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記憶の舞姫6「呪術試験」

1日1章アップします。


          ※

 呪術で自らの髪色変更に三度失敗してしまったリンフィーナは、あの日から一年間、本格的に呪術を学び始めていた。


 もう容姿を変えたいとは思わない。

 けれどせめてコンプレックスを強みに変えるために、銀髪の容姿である特性を活かしたいと考えるようになっていた。


 サナレスの紹介でラーディア一族の呪術者を師に持つことに恵まれ、彼女は呪術の級を取得していった。

 呪術は肝心の部分が特殊な文字で書かれているため、呪術言語を覚えると言う初歩的な勉強からになったが、不思議と苦にならなかった。


 サナレスがラァと呼ぶ女性は、ダイナグラムの裏路地に住居を構えていた。

 リンフィーナは神殿に頂いた部屋よりも、むしろそちらに多く通ったくらいだ。最弱レベルからでも、リンフィーナは根気よく続けていた。


 最初に覚えることができたのは、風を作ることだった。

 師であるラァによると、術者には属性があって、属性が強いものを最初に取得するのだという。初めて使えた呪術からすると、リンフィーナは風の属性があるらしい。


 とは言っても、それが出来て何が変わったかと聞かれれば、実際のところ何も出来なかった。


 地道士7級、ーーこれが今の自分の実力だった。


 所詮そよ風ぐらいしか起こすことができない能力では、暑い夜に涼むことぐらいが関の山だ。


 また自分に向けてはうまく力をセーブできないので、他の人を涼ませてやることしかできない。ーーただ人に向かって呪術を行使することは、正式な戦闘でない限り禁止事項に挙げられていたため、結局何もできないというのが実情だ。


 情けない。


 呪術言語も5つの属性によって若干言語が違うので、基本となる言語を覚えた後は、属性別に分類して頭の中を整理しなければならない。千里の道も一歩からとはよく言ったものだ。本当に地味な勉強の積み重ねである。


「兄様は、まだ来ない?」

 呪術の試験は、ラーディオヌ一族の白磁の塔が受験会場で、年に二度開催される。

 半年前に初めて呪術者としての認可を受けてから、もう半年経とうとしていた。


 今日は待ちに待った、地道士6級の試験日だ。

 試験とはいえ、皇女一人で他族に出すことは心配だと、サナレスが同行することになっていたが、政務が終わってからの送り迎えのため、リンフィーナは気が気ではない。試験自体も日没から開催され、間に合うだろうとサナレスが言って、試験慣れしていないリンフィーナは、ソワソワと兄の到着を待っていた。


「試験まで受ける必要がおありになりますの?」

 待っている間中、双見達が横でぶつぶつ言っている。少しでも早く出かけるようにと、一階のロビーで落ち着かないで外を確認していると、二人が集まってきたのだ。


「全くだ。剣の訓練でもした方が、身を守るにはよっぽど有意義だというのに。呪術のような不可思議な力、どこまで信用できるかわかったものじゃない」

「剣術だって、ラーディアの皇女という深窓の姫君には不要だと思いますが、呪術が必要じゃないと言う点につきましては、私も同意見ですわ」

 武芸励行を進めるラディを横目に、タキは先ほどから何度と無くため息をついた。


「サナレス殿下も、いったい妹姫をどう育てる方針でいらっしゃいますのかしら。もうすぐ16歳の誕生日を迎えますのに」

 タキはいつもの調子で、リンフィーナの縁談はいつになるのかと、ぼやいている。


「最近の貴族は、さほど適齢期というものを気にしないらしい。寿命が違うから、そこは急がなくともいいんじゃないか」

 それとなく剣士ラディの方は、兄妹を弁護している。


 王族は100年から2000年、貴族はその半分と言われる寿命は、一部の者が突出して平均を伸ばしているため、実のところ正確ではない。


 貴族や皇族は、ある時を皮切りに突然老いるのである。

 長い寿命をゆったりと全うするのではなく、力がつき始めた頃に老を迎える。ジウスが1000年老いないまま生きていることは、一族内で十分異端視されることだった。


 いつ力尽きて、死を迎えるかもしれないと、心に恐れを持っているラーディア一族の貴族は数多くいる。何もせず、力を温存し、貴族らしい暮らしで贅沢の限りを尽くす者も多い。反面サナレスのように、いつ寿命尽きても後悔がないように、命を燃やす貴族もいる。


 後者は少数だが、リンフィーナはその生き方に賛同している。

 いくら寿命が長くても、生きている実感がなくなって生きるのは、それはそれで辛いはずだ。


 表で馬がかける音がして。リンフィーナは玄関を飛び出した。

「兄様!」

 兄の愛馬トゥリの蹄の音を間違うはずはない。


「遅くなってすまない」

 そう言ったサナレスは、漆黒の愛馬からひらりと降りて、早馬をあやしている。


「忙しいのに、送り迎えなんてしなくていいのに」

 リンフィーナは愛馬を走らせて息急き切ってやって来た様子の兄に、苦言を述べた。


 試験を受けるのはリンフィーナで、待っている間サナレスは手持ち無沙汰になってしまう。ラーディアの時期総帥を足代わりにすること自体、恐れ多いことかもしれない、とリンフィーナは考えてしまう。


 しかも元同族とはいえ、その間には国境がある。

 正式な訪問ではない王族の訪問というのは、どういう扱いになるのか、リンフィーナには仕組みがわからなかった。


「支度はできているな?」

 外に飛び出したリンフィーナの外衣を見て、サナレスはそう言い、同時に彼女に手を差し出した。リンフィーナはすかさず差し伸べられた腕に、手を伸ばす。


「殿下!?」

「姫様!!」

 声高になる双見のことなどお構いなしで、サナレスは片腕でリンフィーナを馬上に引き上げた。馬車を用意していた二人は面食らって立ちすくむ。


「すまないな。今日は時間も押していることだから、二人で行く」

 そう言うとサナレスは、手綱を強く引き、ラーディオヌ一族に向かうベミシロードを疾走した。


       ※

 ラーディオヌ一族の総帥、アセス・アルス・ラーディオヌの、ラーディオヌ邸は、夜の街タロの中心街にあった。


 貴族の館は本来はタロを取り囲むように建設されていたが、総帥が住まう館だけは中核邸と言われ、政治の中心になるものだけが住まう。


 中核邸の離れには、天道士が集会する塔が立ち、ラーディオヌ一族の見張り番としての役割を担っている。


 今日は1年に2度開、呪術の公式試験が開催されるとあって、ラーディオヌ邸の脇を、術師達が通り抜けていった。


 ラーディオヌ一族の公的な呪術試験は、驚くほど厳密な規定があり、大陸全土で呪術を学ぶ者が寄り集まる。


 一切の賄賂や、不正がないことが評価され、呪術に携わる者であれば殆どの者が実力試しに興味を指名した貴族内でも、高位の呪術者を何人抱えているかで、家の位を問うほどだ。この制度を考案した功績は讃えなければならない、と思う。


 アセスにとっても、今晩天道士の階位を得る試験が待っていた。


 呪術はラーディオヌ一族に生まれたアセスにとって、最も身近なものだった。

 人からの依頼で、天候を操る術を行使することもあったし、疫病が流行った折などは、薬師の知識が役に立った。


 ーーただ天道士という、今以上に高位の資格を手に入れることの意味は、今のところお家反映ぐらいしか思いつかなかった。


 代々飛び級は許されない。

 また試験にはそれなりの薬効の知識が必要であったため、貧しい家の出では薬を揃えられず、級を上げることは難しい。


 このような条件の中で、アセスを含めラーディオヌ一族の貴族が、高位の級を取得していくのは当然といえた。


 そろそろ下位の級の者達から、進級試験が開始されて行く時刻だった。


 見学に行こうか。

 ーーアセスにしては珍しく、ふとそんな気持ちが頭をもたげた。


 1年前、ラーディア一族に出向いた頃から、アセスの日常は少しずつ変わろうとしていた。どういうわけかあの日から、アセスの元を頻繁に訪ねてくる者がいて、アセス自身それを快く思っているのだ。


 サナレス・アルス・ラーディア。

 生誕祭以来、何故かラーディア一族の時期総帥に興味を持たれてしまった。

 彼は正式な手順を度外視して、頻繁にこのラーディオヌ邸にやってくるようになっている。


 そして今日、呪術の進級試験を妹が受けるからと言う理由で、一緒に訪問する旨を手紙で知らせてきたのだ。その内容の幼稚さを思い出し、アセスは少し笑ってしまう。


「私はお前を気に入った。だから美人の妹を紹介してやる」

 要約するとそのような内容だった。


 何を考えているのか、と思う。

 ラーディア一族とラーディオヌ一族は、遥かなる太古は一つの氏族だった。それでも一族の繁栄において、大きく方向性を逸してしまい、今は表面上で共存している態をとっているに過ぎない。ラーディオヌ一族の民にとっては、どちらかといえばラーディア一族に迫害されたと言う記憶は、恨み辛みとなって根深く残っている。


 アセス自身はこう言った古い世代の者達の声を聞いていても、ラーディア一族に対して、実のところ何のわだかまりも持っていない。歴史というのは過去の事実であり、そこに感情を紛れ込ますことほど、生産的ではないと割り切っている。


 ーーだからといって、ラーディア一族の次期総帥が、どう言うわけか自分に興味を持って、私的な用事で近づいてくる理由を肯定しているわけではない。


 何を考えているんだか。

 最初の訪問も唐突だった。


「公式な場ではなく、勝負しないか」

 ラーディア一族の時期総帥が訪問したとあって、ラーディオヌ邸の使用人達が何が起こったのかと慌て蓋めく屋敷の中、開口一番サナレスはアセスに剣術の試合を挑んできた。


「いや、見事だった」

 生誕祭の日、目立ちすぎた自分を咎めにきたのかと思いきや、サナレスは人懐っこい笑みを浮かべ、アセスの肩を叩かん勢いで近寄り、褒めそやした。


「18歳にして、いや恐れ入った」

 どうやって剣術を学んだのかを率直に聞かれ、アセスは彼の人柄に面食らった。


「あの時手合わせしたいと思ったが、公的な場では立場上、ーーその難しいだろう? だからこうして内密にやってきたんだが。どうだ、一戦交えてみないか?」


 前触れなくやってきて提案された内容に戸惑いながら、アセスはサナレスという人物を推し量らなければならなかった。


 ラーディア一族のサナレスといえば、大陸広しと言えど、その名を知らない者は少ない。


 今ある文化や発明のほとんどが、大元では彼の考案につながるというぐらいの先駆者で、呪術以外で一族を豊かにする術を見出した大物だ。ラーディア一族の王族という立場から有名になったわけではない。彼の場合は豊かな発想と行動力によってその名を馳せている。


 アルス大陸以外との交流を海路で実現させ、熱もない電気という灯りを供給しただけでも著名人である。彼の功績は、ラーディオヌ一族にさえ変革をもたらしている。


 しかし一方で彼は、神子の一族の時期総帥としては、決定的な資質を欠いていた。

 絶大な能力を誇るジウスの息子ながら、彼の容姿では時代の総帥は務まらないだろう。これがラーディオヌ一族の民の見解だ。


 呪術の才に恵まれなかった金髪のラーディアの時期総帥は、ラーディオヌの民にとって軽視されることも少なくない。また反面で、ラーディアの民や人の子が彼の功績を讃える度に、一族全土に疑問符を投げかけてもくる。


「人の暮らしに、一族の繁栄に、本当に呪術が必要なのか?」ーーと。


 アセスにとっても無視できない存在のサナレスが、彼の方から近づいてきた。

 何の魂胆があってか知らない。

 彼が提案する内容は、いつも実にくだらない。


「若いのに気の毒だな。うさ晴らしに、剣の相手をしてやろうか」

「結構です」

 手合わせして実力を知りたいと言ったかと思うと、数日後にはまた別の提案をする。


「ダイナグラムに来てみないか? なんていうか、お前は見た目はいいが、どうも格好からして古めかしい。もう少し流行を追ってみたらどうだ?」

「結構です」

 心の中で、確かにラーディオヌよりもラーディア一族の方が華やいだ都で、彼らが見に纏う衣装は、機能性に優れ見目にも好ましい。


 不要だと言いながら、少し気になることを言われ、アセスは自分と彼の衣装を見比べてしまう。

 また次の日は、更に王族とも思えない誘いだ。

「ラーディオヌ一族には美女が多いな。一杯飲みに行かないか?」

「結構です」


 こんな様子で、訪問の度に突拍子もない申し出がくる。

 無論、アセスはサナレスからの提案の全てを、眉根を寄せて拒否し続けていた。


 最初の剣の手合わせは、失礼があってはいけないとやんわりと断った。

 次の訪問の折は、ラーディアとラーディオヌで文化交流をしてみたいと言ってきたが、それも丁寧に辞退する。だが更に要求の気軽さはエスカレートし、ラーディオヌ一族の夜の町の探索に付き合え、と言ってくるなど、断り続けてもサナレスの勢いは止まない。


「結構です」

 同じ言葉で断っている声色が、最初の頃と違い少しだけ気安く変化する。

 初回の訪問では国益を損なうかもしれないという、強い柵に囚われていた回答が、最近では「またこの人は」という、親しみを込めた「結構です」に変質している。


 アセスは苦笑した。

 ここ最近で一番無理な要求を突きつけてきた内容を思い出したのだ。


「妹と婚約しないか?」

 そう、この無茶な要求だ。

 流石に即答で「結構です」という言葉が出ず、アセスは絶句した。


「ラーディアの妹姫を、我が一族に嫁がせるおつもりですか?」

「私はお前が気に入った。大切な妹を紹介するというのだから、何も問題はなかろう?」

 あり得ない思考回路だ。


 アセスは嘆息する。ラーディアとラーディオヌ一族の王族同士が婚約するなど、互いの氏族内で猛反対されることは目に見えている。

「あなたという人は……」


 一年近い期間、ラーディオヌ邸にふらっとやってくるようになったサナレスに、おかしなことに親近感を持ってしまったアセスだったが、この提案には面食らった。アセスを訪問した折にも、サナレスが妹自慢をすることは多々あり、彼が妹を目に入れても痛くないほど可愛がっていることは知っている。


 けれどこの縁談は、程度を超えていた。


「私はラーディオヌ一族の総帥なのですよ」

 好きで背負ったわけではない重責を口に出す。その重さは言霊となり、アセスの顔に暗い影を落とした。


「知っている」

 サナレスは、「だからどうした?」とでも言いたげな表情で、「そんなことはどうでもいい」と一笑した。


「そんなことよりも、お前があれを気にいるかどうか。それからあれがお前を気にいるかどうか、ってことが問題だな」

 サナレスは苦笑した。


 そしていつか紹介するから、と言ったそのいつかが、今日だというのだ。


「妹が呪術の進級試験を受けにくるから、その後で紹介したい」

 彼は言った。


 自分がラーディアの皇女と婚約ーー?

 アセスはあまりの可笑しさに、天を仰いだ。


 アセスとて適齢期で、貴族らがアセスに対して相手を見つけようと、縁談話を持ち込んでくる数は少なくはない。15歳で一族の総帥になってから、縁談相手は湧き出る泉のように候補者として上がってくる。けれど他族の娘、ましてラーディアの娘というのは考慮の余地もない。


  サナレスが言うように、気にいるかどうかで縁談をするなど、聞いたことがなかった。

 家柄が合えばそれが縁だと思っているアセスにとって、婚約や結婚自体はさほど重要なことではない。


 気にいるかどうかで選ぶなど、まるで妾をもらうようなものだと、アセスは思った。


 そう言えばフィラ家のタケルも、正妃を貰うと同時に妾を望んだ。華陰楼のレディーラという名妓を身請けした話は、ラーディオヌ一族でも一時噂になっていた。フィラ家のタケルが名妓に入れ上げ、正妃との関係が上手くいっていないという噂は、人々から好奇の的になっている。


 色恋沙汰など自分には無縁のものだと、アセスは思っていた。

 美しい女を見ても、何の感慨も持つことはなかったからだ。


 包み隠さず言ってしまえば、美しい容姿は見飽きている。

 亡き母の美しさに比べれば、全てが見劣りし、母からの遺伝子を濃く受け継いだアセスにとって、整った顔や目を惹く容姿というものは、ありふれた日常だ。美女を見て欲情する男の本能といったものは周囲の環境ゆえに完全に欠落し、女の色香や容姿に、アセスの触手が動くことは皆無である。


 唯一興味を持ったのは、星光の神殿で出会ったラーディア一族の、コンプレックスだらけの少女だった。


 色気もなく、大きな青い瞳が真っ直ぐに自分を捉えてくる。

 自分が泣いていた理由を勝手に自己流に解釈し、「あなたは綺麗だから泣かなくてもいい」と言い張った。


 確か彼女と再会した時も、自分の容姿を変えるために変身呪術の本を探し、コンプレックスを克服しようと破天荒な行動に出ていたことを忘れられない。


 彼女には、初めて会った星光の神殿で泣いている姿を見られ、何となく弱みを握られているような気持ちがあった。


 アセスはばつが悪くて、再会した折に覚えていないふりをしようと、素っ気なく振る舞った。

 ラーディア一族の書庫で再会した瞬間に、幼い頃であったあの少女だと気がついていた。


「再会を祝して」

 最後まで忘れた振りを続けずに、彼女に自分の存在を打ち明けたのは何故だったのだろう。

 今覚えば何の気紛れかと、自らに問いたいぐらいだった。


 サナレスの妹、ーーリンフィーナ・アルス・ラーディア。

 少女が彼の妹であるらしいことに察しがついていた。


 銀色の髪、青い双眸のラーディアの皇女など、そう何人もいるとは思えない。


 多少なりとも意識している自分に、アセスは驚いている。

 それが証拠に、自分はなぜかいそいそと、下位の進級試験を見学に行こうかと支度を整えているのだ。


 ふとサナレスが、自分の格好を見て古臭いと言った言葉が引っ掛かった。

 白い着物に、黒い外衣を羽織り、腰紐で縛っただけの格好が、アセスの常だ。ラーディオヌの民の風潮として、呪術にこそ力を注いでも、王族・貴族でさえさほど格好にこだわらない。献上品として質の良い布地は贈られてくるから、それを同じように身に纏っているだけなのだ。


 縫製の技術が違うのだと、サナレスは言っていた。ラーディア一族には、服のデザインを専門にする職人という仕事もあるらしい。


 いや、自分は何を考えているんだか……?

 アセスは自らの格好を一瞬でも顧みたことを恥じるように、口元に手を当てた。


 誰に会いに行くわけでもなかろうに。

 ティス級天道士の資格試験を受けに行くだけだ。

 そのついでに、サナレスとその妹の様子を覗き見るだけだ。


 着飾るのは好まない。幼い頃から母がアセスの身に付けるもの全てを彼女好みにしたため、母の趣味に従い、身をやつすことが苦痛でしかなかった。


 ゆったりとした外套を羽織り、このまま部屋を出ようとした時だった。


「アセス様、フィラ家のレヴィーラ様がいらっしゃったのですが」

 ラーディオヌ邸の使用人が声をかけてきた。

「いかがいたしましょう?」

 言葉と共に、アセスの執務室の扉は開いた。「何を」と狼狽する使用人を横目に、一人の女性が許可なく部屋に入ってくる。


 彼女は使用人が制止するのを聞かず、アセスの前に立って、婉然と微笑み、膝を折って挨拶した。

「アセス様、お会いしとうございました」


 彼女は肩上で切りそろえられた艶やかな黒髪を、頭を下げるままに揺らして、瞳を伏せた。

「これ勝手に御前に上がってはならぬ」

 高位の貴族であるフィラ家からの訪問者とあって、使用人は強く制することができないまま、彼女をここに連れてきたらしい。


 アセスは内心訝しげに彼女を見ていたが、人よりも極端に表情が乏しいアセスはただ女の前に黙って立っていた。

 白い肩が露出した漆黒の衣装に身をやつし、アセスからの反応がないと知って、彼女は寂しげに笑ったように見えた。


「華陰楼のレヴィーラでございます、突然の訪問、お許しください」

 彼女からの挨拶は、現在の身分であるフィラ家を名乗るものではなかった。養子縁組を結んで一年となるはずの彼女が、公爵家の名を口に出さない理由が、アセスにはわからなかった。


「タケル殿は?」

 ご存知なのか、と聞こうとする前に、レヴィーラは更に悲しげに顔を歪めた。その様子が尋常ではなく、アセスは使用人を人払いする。


「私に何か用があるのか?」

 アセスは問うた。


 彼女の舞を一度見た時から、自分は彼女のことを不思議と忘れることができなかった。

 常に気にしていたわけではなかったが、事実上フィラ家のタケルに養子縁組という形で献上されたこと、その後の浮き名を意識の片隅で把握していた。


「アセス様は私に、ーー何の用もございませんの?」

 1年前よりも女らしくなった白い姿態で立ち上がり、レディーラはアセスに近寄った。大きなこの双眸に心を囚われそうになる。どこか懐かしい思いすらする女だった。


 アセスは黙ったまま彼女を見つめる。

 アセスの頬に女の指がそっと触れた。

「貴方は本当に、私を忘れてしまったのですか? どうして一年前私の舞を受け入れてくださらなかったの?」


 アセスは返答できなかった。

 ラーディアの生誕祭に向かう前夜、彼女の舞に関心を寄せたのは事実だ。その後すぐ、フィラ家のタケルは彼女を所望し、自分はそうした行動に出なかった。

 確かに感情が動くのは感じてはいた。けれどーー。


「なぜ私が、其方を望まなければならない?」


 口について出た言葉は、凍えるほど冷たかった。

 女の表情を凍てつかせるには、十二分に効力がある。


 レヴィーラは、アセスに触れていた指を離した。拒絶された悲しみで、彼女の指が震えている。思い詰めた表情で女はアセスを見つめたが、アセスは彼女から視線を逸らした。


「私はひと目見た時から、貴方が好きで……」

 背を向けたアセスに、女は呟く。こうやって男に取り入ることを生業にする女なのだろうと、アセスはピタリと感情を閉じた。後は沈黙しか残らなかった。


       ※

 突然の訪問者があって、アセスは下位の級の試験に顔を出すことができなかった。


 ティス級天道士への進級試験の会場に、フィラ家のタケルの姿があった。今宵同じ級の試験を受けるのだと、顔を見合わせて始めて知った。


「どちらが先に天道士に昇級するかどうか、楽しみだ」

 挑発的な態度をとるタケルを見ながら、アセスは先程のレヴィーラという彼の愛人のことが気にかかっていた。


 思い詰めた表情で見つめてくる彼女を、態度では完全に拒絶した。

 けれど心では、どこか振り払えない、得も言われぬ感情が拭えなかった。


 一瞬タケルに彼女のことを問うてみようか、という考えが頭をよぎったが、人の私情に口を出す立場でもないと考えを改めた。


 試験時刻も迫っている。アセスはタケルを一瞥したが、黙っていた。

 進級試験については、落ちることはないだろう。


 呪術の試験には飛び級というものがなく、物心ついてからアセスは、勧められるがままに機会があった試験全てを受験した。ティス級というのが今受けられる最高位の資格だが、後二階級上の試験が受けられるなら、望んで早く終わらせてしまいたい。呪術の感覚は天性のもので、ピューズ級地道士の資格を得る頃から、受験して級をあげることを退屈に感じていた。


 多少の雑念が入ってしまうのも、余裕がありすぎるからだ。

 果たしてこのラーディオヌに自分より強力な術力を持つものなど存在するのか。


 上級魔術である精霊使役をやってのけた時から、変わらぬ自信が根底にあった。

 おごりと言われればそれまでだが、アセスは自分に漲る術力に常に気怠さを感じていた。持て余した力は、あまりに強大で、振るうところもない有様だ。


 フィラ家のタケルが自分を敵視しても、彼が身請けした女のこと以外、微塵の興味も持っていない。彼の受験日が今日だと知っていれば、自分は来期に見送っていたのだ。


 アセスは目立つことを好まない。そして要らぬ口を聞くことも、不利益なことだと思っている性分だ。比べられ、不用意に関わり合いになるのは面倒だった。


 会場には多くの人が集まっていたが、寂しいことに天道士の試験を受けたのは、今宵は二人だけらしい。後は全員が見物人だ。


 出題内容は、人外の力の使役だった。


 自らの素質を超えて、他の属性のある精霊を契約し、それを幾重にも行使できるかどうか問われていた。

 アセスがクリスタルドールと異名を持つようになったのは、わずか10歳に満たない頃だ。母親から溺愛されるが、それは望んだ形では無く、気のおけない貴族社会の中で、彼はいつしか感情を閉ざした。


 美しい容姿ゆえか、人外のものに好まれたアセスは、物心つかない頃から、精霊と言葉を交わした。人との会話量より、精霊に話しかける方が多いという奇特な成長をしている。聖霊はアセスに名前を差し出し、アセスは彼らを使役した。


「精霊ジルダーラ。我が僕となり願いを叶えよ」

 使役することが難しい、人で言えば高位の精霊の長も、アセスは呼び出すことができた。アセスの属性は「地」であったが、他の属性の精霊の名を頂き、容易に使役することによって、あらゆる術力に才を見せた。


 進級試験は難なく合格することになる。

「ティス級天道士、一名昇級」

 その言葉とともに、タケルが落ちたことも知ることになった。


 天道士になったのは、アセス一人だ。

 華やかな祝福こそはないが、天道士になることで、右手の甲に六芒星が刻まれる。後は認定の儀式に参加しなければならなかった。


 試験は終えたが、天道士誕生の儀式をひと目見たいという民が残り、アセスはその前で六芒星を彫り込まれる。

 それがラーディオヌ一族総帥のアセスへの認定式とあって、周りのものは感嘆の息を漏らして見つめた。


 六芒星を掘られる間の数分間、アセスは身動きできないまま、右手を預けている。この時間は数分だというのに、多くの見物人の中に、アセスは不穏な気配を感じてしまった。


 明らかな、殺意。それは自分に向かっていた。


 自分以外のものは、儀式に夢中になっていて気付くことはないだろう。けれど剣呑にまとわりついてくる殺意は、紛れもなく自分に向けられているものだ。


 アセスは身構えようとしたが、儀式の最中、右手は自分のものとして動かすことはできなかった。右の肩から上が、人外の力によって固定され、天道士承認の証を刻まれる形で祝福されている。


 想像以上にまずい状況で命を狙われることになった、とアセスは構えることもできずに覚悟する。

 嫌な気配は、見物人の中から飛び出してきた。


 まだ幼さを残した、ラーディオヌの少年である。

 彼は短剣を手にして、一直線にアセスに向かって突進してきた。


 咄嗟の出来事ではあったが、予期していたアセスには、少年の行動が静止画のように近づいてきた。儀式の最中でなければ、無論造作もなく避けることができたアセスは、刺されることを覚悟した。せめて致命傷を避けなければと、動く方の左腕で、心臓と首をガードする。


「だめ!」

 瞬間、アセスと少年の間に上から下へと突き上げる風圧がかかり、少年は短剣を手放した。

 風圧の凄さに、儀式の最中ではあったが、一瞬体が持ち上がり、アセスは少年もろとも壁側に打ち付けられた。

 不覚にも打ちどころが悪かったのか脳震盪を起こしたアセスは、硬い床にずるずると意識を失った。

「自己肯定感を得るために、呪術を勉強し始めました」

記憶の舞姫⑥:2020年8月13日

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