表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/22

記憶の舞姫5「コロッセオでの演舞」

一日一章アップしていきます。

感想いただけると励みになります。

よろしくお願いします。

       ※


 100年と少し前、イドゥス大陸から嫁いできた第三皇妃セドリーズの腹を借りて、サナレスが生まれた。


 サナレス・アルス・ラーディアこそがラーディオヌ一族の次期総帥だと、一族から認められるようになった背景には、ラーディア一族の近衛兵の存在が大きい。


 近衛兵は本来、神殿を警護する王族直属の護衛だが、サナレスがその兵を率いるようになって意味合いが変わった。剣技のみならず、腕力や戦闘能力が高く、警護という仕事は見事にこなす。


 ただし別名、流れ組だとか、ならず組だとか呼ばれるこの部隊は、名前の通り傭兵の寄せ集めで結成され、王族直属の兵として気品のかけらも見られなかった。王族から支給された黒い軍服を纏っていても、遠目には柄の悪い輩にしか見えない。


 貴族制度をやぶ睨み、金銭さえ稼げれば文句を言わない手練ればかりが集まったのには、そもそもの理由があった。


 サナレスがその部隊への入隊条件を、「自分より腕が立つもの」と謳ったからだ。


 一つ、部隊長の自分から一本撮ることができた者。

 二つ、王族、貴族制度に囚われない者。

 三つ、仲間だけは大切に思える者。

 その条件を満たせば部隊に入ることを許し、高額の給金を支払うと約束した。

 無論ラーディア一族の者、人間、他族のものなど、素性を問わない。

 この突飛な広報文句にどれだけの貧しい人が群がり、一旗上げてやろうと思ったかしれない。


 サナレスの見た目は、屈強な男達からすれば見るからに筋肉隆々といった体格では無く、容姿や立ち振る舞いからしておよそ軍人には見えず、雅である。


 一見するとサナレスは、身分ばかりが高い優男という印象があって、挑戦者は彼に敗れるわけがないと鷹をくくり、挑戦者が次から次へと後を絶たなかった。


 伝令を広めた当初は、貴族内でサナレスに下された評価は、王位継承権第三位の身分でありながら残念なうつけ者、といったものだった。


 コロッセオは遥か昔に建築され、あまり使用されることなく廃屋となりつつあったが、戦乱の時代エヴァを経験したサナレスはコロッセオを活用し、人が変わったように武芸の励行を推奨した。


 噂では戦乱の時代に恋人を失ったのだとか、また旧友を失ったのだとか、色々と囁かれたが、サナレスの政策はラーディア一族の兵を鍛え直すところから始まった。


 ーーそしてサナレスは、伝令で公約した一つ目の内容「部隊長の自分から一本撮ることができた者」という条件を、誰にも突破させなかった。


 どんな手練れが来ても、百戦錬磨の武将が相手でも、未だかつてサナレスから武芸で一本撮ったものはいないという記録が更新されていく。


 サナレスの圧倒的な強さに憧れたならず者達は、彼にだけは服従する。まるで弱肉強食の世界が確立したかのように、サナレスは「流れ組」の総長として、頂点に君臨し続けたのだ。


 近衛兵の武力は、今では近隣諸国であらゆる揉め事の抑止力となっている。おかげで近年戦争というものは鳴りを潜め、平和を保ち、ゆえに積極的な貿易が行われて、ラーディア一族を含めた近隣諸国は潤っていた。


 またサナレスは、武力だけではない方面で、一族の文化を改革していった。

 こちらも取り掛かった最初の段階では変人の烙印を押されるだけだったが、彼の研究は人々の暮らしを豊かにすることに直結した。張り巡らされた水路を利用し、電力源を開発すると、次第にサナレスは人々からの存亡の眼差しを得ることになった。


 いつしかラーディア一族の総帥は、第三公妃の息子である、サナレス・アルス・ラーディアを置いて他にはいないと言われるようになる。


 けれど当の本人は、一族の総帥の座に無関心だった。

 新しく、見たこともないような物や場所に興味関心を持ち、同じ暮らすのであれば便利であった方がいいと、改革をしてきたに過ぎない。本来物事を追求するタイプで、また極端に合理的で頭が切れる彼の行動全ては、理に叶っている。


 ただ自分の利便性を追求した結果、次期総帥候補として目を付けられたのは余計な追加事項だった。サナレスにとっては嬉べたものではない。


 腹違いの兄弟にあたる四人の王子の性格や資質を頭に思い浮かべると、ラーディア一族の未来の行末を案じるぐらいの愛郷心は持っている、と言うだけだ。


 自分ほど王族の皇子らしからぬ気質の持ち主もいないだろうと自覚しているが、今となってはリンフィーナの成長を見守ることが最優先事項である。


 妹ができるまで、退屈しのぎに文明開化というものをやって過ごしてきた。


 妹ができてからは、この世の中をもっと便利で住みやすくしたいと思っている。


 コロッセオの近衛兵が座る場所に座して、サナレスは漫然と繰り替えされる演目を眺めていた。


 年に一度、生誕祭での夕刻の部の開催は、サナレスが主催している。 

 兵士たちの日頃の鍛錬の実力を試す目的で計画され、優勝者には褒美を与えた。


 ただサナレスにとってはもはや恒例行事となり、娯楽として見物しても、さほど面白いと思えなくなっている。あくびを噛み締める。


 ひとつだけ興味があるとすれば、ラーディオヌ一族の若き総帥の出番ぐらいだ。

 彼がこの場に参じるというから、少しだけ楽しみに待つことができた。


 噂には名高い彼に対して、正直なところサナレスは兼ねてから同情めいた気持ちを持っていた。


 三年前の生誕祭だったと記憶している。

 ラーディオヌ一族現総帥、アセス・アルス・ラーディオヌ。

 彼が15歳で生誕祭を祝われるその日に、確かラーディオヌ一族は幼いアセスを総帥に立てたことをアルス大陸中に伝令を持って公表した。


 自分自身がラーディア一族の総帥候補として名前が上がってしまうだけでもサナレスにとっては面倒で、気の晴れたものでは無いというのに、アセス少年は僅か15歳で一族の総帥に祭り上げられたのだ。


 ご愁傷さま。

 気の毒だと、心底思う。


 総帥なんて、最低の地位である。

 父ジウスを見ていて、サナレスは思っていた。


 まるでこの一族に根を生やした樹木のように、長い時間その土地を動くこともできず、一族の繁栄を願いながら、限られた場所だけを行き来して過ごしている。神格化されているから羽目を外すこともなく、常に神官達に付き従われて過ごす日々は、自分にとっては耐えがたい暮らしぶりだ。


 単なる人々にとって存在していて欲しいと望む、「神」という特別に名付けられた象徴なのだ。


 それをアセス・アルス・ラーディオヌという少年はその年だ。気の毒なことに、外の世界もほとんど知ることもなく、たった15歳でその地位についてしまった。


 お祝いどころか、お悔やみ申し上げたいところだった。

 少年の身を自分に置き換えて哀れみ、いたわりの気持ちからアセスという1人の少年の成長を見守っていた。


 18歳になった彼はどんなふうになっていることだろう。

 演目が進むが、なかなか彼の番にはならないようで、退屈そうにサナレスは何度目かの欠伸を噛み殺していた。


 ところが視界の端に、なぜか妹リンフィーナの姿が入り、サナレスは今一度目を擦った。

 剣闘士達が出入りする辺りの、東側の入り口付近に、遠目にだが確かにリンフィーナの姿が見える。しかも一人ではない様子である。


 眠いと言っていたのに、やはり見物しようと気が変わったのだろうか?

 目を凝らすと、一緒にいる人物にも見覚えがあった。

 まさかと目を疑って、さらに何度か目を擦り、望遠鏡を取り出して確認する。


 今度ははっきりとリンフィーナと一緒にいるその者の顔を確認し、サナレスは愕然として勢いよく立ち上がった。


「殿下!?」

 競技中に席を立った自分に驚き、臣下がうろたえる。


 サナレスがすぐにでも走り出しそうに見えたのだろう。


 夜の演目はサナレスが最高責任者である。彼に席を外されては、宴が台無しだと心配したのだろう。

 だが臣下以上に、サナレスが狼狽した。


「リンフィーナ、あいつ何をやってるんだ」

 一緒にいる少年、いや少年と言うには随分と成長したあの者は、サナレスが今か今かと演目を楽しみに待っていたラーディオヌ一族の総帥本人じゃないか。


 どうして二人が一緒にいるのか?

 その取り合わせに混乱したサナレスは、立ち上がったまま見守った。


 二人は何かを話していたがやがて別れた。

 リンフィーナは広いコロッセオの中をうろうろと動いている。


 いくら神殿内とはいえ、姫君一人で無防備すぎる!

 しかもいる場所が悪い!!


 サナレスがいる近衛兵と貴族の観覧席から遠いと言うことは、それだけろくでもない輩がいる可能性が高いのだ。


 臣下の反応に抑止され、半腰で席に着いたままの姿勢になって、サナレスは望遠鏡で妹の姿を目で追っていく。

 グラス越しに見えるリンフィーナは、相変わらずどっちに行けばいいのか迷っているようだった。


 神殿内に連れてきたことは数えるほどしかなかったため、右も左もわからなくなっているらしい。

「ラディ! ーーここへ」

 リンフィーナの側仕えの一人、ラディがサナレスに同行しており、サナレスは彼女を側に呼んだ。


 ラディは元々サナレスの近衛兵に志願してきた者だった。女性でありながら剣士だった彼女を一時は近衛兵として迎え入れたが、その後サナレスがリンフィーナの側仕えに召し上げた。

 元々が近衛兵の一員である彼女は、コロッセオの行事には積極的に関わりたいと思い、運営を手伝っている。


 サナレスはラディに耳打ちして事情を話す。ラディはそれを聞くとギョッとした様子で、側を離れた。


 狼の群れの中に子羊が一匹迷い込んでいる!!


 サナレスとラディの心配は以心伝心し、その場を離れることができないサナレスの代わりに彼女は走った。


 早く合流してくれ、と心の中で願いながらいると、会場が人の声で大きく波打った。


 途端に会場内の観覧席にいる者が歓声を上げ、中には興奮して立ち上がっている者もいる。

 ひどいざわめきの中、サナレスは人混みの中に、ラディとリンフィーナを見失ってしまう。それでなくとも満席に近い状態のコロッセオでは、目で追う方が大変なのだ。


 しまった!

 舌打ちするがもう遅い。


 先程までさほどの盛り上がりを見せなかったコロッセオに何が起こったと言うのか。

 サナレスは見せ物として戦いを行う場である、アリーナを見下ろした。


 そこにはアセス・アルス・ラーディオヌが居た。

 あいつ……。

 あっちも迷子かよと頭を抱える。


 まだラーディアの兵が扮する剣闘士同士の争いの最中だった。

 来賓として招いたはずのラーディオヌ一族の総帥が、どうしてアリーナなんかに出てきているんだ!?


 サナレスの驚きは勿論、観客にとっても同様で、だからこそ歓喜の声が上がっているのだ。


「今の演目は何だ!?」

 サナレスが脇に立つ臣下に問う。


「交流試合です」

 サナレスは唖然とする。


 ラーディオヌ一族との交流試合は、試合という名のかなり際どいところまで決着をつける。相手が参ったというまで続けて、力と力を競い合う。今日は祭りの席とあって、屈強な兵士たちが酒を飲んで参加している。演目としてはかなり危うい。


 どうしてそんな場に出てきてしまうのか……。

 子羊2匹目!!

 サナレスは青ざめた。


 ラーディオヌ一族の総帥は国賓として招き、祝いの演舞を見せてもらうことを依頼していたはずだ。

 演舞でいいんだよーー。


「あいつ……大怪我するぞ」

 万が一、ラーディオヌ一族総帥に何かあったら、国際問題に発展しかねない。

 何をやっているんだか。


 止めなければ、と命令を出そうとしたその時、アセスにラーディアの近衛兵の一人が斬りかかり、周囲からまた大きな歓声が上がった。


 見ればラーディア一族の民が近衛兵を応援し、ラーディオヌ一族の訪問者は、アセスに声援を送っている。完全に二つの氏族は観客になって、この成り行きを楽しんでいるようだ。


 ラーディア一族の近衛兵の名前は、確かタルダスだったかな。


 近衛兵の中でも体格がよく、強烈なパワーの持ち主である。一方の総帥アセスは、確かに少年とは呼べなくはなっているが、あまりに華奢で、遠目には女人に見えるほどだ。


 タルダスの大剣がアセスに振り下ろされ、一瞬よくない最悪の事態を想定して眉根を寄せたサナレスだが、アセスはその攻撃を鼻先でひらりとかわした。次の攻撃も、そしてその次の攻めにも、アセスはすんでの所で身を翻す。


「ーーほう……」

 静止しようとした右手を、サナレスは上げなかった。

 観覧席が賑わうはずだ。


 面白い!

 心の中で手を打ってしまう。


 もう少しこの様子を見てやろうという、悪趣味な好奇心が頭をもたげ、サナレスは腕を組んだ。


 パワーの差は圧倒的で、スピードは近差といったところだろうか。

 そんなふうに分析したサナレスだったが、即座に見誤ったことを知ることになる。


 今まで大剣が繰り出す攻撃を一方的に受け、躱す(かわす)だけがやっとに見えていたアセスの動きが、次第に変わってくる。


「これはあの細っこいのにとって何戦目だ!?」

 アセスの動きが気になった。

「2戦目です、殿下。一人目はその……、本当に一瞬で何が起こったのかわからないうちに勝負がついてしまいまして」


「誰が相手だ?」

「うちの近衛兵ではありませんが、ラーディアの兵士です。確か門兵の一人だったかと思いますが」

 ふうん、とサナレスは鼻を鳴らした。


 門兵といえど、ラーディア一族の兵はサナレスが組み立てた訓練を受けて鍛えるようにしている。それを一瞬で倒すとは、なかなか見かけに依らず、感がいい。


 アセスは間合いを図り、相手の動きをよく読んでいた。

 じっくりと見ていると最初近差に見えたスピードも、実際そうではないことが分かってきた。


 アセスはしばらく、ギリギリで攻防を避けてはいたが、どのタイミングで動けばいいのかを見定めるため、動くタイミングを計っているようだ。避けようと思えば、余裕で躱すことができても、あえてギリギリで動いている。


 サナレスがその太々しさに気づいた時、アセスは違う動きをし始めた。


「あいつ……」

 タルダスの攻撃の合間、合間に、アセスは演舞を入れ始めたのだ。


 重い剣が振り下ろされ、次の攻撃に転じる前に、アセスはくるりと回って片足で立ち、バランスを保って剣技を披露する。美しい剣の型を見せるために、動作の一つひとつを滑らかに、誇張して見せる。それは舞を舞っているかのように、軽やかで優雅だ。


 サナレスは一瞬言葉を失い、少しして肩を揺すって笑い始めた。


 それは楽しそうに笑ってしまったので、臣下が「殿下?」と声を掛けてくる。


 あいつ、舐めてやがる!

 驚きが笑いに変わるなんて、ここ数年、いや数十年なかったことだ。


 裏切られた。見事に想像の範疇を超えてくれる。


 腹の底から興味がつきだしてきた。

 面白すぎて、久々に心から愉しめた。


 だが自分の部下である近衛兵の一人があまり馬鹿にされるのを面白がっているというのは、いかがなものか。立場上、不誠実だ。そう思いながらも、久し振りに得た刺激を糧に、サナレスはくくくっと声をあげ、喜ぶのを隠せない。


 三年前、ラーディオヌの総帥として一人の少年がこの神殿を訪ねてから、珍しくサナレスに関心を向ける対象ができた。

 その少年が成長し、今自分の前に姿を現してる。


 あいつは同志。

 単にラーディオヌ一族総帥の座を押しつけられた男ではない。

 そんな器だ。


 もっとよく見たいと思い、望遠鏡を使って彼を見る。


 アセスの表情は無表情だったか、「二人目」と呟いたのを、サナレスは読唇術で読み取った。言葉通り、彼の細腕に握られた剣が、下からしなる程の速さで突き上げられたかと思うと、タルダスの喉元でピタリと止まる。


 ラーディオヌ一族からの歓声が上がった。

 「参りました」とタルダスが悔しそうに声をあげた。


 コロッセオに興奮の熱が昇り、サナレスですら目を離せなくなる。

 総帥アセスは、相手をする者の人数をカウントしながら、容赦なく相手を負かしていった。致命傷を負わせないのは、アセスと他の兵士の実力差があり過ぎるからだろう。


 つまり、近衛兵を含めラーディアの兵士全ては、彼に手加減されているということになる。

 楽しい! 

 あいつは面白い!!

 サナレスが笑いを噛み殺している横で、臣下の一人は悔しさに歯がみしていた。


「殿下! 私も参加させていただいてよろしいでしょうか?」

 瞳の奥に剣呑な光が宿っている。

「ーーギロダイ、か」

 サナレスは鼻息の荒い姿の彼を見て、少し考えてみる。


「お前は私の側近。副長であるお前が敗北するということはあってはならないと判って言っているのか?」

「殿下!心外です。私があんなひ弱そうなのに敗れると!?」

 聞き捨てならないと、さらに怒気を帯びている。


 長身のサナレスよりも更に頭ひとつ大きい彼は、近衛兵の中でサナレスの右腕となっている。

 人間の滅びた国のかつての王。彼の肩書が背負うものは大きい。


 赤髪で巨体。

 人の上に立つ者であったオーラは、サナレスの臣下になった今も失われることなく豪傑だ。その彼が、流れ組の仲間達がもて遊ばれるように倒されていくのを見て我慢ならない様子で、握る拳に力が入っている。


「本当にお前が表に出るという、ーー意味が判っているのかな?」


 君主であった過去を持っている彼は、実際のところ承知しているはずだった。右腕となる彼が、遊戯の場といえどラーディオヌ一族に倒されたとあったならば、サナレスが直々に出て、事態を収束しなければならない。


 そこまで行けば、遊びじゃ済まない。

 ラーディアとラーディオヌのどちらに軍牌が上がるのかといった勝敗を分けてしまう。若いとはいえ、アリーナにいる青年は紛れもなくラーディオヌ一族の総帥で、サナレスは時期ラーディアの総帥として名高い。


 ましてアセスはラーディオヌの国力となる呪術のいっさいを使っていない。

 ラーディア一族のコロッセオという場に居合わせ、剣術で挑んできている。ラーディア一族の近衛兵率いる、ギロダイを負かしたとなれば、ラーディア一族は国力を問われかねない。


「判っていて言っているのなら、止めはしない」

「有り難きお言葉!」

 ギロダイは敬礼し、流れ組のところへ掛けて行った。


 残されたサナレスは決意した。

 いざとなったら、自分も出ざるを得ない状況になるだろう。

 しかし、ーーそれも一興。


 ギロダイと同じような血気盛んな戦闘心を、サナレス自身も持っている。手合わせすると楽しそうだという、強烈な誘惑がサナレスの思考を占めていく。

 手合わせしてみたいのは、私も同じ。


 だがこの娯楽に全身で興じるには、心配事の種がまだ残っていた。


 ラディが未だ戻って来ない。

 リンフィーナの双見(養育係)である彼女がリンフィーナの無事を確かめるまで、意識の全てを目の前の試合には向けられなかった。


 10人目。

 総帥アセスが数えるまでもなく、観覧者達がその数を数え始めていた。


 周囲を巻き込む、この空気の誘導力は素晴らしい、と絶賛したいくらいだ。


 圧倒的にラーディア一族が優位な神殿内のコロッセオにおいて、ラーディオヌ一族の力を示してくる。生誕祭に祝いの演舞を見せて欲しいと儀礼的に出した伝令に対しての応答、ーーいや、報復といったわけか。


 要所要所に演舞を入れて、人に感嘆のため息をつかせる以上、伝令を無視したとはいい難い。それなのに総帥アセスは、自らの力を、秘めたるラーディオヌ一族の力を誇示してくるのだ。


 コロッセオが盛り上がったのは久方ぶりで、ラーディア一族の民でさえ、息を呑んで楽しんでいる。

 若いけれど侮れない総帥だ、とサナレスも認識せざるを得ない。


 戦闘力で言えば、ギロダイの右に出る者などいない。

 ギロダイはかつての王国で三千人将として現場に出て、軍を率いた。サナレスとて彼を組み敷くには、血反吐を吐く努力がいった。百年生きてこその知力が、彼との攻防では役に立った部分も多い。


 よしんば彼に総帥アセスが勝利するようなことがあるなら、これは本気にならざるを得ない。


「兄様!」

 リンフィーナの声が聞こえた。


 サナレスは、「ああ、そろった」とぼそっと呟く。


 15年前、ジウスから預かった命である妹の養育をはじめてから、全ては彼女のためと思い、築いてきたことが多い。


 彼女の無事を確認できたなら、後は自分で算段ができた。

 これで存分にアリーナに出現した対戦相手と一線交えても構わないと、解き放たれた気分になる。


「リンフィーナ、お前どこにいた?」

「ごめんなさい、兄様」

 リンフィーナは全てを話してきた。


 そしてその口で、「私が勝手に間違った所に案内してしまったから、だからアセス殿をこれ以上戦わせないで」とラーディオヌの青年を庇ってくれと頼んできた。


 ぷちっ。

 どこかで感情の糸が切れる音がした。


 あいつは、ラーディア一族を今、もてあそんで楽しんでいるのだけれど。

 あいつと戦うなというのか!?


 手合わせは、あんなに楽しそうなのにーー!!

 サナレスは心の中で絶叫していた。


 初めて妹が興味を持った相手、それが何の偶然か自分と一致していて、喜ばないわけではない。

 さすが兄妹!! 

 目の付け所が同じかと、内心、呆れるぐらいだ。


 今ラーディア一族の兵に煮湯を飲ませようとしているアセスという若造が、妹リンフィーナが初めて興味を持った人物だと知って、彼への関心は乗算で膨れ上がる。


 ラーディオヌ一族の総帥、ーーアセス・アルス・ラーディオヌ、その名と存在を胸に刻む。

 アリーナではギロダイとアセスが、民衆の注目を集めていた。


 二人の剣のぶつかり合う音が響き、緊迫感から会場に居る人々は固唾を呑んでいる。


 流石のアセスもギロダイ相手には多少力で押し負けている風があり、一定の呼吸を保てなくなってきているようだった。


 手合わせしてみたい、という強烈な欲求が持ち上がったが、冷静に考えれば彼はあの細腕で何人を相手にしてきたのか。とうの昔に限界が来ているようにも思えた。

 リンフィーナが側に戻った事を確認し、決着が着く前にサナレスは手を上げて二人を静止した。


「見事だった!」

 このまま力関係を見続けたい気持ちにケリをつけ、サナレスは立ち上がる。


「ここまでとしよう」

 サナレスは命令した。

「素晴らしい、ーー実に魅了される演舞であった」


 サナレスが拍手すると、会場からも盛大な拍手が上がった。

 アセスに対して敬意を払いながら、これはあくまで演舞の延長であったかのように、周囲の空気を圧倒する。ラーディオヌ一族から不満の声が上がりそうになったが、それを制止する圧を放って、総帥アセスも右腕をあげた。


 二人が見合って言葉を交わす姿に、民衆は沈黙する。

 アセスが言った。


「今宵は生誕祭。ラーディオヌの祝い演舞が、ラーディアの民を祝福しますように」

「感謝する。イル・サ・ラーディオヌ」


 サナレスは初めて、ラーディオヌ一族の総帥アセスと面と向かった。その真っ直ぐな眼差しで見つめ返され、意識せずサナレスは妹の肩を抱き寄せた。


        ※

 

 生誕祭のその日、同時刻、華陰楼のレヴィーラの見受け先が決まったことに、一座は喜んでいた。


 ラーディオヌ一族総帥のアセスがラーディアでの親交を結ぶ宴の舞で、その好機は訪れた。

 貴族に名妓が召抱えられれば、華蔭楼はその親族となり安泰である。


「レヴィーラ、お前はいつかはやってくれると信じていたぞ!」

 一座を引き入る団長は、舞姫レヴィーラの横で歓喜している。

「フィラ家といえば、一族内では名門中の名門! この縁組本当によくやった!」

 宴会は油の乗った量の多いご馳走が出て、レヴィーラは無感情にそれらを見つめた。


 望んだ縁ではない。

 レヴィーラはイライラと一座を無視した。


 この一座に拾われて5年になる。

 記憶をなくしたレヴィーラは、ラーディオヌ一族の離れで、華蔭楼という一座に出会った。

 漆黒の髪、そして大きな切れ長の漆黒の瞳。恵まれたラーディオヌ一族の容姿だった自分は、記憶もなく立ち尽くしていた。


 なぜ自分が何も覚えておらず、ラーディオヌとラーディア一族を繋ぐベミシロードで行き倒れていたのか、どうやっても思い出せなかった。


 そもそもが、あまり人の暮らしというか、拾ってくれた者達の生活習慣に馴染んでいないことは、一座に拾われてから思い知ることになった。


 彼らの食事は口に合わなかったし、不衛生な環境も受け付けなかった。

 いつもそっぽを向いて右頬を手首で支え、窓の外をのぞいていた。


 けれど自分を拾った一座は自分の容姿から勝手に推測し、ラーディオヌ一族の貴族がどういうわけか記憶を失って行き倒れていたのだと、一族内で自分の出生を聞き回ってくれた。


 ところがどの王族・貴族も、自分のような迷い子に当てが無く、自分を保護したことで貴族からの褒章を期待した

一座は、落胆した。


「貴族でも何でもないのなら、タダ飯をいつまでも食わせるわけにはいかないね」

 全てのラーディオヌ一族の貴族が、自分を知らないと確信した一座から言い渡されたのは、自分で自分の食いぶちを稼ぐ責務だった。


 右の頬を、窓辺で手でつい立てながら、レヴィーラは望まなかった人生を受け入れる。


 綺麗な環境で暮らそうと思えば、そして常に清潔な衣装を身につけ、食べたいものを食べようとすれば、必要になるのは金銭なのだ。

 金銭を稼ぐ術は、人によって千差万別。


 それを知った。


 物心つくか、つかないかのうちに、自分の持っているもので金銭に代えられるものは、自分の容姿しか思い付かなかった。ラーディオヌ一族内でも類まれな整った容姿は、芸を身につけることで金銭を生み出すことを一座から学んだ。


 華影楼のレヴィーラ。その名前を売り込むまでに、ついた傷は計り知れない。


 初潮を迎えるか、迎えないかの年頃になると、お屋敷の貴族の相手に望まれることがあった。舞という芸を披露するために出向いたその後の席で、無理やり夜伽の相手にされることもあった。


 性的交渉というものが、レヴィーラにとってはよくわからない。望まれるまま体を預けるが、相手の興奮ほどに感情は動かなかった。ただ相手が興奮するままに扱われると、次の日に腰に痛みが残り、舞を舞う毎に痛みが走った。


 それは誰が相手になっても変わることはなかった。


 一座にいる女子が、ある時レヴィーラに言った。

「あんな気持ちの悪いおじさんの相手をして平気? 私はもっとほら……」

 どこどこの誰がいいとか、何家の誰がいいとか、妓楼の女達はそんなふうに相手を選んでいたらしい。


 セックスをするだけの相手の何が違うというのか、レヴィーラにはわからない。

「若い人の方が、しんどいでしょう?」

 回数が多くてと本心を言ったのに、周りの空気から馬鹿にされていることを悟った。


 そんなものではないらしい。

 身売りする女であっても、相手を選ぶ権利がある。


 だったら私は、ラーディオヌ一族の総帥、アセスというその人に身請けされたい!


 彼女たちが夢見るように、特別な人との出会いがあれば、自分も変わることができるのだろうか。

 常々、そう思っていた。


「おめでとう、レヴィーラ」

 何が変わったのかわからないが、称賛と羨望の瞳で女達から持ち上げられる。

「フィラ家のタケル様と言ったら、本当にもう、羨ましいったら」


 違っていた。

 自分が恋焦がれて望んだ、漆黒の美しい総帥さま、彼とは違う。


 養女縁組が決まった自分は、つまりフィラ家のタケルの妾になることが決まったというだけだ。それなのに女達は羨ましいといい、一座の長はよくやったと褒めそやす。


 違うのだ。

 漆黒の艶やかな黒髪、そして濡れた黒曜石の君とは違う。

 どこの誰とも知らない人の妾だ。


 軽く絶望した。

 

 フィラ家のタケル?

 レヴィーラは、その見受け人は誰だ、と首を傾げいていた。

 少なくとも自分が一瞬でも興味を寄せた、アルス家の総帥、アセス・アルス・ラーディオヌその人ではないらしい。


 見ず知らずの、望んだ人でもない人に嫁ぐというのが、それほど羨ましく、めでたい事なのだろうか、と理解できない。豪華な衣装が届けられ、一座に対しては多額の金銭も渡されることになった。自分は金銭で、売買されたに違いない。


 誕生祭の前夜祭で、一族の総帥のために舞った演目が、他の貴族に気に入られて今に至る。

 どうせならば、一族の総帥アセスのために舞ったのだから、妾でもいい。彼の、妾にでもなれれば本望だったというのに。あり得ない事を思っても、虚しかった。


 自分が興味を持つほどに、クリスタルドールの異名を持つあの青年は、自分を気にすることは全くなかったということだ。


 フィラ家のタケルなんて男は知らない。

 養子縁組が祝われている今ですら、顔も思い出さない相手だった。

 それなのに明日自分は身請けされることになる。


 祝いのために設けられた席に盛られた食べ物に、手を伸ばす気分ではなかった。

 不思議なことにラーディオヌ一族総帥、アセス・アルス・ラーディオヌの顔が思い浮かぶ。


 たった一つの希望はあった。

 貴族の妾になれば、また彼に、会う機会もあるのだろうか。


 感情を表さない切れ長な目で、自分の舞を鑑賞していた青年は、どこか物憂げで寂しげに見えた。少しでも自分が持つ芸で、彼の心を慰められたらいいと思って、誠心誠意の限りを尽くした。

 望まれなかった現実を噛み締め、レヴィーラは感傷に浸っていた。


 相手はラーディオヌの総帥で、自分とは身分差もあり、天の上の存在だった。選ばれるなどあり得ないことだった。


 レヴィーラは長い睫毛を伏せる。

 一座の中で、ずっと一人で生きてきた。

 それなのに今宵言い知れぬ孤独感が彼女を襲った。

「自己肯定感を得るために、呪術を勉強し始めました」

記憶の舞姫⑤;2020年8月12日

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ