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ノベル・フォー・エアポート

作者: まねはな

重たいキャリーバッグを預けた。花模女(かもめ)の手元にはカーディガンとiPad、文庫本などが入った軽いリュックだけが残った。身が軽くなった分、出国日特有の緊張感もだいぶ解消された。

それにしてもだ。その航空便が成田第2ターミナルにあるのを知らずに予約したのはさすがに大間違いだった。いくら中小航空社カウンターばかりだとはいえ、それらを東京駅新幹線切符売り場並みの広さの場所に詰め込んでしまう蛮行。平日だと広いし人も少ない第1とは真逆の、狭くて人口密度もはるかに高い、休める場すら無色無臭の四角いソファーが3~4個並んでいるだけの―しかも人多すぎて座れない―、もう区役所よりも凝ってない乾いたスケープデザイン。そこはいい。花模女は出国前、マックを食べたかった。彼女は自分が予約した便のターミナルが違っているのを知った時、自分が抱えてたその思いが意外と強かったことを悟った。第1ターミナル東棟と西棟の間にある商店街、海外スケジュールに行く際、常にマネージャーの手に惹かれて高そうな和定食を食わされる度、その道筋にある小さいマックに花模女は何かしらの憧れを覚えていた。マネジメント契約が終わった現在、やっと自由に飛び立って、自分の食いもん食いたいと思ったら、予約ミスーミスではないが―なんて、もったいないことをしてしまった独り立ちのファースト・トライアルである。

また、それにしても、髪をショートに切って、化粧をなるべく薄くして、キャップを深くかぶって、眼鏡をかけて、SNSに何も乗せなかっただけで、だれも自分に気づいてないのはさすがに花模女も驚いた。そんなに売れはしなかったものの、一応東アジアの中心地で、たった半年前に契約を終了した自分の生身に誰も関心を持たない。それもこの人の熱気で暑苦しい中、なんてありがたい自由。しかし何もやることないここで携帯をいじっているとやはりSNSに何かつぶやきたくなる。すると現在-この場所はどう変わるだろうか。少し気になるところだが、花模女は必死に我慢して、インスタのフィードを消すことだけに熱中した。するといつの間に荷物を預けてから30分もたっていたので、花模女はさっさと出国手続きに行って、ウィングで離陸を待つことにした。

免税店エリアに無事入って再度イヤホンを差し込んだが、グンと来る曲が見つからず神経質に曲を色々変えていた。歌って踊ることに疲れているのは自分自身よく知っているが、まさかただ単に好きな音楽をインプットすることにすら疲れたなんて、花模女は認めたくなかった。そうだ、自分の水準に合う音楽が、まだこの世にないだけなんだ。そう言い聞かせ、間もなく後悔した。自分もその「水準に満たない」やからの一人だと。

だからと言って花模女は別に自分の作った曲が嫌いではなかった。むしろ好きだった。誇りを持っている、までも言える。DAWをいじり始めてそんなに立たない頃、会社に内緒で出したソロアルバムの収録曲がとあるインディペンデント音楽祭で授賞したとき、花模女は自身の才能に確信を持った。おかげで社長に発覚されたが。

花模女が内密にやった仕事はそれだけではなかった。花模女はその頃のことを思い出して、 待機場の椅子に居座り、文庫本を取り出して読もうとした。集中が分散したので、何とかバレンタインのアルバムを止め、イヤホンを外した。騒音が止み、騒音が聞こえてくる。

すると、ある少年がさっきから花模女の周りをそわそわうろついているのに気が付いた。やや成長の早い小学生もしくはまだ2次性徴に不慣れな中学生くらいに見える。親を見失った様子ではない。

「よく私って知ったね」

「見てりゃ当然わかるし」

意外と強気な少年。

「あ、あんたその《超新星ノヴァゾーン》のアサミでしょ!」

あったね、そういう剽窃特撮。

「覚えてくれててありがと。サイン要る?」

なれたパターンで対応したが、リュックにサイン色紙など持ってきてないことに気が付いた。

「い、引退するってやつのサインなど、い、要らねーぞ…」

あ、助かった―と思えてしまうほど、その〈引退〉という言葉の響きは明るかった。チューブラー・ベルでも鳴らしたよう。

「契約終了をそんなに悲しんでくれるなんて、社長しあわせだね」

そしてリュックからネームペンを出した。サイン色紙の代わりを見つけようとしているところ、短い悩みの果て、持っていたCDにサインして渡すことにした。花模女のアルバムではない。

「これに入ってるシンセサイザー、自分で弾いたんだけど、めっちゃ上出来なんだ」

きゅっきゅっとペンがケースにこすれる音に花模女は眉をぐんとひそめた。

「絶対戻ってくるから、待ってな」

と、無意識に少年の頭を撫でたところ、不憫な表情をするだろうなあと思ったが、おやおや、激デレじゃない。無理にセルフィまで撮り、「インスタやってる?」という質問に「何それ」って返すとは、私の顔どう識別したのよ、と少年に対する疑問はさらに増した。

だいたい、この子の保護者どこなの。「サインCD持ち歩くの面倒くさかったら母さんに任せとけば?」と訊いた時「そうする」と帰ったところを観て、少なくとも母の方の孤児ではない。実親ではない誰かを「母さん」に代入している可能性ももちろんあるわけだが。そもそも、その「母さん」はこの場所内にいるのか。考えがそこにたどり着いたところで、その発言ははっきりとした情報力を失った。

「母ちゃんは〈トウモロコシを買えない島〉にいるよ」

「母さんどこにいるの」の返事としてこんな春樹な文章持ち込まれると、さすがに色々まずい気がした。春樹ならもっと簡潔にまとめただろうけど、ともかく。

春樹の下位互換な影響は花模女の手元にある文庫本にも見ることができた。


『沿岸高校第67期文芸部文集』を開くとまず最初に当期の文芸部員が長く記されている。が、この本のテキスト内容に実質寄与したのは二人だけであるのは残念な部分だと花模女は感じた。初々しく、稚拙で、誠意のない文章が何となく許される場だ。誰もが思える歯がゆい感覚から脱皮しようとする熱情人だけに任されたのはコンテンツの魅力が多少薄まる結果になってしまうのだと、元アイドル歌手の百合花模女はインスタにそうテキストを添えようとしたが、消した。

これを花模女に手渡したのはその学校の三人組バンド部『宇宙迷児』の関係者である。バンド員のうち二人がその文集の実質筆者なのだった。正式メンバーは三人だが、彼らも花模女も高校在学の頃に自主発売したファーストアルバムの場合、音楽室で花模女を含め十五人のセッションと共にライブレコーディングを行って作った。なので本作をジャズに分類する批評家も多いそうだ。花模女はシンセサイザーを担当し、ちゃんとクレジットに入れてもらった。会社と相談なしで行ったので契約違反だったが、自主製作だし見つからないと思った。しかしこれがどっかの批評家に見つかってすごいハイプを受け、なぜか欧米のリスナーにまで知れ渡り、例の音楽祭で大賞を受賞したのである。そこまでやられて、音楽産業の真っただ中にあるうちの元会社が果たして知らなかっただろうか。クレジットをチェックしなかっただろうか。

とにかく、収録後、バンドのメンバーとは親しい友人になった。しかし、彼らの文集を手渡されたのがどのタイミングだったのか、実際誰に渡されたのかなどは正確に覚えていない。それは、いつの間にか、自然に、本棚の隅を飾っていた。


『テーゼになったサブカルのデータベースを用いて、それらの代案的応用を試みる。』


文集には意外と、当時の文芸部担当教員が描いた巻末書評が付いていた。花模女はいまだにその理解には至らなかったが、真面目に書かれたやつだと気づいたのはアルバムレコーディングを指導した先生がこの人だと知ったからである。

()()(ざわ)先生が慕わしい。教師・作家・漫画家・音楽家・批評家をすべてやりつくす()()(ざわ)()(なみ)は高校時代の花模女の憧れだった。

「多才で思いっきり人生エンジョイしてるのは花模女さんの方じゃない」

「でも先生は安定感のあるうえでそれらをやりこなすからすごいの」

高校生の頃、よく先生を訪ねた。学校に行く日はあまりなかったが、さぼる日にさえ彼女と出会って話をした。

「それに私、あまり売れてないし」

「つらい話」

それは販売量の心配じゃないのだと花模女は感じていた。

花模女がちゃんと亜羅沢最波の作品を読んで聞いたのは契約終了以降のことである。薬なしで眠れる日が来て二週間くらい過ぎたころ、人生の短期目標を失った彼女は曖昧にあこがれていた先生の実の作品でも探そうと思った。先生がフォークレトロニカ・ミュージシャンだったこと、女子学生の性搾取問題について常に訴える作品を書き続けていたこと、大衆音楽に関して定期的に記事を書いていたことを知り、心理的距離間はむしろ在学の頃よりも縮まった。

そして、三年前に手渡されて以降、一度も触れなかったバンド部兼文芸部員たちの文集に先生の文も入っていることを知ったのは、つい昨日のことであった。


「亜羅沢先生って本間に八方美人やで」

自称・在日一世のバンド部員・道野羽理(うり)はこう述べた。彼は当時、それが侮辱の表現だということを知らなかった。それを知ってからも、理解できずにいた。

春樹の影響は彼の収録作品に特に鮮明に見えた。春樹のモダンな描写として登場するジャズやポップなどの音楽アイテムはそこそこ知られてない韓国のアンダーグラウンドヒップホップの曲などに置き換えられ、シニカルで自己嫌悪的な人物像もおそらく作者自身を重ねただろうにもかかわらず、あいにく春樹を思い出さざるを得ない。どうかばおうとしても未熟で汚い性愛描写は作者の性経験が皆無であることを証明してしまう残念なものである。話すと長いが、一応在日である彼の中間者的スタンスが割と読めて、春樹やハルヒの影響がどんなに強くても、作者の自我(エゴ)もそこに負けず結構な分現れているのだ。いや、自我そのものが春樹とハルヒズムにとりつかれたものだからなのかもしれない。

道野亮はラッパー及びトラックメーカーとして音楽を続けていて、花模女は彼と今でも親交を深めている。何せ、100%ラップでできたコラボ・ミックステープを作っている仲だ。しかし彼がバンドで一体どんなポジションだったのか、花模女はいまだに知らない。それは本人もちゃんと正体化が進んでないようだ。

「青山先輩はとにかくアイデアをまとめるのがうめぇんだよね」

道野の言った、バンドのリーダー・プロデューサーである青山はバンドの音楽を総括する力がある。それは権力的というより、才能、実力、カリスマなどが生み出した、自然な力の集中だと花模女はそばで思った。後、ほかのメンバーより一つ年上。

「今度はちゃんと標準語なんだ」

「軍にいる間はアニメでしか日本語聞けなかったから」

「味がないよ!何かその上手そうに喋ってるけどアクセント間違って下手くそな日本語で調子乗ってた先輩に戻ってよ!」

「下手だったんかい!」

そう。そんな著者の一面を知った上でのテキストは凝った味がある。著者の本人すらわかりきってないもやもや差に不安を覚え、衒学的な漢字語を使って下手な日本語の文章をかくまう姿は、ラップシーンに幻滅を抱きつつ、その代案を探せないことに自己嫌悪を感じる彼とそっくりで笑えるのだ。


「いや、つべこべ言わず早く次の歌って」

同じくバンドの一員であり、ソロでは意外とサブカルシーンで活動するもう一人の著者・(はやし)奈菜(なな)は、頼れる先輩だ。花模女は考える。今働くことでとりあえず未知の明日を、ファンタジーを動かせる人。

何かを伝えようとする―そして失敗する―道野作品に比べ、林の作品はあるストーリーそのものを展示して読み上げるという性格が強かった。特に50ページ以上つづられたある英雄にまつわる伝説の話がフィナーレを飾っている。きちんと整った起承転結だけですごいと思われるのは、断片的なアイデアを生に展示することに没頭していた道野作への疲労感のおかげだろう。成長話が着実に積まれていく様子はところどころお約束に依存する罠はあったものの、女性主人公の繊細なキャラクター構成は、既存ラノベのお約束を覆す落差を持ち込み、読む側として痛快な感想が倍増した。

「なんで先輩アイドルやってないんですか!」

「花模女ちゃん、疲れてるんだね」

そんな彼女の部屋に、花模女はよく練習をさぼってやってきた。今になって見ると、彼女は高校の時から自炊で、ものすごく失礼なことしてるんだと思いつつ、ほぼ毎週通っていた。行くたびに整頓されてるし、うまい料理もしてもらってて、常に女子力高いなーと感心していた。横から「自分、女子力って言葉、よくないと思うんだ」と言ってきた。道野だった。

「なんで?なんで?」

と、聴いてきたのは当時小学低学年生だった、亜羅沢先生の息子。その日はアルバムリリースパーティーということで、なぜかちゃんと家庭のあるほかの家を置いといて、おそらくこの中で一番面積の狭いだろう彼女の家に集まった。

「男子力って言葉ないから」

「いやあ、いいでしょ別に、ほめてるし。ありがと」

今になって見ると、その状況をもっと楽しむべきだった、と花模女は思った。〈Girls Can Do Anything〉ポスターの隣で写真撮ってインスタのコメント欄が炎上した今になって考えてみると、だ。そして逆に彼の文章から考えて、おそらく先輩は女性の立場を考えるというより、本当にただ、その言葉に違和感を持っただけだと思う。

「か…」

息子が何か言いだした。

「かもめねえのきもちをふみにじるやつのことばなんかきかねえぞ!」


「飛行機の席、隣になれるといいね」

花模女は淡々と言った。このクールさを果たして目の前の子が写真撮ってサインしてはしゃいだこともセレブの職業上やるべき行動もしくはマナーとして認識してくれるだろうか。

「顔赤いよ」

少年は反撃した。


題名はBrian Eno 《Ambient 1: Music for Airports》から参考しましたが、別に関係ありません。

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