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記憶の舞姫7「漆黒の婚約者」

一日一章アップしています。


         ※


 ラーディオヌ一族を訪ねてきたのが2度目になるリンフィーナは、中心地に聳える円柱型の巨大な塔の中にいた。呪術の試験を受ける者の大多数が訪れるそこは、地上一階がマーケットになっており、地下5階に続き、地下3階までが試験会場として設営されている。


 元々あった洞窟という地層を利用した建築物は、地下に降りるほど広くなる。リンフィーナの会場は地下一階だったが、上級者達の試験は更に下層で行われているようだった。時折術力が暴走する受験者もいて、力の抑制のために最下層の地下広場で行われるという。


 自分の進級試験をなんとか合格したリンフィーナは、待っていた兄と合流した。兄は1階の闇市で不可思議なものを見て楽しんでいたらしく、リンフィーナが分からない薬草や小瓶に入ってひもでまとめてくくりつけたもの等、しっかりと買い物をしてきていた。


「これは何?」

 兄に聞くと、サナレスは一つひとつ簡単に説明する。


「これらは傷に効く薬で、近衛兵で使う。それからこれらは調味料だ。食事を作るときに加えると味が引き立つし、滋養強壮にもいいらしい」

 ラーディオヌではこの手の種類のものが市場よりも安く手に入り、種類も豊富なのだという。リンフィーナにとっては、少し見た感じでは不気味な物が並ぶだけに見えたが、兄にとってはそうではないらしい。


 リンフィーナ自身も、呪術を初める前から薬に対しての興味は深かった。ラギアージャの森に沢山の薬草が生えていた為、ラディから教わって薬草をつみ、それを煎じた。

 皇族というのに、密かに薬師を目指したくらいだ。


 小瓶に入った薬だというものは虫の様に丸くて、真っ黒だった。

「これは丸薬。干して粉にしたものを丸めて固めてある。この方が日持ちがするし、出先で利用するには便利なんだ」

 珍しいものをしげしげと眺めて、リンフィーナは知識を深めていく。兄が一緒にいれば、上の会の闇市も楽しめるかもしれない、と思った。


「私も案内して欲しい」

 そういうとサナレスは今日行くのは別のところだと笑い、リンフィーナの手を引いた。

 そうってサナレスは上に上がらず、更に地下へ降りていく。

 鍾乳洞が壁に現れ始めた頃、最下層が近くなるのを知った。


「ここでもう一人、私の知り合いが試験を受けているはずなんだ。それを見学させてもらおう」

 連れられて歩みを進めたが、最下層にいくに連れて人が多くなっていく。


「一番下は天道士の資格試験だと聞いているけど、お兄さまの知り合いって、そんな高位の呪術者なの?」

 顔が広いサナレスのこと、そういった知り合いがいても不思議ではなかったが、ラーディア一族の次期総帥が、これほど呪術に通じたところに出入りしているのが意外なのである。リンフィーナの師であるラァと知り合いだったことと言い、サナレスの人望の層の厚さは測りしれない。


 人混みをかき分けながら、試験会場に着くと、二人の青年が呪術を行使している姿があった。試験官が地下を支える突き出た柱の元に立っていて、二人は次々に違う色のオーラに包まれている。


 精霊使役術を初めて見るリンフィーナは、目を輝かせた。


 大陸には八百万の神々が神子として誕生したが、力の中心となるのは、光、闇、火、水、地、風の6つで、神子の力はそれに祈ることから始まっている。これらの呪術を行使するには、その力を持つ人外の生命体、精霊と契約するのだと聞いていた。より多くの上級精霊を使役した物が、莫大な力を身につけることができる。


 ただし、精霊を寄せるには資質と技術の両方が必要で、天道士になる条件として最低6つの属性の精霊全てを揃えていなければならない。


 並大抵のことではないので、天道士の位を与えられるものは、アルス大陸広しと言えど、数えるほどしかいないのである。


 試験なので、大きな力を振るうことを要求されているわけではないらしく、二人の周りには色の変わるオーラが立ち昇っており、その中で技を繰り出しているのだとサナレスは言った。


「オーラが大きければいいというものではないらしい。ほら右側にいる私の知り合いのオーラは小さいが、七色に素早く変化しているだろう?」

 見ることを促されてリンフィーナが視線を向けると、言われてみれば力の密度が違って見えた。オーラに包まれているため、二人の顔はよく見えない。けれど蝋燭に例えるならば、左側の炎は安定性がなくよく揺れていて、もう一方の炎は一本芯が通った様に、ブレることがない。


 右の青年の掌の中には、やがて拳台の光の球が作られていった。その中が虹色に光り輝いている。


 想像していた試験とは全く違った。リンフィーナはもっと、力で岩を砕いたり、水柱を立ち上げたりと、激しいものを予想していた。


 静まりかえった空間の中、その試験はまるで何かの儀式の様で、とても美しかった。


「あれが、アセス・アルス・ラーディオヌ。ラーディオヌ一族の総帥だ」

 兄の紹介に、リンフィーナは驚き、更にその青年を見るために目を凝らした。


 あっ。

 腰の高さまで伸びた黒髪が揺らめき、オーラを纏っているその人は、リンフィーナが生誕祭で再会した青年である。一年経って更に背が伸びている。


「アセス総帥、合格」

 先に試験を終えたのはアセスだった。綺麗な七色の玉が形になり、その中で様々な光の点が蠢き、くるくると回っている。


 試験の終わりを聞いたアセスは、その玉に触れることなく右手で天に持ち上げ、何かを呟いた。一瞬玉が光り、蓄えられていた物が分散した。

 もう一方の青年は、どうやら不合格の様だった。

 配合が安定せず、完成半ばで力尽きた。


「おめでとうございます。さすが総帥」

 見物人達が、試験の終わりを知って頭を下げている。

 リンフィーナとサナレスも同じようにして見守った。


「すごい!」

 リンフィーナはこの場に立ち寄れたことの興奮で、兄の腕を握る手に力を込めた。


「兄様、ありがとう」

 すごい、本当にすごいと、心中で拍手喝采を繰り返し、リンフィーナは歓喜した。


「後で会う約束をしている」

 耳元でサナレスが言った。


「いつの間に!?」

 こんな驚きが用意されているとは露ほども思わず、リンフィーナはサナレスを見つめた。

「これから天道士の称号の委任式があって、その後彼の館で会うつもりだ」


 心臓が鋼打つのを止められなかった。

 どうしてだか兄には、自分が彼に興味を持ってしまっていることを知られてしまっていたということだ。兄の顔をじっと見ると、くすっと笑われてしまい、リンフィーナは顔から火が出る気持ちだ。

 この再会は偶然ではなく、兄が仕組んだことであることを知るには一瞬だった。


 もうっ。本当にもうっ!

 リンフィーナは頬を膨らませたが、サナレスは嬉しそうにしていた。

 敏い兄に隠し事はできない。千里眼でも持っているのだろうかと考えてしまうほどだ。


 火照る顔を冷ましながらリンフィーナは、横を向いた。するとそこでも、何処かで見たことのある少年が目に映った。

 想起するのに時間がかかったが、リンフィーナが見たことがあるラーディオヌ一族の民の人数は限られていた。


「オウロヴェルデ!」

思い出すと同時に、リンフィーナは自分の指にはめた石の名前を口にした。


 ラーディアの生誕祭で突然ぶつかって来たあの少年が、暗い眼差しで人混みに潜んでいた。

 オウロヴェルデ、指輪の石の名前を教えてくれたあの少年だ。


「兄様、あれ……」

 サナレスが彼は謀反を企てていたかもしれない、と言った言葉を思い出す。


 少年の視線は誰かを憎悪しているように見えた。

 眼差しに秘めた思いに、リンフィーナはぞくっとした。


 その視線の先にいるのはーー。

 先を辿ってその姿を確認したのと、少年が人混みから飛び出したのが同じだった。


「だめっ!」

 少年の手元に握られているものが見えて、リンフィーナは咄嗟に叫んだ。

 少年が短剣を懐に握りしめて、アセスに向かって突進していく。思わずリンフィーナも大衆の前に飛び出し、少年とアセスの間に割って入ろうとした。


 ただ、指先まで一生懸命伸ばして止めようとしても、間に合わない。少年の弾丸のような突撃は、一歩出遅れたリンフィーナの制止を超えて、アセスに向かっていく。

 絶望に一瞬こめかみがドクンと波打った時、リンフィーナは自らの中に眠る力を放出した。


 身体の中に、別の何かを感じた。

 烈風がアセスと少年の間に巻き起こり、地面に反射して、風圧を作る。


 爆音と共に、少年とアセスが、それから近くにいた何人かが吹っ飛ばされるのを見て、リンフィーナは言葉を失った。


       ※


 起こしてしまった騒動は計り知れない。


 リンフィーナは自分自身が何をしでかしたのか、その瞬間全く理解できなかった。

 そよ風を起こすことが関の山の実力の自分の力が、暴発したことを知るまでには時間がかかった。

 悲鳴を上げてその場に立ちすくんでしまう。


「リンフィーナ!」

 サナレスが咄嗟に人混みの中に彼女を引っ張り戻し、リンフィーナは彼の外衣の中に隠されることになった。

 震えが止まらない。


「大丈夫。顔が割れる前に、先にラーディオヌ邸に向かおう」

 サナレスが言った。こんなところでラーディア一族の王族が、ラーディオヌ一族の次期総帥に怪我をさせたなんてことが知れたら、大変なことになる。


 事態を瞬時に判断したサナレスは、リンフィーナを隠すようにしてその場を出た。

「どうしよう、私、……どうしたらいい?」


 おろおろと取り乱すリンフィーナを連れて、サナレスはラーディオヌ邸がある方向へ急いだ。主人不在の館だったが、訪問を約束していた時刻に近かったからか、使用人はサナレスを見て、簡単に中へ招き入れた。


 客間に通された後も、リンフィーナは震えていた。


「リンフィーナ。そんなに怯えなくとも大丈夫だ。ちょっと吹き飛ばしはしたが、呪術の試験会場ではあれくらいのことなんてどうって事はない。それよりもよく、あの少年を止めたな。下手したらお前が刺されていたぞ」


 あの時の少年だった。

 1年前兄様が謀反を企んでいるなんて言ってたけど、まさかラーディオヌ一族の総帥がその相手だったとは。


 例え少年を止めるためだったとはいえ、自分がしでかした事は大罪かもしれない。


「いいかリンフィーナ。気にするな、お前は人助けをしたんだ」

 正面を向いた姿勢で両肩に手をおいて、サナレスは言い聞かせてくる。


「じきに帰ってくるだろうから、このまま待っていよう」

 サナレスの提案通り、暫くして館の玄関口が騒がしくなり、使用人たちが何かをささやき合っている。様子を聞きつけ、客人だというのにサナレスは部屋を出て確認に行った。リンフィーナも後ろに続く。

 

 サナレスはアセスの意識が戻っていないことを知り、青ざめるリンフィーナを横に、アセスを軽々と担ぎ上げた。

「寝台はどの部屋だ?」

 てきぱきと使用人を仕切り始め、案内される部屋に運んでいく。


 こんなときの頼もしさは兄の右に出るものはない。けれど意識が戻っていないなんて、やはりどこか負傷しているのだろうか。


 気になって側を離れられず、寝台に寝かされたアセスを見守る。整いすぎた容姿は暗闇に青白く浮かび上がっていて、心配で溜まらなかった。


「リンフィーナ。眠っているだけだ」

 サナレスが彼の具合を見てそう言った。

「見たところ外傷はない」

 サナレスの見立てに、臣下もうなづいている。

「はい。ラーディア一族の殿下、どうやら試験会場で呪術の暴発があったらしく、気を失っただけだと医師からは聞いております」

 よかった。

 リンフィーナは胸を撫でおろした。


「あの、他の人は?」

 他に負傷者は出なかったかが気になって、リンフィーナは恐々質問した。

「特に怪我人はなかったと聞いています。ただ……、いえ」

 そういって使用人たちは顔を見合わせて口をつぐんだ。


 サナレスは「あちらで伺おう」と、使用人達に言う。


「目を覚ますまでここに居ていい?」

 話の内容も気に掛かってはいたが、まずは目の前の青年が心配だった。

 サナレスは「ついていてやりなさい」と首肯した。

 

       ※


 気がつくとそこはラーディオヌ邸の自室だった。


「大丈夫?」

 目を覚ました時、そばにいる者は心配そうに自分を覗き込んでいた。


 鈍く痛む頭部に手をやると、その者は即座に「ごめんなさい」を繰り返した。


 月明かりしかない暗い自室で、ぼんやりとそばに居る者の顔が確認できるようになる。

 その者が、以外な人物だと知って、アセスは目を疑った。

 青い双眸、そして銀色の髪の少女、リンフィーナ・アルス・ラーディアである。


 自分の頭部を冷やす布を換えようと、彼女が差し出した手を、アセスは我知らず有無を言わせぬ力で掴んだ。

「何が起こった!?」

 命が狙われた瞬間、アセスは刺されることを覚悟していた。それなのに呪術の暴発が起こり、砕かれた岩石が煙をあげてバラバラと崩れた。


 記憶があったのはそこまでだ。

 自分に向かって、隠し持った短剣を突き付けてくる少年には見覚えがあった。右腕を動かせない状態では避けきれないと悟ったその時、最後に見た情景を思い起こす。

 銀色の長い髪が、視界の隅に入っていた。


「君か?」

 あの暴発をさせたのは、目の前にいるこの少女だ。

 手首を捕まえた状態で、厳しく問い質したものだから、目の前の少女はびくりと肩をすくめた。


「ごめんなさい。ごめんなさい」

 責めているわけではなかったのに、何度となく謝られて、アセスは困惑して腕を話した。


「いつも君だな」

 アセスは吐息をついた。


 かつて星光の神殿でうずくまって泣いていたのは、初めて命を狙われた夜だった。

 あの時会った少女がそこにいる。


 初めて命を狙われ、そして初めてーー。

 ぼんやりする頭でアセスは過去を思い出す。


 なりふり構わず逃げ込んだ、誰も居ないはずの神殿で、急に現れた少女だった。ラーディアの書庫でも同じような事があった。他族の喧騒を逃れ、身を隠したラーディアの書庫で疲れ果てて休んでいたら、この少女が現れた。


 三度目が今日だ。

「ごめんなさい、怪我をさせるつもりなんてなくて」

 謝ってばかりだな、と見つめていた。彼女からはいつも悪意の欠片も感じられない。


 総帥として常に命を狙われる立場であるアセスを、束の間安らかにしてくれる。

 先ほど自分に剣を向け、殺そうとして来た少年の顔は忘れてはいない。


 ラーディオヌ一族の総帥は、同時に一族内の裁判官で死刑執行人である。

 あの少年の兄は、反貴族団体の幹部として捕らえられ、弟の目の前で斬首刑になった。アセスとしては公正な裁きを行なったつもりだ。けれど目の前で兄の死刑執行を見ることになった、弟の気持ちは如何ばかりだったか。あの時の泣き叫ぶ表情と、自分に対して向けて来た憎しみは忘れる事ができない。


 自分はどれほどの柵の元に存在し、どれだけの恨みを買っていることだろう。

「あの……、大丈夫ですか? どこか痛みますか?」

 側にいた少女の双眸が、心配そうに覗き込んでくる。


 アセスは知らず、涙を流していた。


 常に感情を押し殺して来た。それも自ら気がつかないうちに、押し込めてしまっている感情が、どういうわけか彼女の前では無防備に解放される。


「見つけた」

 その言葉は口に出して更に深みを増した。


 久しぶりに自分自身が血の通った人間であったことをアセスは感じていた。

 星光の神殿で彼女に出会った時から、自分は彼女を探し求めていたのだと認めざるを得ない。


 それは自分の居場所で、この居場所を守るためであれば、何を代替えしても構わないと思った。


「どこか痛い?」

 顔を曇らせて、あの時と同じように、何も理解せぬまま問うてくる少女を見て、アセスは微笑む。

「そしてあなたはまた、綺麗なのになぜ泣いているのかと、私に聞くんですか?」


 アセスは穏やかな気持ちで彼女に向き合った。


 ーーその後、サナレスの画策により二人の婚約が成立し、ラーディアとラーディオヌ一族の氏族たちにとって、大陸を沸かすようなニュースになった。


 無論賛否の程は、噂が伝わる速度と共に両論に分かれていった。

 快く思わないものは多い。

 まだ演舞の序章だった。


       ※


 二人の婚約が世間に公表された翌日から、ダイナグラム中はひっくり返ったような騒動だった。


 呪術を生業にするラーディオヌ一族の皇族と、呪術を退けて来たラーディアの一族の皇族が再び縁を持つというのは、二つの一族にとっては受け入れがたいことで、同時にどんな変革が持たらされるのかという不安と期待が入り交じった形で広がっていく。


 サナレスは時代の総帥と言われており、その妹姫がラーディオヌ一族に縁を持つというのは、このままラーディア一族とラーディオヌ一族が和解、融合するのか。また呪術に恵まれない容姿のサナレスが、ラーディオヌ一族の力を利用するのか、など十人十色の噂が衝撃的な推測を伴って広がり、収集がつかない状態である。


 日頃サナレスを面白く思っていない貴族からは、サナレスのことを一族にとって不敬だと言って、次期総帥の器ではなかったという否定的な意見も持ち上がっている。


 早速サナレスはジウスに呼び出されることになり、中央神殿に赴いた。

 こうなることは目に見えていたことだから仕方がない。サナレスは腹を括っていた。


 神殿の廊下を渡る時、何人かの貴族とすれ違ったが、サナレスを見ると会話を止めて押し黙る。

 これほど噂が広まるのが早いとは、貴族というのはよほど暇らしい。サナレスは心の中で舌打ちした。


 サナレスは今、ダイナグラムの貿易のため、五隻の大型船の造船に取り掛かっていた。

 そのために製造を自動で行う仕組みも整えなければならなかった。製造技術において未だに手作業が多いので、効率的ではないと思い悩んでいる最中に、この呼び出しだ。


 また金融の中核を握るのも、王族貴族ではなく商人の中から金銭の貸し借りを行うものが出てきており、これらの制度を組織的に公正なものにしていく必要があり、監査役を官僚の中から選ばなければならなかった。


 国力のために知力を試験する官僚登用制度「タイヨ」を、職人の技を競わせる産業技術採用試験「コウホ」を制度化させた。人材の育成は国の発展に直結するため、二つの試験の委員会には必ず顔を出して人選を行わなければならない。


 忙しい時に、迷惑な話だ。

 予期していたこととは言え、ため息が出た。


 サナレスは王族で、本来そこまで労働する立場にはなかった。


 今から100年前、人の暮らしの貧しさのために戦乱が起こったのだ。神子も関わりながらの隣国で起こった戦争は、実にくだらないことに領土の奪い合いだった。


 先代の王族や貴族が怠けてきたツケで犠牲になったのは、当時若かった自分達だ。こんなことを続けていればラーディア一族の未来はない、と思うようになったサナレスは、すべての改革を行ってきた。

 だから彼は人一倍忙しい。王族で働いているのは、もしかすると自分だけかもしれない、と勘繰るぐらい多忙で、猫の手も借りたい。


 それなのに妹の婚約ひとつでここまで騒動にするなど、本当に貴族の価値観は絵空事でできている、と憤りを隠せなかった。


 貴族や王族が豊かに暮らす影には、民の日々の労働があり、潤沢に奉納が行われているからだというのに、その仕組みも知らないまま、贅沢にあぐらをかいている。


 貴族というのは阿呆が多い、とサナレスは呟いた。


 リンフィーナとアセスが婚約したところで、ラーディア一族とラーディオヌ一族の根深い遺恨は、そう簡単に払拭されるわけもないのに、何を問題視しているというのだろう。


「ジウス様、お呼びでしょうか?」

 謁見の間に入り、サナレスは憮然として呼び掛けた。

 ジウスはサナレスを確認し、わずかに瞳を細めた。


「呼び出された内容には、見当がついていると思うが」

 全く感情が読み取れない言葉は、聞きようによっては辛辣しんらつで、サナレスは更にむすっとする。


 ーーただ、ジウスとサナレスの間には、世間が噂するような、二つの氏族間の今後の関係が問題になっているわけではない。もっと根本的な問題についてだ。


「残酷ではないか」

 ジウスが口にした言葉には憂慮しかなかった。

「おっしゃる意味がわかりかねます」


 父ジウスと二人の時は、サナレスは彼と対等に向かい合った。一族が神と崇めるため、正式な場では儀礼を重んじたが、人ばらいをしてしまうと、真正面から父親を見つめる。常のジウスはそれを咎めることもなく、寧ろ親しみとして受け取っていたが、この日の父は機嫌がいいとは言い難かった。


「私はあの子をお前の妹として育ててくれと言っただけだ」

「約束を違えた事はございません」

 サナレスの堂に入った返答に、ジウスは眉目を寄せた。


「お前には、彼女の出生について明らかにしていたつもりだったが」

「お伺いしています」

「ではなぜ!?」


 非難めいた口調になるジウスは、常の冷静さを取り戻すように、少し黙った。

「お前は、案外、残酷なことをする」

 吐息と共に伝えられた内容に、サナレスは苦笑した。


「残酷と言われたって、構わない。私のことは、なんと言われようとどうでもいいのです。このことで次期総帥でなくなれば、それは願ったり叶ったりなので」

 一度だってラーディアの総帥になりたいと望んだ覚えはない。サナレスの本心である。

 父子二人だけだから言える本音は、剥き出しの言葉で完結だった。


「この問題はラーディア一族でなんとかすることだ。体神であるリンフィーナは、普通ではない。その寿命も、役割も、いつ終えるともしれないというのに、なぜ婚約などする必要がある? ラーディオヌ一族を巻き込むつもりか?」

 ジウスからの言葉を受けて、サナレスはふっと鼻で笑う。


「その罪は誰から来たものですか?」

 そう言った後、ふつふつと怒りが湧き出てくる。


 サナレスは自らの太腿を、硬く握りしめた拳で思い切り叩いた。

 ジウスが指し示す現実を否定したい気持ちが溢れ出し、彼はきつい眼差しでジウスを睨んだ。いつもどこか余裕綽々としている、常のサナレスを知っているものからすれば、剣呑で近寄りがたいくらい荒くれている。


「だからこそですよ、父上」

 言葉に力が入るのを止められない。

 自分としても、望んで他族に妹を嫁がせる決意をしたわけではなかったのだ。

 後始末が面倒になることもわかっていた。


 ーーけれど、今回のことを半ば強引に実行したのには理由があった。

 血の繋がらない妹として、それでも彼女を溺愛し続けたサナレスの頭に引っかかっていたのは、彼女が誰かが誕生させた体神で、その命が自分達と同じように尽きるのではないと知っていたことだ。


 いつ何処でつきるともしれない儚い命。

 そんな小さな命の灯火を、今まで守り続けていたのだ。


 神子と人の子を決定的に分けた能力は、交配ではなく人ひとりを作る能力を得たことに隔てられた。体神というのは、血の通った人の営みによって生まれるのではない。神子の強い思いによって、未練によって、人を誕生させてしまう力だった。


 無論そんな力を持った神子はそうはいないから、体神の存在を知るものも少ない。

 サナレスとてジウスから、リンフィーナの衝撃的な出生を聞くまで、ジウスの隠し子だと思っていたくらいだ。


 腹違いであっても、だだジウスの気の迷いで誕生した、自分の妹であればいいとどれだけ願っていたことか。


 ーーけれど、ジウスがいう信じがたい事が事実であるなら、彼女の命は儚い。


 彼女を育てて、親心が芽生えた。たった一人、目に入れても痛くない存在のリンフィーナが望むもの、すべてを叶えてやりたいと思った。それでなくとも、彼女はラーディアにいて、その銀髪の容姿では肩身が狭く、隠れるようにして過ごしている。


 そんな彼女が呪術に興味を持ち、ラーディオヌ一族総帥に好意を寄せた。

 常にそばで彼女を見守り続けているから、彼女の心情の変化はわずかでも見逃さなかった。


 最初は認めたくないというのが本心だった。


 生誕祭の時にリンフィーナとアセスが一緒にいるところを見て、妹が自分以外の異性に興味を持ったことを知って、まさかと疑った。「兄様以上の人でなければ絶対にいや」と可愛いことを言ってくれていた妹が、他の異性を前に意識を奪われたのだ。


 サナレスは考えた。

 まずは相手を知らなければならない。

 少なくともリンフィーナが興味を示す前から、自分自身がアセスを気にかけていた。要はそれほどの人物だということを確かめなければならない。


 これは偵察だと、ラーディオヌ一族に1年ばかり通い続けた。


 ラーディアとラーディオヌの行き来は、早馬で3刻ほどかかったが、余暇があれば実際会って目で確かめ、やっとのことでラーディオヌ一族の総帥、アセスという男を知った。


 はっきり言って妹の相手としては不合格である。

 世間を知らない。おそらく女というものも知らない。

 剣の腕と呪術の能力は確かだが、遊びのなさは超絶級である。


 こんな男で退屈しないのかと、様々な提案をして取り調べしたが、出てくるのは朴訥ぼくとつさだけだった。

 整った容姿だが、残念な格好。

 また女性の扱いは素人に近く、相手を愉しませることをまるで知らない。


 それでもリンフィーナが彼を見つけ出し、そしてサナレスの興味をも彼に向けさせた。命を張って彼を助けた姿を見て、諦めにも似た思いがサナレスを支配する。


 祝ってやらねばならないと。


 ーーそれに、今後数奇な運命を辿ることを約束された妹には、自分にはない呪術という力が必要だった。サナレスは、自分に呪術の力があれば、彼を彼女の婚約者として求めたかどうかはわからない。


 サナレスは兄として妹を守る力は人並み以上には持っていると自負している。

 けれど呪術という能力の才に恵まれなかったサナレスには、リンフィーナを守るために呪術の力も必要だと感じていたのだ。

 アセスの天道士の力を目の前にした時、リンフィーナの相手として不足はないと算段した。


「残酷ーーですか」

 サナレスは言った。

「確かにそうかもしれません」

 渇いた笑いが漏れた。


 サナレスはアセスを巻き込んだ。リンフィーナの出生を隠し、彼女の命の灯火を見守りながら、彼女を共に護る者としてアセスの強大な術力を借りたかった。

 アセスを利用した。

 残酷と言われても仕方がなかった。


「ーーけれどジウス、貴方も私をここまで巻き込んだ。ーーただ……、私は今まで一度も、この件に関してお恨みしたことはございません」

 それは何故か。

 幼いリンフィーナが、サナレスに向かって手を伸ばした時に、決まっていた。


「それは、好きで巻き込まれている自覚があるからです。勝手都合な解釈かもしれませんが、ーーラーディオヌ一族の総帥もまた、同じなのだと思います」

 ですからラーディオヌ一族に咎められ、ラーディアの次期総帥でなくなろうと、私は一向に構わないと、サナレスは言い張った。


「明日、お前の諮問委員会が開かれる」

 ジウスは、「すまない」と言った。


 これでしばらくは、進めていた運営事業が行えない。

 サナレスは軽く吐息をついた。


 貿易開始に向けての準備は滞り、金融官僚への人選も行えない。諮問委員会中は謹慎となり、外部との接触の一切が断ち切られるのだ。いつまで続くのか、サナレス自身もわからなかった。


「謝っていただくことはございません。これは私が一存で行ったこと。妹への糾弾がないように、お力添えいただきたい」

 サナレスは長期休暇を受け入れた。

「自己肯定感を得るために、呪術を勉強し始めました」

記憶の舞姫⑦;2020年8月14日

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