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記憶の舞姫9「独占欲」

おはようございます。

一日一章アップしております。

長編ですが、応援してくれると嬉しいです。



        ※


「レヴィーラ」

 ラーディオ一族の総帥を、ラーディオヌ一族の地下牢に幽閉したのは、自らの独断だった。


 元老院の席で、アセスを中央邸に更迭することを提案し、許可を得た。

 だが地下牢に幽閉したのは、明らかにやり過ぎで、見つかれば大罪となる。

 それがわからないタケルではないが、後悔はしていない。

「どうだ? お前の望むものは、私の手の中だ」

 フィラ家の寵児、タケルは女の前で自らの力を示すように言った。

 この女に気に入られる為なら、何でもできる気になっている。


 タケルの腕の中にすっぽりと収まるくらいの華奢な女は、抱かれたまま微動だにしない。

 タケルは何を誇示すれば女が自分に目を向けるのか解らないまま、レヴィーラの望みそうなこと全てを叶えてやろうとしていた。


 常に彼女の動向に目を光らせた。

 彼女が幽閉したアセスを訪ねる際は、臣下にそのやり取りの一部始終を見晴らせた。ラーディア一族の婚約者に会いに言った際も、蜘蛛の巣を張り巡らすように一言一句把握する。


 けれどレヴィーラの気持ちは一向にわからない。

 彼女が望むものは、どうやらラーディオヌ一族の総帥一人だ。

 彼を捕まえてやって初めて、レヴィーラは魂を得たかのように、自らの意思で動き始めることが出来たような気がする。


 だがーー。

「私はそなたの大事なものより、力がある。それをお前が理解できるように力を尽くそう」

 タケルは何を誇示しているのか、自分自身もはや解らないまま、レヴィーラのそば近くにいたが、彼女の気持ちが見えてこない。


「お前は、いったい何をしたい?」

 巷の女達が望むように、アルス家の権力と地位に固執するならば、アセス本人を抑え込んだ時点で、彼の存在を見限るはずだった。彼女が欲しいのは、力ではない


 ふに落ちない点は、もうひとつある。


 アセスがラーディア一族の皇女と婚約した話を伝えた時、彼女は顔色を変えていた。その時の彼女の強ばった表情だけは記憶に新しいのだが、よしんば皇女に嫉妬しているのなら、自ら水月の宮に行って、恋敵にアセスの現状を知らせるだろうか。


「レヴィーラ」

 白い肩を抱き寄せても、彼女から何の回答も得られなかった。


 彼女はアセスが好きなのだ。

 側で見ていれば、苦しいほどそれがわかる。


 けれど彼女のアセスを思う気持ちは、男女の色恋よりももっと純粋で、まるで幼子が憧れを持ち続けているようにすら見え、自分などが立ち入ることも許さないほど潔癖なのだ。


 彼女が自分ではなく、本当にアセスを男として望んでいると知ることができれば、自分のこのもやもやする感情は、また違った形で浄化できたのかもしれない。


「お前が望むものは全て手に入れてやろう」

 タケルは実態のないレヴィーラを抱く。レヴィーラが自分を見ても、その瞳は黒曜石のように冷たい。もう何度、人形のように感情がない女を抱いたことだろう。満たされない欲望は、タケルの中で燻り続けた。


 彼女の目の輝きのなさは、クリスタルドールと異名を持つ、総帥アセスのそれによく似ていた。

 自分はこの類の人種について、理解ができない。喜怒哀楽は人並みか、それ以上に持ち、社交場においても、少なくとも、クリスタルドールのアセスより人好きされている。


 女のようにさえ感じる整いすぎた容姿のアセスは、タケルの雄の本能で敵視することもできない、中性的な存在だった。

 立場上のライバルだと意識はしても、人間らしさの欠片もない、花のように美しいものが相手では肩透かしだ。


 自分が執着してしまった女は、決して敵視するような男ではない者を好んでいる。

 先日も「真心」試し、という愚かな提案を易々と承知した。

 総帥の地位を自ら放棄するに等しい行動をとる。


 戦略というものが、およそない、若いラーディオヌ一族の総帥は、そしてその臣下は、面白いぐらい簡単にフィラ家に陥落した。

 ハプスブルク家の権力という後ろ盾がなければアルス家は呆けている。

 彼らを陥れるのは赤子の手を捻るよりも簡単だった。


 先日は天道士の階級取得において一歩遅れを取ったが、クリスタルドールは、やはり撮るに足らない存在だ。自ら好意を寄せる女の興味を持っている人形程度に考えておけばいいのかもしれない。


 アセスを幽閉したことで、タケルは満足げに顎を触った。

 レヴィーラは彼の婚約者であるラーディアの皇女を、アセスに引き合わせようと動いていた。

 何を考えているのか理解不可能だが、呪術士会とハプスブルク家に気づかれないうちは、アセスの廃位を指折り数えて待つだけだ。


 確固たる自信。ーーレヴィーラが一向に心を開かず失いつつあったこれを、タケルは取り戻していた。


 数日前に、ラーディオヌ一族の呪術試験の場にきた、おそらくはキコアインの一族の者と出会ったおかげだろう。タケルは笑った。

 彼はタケルに言ったのだ。「使役する精霊の質が低い」と。


 呪術試験に落ち、落胆する彼に声をかけてきたのは、キコアインの天道士だった。唐突に言われて、最初はムッとしたが、彼は自らの使役する精霊の名を口にした。

「何をっ!」

 それは使役する精霊の共有を許す行為だった。


 聖霊は本来、信頼関係を持った術者にしか、名前を明かさない。使役するためには名前を捕らえなければならず、だから術者同士でも精霊の名は呪文として暗号化され、人の耳には理解できない音で発音される。自ら使役する精霊の名を他人に話すなど、あり得ないことだった。


「私は貴方に期待したい。だから精霊を共有することは一向に構わないんですよ」

 そう言って上級精霊の名を明かしていったのだ。


 力が漲るのを感じた。

 桁違いの力が、自分の中で熱量となって蠢いている。

 これは一体何の精霊だ。上級精霊であることは疑いようもないが、強大な力があの時から少しづつタケルの精神を蝕んでいた。


        ※

 サナレス・アルス・ラーディアが事実上の更迭。

 これはラーディア一族の民を震撼とさせた。


「10日後に迫った貨物船の完成竣工式は、どうなるのか?」

 職人の組合長は、東の神殿入り口に配置された近衛兵を訪ねた。


「もし殿下がこのまま戻らなければ、竣工式に間に合わない。そうすれば他国との予定していた貿易はできないんだ。サナレス殿下にお会いしたい」ある者はそう言って、近衛兵に詰め寄る。


「タイヨはどうする? 既に受験者達には通知が届いており、一月後には試験を控えている。試験問題を確認してもらってもいないのに、試験を執り行っていいのか?」

 官僚登用制度「タイヨ」の責任者が西門の近衛兵ににじり寄る。


「先日コウホに合格した職人たちの配属先を選定できていない。彼らにサナレス殿下の不在をどう伝えればいいのだ!?」

 産業技術採用試験「コウホ」の責任者は切羽詰まったようにダイナグラムの近衛兵の宿直を訪ねた。


 入れ替わり立ち代わりという状態がしばらく続き、そのうち行列になってしまう。


 東の神殿入り口の警護を任されたギロダイが、「くそっ」と言って大理石の壁を殴りつけた。

「そんなこと知るかっていうんだ」

 熱くなるその横で、真昼間から酒を帯びた同僚が、ギロダイに酒瓶を投げてよこした。


「俺たちの廃業も近いってことだ。お前も飲めよ」

 完全に酔っ払った同僚はあぐらをかいてあくびをしている。


「お前、勤務中だぞ。いい加減にしろ」

「はっ。サナレス殿下がいなくなって、近衛兵なんてやってられるかよ」

 同じ近衛兵のキシャという男が言った。酒を浴びて、完全によいどれたまま門兵の仕事に甘じている。


「ギロダイ、お前は本当に立派だわ。さすが元どっかの王族の出だったと言ったか? だから主人なくしても、忠誠を尽くせるんだよなぁ」

「馬鹿な! サナレス殿下はご健在だ」

 その言葉にキシャは軽く右手をふった。


「生きている生きていないが問題じゃないんだよ。隊の上に立つのが誰かってことが重要なんだ。俺はサナレス殿下の力に惚れてここに入隊した、それは本心さ。でも彼が統治するラーディア一族じゃなければ、こんな窮屈な仕事を辞めて、ただのならず者に戻った方がマシだってこと」

 ならず者を取り締まる近衛兵が、この為体振りだ。


「そんななまくらな態度、近衛兵一番隊副長のこの私が許さぬ」

 ギロダイは座り込むキシャの胸倉を掴み上げた。片腕だけで大きな岩を持ち上げるギロダイの怪力に、キシャの体は宙に浮いて持ち上がったが、酔っ払ったままのキシャは、平然と笑っている。


「殴りたければ殴れ。お前の力でねじ伏せたければそうするといい」

 酒を飲んで泥酔しかけ、壊れかけた感情をむき出しにしたキシャは笑った。


「お前は、私の病の家族のことを知らない。こんなならず者の、役にも立たない自分を拾い上げ、役目を与えてくださったのはサナレス殿下だ。家族のことまで心配してくれる。そんな人の代わりになるやつなんて他にいないんだよ」

 自暴自棄になって言い捨てる言葉に、ギロダイは言葉をのんだ。


 そうだ。

 少なからず同調してしまう情けなさを噛み締め、ギロダイはうつむいた。


 自分はアルス大陸で、小さいながらも一国の王だった。

 王国の中では自分こそが唯一無二の存在で、他国との争いにおいても、力でねじ伏せていく強い王で、自分が築いたのは巨大な帝国だった。

 けれど信じて疑わなかった繁栄は、それほど長くは続かなかった。


 国の化身。かつてのギロダイは、王として国そのままの強固さだと讃えられ君臨した。飛ぶ鳥を落とす勢いで領土を広げて、一時はアルス大陸全土を手中にする夢まで見たが、いつまでもそれは続かなかった。ギロダイは最後の時、国と共に滅びることを望んでいた。王の首をとって戦乱を終わらせるのが慣わしの、人の国の決まり事が執行されようとするまさにその直前、神の血を引くサナレス・アルス・ラーディオヌが現れた。


 あくまで人の子の戦乱であったから、神子が、しかもアルス大陸でも有名なラーディア一族の皇族が現れたとあって、全ての人の子が拝礼した。


「この者は、二度と人の世の争い事には交わらせぬ。だからこの者の命を私に献上せよ」

 そう言ったかと思うと、首を垂れる敵人の中で、サナレスは自分にひざまづくように命じた。


 反発心は抑えられない。いっそ殺された方がすっきりすると、ギロダイは彼を睨んだ。

 しかしサナレスは、神子の神々しさなのか、彼自身の威圧感なのか、ギロダイの屈強な体を、折りたたむように膝まづかせた。


 あの時から、人の子の王であった自分は、サナレスの臣下になったのだ。


 殿下は健在だ。その留守は私が守る。

 近衛兵の王族離れに危機感を持ちつつ、更にサナレスが関わった民の不安に応じながら、ギロダイは王族の近衛兵として踏みとどまっていた。


 けれどこの時同時に、もしサナレスが近衛兵隊長として戻ることがなかったら、自分はどうすればいいのかを考えてしまった。


 もし次期総帥の立場を剥奪された時、サナレスはラーディア一族の地にとどまるだろうか。サナレスの性格を考えれば、この地に残らない確率は高いように思えた。

 最悪の場合、自分が取る行動は、近衛兵の解散だ。


 残りたい者は残ればいいと思うが、自分はサナレスのいない近衛兵に全く興味を持つことができなかった。

 キシャを始め、おそらく近衛兵の大半が、サナレスに憧れて入隊したか、彼の人望にたらし込まれて寄り集まった。

「くそっ!」

 

 


       ※


 丑の刻になり、リンフィーナはフィラ家を名乗る女が用意した迎えの馬車に乗り込むことになった。誰にも告げずに、たった一人で他族に行くという不安が、リンフィーナの鼓動を高鳴らせた。緊張のため頬がこわばる。


 本当は双見であるタキに全てを話して甘えたい、そしてラディに警護について欲しい。

 脳裏に寄りかかりたい甘えがよぎったが、リンフィーナは頭をふった。


 アセスの元に案内する条件は、リンフィーナが一人で来ることだと女は言った。そしてリンフィーナがその口でアセスとの婚約を破棄して、全てを元に戻すのだと、言われていた。


 馬車の中で向かい合わせに座って沈黙するレヴィーラという女は、始終無言だった。

 最初は気まずいと思ったリンフィーナだったが、彼女の感情のない顔を見つめていると、しだいに無音を受け入れた。


 漆黒の瞳と、肩上で切り揃えられた黒髪が、彼女の横顔を艶やかな大人に見せる。だが、よく見ると年の頃もそれほど違わないのかもしれない。リンフィーナは冷静に彼女を眺めた。


 羨ましいな、と見惚れてしまう。

 アセス殿の側にいることができるのならば、彼女のようにありたかった。呪術に肯定的なラーディオヌ一族とはいえ、銀髪の娘など異端である。

 彼女のような容姿に生まれていれば、と思わずにはいられなかった。

 じっと見詰めてしまっていたが、レヴィーラは全くこちらに関心がないのか、リンフィーナを一瞥もしなかった。


 本当にアセスのところに案内してもらえるのか不安になった頃、ラーディオヌ一族に到着した。

 ラーディオヌ一族の西門を潜る。レヴィーラはいくつかの夜市で人混みになっている公園や遺跡跡横の大通りを通り、呪術試験が行なわれた塔に向かっているようだった。


 外を見ると小さな黄色の光や、赤い提灯の光があちこちに灯り、人通りの多い歩道では人と人がぶつからずには歩けないぐらい賑わっている。


 昼間は一般人の出入りを許可するが、夜市が出る時間になると通行手形が必要だった。神子の氏族と、夜市を出す商売人である商いの許可が降りた人間だけが行き来を許される時間だ。


 隣の氏族だというのに、全く違う生活様式だ。


 地下牢というものがあるのも、ラーディオヌ一族ならではで、その場所に極力呪術の干渉を受けないようにしている。ラーディア一族では、罪人は近衛兵が管理する屯所の中に木枠で出来た簡易な牢に入るが、厳重さの規模が違った。それだけラーディオヌ一族は呪術がらみの犯罪が多いということだった。


 ラーディオヌ邸と呪術士会の拠点である白磁の塔に向かって、馬車は進んだ。

 地下牢は白磁の塔の最下層からラーディオヌ邸の庭園を通り、館の下まで続いているらしい。


 出入り口は二つあって、それがラーディオヌ邸の庭園と白磁の塔地下室なのだとレヴィーラが言った。

 レヴィーラはラーディオヌ邸の庭先に馬車を停めた。


 不用心なことに、見張り番が誰もいない。


 本当にこんなところに地下牢への入り口があるのかと訝しんだが、庭園の中には不自然な鉄格子の横開きする門があり、中へ入いると数メートルほどの壕が白磁の塔に向かって掘られており、その先には地下深くへ続く螺旋状の階段が現れた。


 地下から吹く生暖かい風がリンフィーナの髪の毛を巻き上げ、視界を防いだ。顔にかかる髪を耳にかけてリンフィーナは下を覗き込んだ。


 怖い。

 ぞくっと身震いする。


 白磁の塔の最下層とつながっているということは、地下5階分は降りることになり、薄暗い中うっかりと足を滑らすと命も危ない。足元をしっかりと確認しなければならず、滑るように降りていくレヴィーラの後を遅れながらリンフィーナはついて行った。


 持ってきておいて役立ったのが手元を照らす懐中電灯だ。

 ダイナグラムに張り巡らせた水路は、何も生活飲用水のためだけではない、と兄から聞いた。水路に流れる水力を利用して電気を作り、炎ではない灯を作り出すことに成功していた。


 本当にこんなところにアセスがいるのか。

 薄暗い地下牢に連れてこられ、リンフィーナは鳥肌が立っておさまらない。


 この地下牢に足を踏み入れてから、リンフィーナの鼓動は高鳴り続けている。あまりにも劣悪な環境。アセスに会いたい。けれどこんなところに、アセスに居て欲しくはない。できればデマであってほしいと願ってやまない。


 それなのに期待は裏切られ、レヴィーラの案内する通りの場所に、アセスの姿を見つけてしまった。


 最下層の地下牢でアセスを見た時、息が止まりそうになった。


「ーーアセス様!」

 洞窟を掘り出した湿気を帯びた通路の左右に、錆びついた太い鉄格子が打ちつけられ、アセスはその中に囚われて座っていた。陶磁器のように白く、整った顔のアセスは、肩を落とし小さく見えた。


「ごめんなさい!」

 アセスがこちらに気づいたのと同時に、リンフィーナは謝まった。

「こんなことに巻き込んで、ーーあなたをこんなめに合わせてしまって、本当にごめんなさい」

 アセスが入っている独房の檻に駆け寄って膝まづき、リンフィーナは謝罪した。


 リンフィーナの前にいるのは、一族の総帥アセス・アルス・ラーディオヌなのだ。こんな地下牢に閉じ込められる身分ではない。このような状況になったのは、彼が自分との婚儀を受け入れた代償だと思うと、いてもたっても居られなかった。

 一族違いの婚約なんて、やはりあってはならないことだった。

 浮かれていた自分が恥ずかしい。


 リンフィーナは気弱になった。


 やはり婚約は無謀だったのだ。周囲から反対され、結果アセスはこんなひどい所に閉じ込められ、また兄サナレスも謹慎中になっているという。


 レヴィーラが言うように、婚約を破棄すればアセスは元の暮らしに戻れるのだろうか?

「私は……」

 婚約を破棄することでアセスが元に戻れるのであれば、と思ってしまう。


 アセスはリンフィーナの存在に気がついて、中腰になった。そして彼は、リンフィーナを束の間観察し、深いため息をつく。


「皇女たる人がこんなところに出入りしてはいけません!」

 思いのほか、言葉尻を強い。

 彼を助けようと、何としても牢獄から解放すると決意をして来たリンフィーナに対し、アセスは残念そうにそう言った。


「あなたをこんな処まで来させてしまった自分の不甲斐なさには、全くもう辟易してしまいますが。貴方はこのような場所に来てはならない人です」

 額に手をあて、無愛想に深いため息をつく。


 彼から感じ取れるのは怒りである。

 アセスは、リンフィーナから視線を外した。

 

 迷惑がられた!

 アセスから拒絶されたのは目に見えてわかった。


 ショックで泣きそうになるリンフィーナを前に、実はゲシュタルト崩壊を起こしそうな感情の乱れは、アセス自身をも苛んでいた。感情を押し殺すまでの時間、アセスは自らの顔を両手で覆っていた。


「ーーどうして、こうなる……」

 ぶつぶつと小声でつぶやくアセスの声はリンフィーナには届かない。


 リンフィーナは心配そうに覗き込んだが、アセスはしばらく唸っていた。

 

 そして徐に、アセスは立ち上がった。

「下がっていてください」

 リンフィーナを遠ざけようと指示してきた。リンフィーナが下がったのを確認すると、アセスは額に右手を寄せ、何かを呟き、一瞬で牢獄の鉄格子をバラバラに切り裂いた。


 何事が起こったのかと立ちすくむリンフィーナを見て、アセスは僅かに目を細めた。

「すみません。ーー早くこのような、汚らしい場所を出ましょう」

 アセスは言った。

「あのっ……」


 強固な鉄格子が一瞬でバラバラになったのを間近で見て、リンフィーナはポカンとなる。

 どうやってこの牢獄から彼を脱出させればいいのかを考えていた思考が、停止したからだ。


「怪我はないですか?」

 アセスはリンフィーナに問いかけた。


 助けに来たのは自分なのに、問われた言葉は反対である。

 彼は自分自身で瞬く間に脱出経路を確保した。

 え? そんな簡単に出られたってこと?

 自分がここに来なかったとしても、彼にとってはそれくらい造作もなかったということなのだろうか?


 だったら捕らえられることなどなかったのでは?

 リンフィーナは混乱した。


「……あの、アセス様。すみません」

 何だか余計なことをしてしまったのかもしれない。アセスは捕らえられたのではなく、兄と同じようにここに謹慎させられていただけだろうか?

 そんな疑問が膨れ上がる。


「先ほどから謝ってばかりですね。貴方は信じて待つということを知らないのですか?」

 明らかにアセスは機嫌が悪かった。


 アセスは自らの意思でここに居た?

 そう思わせる要素が多分にある。


「あの……、いつでも脱出できたんですよね?」

「そうですね」

「あの……、じゃあどうして、こんなところに?」

「考え事をしていたんです」

 地下牢で考え事するのが習慣であるかのようなそっけなさで、アセスは答える。

 望まれなかった救助であることがはっきりして、リンフィーナは項垂れた。


 アセスの声色は氷のように冷たい。

 牢から出てきたアセスは、自分を背に庇う様に前に立って、そのままの剣呑さでレヴィーラを睨んだ。


「少々、フィラ家はお痛が過ぎたようだ」

 氷点下ほどの冷たさで、アセスは言った。アセスから感じるのは殺気である。自分が魅了された人は、一瞬で空間を引きちぎることが出来るような怖い人だった。殺意は自分に向けられているわけではなかったが、彼がこれからしようとすることを想像すると恐ろしい。


「大人しく捕らえられ、時を待っていようと思っていましたが、ーーラーディアの皇女をここに連れてきた、罪は大きい。すぐにでも償っていただきます」

 ずん、と周囲の空気が重くなるのを感じた。


 何が起こるのかハラハラしながら見守っていると、「ちょっと、あんた!」と声をかけられた。

「そこのぼうっとした皇女!」

 リンフィーナは声の方を見る。


「あなた!」

 オウロヴェルデの少年だ。


 地下の洞窟が崩れかけ、パラパラと小石が降ってくる。

 同時に空気圧で体が潰されるような衝撃があって、リンフィーナは身動きできなかった。


「皇女リンフィーナ、総帥を止めるんだ」

 少年に言われ、リンフィーナははっとしてアセスの背中に腕を回した。


「アセス様、だめ! 彼女はここに私を案内してくれだだけだから」

 ふっと体が正常な重力を感じて軽くなった。


 リンフィーナが抱きついて、アセスが力をセーブしたようだ。


 レヴィーラは「珍しいこと」、と呟いた。

「アセス様がこんな風に感情を表に出されるなんて、それが見れただけでも嬉しい」

 狂気のような言葉を口にする女の後ろには、いつの間にか男も立っていた。


「贈り物は気に入ったか? 我が妻よ」

 薄暗くて顔まではよく見えないが、長身の男だった。

 彼はレヴィーラの細い首に自分の腕を回して、後ろ手に抱きしめて、満足げである。


「気に入ったわ」

 レヴィーラは言った。

「レヴィーラ、しかしお前は危ないところだった。あのラーディアの皇女が止めなければ、お前を消し飛ばそうとしていたぞ、あの人形は」

 ふふっとレヴィーラは笑った。


「それも一興ですわよタケル様。ーーただ、私の願いはまだ叶っていない。これからでしたのに」

 目の前の男女は、夫婦なのか?

 どこか歪な関係に見えて、リンフィーナは固唾を飲んだ。


「お前の人形が、私の妻に危害を加えようとしていたからな。私はお前を守らねばならない。相手は天道士というあまり可愛げのない人形なのだからな」

 タケルの存外な発言がアセスに向けられているのを知って、リンフィーナは彼の背中にしがみつく力を強くした。


 アセス様、怒ってはいけない。

 目の前の二人は、どこか狂っていると直感が警鐘を鳴らす。道理が通じる相手ではないとリンフィーナは思った。


「あなたも感じますか?」

 アセスはリンフィーナに小さい声をかけ、「ええ」と答える。

「あの男から感じる禍々しさは、尋常じゃない。もしかすると魔道に落ちたのかもしれない」

 アセスから伝えられ、リンフィーナは事態を最悪さに顔をしかめた。


 術者には、ラーディオヌ一族呪術士会が定めた、地道士7級、天道士3級がある。だがもう一つ、人々が最も恐れる魔道士と呼ばれる存在がある。


 彼らはその級に関係なく、精霊の代わりに、魔物と契約をしてしまうのだ。魔物は人の心の隙をついて入り込み、ロクでもない契約をささやく。大抵の場合、魔道に落ちた呪術者は、自分の力以上の能力を発揮しながら我欲に溺れて死んでしまう。


「いったん引きましょう」

 アセスはリンフィーナに反対方向へ逃げるように言った。おそらく反対側が白磁の塔地下に続く。


「彼が魔道の力を借りているなら、力量を測れない。私が足止めしているうちに、あなたはすぐに逃げてください」

「それは嫌」

 一緒でなければ何のためにここに来たのかわからない。


 タケルという名の男は炎の属性があるようで、洞窟内で彼の手の中に火種が起こった。あざけるように火の球が、アセスとリンフィーナの傍をかすめる。

 弄ばれている感覚があり、アセスはリンフィーナに再度、逃げるように促した。


 それは出来ない!

 リンフィーナが断固拒否していると、少年が、鉄格子越しに「馬鹿!」と叫んだ。

 アセスがちらりと少年を見る。

 そして命令口調で少年に「連れて行け」と言った。


 瞬間少年が閉じ込められていた鉄格子がねじ曲げられる。「よっしゃ」と言った少年は、自分をアセスから引き剥がした。

「逃げるぞ、あんた!」

「嫌だってば」

「馬鹿か! あんたは足手まといなんだって」


 数秒問答を続けているうちに、タケルが目の前に迫ってきた。暗闇に充血した目が鈍く光っている。

 背筋が凍りつくほど恐ろしい。


 彼の手は、遠目には燃えているように見えた。足がすくんだリンフィーナに対して獲物を追い詰めるような炎の攻撃があり、アセスが間に立って、彼の呪術によって未然に防がれている。


「行こう。天道士級の二人だ、どうなるかわかったもんじゃない。総帥は君に危害が及ばないよう、自分の力を制御しているんだ。君を守りながらじゃ、総帥が不利だ」

 少年がいうように、アセスは一方的な攻撃が、自分よりも背後に及ばないようにじりじりと後退しながら防いでいる。アセスが自らの術力を盾としてしか使っていないのは、リンフィーナもわかっていた。


 けれど違う。

 逃げるんじゃない。


 こんな時は、冷静に現状把握をしなければならない。

 サナレスの教えを思い出す。


 アセスや少年が言うように、このままでは自分は足手まといで、いない方がいい。けれどそれは彼らが、自分をラーディア一族の皇女、サナレスの妹だと言う付加価値を考えていないからだ。ただ弱い小動物のように、自分を護らなければいけないと思い込んでいるからなのだと、リンフィーナは思った。


 そこに一瞬の隙を見出さなければ。

 本当に、単身ここに来た意味がなかった。


 今いるのは洞窟。地面に降った雨水は、地下水となり、地中の石灰岩の隙間を溶食、浸食し、数万年以上かけて鍾乳洞になった。鍾乳洞だということは石灰岩の中に空洞ができている状態だった。


 じゃあ使えるものは? 呪術以外にもあるはずだった。

 持っているものは懐中電灯だけだが、この場をいったん退くぐらいの爆破をやってのけることは出来るのではないか?


 石灰岩と水素で爆弾を作る。

 水を電解すれば、水素ができる。大丈夫、材料は全部揃っている。


 リンフィーナは懐中電灯を分解した。ただ分解するのではない。どの部分にどういう部品があるかということを把握しているのだ。


「何を……」

 驚くアセスと少年の前で、リンフィーナは簡易爆弾を作成する計画を口にする。そして「合図したら、皆で走ろう!」向こうからの通路を封鎖するから、と言った。


 リンフィーナはタケルの攻撃をアセスが凌いでいる時間で、側近くの水たまりを利用して、ガスを発生させた。

 準備完了だ。


「行こう」

 三人は一斉に駆け出した。

 炎と共にタケルが近づいてきた瞬間、その爆破は爆音とともに完遂した。


       ※


「君は上級術士なのか?」

 三人はその足で呪術士会に駆け込んだ。


 アセスがフィラ家の陰謀の全てを話し、ハプスブルク家に伝令を遣わし、応援を頼む。万全の体制になるように手配している間、その傍らで、リンフィーナは少年から質問攻めにあっていた。


「ーーあれは呪術なんかじゃないんだってば。科学っていう学問だから」

 ラーディア一族の退屈な義務教育がこんなことに役立つとは思いもしなかった。

 水、酸素、水素、電気、これらの化学記号と性質については、嫌というほど聞かされてきた。人の暮らしには電力が絶対条件で必要で、まずはこの学問が基礎になる。実際に他にも色々な講義を受けるが、科学は兄の得意分野であるため、特別指導もあって妹リンフィーナに染み込んでいた。


「ラーディア一族は、ラーディオヌ一族のように呪術では発展しなかったから、科学が生まれた」

 その分呪術に対しては、本当に無知だ。懐疑的と言ってもいい。呪術の初歩を勉強した時、この世にはそんな不可思議な言語が存在したのかと衝撃を受けた。人外のものを使役するということは、人外の言語を覚えなければならないし、それを表す文字も読めて発音できなければならない。この文化はラーディア一族にはない。


 例えば闇の中を照らすのであれば、ラーディオヌ一族であれは、低級精霊を多く使役して、明かりを溜める。けれどラーディア一族では電力を溜める蓄電池を用いていた。どちらに優越があるのかはわからない。けれど灯りの質と、供給源が違うことは明白である。


「すごいな。本当に驚いた」

 少年の目が好奇心で輝いている。

「あの、そろそろ名前ぐらい聞いてもいい? 年は私と同じぐらいかな?」

 リンフィーナが問うと、少年は目を丸くした。

「それと私は、リンフィーナよ。ぼうっとしたのとか、ほんと失礼よね」

「ああ。俺はナンス。悪かったよ、皇女リンフィーナ」


「皇女なんてつけなくても構わないわ。今までのひどい呼称よりはよっぽどいいもの。それよりもナンス、あのタケルって男、それからレヴィーラと名乗ったフィラ家の人、捕まるかな?」

 まさかあの爆破で死んではいないと思うけれど、その後の二人が気になった。


 身を乗り出しがちになるリンフィーナの後ろで、嘆息する息が聞こえた。

 振り返るとアセスが後ろに立っている。

「あなたがこれほどのおてんばだとは……」

 アセスが発した言葉に、リンフィーナは心臓をえぐられる。


 やはり婚約解消になってしまうのだろうか、と考えると胃が痛んで身を縮めた。


「さすがはあの方の妹と言ったところですね」

 アセスはリンフィーナの横に腰を下ろした。そしてじっと自分を見つめたと思うと、不意に笑い出したのだ。


 アセス殿が笑う!?

 そんな顔を見たのは初めてで、リンフィーナは見入ってしまった。

 肝を抜かれて間抜け顔になって座っているリンフィーナに、アセスは言った。

「悪くない」と。


 何が悪くないのかすらわからず、リンフィーナは眉間にシワを寄せた。

「お二人とも顔も体も泥だらけです。とにかく湯浴みしてください。着替えを用意させましょう」

 アセスはラーディオヌ邸に戻り、他の天道士達を呼んで警護させることを口にした。


「あと、この一件をラーディア一族のサナレスにもお伝えするように、伝書鳩を飛ばしました。明日には迎えも来るでしょう」

 リンフィーナはうっ、と息を詰まらせた。


 怒られる。

 絶対に怒られる。


 この事態を知って、サナレスが何ていうのか、双見の二人がどれほど怒るか、今から考えただけでも気が重い。アセスに対して、ラーディア一族やサナレスに秘密にしてくれという、虫のいい意見など受け入れられるはずもなく、リンフィーナは思い切り肩を落とした。

「自己肯定感を得るために、呪術を勉強し始めました」

記憶の舞姫⑨:2020年8月16日

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