も重ねがけ。あとは、重力に引っ張られて勝手に体が落ちていく。
ドラゴンはライマルが何をしたいのかわかっていない。加えてその巨体ゆえに、俊敏な動きが取れない。
これを回避することは不可能!
「食らええええっ!」
ガコン、とすさまじい音と衝撃があった。
ライマルの体は毒竜の脳天を直撃し、その質量で強引に横倒しにさせた。ライマル自身は激突の瞬間に重量化を解除したおかげで跳ねて、ドラゴンから離れた位置に転がった。
「今だ、リーシャ!」
「任せて!」
リーシャは口元をぬぐって剣を構える。
刀身に魔力が集まり、白い光に包まれる。
「はあああああっ――終われえええええッ!!」
リーシャの剣が毒竜の首に振り下ろされる。刀身は鱗を破って肉に食い込む。
そこから、集まった魔力が竜の全身に広がっていく。
接触した相手の体内に魔力を送り込み、血管を氷結させて死に至らしめる。
それがリーシャの、氷属性を纏った必殺剣。
毒竜は激しく痙攣し、抵抗を見せていたが、しばらくして動かなくなった。
シュッと音がして、残った毒が穴から漏れただけ。
それで、戦いが終わった。