ロシアンメイドとチャイナメイド
日曜日の午後、外商の女が私の配給物資を持ってきた。一週間でコレだけの物資が配給されるとは思わなかった。支払いが気になってたけど、外商の女は「御尊家様から頂いております」と言って支払い不要だと言っていた。配給物資を統制しているゴソンケサマがどんな存在なのか謎だったけど、賄賂を渡しておかないと後で困ると思い、お母さんから貰ったお金から奮発して100ルーブル紙幣3枚を渡した。賄賂が足りなかったみたいで外商の女は受け取れないと言ってきたので、あと2枚上乗せして無理矢理。受け取らせた。
日本語でブレザーと呼ばれた学校の制服はなんていうか1960年代、フルシチョフ書記長時代の制服みたいだった。これってすごい不評でフルシチョフ書記長が失脚したら元に戻されたヤツだよ。
これじゃあ、メイド服の方がマシって気がしたんだけど、一つだけよかったのはリボンが赤いことだった。
着てみるとスカートが長い、完全にひざ下まである。
メイド服も着て見たけど、こっちはもっと長くて邪魔だった。
みんな長いスカートで良く仕事が出来るよ。
これって、奴隷が逃げないようにわざと動きにくい服になってるのかな?
美壽々が数を増やしてくれたから同じスカートが3枚ある。
コレ、3枚とも私のなんだよね、誰かと共用じゃないよね?
メイド服なんて5着もあるし、服を切るなんてもったいないけど、物資が豊富にあると悪いことを考えてしまう。
スカートを短くしたい……
とりあえず裁縫はおいといて、赤いワンピースを着てみよう。
上質な生地で滑らかな光沢の赤が奇麗、裁縫もしっかりしてる、サイズもぴったりで着心地もいい。
少し動いてみると、動きやすい。
400ルーブルもしない安物とは思えなかった、西側は物がいいって言ってたの本当だったんだ。
ユーリーに見せたかったなあ……
私が自室で一人でファッションショーをやっているとドアをノックする音がした、ドアを開けるとメイだった。
メイはいつものメイド服じゃなくて、長いスカートの左側が上まで裂けて片足を露出した中国のワンピースを着ていた。
「今日の午後はイリーナもオフでしょ、一緒に遊びに行かないアルか」
メイは私を見ると「すごい似合ってるじゃない、高そうな服アルね」と褒めた。
私は心配で聞いてみた。
「ココから出ても大丈夫なんですか?」「脱走したら酷い目にあわされませんか?」
メイは変な顔をした。
「脱走?サボったら怒られるけどオフの時は門限までに帰れば大丈夫アルよ」
私はココの仕組みがまだ良く分からないので「許可書の申請はどうすれば…」と聞くと、「許可書?身分証明書は持ってないと警察に職質された時にこまるから忘れないアルね」
私は机の引き出しにしまっていた身分証明書を出した、美壽々から外に出る時は必ず持っていくように言われた物だ、身分証明書の不携帯が犯罪なのはソビエトと同じなんだ。
お金もいるかなと思って、ルーブル紙幣を何枚かポケットにいれようとした時、重大なことに気づいた。
この服にはポケットが無い…
しまった、服には必ずついている物だから無いとは思わなかった、やっぱり安物の粗悪品だった。
メイに「ハンドバッグは持ってないんだ」と言われたので「網袋ならあります」と言って網袋をだした。
「それじゃあ、中身が落ちちゃうよ」「ちょっと、近所のゲーセンに行くだけから手ぶらでも大丈夫だから行くアル」と言ってきた。
さすがにお金を持たないで外出するのは不安なので、スカートをめくってパンツの中にルーブル紙幣と身分証明書をつっこんだ。
裏口からでてメイについていった、日本に来て家から出るのは初めてだった。
歩きながらメイと話をした。
「私は7人兄弟の末っ子アルよ、イリーナはお兄さんがいるんだっけ?」
「10歳年上の兄がいます」
「私も一番上の兄と11歳離れてるアル」
「7人も兄弟がいて羨ましいです、私は子供を10人産んで母親英雄になるのが夢だけど……」ココを生きて出ることが出来ても、子供を産める体でいらられるとは思えない、私の夢はもう叶えられない。
「すごいアルね、私も子供沢山欲しいけど一孩政策のせいで無理アルね」
うぅぅ、メイはボロボロになるまで犯されてるんだ、私は共産主義者だから神に祈れないけど、メイを無事に帰してあげたい。
メイは兄さんの事を尋ねてきた。
「お兄さんとは一緒に暮らしてたアルか?」
「いえ、モスクワの大学に進学したから、8年前から別居しています」
「休みは帰ってくるアルか?」
「大学生の頃は帰ってきたけど、KGBに就職してから帰ってきません」
「お兄さん大変アルね」
なんか、メイと話していて気になったので聞いてみた。
「メイはいつも語尾に「アル」とつけているけど、何かのおまじないなんですか?」
メイは突然、口調を変えて喋りだした。
「別に好きでやってるわけじゃない、日本人が勝手に中国人はこういう喋り方をするって決めつけているから、日本人に合わせているだけ」
私はメイが言っている意味が良く分からなかった。
メイは怒りをあらわにして話を続けた。
「日本人は中国人に冷たいからね、日本人の真似するより、日本人の目に中国人に写る格好をした方が楽なの。この服だって、中国でこんな格好してる人いないよ、日本人の偏見で見た中国人の格好だよ」
私は何か事情があるのかと思って訪ねた。
「どうしてそこまで日本人に合わせるのですか?」
メイは不満そうな顔で答えた。
「日本で中国人の立場が弱いからだよ。世界第二位の経済大国から見たら、中国なんて貧困国だからね。庶民の収入なんて、日本人の一割以下だから、みんなして出稼ぎに来たがるけど、日本は受け入れないからね」
私はターニャも似たような事を言っていたのを思い出した。
メイは口調を戻して吐き捨てるように言った。
「強い中国人を演じないと舐められるアルよ」
私はメイの話を聞いて辛くなった。
「私も強いソビエト人民を演じないとダメですか?」
メイは寂しそうな笑顔になった。
「イリーナは金髪で青い目の白人だから大丈夫アル。日本人が大好きな白人様だからそのままで大丈夫アルよ」
私は全ての人種民族の平等を掲げた党の方針が偉大だったことを再確認した、資本主義の国は見た目で差別される酷い世界だった。
メイについていくと家から歩いて20分ぐらいのところにあったゲームセンターと書かれた看板の出ている建物に着いた。
中に入ると騒音が渦巻いていた。
ボタンとレバーがついたテレビが何台も並んでいる。
テレビには動く絵が映し出されていたけど、テレビ番組じゃないみたいだった。
メイは機械の前に座ると、肩にかけたハンドバッグから100と数字が書かれたコインを出した、100枚ぐらいありそうだった。
コインを機械に入れると、機械についているレバーとボタンを激しく動かした。
メイの動きに合わせてテレビの中の人の絵が動いている。
メイみたいな青い服の中国人女性の姿をした絵が激しく動いて男の絵を殴ったり蹴ったりしている、なんか楽しそうだ。
私はメイがテレビの絵を動かしているのをじっと見ていた。
メイが動かしている機械には英語が書かれている
エス、ティー、アール、イー、イー、ティー、エフ、なんだっけ読み方を忘れた、最後の文字は2を意味するギリシャ文字だっけ?
しばらくして、向かい側のテレビの前に豚みたいに太った男が座ると「中国人の姉ちゃん、対戦しようぜ、俺に買ったらヤルよ」と言って一万円と書かれた日本の紙幣を出した。
対戦って何をするんだろう?
メイは受けて立つと言って二人はテレビについているレバーを激しく動かしていた。
周りに集まった観客も盛り上がっている。
メイが動かしていた青い服の中国人女性の絵が倒れた。
メイは悔しそうにしている、メイが負けたみたいだった。
男は豚みたいな声でメイにむかって下品に話しかけた。
「へへ、金が無いなら体で払ってもらえばOKだぜ」
メイは悔しそうに言い返した。
「金ならある、負けた分は払うアル」
メイがハンドバッグから一万円と書かれた日本の紙幣を出すと、男は受け取らずに自分のポケットから6枚の紙幣を出した。
「金なら俺もあるぜ」
豚男はスカートの裂け目から露出したメイのフトモモを触った。
メイが男の手をひっぱたくと、豚みたいに大げさに叫んだ。
「おお痛てぇ、手の骨が折れたかも、警察呼んでもいいんだぜ」
豚男は下品に脅してきた。
「ホテル代出すから、そこのラブホに付き合えよ」
メイは怒りを我慢して泣きそうな顔になっている。
私は同志が酷い目にあわされるのを、黙って見ているわけにはいかなかった。
「粛正!」
私は下品な男を指導するためKGBにスカウトされてモスクワに行った兄さんから教わった軍隊格闘術秘伝の鉄拳制裁を食らわせた、男は無様に回転しながら倒れた、軟弱な豚だった。
「警察だ、警察を呼べ」と誰かの叫び声がした。
倒れた男は下品に叫んだ「売春婦がぁ、金なら払うっていってんだろ」
仲間みたいな男が私の肩を掴んで「犯すぞォ、コラァ」と叫んだ、私は兄さんから教わった軍隊格闘術で腕をひねり上げた
押さえつけられた男が床に倒れてうめいていると、誰かが私に缶コーヒーを投げつけた。
缶が背中に当たり中身が飛び散って赤いワンピースの背中がコーヒーで汚れたけど、私は手を離さななかった。
メイと私の周りを日本人たちが取り囲んでる、手を出さないで遠巻きに汚い言葉を浴びせてくる。
大資本家の慰み者にされるために買われてきた私は「売春婦」と呼ばれて返す言葉が無い。
AK-47かトカレフがあればこんな奴ら瞬殺なのに。
膠着状態のまま固まっているとサイレンが聞こえてきた。このままじゃシベリア送りになる、メイだけでも逃がさないと、兄さん、今だけ私に力を貸して。
「Ураааааа!!」
私は叫び声を上げながら髪をふり乱して渾身の力を振り絞って押さえつけていた男を担ぎ上げて、投げた。
投げられた男が取り囲んでいた一角の数人と衝突して包囲が崩れた、進路を塞いでいる男に鉄拳制裁を食らわせて倒すとメイの手を引いて「逃げて!」と叫んでメイを建物の外に押し出した。
メイは全力で走って逃げた、私も後を追って逃げようとした時、髪の毛を掴まれた。
強く後ろに引っ張られた私は髪がちぎれそうな痛みに耐えられなくて後ろに倒れそうになった。
誰かが私の腰を蹴った、痛みに負けて床に倒れ、このまま殺されるかと思った時、警察官が現れて止めてくれた。
私は髪の毛をちぎられそうになり、床に倒されて新しい赤いワンピースは汚れていた。
警官は私に「日本語わかるか、パスポートを見せろ」と問い詰めてきた。
私はスカートをまくりあげてポケットが無いからパンツの中にしまっていた美壽々からもらった身分証明書を出した。
ソビエトだったらシベリア送りだけど、日本だとどこに送られるんだろう…
私が渡した身分証明書を見た警察官の顔色が変わった。
なにか無線機で司令部と話をしている。
私はしばらく動けなくて床の上に座り込んでいた。
女性の警察官が椅子を持ってきて私を抱え上げて座らせてくれた、髪の毛が酷いことになってる、蹴られた腰が痛い、今頃になって背中に缶が当たったところが痛み出してきた。
いつのまにか警察官の人数が増えている。
何人もの男たちが手錠をかけられて連行されていく、次は私が手錠をかけられる順番だと思ったころ違うサイレンの音が聞こえてきた。
私だけ手錠をかけられた男たちとは違う白い車体に赤い線が入った車に乗るように言われた、消防局と書いてある、日本の治安機関なのかな?
私は外人だから日本人の男たちより酷いところに送られるのか心配になったけど、みんなの為の自己犠牲こそ政治指導員だ、メイが無事なら私は自分がどうなってもいい気がしてきた。
私が連れていかれた場所は病院だった、医者が診察すると痛いところに薬を塗った布みたいのを張ってくれた、痛みが引いていくのが分かる。
手当てが終わったころ、美壽々と一緒にアニータと軍服みたいな服装の男が数人現れた。
アニータは長い黒い棒を持っている、軍服みたいな服を着た男達は腰に木の棍棒をぶら下げていた、コレで私を殴るのかな。
私はどんな酷い懲罰にかけられても何も言えない…
私は最後の望みをつぶやいた「生きてユーリーのところに帰りたい」
美壽々は跪いて椅子に座ってうなだれている私に抱き着くと「無事でよかった」と言いながら泣いていた。
私は何の懲罰にもかけられることなく、薬を飲んで自分の部屋で眠りについた。
次の日の朝、体が少し痛かったけど大丈夫そうだった。
外商の女から貰った目覚まし時計をみると、もう7時になっていた。
今日は朝ごはん貰えないかとガッカリして、メイド服に着替えて食堂に降りて行った。
朝食が終わって片付けられた食堂に美壽々がいた、私が黙っていると美壽々は「早く朝食を食べなさい」と言ってパンとスープを出してきた。
昨日の夕食も食べ損ねていたのでお腹がすいていた私は柔らかいパンとスープを貪り食った。
食べ終わると美壽々は「喧嘩はダメです、仕事に行きなさい。ハンドバッグは頼んでおいてあげます」とだけ言った。
私は勤務表に従って洗濯場に来た。
今今日のシフトじゃないセシルとメイがタライで私の赤いワンピースを洗っていた。
セシルは私を見ると平然と挨拶した。
「おはようございます、昨日は大変でしたね」
メイは「ありがとう」とだけ短くお礼をのべた。
誰も私を責めないし、懲罰は無いみたいだった。
同志を助けたことを、皆は認めてくれたみたいだ。
セシルは赤いワンピース一枚だけをタライに漬けて手洗いしていた。
セシルは私を見て困った顔で注意してきた。
「ねえ、イリーナ、服を買う時は洗濯できる物をお願い。これ洗濯機もドライクリーニングもダメなやつだから」
メイは申し訳なさそうに言った。
「イリーナが寝ているうちに洗っておこうと思ったけど、私の手におえなかったアル」
私の赤いワンピースはポケットも無ければ、一度洗濯しただけでダメになる安物の粗悪品だった。
外商の女に最初に賄賂を渡さなかったのがダメだったのかな……
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粛正:чистка
鉄拳制裁:Удар кулакомロシア語で普通のパンチ
空手における正拳突きのような軍隊格闘術боевом самбо日本ではコンバットサンボと呼ばれる格闘技で最初に教わる基礎技。
一孩政策 一人っ子政策
メイの兄弟が生まれた年代は中国の人口が激増した年代であり、1974年生まれのメイは人口増加末期の生まれで、厳しい出産制限を受ける時期に高校生になっている。