幸せになれたのかな
今、僕の腕の中には、いずもがいる。目をつぶっていて、今のところ意識があるのかどうかは判然としない。
僕は、いずもの体温を、心臓の鼓動を、そしてその微かな呼吸を肌で感じている。きっといずもも、僕の体温や脈拍を感じていることだろう。猫は、心音を聞くと安心すると聞いたことがある。だから僕は、自分の胸にその小さな体を寄せるようにして、いずもを優しく抱きかかえている。
いずもを飼い始めてから、20年の月日が経つ。猫の平均寿命は、14年から16年ほど。そう考えると、いずもはかなりの長寿猫だと思う。
いずもは大切な家族だと”本当の意味で”理解したあの日、僕はいずもを立派に育てていくうえでの覚悟を決めていた。
だから、分かっていたんだ。いずもが、僕よりも早くこの世を去ること。あと20年前後で、いずもとは永遠にお別れしてしまうということ。
親より先に逝去してしまう子供を持つような、そんな現実を。
だから。だからこそ、一分一秒でもいずもと寄り添い、遊び、ご飯をやって、色々な経験をさせて、好奇心の強いこの子を少しでも幸せにしてやるのだと。そう誓っていた。
周りには、家族がいる。僕にアドバイスをくれた女の子、彼女と付き合い、結婚し、子供達にも恵まれた。勿論、僕はいずもも、妻も、子供たちも、親兄弟も、みんな大切な家族と考え大事にしている。ご近所さんの間でも、仲良し家族と評判なほどだ。
仕事も、色々考えて人助けに役立てる職を探し、また無理なく家庭と仕事を両立できるような条件で色々と求人を漁り、結果今までそこに勤めている。やりがいも感じるし、家族といられる時間も確保できているし、若い頃のような不満は感じていない。
本当はもっとハードで手当も増える仕事も選べたのだが、僕は時間を確保できる方の仕事を優先した。お金より、家族との時間の方が大事だと思ったから。僕にとって、価値ある選択をしたかったから。
当然僕だけでなく、妻も子供たちも、いずものことが大好きだ。そんな家族たちに囲まれて、僕が居て。その腕の中に、いずもがいる。
家族みんなで、愛するいずもの最期を看取るために。
妻も子供たちも、涙を流したり、目を真っ赤にしていたり、それぞれの形で悲しさを顔に浮かべている。大切な家族とのお別れ。そんな当たり前の光景を前にして、当たり前のように泣いてしまう。
僕も目頭に涙を浮かべていて、確かに悲しい気持ちもある。分かってはいたけれど、我が子のように愛していたいずもが死んでしまうのは、やはり悲しいこと。覚悟はあっても、感情が薄れたり気持ちが変わることなんてない。
あるはずが、ない。
…でも。
そこにあるのは、悲しさだけじゃなかった。
「いずも、今までよく、元気でいてくれたね。」
思わず声に出る、僕の本心。
「いずもがいてくれたから、僕は頑張れたんだよ。いずもがいてくれたから、僕は自信を持てたんだよ。いずもがいてくれたから、僕は自分を認められたんだよ。」
涙を流しながら、しかし穏やかな声で、僕はそう言った。
両腕にかかる重さ。幼いころから1年で成長し、大人の猫になったいずもの重み。元気よく遊ぶ時もあれば、一日中まったりと寝そべっていることもあった。病気になったり、元気を取り戻したりもして。体重も増えたり減ったり、重かったり軽かったり。
今、僕の腕の中にいるいずもの重さは、いつもよりも少しだけ軽い気がする。
歳を取るにつれ、元気よく走り回ることが減った。どんなに愛されている生物でも、老衰の運命からは逃れることなどできない。助けてやれないし、肩代わりしてやることもできない。日々弱っていくいずもの姿を、僕は見守ることしかできない。
だから僕は、責任をもって見守った。少しづつ、しかし確実に弱りゆくいずもを。徐々に活発さを失い、元気な頃のようには走れなくなるいずもを。食欲が低下して食事の量が減り、運動量が減ったにも関わらず体重が減っていくいずもを。
無力。無力。無力。僕には、どうすることもできない。もどかしかった。辛かった。あと幾何かで力尽きるであろういずもを抱えている今も、僕は無力感でいっぱいだ。
今の僕にできることは、いずもを抱いてやること。この子に残された僅かな時間、最後まで寄り添ってやること。
少しでも、人肌の温もりを。家族の感触を。共に生きてきた家族が、最後の最後までいずもを愛してるんだってことを伝えてやること。
そして、
「いずも、ありがとう」
僕という個人と、ここにいる家族と、一緒に時間を過ごしてくれたことへの感謝を。僕という人間を、「大人」にしてくれたことへの感謝を。生きがいを見つけ、人生に意味を与えてくれたことへの、あまりに大きすぎる感謝の気持ちを。僕は、その一言に込める。
いずもの目が、うっすら開く。目には、光が宿っている。。元気な頃とは比べ物にならないほど、弱弱しい光。でも、確かな光が宿っている。
「いずも…。」
僕には、計り知れない。いずもが、何を思っているのか。何を感じているのか。もう残された時間は殆ど無いであろうこと、もうすぐ寿命が尽きてしまうことを、自覚しているのかどうかも。
その目に宿る光に、意思が伴っているのかすらも分からない。分からないんだ。
いずもは、うっすら開けた瞳を僕に向けたまま、ゆっくり瞬きをする。そして、ほんの僅かではあるが目と首を動かし、周囲を見回す。
まるで、家族一人一人の顔を確認しているかのように。
分からない。確かに、分からない。僕には猫の言葉がわからないし、いずもにも人間の言葉なんてわからない。現代に、人間と猫の意思疎通を実現できる技術なんて、存在しないのだから。
でも。
僕は、いずもと20年以上寄り添ってきた。この子の一生を、ずっと見てきた。好きな食べ物、嫌いな食べ物。触られて喜ぶ箇所、嫌がる箇所。好きなおもちゃ、それほど興味を示さないおもちゃ。お気に入りの寝床、遊び、いたずら。
外を見るのが好き、でも部屋にいる方が好き。ジャンプしてドアを開けたり、カラーボックスから器用におやつを引っ張り出したりする。ソファやティッシュケース、バッグのメッシュ生地部分、ベッドのサイド部分、時には網戸を使って爪砥ぎを試みる。
それだけじゃない。僕は、この世界のだれよりも、この子のことを知っている。
だから。
直感的に、その行動を見て、なんとなく想像できる。
いずもは僕たちの顔を見て、何かを察している。悲しんでいること、涙を流していることを理解している。
その中心に自分が居て、みんなの視線が自分に集まっていて。
自分の体が自由に動かなくなり、思う様に動けず、食欲もなくなって。もしかすると、どこかに痛みだって感じているのかもしれない。
そんな状況を見て、或いは本能的に、この子は自分の死が近づきつつあるのを悟っている。
家族たちと永遠の別れを迎えることを、知っている。
この子の様子と目を見て、僕はそう思った。
この子は、何を思っているのだろう。何を感じているのだろう。自分に死期が訪れることを、どう受け止めているのだろう。
もっと食べたかった。もっと遊びたかった。もっといろいろなものを見て、好奇心を満たしたかった。もっと、生きたかった。もっと、一緒にいたかった。
死にたくない。
僕がいずもだったら、そんなことを考えるんだろうか。
最期の力を振り絞って目を開け、なんとか生きながらえているいずも。その姿から、僕は明確な意思を感じ取ることができない。
想像することしか、できない。
目から、再び涙が溢れてくる。止まらない。止まらない。止まらない。涙は、一向に止まらない。歳のせいなのか、涙脆くなっているのか。とにかく、信じられないくらいにノンストップで涙が溢れ出てくる。
その涙は、目から溢れ出し。頬を伝って、口の横を伝って、やがていずもの体に零れ落ちる。両手にいずもの体重を感じている僕は、その涙を拭うこともできない。流れるがままに、いずもの体へ一滴、また一滴と、僕の涙が落ちてゆく。
いずもは、そんな僕の顔をじっと見つめている。…ごめんね、いずも。いい歳したおっさんの、情けない姿を見せてしまって。
でも、どうしようもない。いずもを失うことを考えると、僕の涙は止まらないんだ。
なあ、いずも。
…理不尽じゃないか。悲しいじゃないか。
いずもは、僕よりも遥か後に生まれた。僕が成人した何年も後に、生まれた。いずもを飼い始めたとき、僕は20代で、この子は生後4か月ちょっとだった。
それからいずもは1年で成長し、大人の体に。僕はというと、多少の体重の増減があったくらいで、体や健康面に大きな変化なんてなかった。
いずもは、何度か病気にもなった。体調を崩しもした。でも精いっぱい頑張って、専門家の力も借りて、何度も何度も完治させてきた。健康面には気を使っていて、季節の変わり目やどうしても発症するような病気以外、未然に防ぎもした。
…なのに。
いずもは、体が衰えた。10歳を超えたあたりから徐々に体が弱り、二年後には運動の機会がめっきり減った。それ以降は加速度的に老化が進み、日に日に元気がなくなっていった。
僕だって、20年も経てば体にガタが出てくる。腰が痛みやすくなったり、息切れが昔より長くなったり、筋肉痛が後から来るようになったり、疲れが取れにくくなったり。年相応に、体は20代の青年のそれから、中年のおじさんへと変化していった。
…でも。
僕が精々体力を失っている程度で済んでいるのに、どうしてこの子は死の間際にまで追い込まれているんだ。理不尽だ。おかしい。何かが間違っている。
いずもは、僕や妻や子供たちと生きてきた家族だ。殆ど、我が子同然に思っている。
なのに、どうして僕よりいずものほうが先に衰えるんだ。動けなくなるんだ。死んでしまうんだ。僕がこうして生きているのに、人生の半分も消化しきっていないのに。なぜ、この子はもう死んでしまうのか。
情けない。本当に情けないけど。
やっぱり実際に立ち会わないと、その時の気持ちなんてわからない。
知ってた。わかってた。こうなることは。この子を幸せにしたやると誓ったあの日に、覚悟はしていたつもりだった。
でも、平然となんてしていられない。感情を抑えられない。
とめどなく流れ来る悲しみと理不尽さを、受け入れることなんてできない。
「んにゃぁお」
年相応に掠れた、小さな鳴き声。いずもが、力を振り絞って鳴いた。
そして。
ゆっくりと首を回し、僕の方を向く。その目は、僕の目をじっと見つめている。僕は、思わずいずもに顔を近づける。
すると、いずもは僕の鼻に自分の鼻を押し当て、少し匂いを嗅ぎ。そのまま、僕の鼻先をペロリと舐めた。
飼い猫が、飼い主の鼻先を舐める意味。それは、紛れもない愛情表現。いずもは、泣いている僕を、理不尽と悲しみに狼狽えている僕を。今の自分でできる範囲で、精いっぱい慰めたのである。
「泣かないで。」
「ありがとう。」
そんな意味が、込められているように思えた。
…そうだ。忘れていた。僕はこの子を看取るにあたって、悲しみに満ちたものではなく、少しでも明るく、最期まで暖かな雰囲気で見送ってやろうと決めていたんだ。
”幸せにしてみせる”
悲しみに満ちた状態で死を迎えることが、幸せだとは思えなかったから。
だから。
「いずも。いままで、本当にありがとう。」
鼻を啜る。涙だけでなく、鼻水までも溢れそうだ。
「僕は、いずもといられて、」
嗚咽を堪えながら。
「いずもといっぱい時間を過ごせて、」
ゆっくりと、はっきりと。
「いずもと一緒に生きることができて、」
最期まで、できるだけ泣き声にならないように。
「最高に、幸せだよ。」
そう、言い切った。
いずもの目が、ゆっくりと閉じていく。その目に宿っていた光も徐々に弱まり、頬に感じる呼気の量も減っていく。
やがて、その瞳が瞼で覆いつくされ。全身の力が抜けていき。呼吸も、吐き出したままで完全に止まって。
いずもは、静かに息を引き取った。
仏のような、安らかな顔をして。
まだ暖かい、熱を帯びた亡骸を前にして、僕は問いかける。
「なあ、いずも。」
生後四か月ちょっとの頃から、20年間寄り添って。一つ屋根の下で、一緒にご飯を食べて。一緒に遊んで、寝て、沢山の時間を過ごして。僕の両親、兄弟、妻、息子たちと、ともに生きて。
「僕は。いずもは。みんなは。」
僕の、人生をかけた目標は。
「幸せになれたのかな」