337 猫次郎が癒すのにゃ
世界柔道3日目の夜、不知火マイコはひとりでパラレル市に帰ってきた。明日から柔道の練習を再開する。
パラレル駅に降り立った。
勇太、ルナ、純子、麗子に夕御飯に誘われて後ろ髪を引かれる思いだった。初日の夜が予想以上に楽しかった。
勇太とは関係なく、嫁ズのみんなが自分個人としてマイコと向き合おうとしてくれている。
けれど自重した。甘えそうになるから。
王子様キャラを作り上げ、スポーツ選手として実績もある。アイドル的な活動もこなせるから、世間では器用なタイプと思われている。
本当のマイコは気持ちの切り替えがうまいタイプではない。柔道をやり始めると他のことを考えられない。
逆に気持ちが乱れると元に戻すのに時間がかかる。
王子様キャラも崩さないのではなく、もはや崩し方が分からない。
勇太の前で自然な顔ができるカオルがうらやましいと、マイコは思った。
カオルは柔道では勇太と戦友のように接し、畳を離れると親友のように変わる。もちろん、女の子の顔にもなる。
まあ、この関係は勇太の前世に起因するから特殊ではある。
とにかくマイコは今、柔道に対する集中力を少しでも切らしたくない。
ジュニア時代から世界の舞台にも立った実績があり、今回は世界柔道に枠をもらえた。そこで銅メダル獲得して高評価はもらえた。
『おめでとう』に笑顔で礼が返せた。
だけど、小差であってもマイコが準決勝で負けたブラジルのマルシアに、エース元松サオリは勝った。
本当の気持ちは誰にも漏らせない。
「くそ…、元松さんだって届かない相手じゃないんだ。けれど今回も評価は向こうが上。もっと頑張らないと」
「にゃ~ん」
小さな黒猫かマイコの方に歩いてきた。
「え、子猫」
「猫次郎にゃ、マイコ」
キヨミが1人で待っていた。
キヨミが右手に猫バスケット、左手にスーパーの袋を提げている。
「ごめん、聞こえていたよね。私の愚痴…」
「ん」
「コーチにも鬼塚会長にも、入れ込みすぎるなって言われるんだけど、どうしてもね」
自嘲気味に笑うマイコにキヨミは言った。
「本気、張り詰める、当たり前」
キヨミの目は真剣だ。
「マイコの家行く」
「もしかして、心配して来てくれたの?」
「違う」
「にゃ~ん」
「猫次郎が、マイコを癒やすらしいにゃ」
「にゃ~~ん」
「キヨミは?」
「料理係。料理得意。マイコ野菜不足」
キヨミは長谷川和菓子店の娘。実家が食べ物を扱う店だから食の知識も豊富で、親の代わりに台所に立つことも多い。
自炊はするけど簡単な物しか作れないマイコとLIMEのやり取りをするようになった。栄養面と柔道のやり取りばかりしている。
マイコは作り上げたキャラのせいか、北海道時代の彼女にも弱音を吐いたことがない。
けれどパラレル市に来て勇太の厚意を受け、時にキャラが崩れる。
そのきっかけがキヨミであることも多く、ここ1か月はキヨミに色々と話している。
今日も、なんとなくキヨミだけに、勇太やルナ達と合流せずに単独で帰ることを知らせていた。
マイコは自分でも自覚がない。けれど自分のペースに引き込んでくれるキヨミが可愛いと思うようになっていた。
昔のように、女の子が退屈しないようにファッションの話を振ったりしなくていい。
今は柔道のことしか考えられない自分の話を黙って聞いてくれる。
キヨミは当たり前のようにマイコのアパートに入った。
マイコは自分の家なのに食卓の椅子に座れと言われ、猫次郎を抱っこして柔道の話をしている。
キヨミは話ながら食事の用意をしている。
「マルシア、強かったか」
「強かったし頭脳派だった。疲れて隙があるように見せて、罠を張られてた」
「マイコ、未熟メンタル」
「ああっ、コーチも遠慮して言わなかったこと、はっきり言うね。私は傷付いたぞ、キヨミ」
「うるさいにゃ」
どん、と白菜や豚肉と鳥肉が入った鍋が置かれた。
「食う」
「にゃ~ん」
キヨミはマイコとは、嫁仲間に関することは一切話題に出さない。
「…お肉以外にも春菊、エノキ、タラの切り身まで!私が好きなものばかり入ってるよ。これじゃ怒れない」
「胃袋、正直」
「はふっ、おいしい。パラレル市に来て一番の食事だ」
「にゃ~ん」
「キヨミ、猫次郎は、なんて言ってるんだい?」
「柔道アイドル、チョロイン」
「にゃん?」
「ぷっ。言ってないよね、ねえ猫次郎」
「にゃはは」
食事が終われば、片付けをするキヨミの横で柔道の話ばかり始めるマイコ。
キヨミも言葉は少なくても的確に返事を返すから、話は弾んだ。
今は他のことは考えられない。そんな自分に対してヘイトはあるけど、誰よりも庇ってくれるのが勇太ファミリー。
勇太、嫁ズの申し出に正式に返事すらしていない自分のことを、みんなケアしてくれる。
世界柔道の悔しい銅メダルから3日、気持ちは落ち着いてきた。
知らないうちに、スイッチを入れ直せたマイコだ。




