12話 ゴアベアー
リーシャは周囲に視線を送る。
「炎で肉を焦がしたから、何か反応あるんじゃないかと思ったんだけどな」
ライマルは納得した。氷属性魔法を一番得意とするリーシャがなぜ火属性の攻撃でとどめを刺したのか、少し気になったのだ。
焼け焦げたゴブリンの死体が異臭を放っている。魔物なら、これにつられて現れることも充分ありうる。
ガサッ――とまた音がした。
リーシャが構え、ライマルも姿勢を低くした。
ゴブリンの死臭を気にせず近づいてくるのはまず魔物で間違いない。
どこだ。どこだ。どこだ――。
意識を集中するが、敵の位置は掴めない。周りは木々が鬱蒼と生い茂っている。低木や岩があって見通しは悪く、視覚に頼るところの多い人間には不利な地形。
ライマルはリーシャに近づき、もう一度背中合わせになろうとした。
「あっ、しまった――!」
リーシャが叫んだと思った瞬間、ライマルは蹴り飛ばされていた。
え? 急になんで?
機嫌を損ねたのかと最初に考えてしまうのは卑屈な人間のサガである――が、その思考は即打ち破られる。
今まで二人が立っていた場所に、真っ黒な体毛に覆われた魔物が着地したからだ。四つ足でなおライマルたちより巨大なその熊は、目を赤く光らせている。ゴアベアーだ。
木の上から狙われていたのか!
相手は見事に気配を殺していた。リーシャが気づいてくれなかったら、ライマルは鋼化を使う前にやられていた。
「ライマル、気をつけてね!」
「うん!」
リーシャが刀身に炎を纏わせて斬りかかっていく。この体毛と分厚い皮の前では、氷属性魔法はおそらく届かないという判断だろう。
ゴアアアアアアアアアアッ!
魔物が後ろ足だけで立って咆哮した。爆音が大気を揺さぶり、鼓膜に圧力をかける。リーシャの動きが鈍った。
ゴアベアーが突っ込み、右手を振り上げる。
ライマルはリーシャを守ることだけ考えていた。あいだに割り込み、鋼化で受ける。
「えっ――うわあ!?」
ゴアベアーの動きは想像以上に速い。両手であっさり掴まれたライマルは、真後ろへ放り投げられていた。地面に激突し、弾んで転がる。
「くっ……さすがSランクだ……な……」
ライマルは起き上がろうとして凍りついた。
目の前にゴアベアーがいた。だが、うしろでも戦闘音が聞こえる。ならば、こいつはさっき僕を投げた奴ではありえない!
二匹目のゴアベアーが突っ込んできた。ライマルはかわせず、突進をもろに受ける。吹っ飛ばされてまた転がり、岩に激突して止まる。
ゴアベアーが両手を広げて飛びかかってきた。巨体からは想像もできない身軽さ。
ライマルは横に転がって腕の一撃を回避する。
相手は向きを変えながら左腕を振るってきた。
「ぐあっ!」
速度についていけず、ライマルはまた地面に倒された。鋼化がなければもうとっくにボロ切れにされている。ライマルの敏捷性のなさがここで隙を見せた。ゴアベアーの飛びつきを避けられず、馬乗りを許してしまう。のしかかってきたゴアベアーが連続で両手の爪を突き立ててくる。
――まずい、リミットが……!
スキルには効果を発揮していられる時間が決まっている。永続的に発動し続けるのは不可能。リミットを超えるとスキルは一時的に効果を失う。今、それがなくなったら……。
「くそっ、この野郎――!」
ライマルはなんとかしてゴアベアーの圧力から逃れようとする。しかし相手も重量があり、振り払うのは容易ではない。
――そうだ、横向きでもジャンプ力は発動できないのかっ!?
ライマルはジャンプ力を発動し、渾身の力で腰を浮かせた。そして地面に叩きつける。
「跳ねた――――ッ!!!」
思わず歓喜の声をあげる。浮かせた腰を叩きつけた反動で、ライマルはゴアベアーごとジャンプしていた。こうなれば心理的に準備できていた方が有利だ。ライマルはゴアベアーの腕を掴み、体をひねる。空中で位置関係が逆転する。
「これは痛いぞおおおおっ!」
相手の上を取った瞬間、重量化を発動させた。
折り重なったライマルとゴアベアーはものすごい速度で地面に向かっていく。激突した。地面にめり込み、ゴアベアーの動きを停止させる。相手の方が横に大きかったので、ライマルが土にはまって動けなくなることはなかった。
ゴアベアーの腹の上で立ち上がり、再度ジャンプ。穴の外へ飛び出した。土に埋もれたゴアベアーは、脱出しようと必死でもがいている。
リーシャの声が聞こえた。ライマルは足元を確かめる。
これだけはまっていれば、しばらくは動けないはず。
ライマルはリーシャの元へ駆けつける。彼女はゴアベアーと激しい打ち合いを展開していた。ゴアベアーの左右の爪は剣と渡り合えるほど硬いのだ。それを高速で振り回してくる。並大抵の冒険者では歯が立たないだろう。
「あっ、リーシャ……!」
ライマルは気づいた。彼女の白いブラウス。その右肩の部分が赤く染まっている。ゴアベアーの爪を受けたのだ。よく見ると、リーシャの顔色は明らかに悪くなっている。
僕が助けなきゃ!
しかし、二人は打ち合いながらめまぐるしく位置を変えている。毒竜の時に使った、上空から押しつぶす戦法は外す可能性が高い。
リーシャを助けつつ攻撃できる方法はないか。下手に割り込むより、やることを決めて加勢したほうがいい。ライマルは自分の実力の低さを認識している。ただ横から飛び込んでもリーシャの邪魔をするだけだとわかっている。
だから考えるのだ。今の自分にできる、最良の一手を!
――砲弾! そうだ、僕が砲弾になればいい!
決まってからはすぐだった。
ライマルは鋼化も重量化もかけずに走り出す。ゴアベアーはライマルに背中を向けている。リーシャを倒すことで頭がいっぱいだ。今ならいける。
ライマルは斜め前方へ向かってダイブし――地を蹴る瞬間にジャンプ力のスキルを発動させた。
急加速したライマルの体は、大砲から射出された砲弾のごとき軌道を描く。
――ここで鋼化ッ!
ライマルは体を丸めて砲弾になった。ゴアベアーの背中にすさまじい威力を乗せて衝突する。
グオオオオオオッ!?
相手の鳴き声にも困惑が見えた。ゴアベアーは前に投げ出されるように転ぶ。バックステップを踏んだリーシャは、体勢を立て直すとすぐさま踏み込んだ。
「やああああっ――凍裂!!」
リーシャの剣が倒れたゴアベアーの脳天を叩き割る。そこで魔力がはじけて、頭から首までを一瞬で氷づけにしてしまう。たとえ斬撃で死ななかったとしても、顔を氷で覆われた以上、呼吸ができなくなって死に至る。
二人で敵を挟んで構えていたが、ビクビク動いていたゴアベアーが完全に静止した。
「やった……」
リーシャが剣を地面に刺して体を支える。ライマルはすぐに駆け寄った。
「大丈夫なの!?」
「ま、まあね。うぅ、久しぶりに痛いのもらっちゃった……」
リーシャは右肩を押さえた。かなり出血しているらしく、当てただけの左手が真っ赤になる。
「ち、治癒水あったよね。すぐにかけないとまずい!」
「ご、ごめん、ポーチに入ってるから出してくれない? ちょっとこの姿勢でいないときつくて……」
「わかった。失礼するよ」
ライマルはリーシャが腰に巻きつけているポーチを外した。そこには冒険で使う道具と薬がぎっちり詰まっている。
「あった、これが外傷に効くっていう水だね。――あ」
それはいいのだが、どうやってかけるのだ? ライマルは考えていなかった。
右肩を怪我したということは、どうしてもブラウスを脱いでもらわないといけないわけで、それはリーシャの隠れた部分があらわになってしまうということ。
……い、いや、でもリーシャは重傷なんだ。こればっかりは……でも、さすがに言い出しづらい……!
言葉が見つからず、困った顔でリーシャを見上げる。彼女はライマルを見ていなかった。
「リ、リーシャ?」
「ライマル、薬はあとでお願い」
「え、でも……」
リーシャが剣を抜いて、構えた。そこでようやく、ライマルも事態を理解したのだった。
振り返る。
土の中に打ち込んだはずのゴアベアーがそこまで迫っていた。
身動きがとれなくなっていたはずなのに、それを破って出てくる。やはり、魔物の力は圧倒的だ。
「ライマル、息を合わせていこうね」
「――もちろん」
ライマルは拳を握りしめた。