妹が私の婚約者を誘惑しようとしてきます
勢いで書いてしまいました。変なところがあるかもしれません…
「お姉様!!クリス…様との婚約、解消してください!」
いつものように部屋で読書をしていると、アイリーンがノックもなしに部屋に入ってきた。私付きの侍女もすっかりこの光景に慣れてしまったらしく、すでにアイリーンの分の紅茶を準備し始めている。
「アイリーン、そんな風にドタバタと動いてはいけないわ。それから、部屋に入るときはノックをしてちょうだいと何度も言っているはずよ」
「今はそんなこと、どうでもいいの!!!お願いです、お姉様!婚約を解消してください!!!」
この一か月、アイリーンは婚約を解消しろと言い続けているのだ。
「何故、婚約を解消してほしいの?」
この問いも一か月で何度も口にしている。
「そんなの決まっています!!お姉様とクリス…様じゃ釣り合わないからです!!!」
この答えも、もう何度も聞いた。
確かに私よりもアイリーンのほうが、クリストファー様と釣り合いが取れているだろう。
お父様譲りのシルバーの髪にアイスブルーの瞳を持つ私は、人々に冷たい印象を与える。あまり感情が表情に出ないのも、さらに冷たい印象に拍車をかけている。
対するアイリーンは、お母様譲りのピンクゴールドの髪にハチミツのような瞳。
社交界では私たち姉妹を『氷姫ディアナ様』『花姫アイリーン様』などと呼ぶ方々もいるらしい。
クリストファー様は金髪碧眼のいかにも王子様、というような容姿をしている。誰にでも優しく常に微笑みを絶やさないクリストファー様の隣には、アイリーンのような愛らしい女性が相応しいだろう。
何より、クリストファー様のことをクリスと愛称で呼ぶくらいにアイリーンはクリストファー様と打ち解けているらしい。
そんなことを考えている間も、アイリーンは大きな声で何かを訴えている。
侍女が私の向かいに紅茶を置くと、アイリーンは興奮しながらも腰を下ろして紅茶を口に運ぶ。今日の茶葉はアイリーンのお気に入り、アッサムである。そのことに気が付いたアイリーンは、花がほころぶような笑顔を浮かべる。
「あなたが好きな、ブルーベリーのスコーンもあるのよ」
「まあ!本当ですか!それは楽しみ……ってお姉様!!話をそらさないでください!」
どうやら今日は、好物では流されてくれないらしい。今度からは『好物ではぐらかそう作戦』以外の作戦を考えなければならないようだ。
はぁ、とため息をつく。
「アイリーン、わかっているでしょう。クリストファー様のサンチェス家は公爵家で、私たちウォーレス家は伯爵家です。クリストファー様との婚約は公爵家から申し込みを受けたもので、私から婚約解消の申し立てはできないわ」
アイリーンはむっとした顔をしている。本当にすぐ顔に出る、素直な子だ。
「お姉様はクリス…様のこと、どう思っているんですか!!」
「今はまだ公爵家の当主となるには頼りない部分はあるけど、それを補って余りあるカリスマ性がある方だと思うわ。もう少し領地の経営については学んでいただきたいけど、足りない部分は私が補っていけば問題ないはずよ」
「そういうことじゃありません!!人として、婚約者としてどう思っているのかということです!!」
私に対するクリストファー様の態度は、いつだって婚約者に対するお手本のようなものだ。そつがないエスコートに、ある程度の頻度でくださる贈り物。贈り物はどれも、公爵家にふさわしい流行を押さえた高級品だ。
話す時にはいつでも微笑みを絶やさないし、気遣いもこまやかだ。それが、どの令嬢に対しても向けられているのは少し考え物だけれど。
「そうね。少し他の女性に対しての距離感が近いと思うけど、ある程度の火遊びには目を瞑るつもりよ。私に対しても、優しくしてくださるもの」
バンッとアイリーンがティーカップを乱暴に置いて立ち上がる。
「それじゃあやっぱり、お姉様は恋愛対象としてクリス…様のことが好きなわけじゃないのね?」
「アイリーン、そんな風にカップを置かな「それなら!やっぱり!ますます!婚約を解消するべきだわ!!!」
どうやら、興奮状態のアイリーンに私の言葉は届いていないらしい。
「お姉様!!それなら、あちらから婚約の解消の申し込みがあればお受けになるってことですよね!?!?」
テーブルの向こうから身を乗り出してくるアイリーンの勢いに押され気味になりながらも、質問に答える。
「え、えぇ。あちらから申し込みがあれば、受け入れるわ。仕方がないことよ」
「分かりました!!では、早速行動に移すことにします!失礼します、お姉様!!!」
部屋に入ってきた時と同じように、ドタバタと出ていくアイリーンの背中を見送る。台風のようにすごい勢いだったわ…。
それにしても…
「行動に移すって何をするつもりなのかしら…?」
**********
「お嬢様、クリストファー様がお見えです」
「クリストファー様が?今日はお約束はしていなかったはずだけど…?」
クリストファー様の訪れを知らせに来た侍女の目が、気まずそうに泳ぐ。
「そ、それが…。今は応接室でアイリーンお嬢様とお話しておいでです」
アイリーンが私に行動に移すことにした、と宣言したのは二日前のことだ。やはり、あの子は思い込んだら行動に移すのが早い。
「……そう。婚約者がいらっしゃっているのにご挨拶しないわけにはいかないわね。応接室に行くわ」
「かしこまりました」
どうしたものかと考えながら応接室に近づいていくと、アイリーンの楽しそうな声が聞こえてくる。
「もぅ、やだぁ!クリスったらぁー!!」
開いている扉から二人の姿が見える。近い。近い、というよりくっついている。アイリーンがクリストファー様に寄りかかるような姿勢だ。
扉は開いてはいるものの、部屋の中に使用人の姿はない。一応、開いている扉をノックする。
「失礼いたします。ディアナでございます」
私の存在に気が付いたクリストファー様が、慌ててアイリーンと距離をとる。
「あ、ああ。ディアナ、来たんだね」
「お姉様!私、クリス…様に相談したいことがあって…。お手紙をお送りして、来ていただいたんです!」
クリストファー様は見るからに気まずそうだが、アイリーンは気にする素振りもない。
「そうだったのね、アイリーン。クリストファー様にわざわざ相談したいことがあったの?」
「はい!二人きりで相談したいことがあって…」
二人きりでなければできない相談事…?
とにかく、アイリーンは言外に出ていってくれと言っているようだ。
「そう。それならば、今日はご挨拶だけで失礼いたします。クリストファー様、明後日はお約束通り公爵邸にお茶会に伺わせていただきますね」
「あ、ああ。楽しみにしているよ」
その後もアイリーンは事あるごとにクリストファー様に近づいていた。定期的に行われるクリストファー様とのお茶会にも理由を付けてついてきたし、我が家にいらしたときはアイリーンも必ず同席するようになっていた。
家族も誰もそのことを咎めない。お母様は、私以上にアイリーンの振る舞いにうるさいのに。
それどころか、最近は夕食の後に私以外の家族で集まって何やら話し込んでいる。扉に耳を当てて漏れ聞いた言葉は「クリス」「婚約解消」「作戦は順調」といったもの。時折、お父様とお兄様が興奮したように大声を出すのも聞こえてくる。
家族には愛されていると思っていたのだけど…。
お父様は、感情表現が得意ではない私の気持ちをよくわかってくださる。お母様は一見厳しいけど、厳しい言葉は私に対する愛情の表れ。お兄様は私以上に無表情だけれど、困ったことがあれば必ず助けてくれる。アイリーンは生まれた時から、「お姉様!!」と私を慕ってくれている。
はずだったのに…。
さらには、お父様に夕食の席で「クリストファー様との婚約を解消しなさい」とも言われた。お母様とお兄様もそうした方が良いと口をそろえていた。みんな、アイリーンを応援しているみたいだ。
「お嬢様、明後日のパーティーのドレスはいかがなさいますか?」
侍女の言葉に、現実に引き戻される。明後日はクリストファー様と共にパーティーに出席する予定になっている。いつもなら、パートナー同士同じ色を身に着けるためにクリストファー様から髪飾りやアクセサリーが贈られてくるのだけど…。
「そうね、任せるわ。私に似合いそうなものを、適当に見繕っておいてくれる?髪飾りやアクセサリーも、ドレスに合うものをお願い」
「かしこまりました」
***********
パーティー当日、馬車で迎えに来てくださったクリストファー様を見て驚く。そして、私の隣に立っているアイリーンにも。
クリストファー様のタイの色は瞳と同じ水色。アイリーンのドレスにあしらわれているリボンの色も水色。さらに、二つは同じ布で作られている。
なるほど。今回私に対する贈り物が無かったのは、そういうことらしい。
さらに、いつもは家族とともに伯爵家の馬車に乗るアイリーンが私とともに公爵家の馬車に乗っている。馬車の中では二人で盛り上がっていて、私はすっかり蚊帳の外だ。
馬車が会場に着くと、クリストファー様が先に馬車を降り手を差し出す。私よりも先に席を立ったアイリーンがその手を取ると、二人はそのまま会場内に入っていってしまった。
しばらくの間、状況が把握出来ずに固まる。アイリーンとクリストファー様が親しくしているのは、構わない。でも、婚約者としてともに出席するべき場でエスコートをしてもらえないとは思わなかった。
仕方がない。出席しないわけにはいかない。申し訳なさそうな顔をしている公爵家の御者のエスコートで馬車を降りる。後から到着した伯爵家の馬車から降りたお兄様がチラリとこちらを見たが、会場に入っていってしまった。
胸が痛い。クリストファー様がエスコートしてくれなかったことよりも、アイリーンが馬車の中で私に話しかけてくれず、お兄様に無視されたことのほうが悲しい。何故なんだろう。こんなに悲しいのに、涙の一つも流せないのがいけないのかもしれない。
とにかく今は、入場しなくては。ホストにご挨拶だけして、伯爵家の御者に頼んで先に帰らせてもらおう。覚悟を決めて、会場に足を踏み入れると人々の視線が突き刺さる。それもそうだろう。私をエスコートするはずの人が、その妹を連れて先に入場しているのだから。
俯きたくなる気持ちを抑えて、じっと前だけを見つめる。早足にならないように、優雅な足運びを心がけて。お母様にもお墨付きをいただいている、いつも通りの立ち振る舞いを。毅然としていれば、事情を聞きたがっている社交界の方々は話しかけてはこない。
あと少しでホストの方の元にたどり着く、という時に聞き覚えのある声に引き留められる。
「ディ、ディアナ!!」
正直、振り向きたくない。聞こえなかったふりをしてしまいたいけど、そんなわけにもいかず足を止め振り返る。
「はい、何でしょうか。クリストファー様」
クリストファー様の腕には、アイリーンの腕が絡められている。クリストファー様は緊張したような、気まずそうな顔。周りの方々は『見ていませんよ』という顔をしているが、耳を傾けているのが感じ取れる。
「そ、その…今回は君のエスコートが出来なくてすまない。それで、もう気が付いているかもしれないんだけど……僕との婚約を解消してほしいんだ」
『解消』の言葉がクリストファー様の口からこぼれた瞬間、アイリーンは満面の笑みを浮かべ、周りの人々は息を呑んだ。
「お姉様!!!今の言葉、聞きました!?聞きましたよね!?よかった、これでようやくお姉様に婚約を解消していただけるのね!ほら、早く返事してください!!」
あちらから申し入れがあれば、婚約を解消するといったのは私だ。家同士のつながりを持つという面でも、アイリーンとクリストファー様が婚約するなら問題ない。それに、思いあっている二人が一緒になるべきだ。深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
「婚約解消、承知いたしました。どうか、お幸せに」
最後まで令嬢としての振る舞いを全うしようと、最上級に美しく見えるように丁寧にお辞儀をする。顔を上げた瞬間、ドン!と体に衝撃が走りバランスを崩す。転ぶ!と思ったが、後ろから誰かに支えられて転ばずにすんだ。
「お姉様ああああああ!!!!!」
耳に馴染んだ声と呼ばれ方。
「お姉様!本当に良かったわ!!『クリスのクソ野郎』と婚約を解消してくれて!!」
「アイリーン、急に抱き着くな。ディアナが転んだらどうするんだ。それと心の中での呼び方が漏れてるぞ」
衝撃の正体は、抱き着いてきたアイリーン。そして体を支えてくれたのは、お兄様だった。いつの間にか、お父様とお母様も隣に立っている。
「どういうこと……?」
戸惑っている私に、アイリーンは顔をぐりぐりと摺り寄せてくる。
「私、今日のお姉様のドレス最高に似合ってるって言った?言ってないわよね!?言うのを我慢してたもの!!その紺色のドレス、お姉様の高潔なイメージにピッタリで本当に素敵です!!」
「ア、アイリーン?嬉しいんだけど、まずはどういうことなのか説明してくれないかしら?」
アイリーンは一瞬キョトンとしたような顔をする。私より背が低いアイリーンに抱き着かれているので、上目づかいがとてもかわいい。
「それもそうね。お姉様にはいろいろとお話していないことがあるもの!!それなら早く、おうちに帰りましょう!」
アイリーンは抱き着く姿勢から素早く体を反転させると、私の腕に絡みついてくる。反対の腕はお兄様にとられ、エスコートされるような恰好だ。
「アイリーン!?ちょっと待ってくれ!!」
今までニコニコと機嫌が良さそうだったアイリーンの顔が急に険しくなる。アイリーンは一瞬足を止めたが、そのまま私を引きずるように歩き始めてしまった。
「アイリーン、無視するのはよくないわ。あなたを呼び止めているのよ」
アイリーンがくちびるをとがらせる。何かを注意された時の癖だ。小さい頃からずっと変わっていない。
「お姉様がそういうなら…」
渋々振り返ったアイリーンにクリストファー様が近づいてくる。その表情はいつも通り微笑みをたたえてはいるが、動揺が隠しきれていない。
「アイリーン、どういうことだい?それと、さっき僕のことを変な呼び方で呼んだ気がしたんだけど…」
「気のせいではないですか?それから、私はもうあなたの婚約者の妹ではないのですから、そのように親しげに呼ばれる理由がありません」
先ほどまでのアイリーンのクリストファー様への対応とのあまりの変わりように、驚く。クリストファー様に至っては、口をあんぐりと開けている。
「た、確かに僕はディアナとの婚約は解消したよ!でもそれは、アイリーンがそうしてくれって僕に頼んだんじゃないか!君が僕と婚約したかったから、そう頼んだんだろう?」
「………姉……ディ……呼…な」
アイリーンが小刻みに震えながら、うつむいている。手を強く握りしめていて、爪が手のひらに突き刺さってしまいそうだ。アイリーンが勢いよく顔を上げて大きく息を吸った瞬間、横から手が伸びてきてアイリーンの口を覆った。アイリーンはフガフガと何かを訴えているが、声になっていない。
「アイリーン、落ち着け。こちらから失礼があったらいけないだろう。クリストファー様、妹が興奮してしいまして申し訳ありません。ですが、ディアナとクリストファー様はもう婚約者ではないのですから、そのように呼ばれるのは困ります」
淡々とそう告げる兄に何か言おうとクリストファー様が口を開くが、何も言わずに閉じてしまう。確かに、私の婚約者ではなくなった今、ディアナ嬢と呼ぶのが筋かもしれない。
お兄様の手から解放されたアイリーンは、お兄様をキッとにらみつけた後大きく深呼吸をする。
「確かに私はクリストファー…様にお姉様との婚約を解消していただくようにお願い申し上げました。ですがそれは、純粋にお姉様との婚約を解消していただきたかったからです。私の願いを聞いていただき、ありがとうございました」
アイリーンは優雅に礼をすると、クルリとターンをして歩き出そうとするが再びクリストファー様の声に呼び止められる。アイリーン??今、舌打ちしなかったかしら??
「婚約を解消するように言ったのは、僕を好きだったからだろう?ねえ、そうなんだろう?」
「私が一度でも、クリストファー様のことを好きだとか愛しているだとか申し上げたことがありましたか?」
「それは、もち…ろ……ん……」
クリストファー様が急に勢いを無くす。それをアイリーンは冷めた目で見つめている。お父様とお兄様は心なしか楽しそうに見えるし、お母様は口元を扇で覆ってはいるもののニコニコしているのが隠しきれていない。
どういうことなの…?私もアイリーンはクリストファー様のことが好きなのだと思っていた。そして、家族もそれをわかっていて応援しているのだと。てっきり、私と婚約を解消した後はアイリーンが婚約するのだと。先ほどクリストファー様に「お幸せに」と告げたのも、そう考えてのことだ。
「無いですよね?」
「た、確かに口に出したことは無かったかもしれないけど、君の態度が…!」
「態度、でございますか?」
アイリーンの目がさらに鋭くなる。こんなに冷たい表情をしているアイリーンを、私は見たことがない。
「確かに私は、クリストファー様に甘い顔で微笑みかけたり身体を寄せたりしていたかもしれません」
「そ、そうだよ!だから、それは君が僕のことを好「ですが!!!」
ちょっと!アイリーン?言葉を遮るのはさすがに不敬なんじゃない?と思っていても、私の表情筋はあまり仕事をしてくれない。周りからは、こんな状況でも冷静でいる『氷姫』に見えているだろう。
「ですが、その振る舞いはある方の真似をしたものです。……ところでクリストファー様?婚約者がいらっしゃるのに、他の女性とも『親しく』されている方のこと、どう思われますか?」
クリストファー様が気まずそうに視線を逸らす。
「まあ、ある程度の火遊びは皆さんしていらっしゃるかもしれませんね。では『貴族令嬢に手を出すのは後々面倒なことになりそうだし、未亡人とか人妻にしとくかあ』などとおっしゃってそういった方々とかなり親しくしていらっしゃる方のことは?」
クリストファー様の顔色が悪い。どうされたのだろう。それに、アイリーンの発言の意図がつかめない。
「それから『どうせ結婚するんだし、結婚前にちょっと味見させてもらえないかなあ』などと、婚約者に手を出そうとする方のことは?あまつさえ、その婚約者のガードが堅そうだと気が付いたら『けち臭いなあ。ちょっとくらいいいじゃん』とご友人に漏らすような方は?」
クリストファー様が異常に汗をかいている。それに、いつもの微笑みが消えて焦ったような、怒ったようなそんな表情だ。アイリーンは話しているうちにどんどんとテンションが上がっているようで、頬を紅潮させながら早口に言葉を紡いでいる。
他の家族のみんなもなんだか満足気にうなずいている。どういうことなの…?
「極め付きは!その婚約者の妹に言い寄られて『ラッキー!妹は緩そうだな。婚約者変えちゃおうかなあ』などと、楽しそうにお話される方のことは?ねえ、どう思われますか?クリストファー様?」
婚約者の妹に言い寄られて、婚約者を変える……?どこかで聞いたような話だ。
「あら?なんだか顔色が悪いですわね。体調がよろしくないのですか?それとも……何か心当たりでも?」
アイリーンは心底楽しそうに、ほほ笑む。その笑みは普段のアイリーンとはかけ離れたもので、なんだか妖艶な雰囲気をまとって見える。周りの方々も息をのんだほどだ。
クリストファー様は顔面蒼白。抜け殻のようだ。まさか…。
「全部クリストファー様のことなの……?」
「ちょっ…!ディアナ?そ、その、これは違うんだ!」
クリストファー様が私に一歩近づく。すると、アイリーンが私とクリストファー様の間を遮るように立った。
「ですから、お姉様のことを親しげに呼ばないでください。二度と!!!……お姉様?早く帰りましょう?見苦しいものをお姉様がこれ以上見ている必要はないですから」
アイリーンの声色の変わり具合がちょっと怖い。
それにしても……。クリストファー様のあの動揺具合。やはり、アイリーンが話していたのはクリストファー様のことなのだろう。ということは……。
「良かった……。みんなの様子が最近変だったのも、婚約を解消しろと言っていたのも、私のことが嫌いになったからじゃなかったのね…!」
家族に愛想をつかされたわけではなかったのだということに安心して、思わず笑みがこぼれる。目尻の雫を指先で軽く拭って周りを見渡すと、なぜかみんな固まっていた。先ほどまで顔面蒼白だったクリストファー様は頬を紅く染めている。
「ああああああ!!お姉様!!!!!普段はクールビューティーなのに、たまに笑った時の可愛さがやばい!破壊力がすごい!ギャップ萌え!お姉様しか勝たん!!!でも、他の人には見せないでくださいぃぃぃぃぃぃ!!!!」
「ア、アイリーン?どうしたの?落ち着いて…?」
ぎゃっぷもえ?かたん?の意味はよくわからないが、アイリーンは興奮しているらしく、抱きしめられすぎて少し苦しい。お兄様がベリッとアイリーンをはがしてくれたので、苦しさから解放された。
ところが、お兄様が抱きしめてきたのでまたすぐに圧迫感を感じる。さらにはお父様とお母様も「ずるいぞ(わ)!」と上から抱きしめてきて、アイリーンも「私も!」と言って腕を回す。苦しいけど、とても幸せな重みだ。
「美しさと家族愛がとどまるところを知らないわ…!」「尊い……」「拝みたい…」といった声が周りから聞こえてくる。
しばらくして、重みから解放される。お父様とお母様は、主催者の方に騒ぎを起こしたことの謝罪に行き、お兄様は周囲の方々へ挨拶をしている。アイリーンは相変わらず私にしがみついていた。
「お父様たちが戻ってきたら、一刻も早く帰りましょう!今日は、久しぶりに二人で一緒に眠りた「ディアナ!!」
言葉を遮られ、アイリーンが刺すような目で声の主を見る。なんだか今日のアイリーンは目線だけで人を殺せそうだわ…。
そうだ。家族に抱きしめられた嬉しさで、存在をすっかり忘れていた。クリストファー様だわ。
「ディアナ、君がそんなに愛らしく笑うなんて知らなかった!もし、僕の前でも君がそんな風に笑ってくれていたら、僕は……!!!」
「はあああああ?このクソ野郎が!今更虫のいいこと言ってんじゃねえよ!」
今のは、何かしら……?アイリーンのほうに顔を向けると、天使の笑顔で私に微笑んでいる。
「お姉様、少し待っていてくださいますか?」
そう言うと、アイリーンはゆったりとした足取りでクリストファー様に近づいていき顔をクリストファー様の耳元に寄せる。
さっきのドスの聞いた声と下町のチンピラのような言葉遣いは気のせいだったのかしら…?気のせいとしか思えないほど、一連のアイリーンの動作は優雅だ。その優雅さの裏に、何かが隠れているような気がするけど…。
アイリーンが何を言ったのかはわからない。可哀そうに、クリストファー様の顔は真っ青を通り越して真っ白で、ブンブンと激しくうなずくのが精一杯みたいだ。その様子にアイリーンは満足げに頷くと、駆け足で私のところに戻ってくる。
「これで、あの害虫がお姉様に寄って来ることは二度とありませんわ!!安心してくださいね!!」
害虫…?いいえ、きっと気のせいね。こんなに可愛らしく笑う子がそんなこと言うわけないわ。
「アイリーン、ありがとう」
「お姉様のためならどんなことだってするわ!!ああ、お姉様!!!今日はお姉様の笑顔を二回も見ちゃった!!!素晴らしい日だわ………。神よ!!感謝します!!」
アイリーンが天に向かって何かを叫んでいると、お父様たちが帰ってくる。
「さあ、ディアナ、アイリーン。わが家へ帰ろう」
家に帰ってきてから聞いた話によると、クリストファー様の日頃の行いにいよいよ我慢できなくなり、婚約解消に向けて家族で動き出したらしい。
アイリーンは、婚約を解消するように私に言った時にクリストファー様の行いについても私に教えてくれていたらしいけど……。まったく聞こえていなかった。そういえば、考え事をしている時にもアイリーンが何か叫んでいたかしら…?聞いていなかったことを謝罪したけど、アイリーンは「そんなちょっと抜けているところもかわいい!!最高!!」と叫んでいた。
私から婚約を解消するつもりがないとわかると、アイリーンがクリストファー様を誘惑する作戦に切り替えたらしい。アイリーン曰く「クリスのクソ野郎にくっつくなんて蕁麻疹が出そうだったけど、お姉様のためですもの!!」とのこと。クリストファー様を呼ぶときに変な間があったのは、いつもは違う呼び方をしていたからなのね……。
家族が少し冷たかったのも、お兄様が会場でエスコートしてくださらなかったのも、アイリーンから「やるなら徹底的に!!必ず成功させるわ!!!」という指示があったかららしい。みんなも本当はそんな態度をとりたくなかったとわかって、ほっとした。
「みんな、本当にありがとう。大好きよ」
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クリストファー様はあのパーティーでの騒ぎが原因で今までの悪事がバレてしまい、廃嫡されたと風の噂で聞いた。数々の女性と関係を持っていたせいで、複数人の女性から命を狙われているらしい。
私の婚約解消よりも私たちの家族愛が人々にインパクトを与えたらしく、婚約を解消したことはさほど大事にはならなかった。それどころか、私の笑顔を見たら幸せになれるという噂が出回ってお茶会への招待が増えたくらいだ。
巷では「シスコン」という言葉が流行語になっているみたいで、なぜかアイリーンが「そんな言葉、当たり前のことですわ」と自慢げにしていた。
家族の愛が重たすぎてなかなか新しい婚約者が見つからなかったり、ようやく見つかった婚約者をアイリーンが試そうとしたり、そんなアイリーンを愛してくれる人が現れたりするのは、また別のお話………。
私自身、シスコン?呼ばれる部類に入るかもしれない、というところからお話を膨らませてみました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。