313 パラレル熊本城は焼け落ちていなかった
2月13日、パラレル熊本に到着。
勇太の希望で熊本城に向かった。
勇太前世の熊本城本丸は、明治に入ったあとの西南戦争の時に火災が起こり焼け落ちた。
こちらでは西南戦争は起きたが、焼けていない。
補修工事が繰り返されていても、原型はとどめている。
「おお~、こっちでは400年前の熊本城が残ってるよ…」
「ん、こっち?」「それって」
ルナと梓には意味不明だけど、勇太が嬉しそうだ。それも優しい勇太のセットだから納得とふたりは思った。
パラレル熊本城の外周は3・5キロ。勇太の前世の記憶では、現在の街のど真ん中に4~5キロを越える城郭があったと覚えている。
勇太は世界が違うし誤差かと思っている。
城郭の大きさの違いは、男子減少となった疫病の影響。作ったのはパラレル加藤清正で、勇太前世の清正と同じく1601年から着工している。
勇太前世の熊本城は1607年に完成したが、パラレル世界の日本では工事途中の1603年にパンデミックが起こった。
男子、つまり築城に必要な労働力が工事の途中で激減した。
本丸、石垣、通路は完成、二の丸は9割出来上がり。だけど三の丸と外郭のお堀は作りかけで止まった。
そんな感じなのは熊本藩に限ったことではなかった。土木工事の前に、女子主導の政治体制を整えるのが先決となった。
男子がばたばたと倒れている時だから築城は後回し。パラレル江戸幕府も何も言ってこなかった。
築城工事は一旦中止してしまった。
結局はパラレル清正も念願の工事を再開できないまま1613年に病没。
藩主を引き継いだ長女の八十姫改め、八十清正姫が少しずつ再開。1629年までに本丸と二の丸まで囲って、パラレル清正が設計した7割程度の規模で熊本城が完成した。
山口県のパラレル萩城は1604年完成で、規模は勇太前世とほぼ一緒。ただし城下町のインフラは男子減少の影響で遅れた。
全国的に規模の違いはあれ、勇太前世と江戸時代の城の本丸の完成時期は近い。追加の施設が縮小されたところに違いがある。
二重鎖国を敷いていた現在は鹿児島県のパラレル薩摩藩、佐賀県のパラレル佐賀藩も男子減少の病原菌は防げず、早々と女子主導の社会に変わった。特に勢力を伸ばした記録はない。
ともかく、パラレル世界でしか見られない文化遺産を目の前に、大はしゃぎの勇太。料金所がある門から入って左側の広い通路に出て石垣を見上げている。
忍者も上がれないような設計という、次第にそり上がっていく石垣。
なんだか、途中までなら登れる気がする。この目の錯覚こそ、パラレル清正の罠。
「これ、登れないかな?」
「ユウ兄ちゃんでも無理だよ~」
「勇太なら、やれるかも」
梓とルナが口を開くと。後ろから、ざわっとした声が聞こえてきた。
3人が振り向くと、色んな年齢のご婦人が見ていた。
女の子がたくさん付いてきている。
勇太は一瞬、熊本なのに? とは思ったが、やっぱりネットのお陰で有名になってきている。
「やってみようか」
注目を浴びるのは恥ずかしいけど、次の機会もないしトライした。
10メートルくらい助走して駆け上がったけれど、自分の背丈も行かないうちに限界。
そこから石垣を蹴って、着地した。
おおお~と歓声が上がった。
そのまま天守閣の方に向かったら、女の人達も付いてきた。
ただ、本丸は老朽化した重要文化遺産なので一般公開されておらず、中には入れなかった。
残念である。
勇太前世の熊本城は中に入れると記憶していたが、それは近代建築の技術で再現した建造物だから。
パラレル熊本城は西南戦争の時に焼け落ちていない代わりに、老朽化が激しい。
勇太ら3人は別の出口から出て、城下町を模した飲食店が並ぶ観光通りで、色々と食べに行く。
しかし、特に若い女の子が後ろを付いてきていて、まさに『大名行列』といった感じ。
勇太は、パラレルな大坂城、姫路城、五稜郭など、色々と行ってみたい。
けれど、行くたびに後ろに行列ができるのかと思うと、少し考えてしまう。
ルナと梓も同意見。
「ルナさん、去年の夏にユウ兄ちゃんと東京を歩いたときも、こんな感じでした?」
「ううん。なんかパワーアップしてるよ…」
「他にもハーレムグループはいるのに、すごい視線を感じますよね」
「ほら、梓に手を振ってる人もいるよ」
「ルナさんもですよ」
腹ペコ勇太は、目に付いたものを手当たり次第に買ってきて、早速食べている。
『すごい。勇太君って、食欲と性欲が尋常じゃないっていうけどホントだ』
『もうラーメン食べて、次はあか牛の串だ』
『夜は嫁ズふたりと3Pか』
『うらやまし~』
『私もセ●クスに参加した~い』
性に寛容な世界だから、あからさまな言葉も飛び交う。
以前の勇太なら、ラーメンのスープを吹き出しているところだか、こういうのにも慣れてきた。




