82 カオルVS不知火
カオルの試合が始まる。勇太達4人、そして桜塚ハルネ部長の頑張りに背中を押され、カオルはしっかり立っている。
桜塚ハルネとカオルは、軽くグータッチだけした。言葉はない。
他の試合が全部終了して、これが柔道インターハイの最後の試合。
柔道アイドル不知火マイコと、人気上昇中・今川カオルの対戦。観客の大半が残っているし、試合を終えた選手も多くが観覧席から見ている。
関係者が期待していた最高のカード。
63キロ級が最後になるように、運営委員会が調整した甲斐があったようだ。
その上に、歓声に拍車をかける人まで登場した。伊集院光輝君だ。
関係者ではないけど、役員席に通された。
インターハイサッカーの閉会セレモニーに参加したあと、ここに来た。
仕事が去年から決まっていて、そちらが終わって駆けつけてくれた。婚約者の1人を連れている。
見たことがない和風美人で政略結婚の相手。20歳の足利登美子。お互いに会釈だけした。
「いやあ、カオル君の試合に間に合って良かった。本当は観客席に行こうと思ったけど、こちらに通されてね」
「光輝さん、パラレル市内とここでは違いますわよ。だけど、女の子に囲まれて慌てる光輝さんはおかしかったです。おほほ」
混乱を避けるためには大事だ。
伊集院君はパラレル市民体育館のときのような、自由な感じを期待してきた。
パラレル市では周囲の女性達が伊集院君や勇太の出現に少しは慣れている。
連れがいるときは遠慮してくれてるから、同じ扱いをイメージしていた。
伊集院君を見慣れない女子ばかりの東京の体育館。地元と同じように現れて、いきなり騒ぎになったそうだ。
当たり前だわな、と勇太、ルナ、梓はみんな思った。
婚約者さんは、伊集院君が初めて怯んだ姿を見て、嬉しそうにクスクスと笑っていた。
「ユウ兄ちゃん、カオルちゃんが出てきた」
挨拶もそこそこに、カオルにみんな集中した。
不知火はアイドルらしく観客席に手を振った。カオルは前だけを向いている。
名前が呼ばれ、カオルと不知火が試合場に立った。
「開始!」
不知火より勝っているパワーを出し切って、カオルの勝率は4割と言われていた。
そのパワーを伝える左手が、まともに動いていない。やはり怪我のダメージは大きかった。
試合は一方的だ。
不知火マイコだって、きっと死ぬほど努力している。そして集中力を研ぎ澄ましている。
勇太とのファーストコンタクトでは残念な部分もあったが、一流のアスリートだ。
だから、手負いのカオルには自分のペースに持ち込ませたりしない。
今の瞬間の不知火とカオルの戦力差は、66キロ級決勝の桜塚ハルネとサクラリンゴどころじゃない。
勇太の中にある女神印の回復力が他人に使えたなら、差は埋まる。
だけど、反則技を使ってもカオルは喜ばない。使えば不知火の努力を汚すことになると考える。
もし使えたら、勇太はカオルに使うかどうか聞いている。きっとカオルに断られていただろう。
カオルは、真っ直ぐだ。
自分だけずるをして勝っても喜ぶはずがない。
だから勇太はカオルを一瞬でも見逃さないように前を向いている。
カオルが不知火の襟を取った瞬間に、簡単に左手を外された。
梓は祈っている。
だけど、カオルが不知火の射程圏内に踏み込んだ瞬間、斜めに腰に乗せられ倒された。
技ありになった。残り2分半。
ルナは、カオルがこれ以上怪我を悪化させず帰ってきてくれと思っている。
カオルの消耗が激しい。けれどカオルは前に出る。
時間を使うほど、不利になるだけだと分かっている。カオルは次の組み手で狙うしかない。
試合に集中したいのに左手首から左肘まで、ずきずきと痛む。
力一杯に痛めた左手を伸ばした。払われた。脳天まで響くような激痛。
だけど決めていた通りに一気に踏み込んで、右手で不知火の柔道着をつかんだ。
勇太を練習中にけがさせてしまった、その変形投げ技。失敗した位置より半歩前に出た。
右手一本で投げる体勢に入った。
「ぐおおおおおお!」
一瞬、不知火の体が浮いた。左手の補助がない不完全な技。
あるいは、カオルと同じ身長のパワータイプ同士なら通じたかもしれない。
しかし、不知火も危険を察知して、カオルの肩に左手を滑らせていた。
体操部や陸上部のスカウトも来たという、不知火のセンス。
バレリーナ並の平衡感覚を生かし、足を大きく開いて投げられる右側に跳んだ。
力を流しながら着地した瞬間に、力尽きかけていたカオルの右足を払った。
カオルは簡単に倒れた。
技あり。合わせ技で一本。
わあああ、とマイコの華麗な跳躍と返し技に会場が沸いた。
奇跡は起きなかった。




