悔恨その5
昼夜休み無く馬車を飛ばし、考えられる最速でフェリークの州都アラベラに着くと、少しだけ休憩を入れる。
馬車のお陰で体力はそれほど使ってはいないが体が強張ってしまっているので、3人は湯浴みをさせて貰い体を解した。
小休止後ジェラルドから最新の情報を聞く。
既に彼の配下の騎士テオが黒き森へ向かったと聞かされる。
そして一番の気がかりであった負傷者の詳細を聞く。
先ずコリンの怪我はロイドの娘によるものであったこと、不幸中の幸いで肋骨にヒビが入っただけで済んだと聞き、3人はホッと胸を撫で下ろす。
次いでロイド夫婦の悲惨な最期を聞き、言葉を失った。
その報いと云うべきか、自身の両親を手にかけた娘ジーナの死も知る。
後、その元凶であるハーシュは未だ護送中と云う話で、マティアスが顔をしかめる。
「……時間が掛かり過ぎていないか?」
その疑問は尤もなので、ジェラルドが説明する。
「……実はあのハーシュとやらを奪還しようとする輩の襲撃が既に何度かあったのだ」
「えっ!不味いじゃないか、何で言わないんだっ?!俺達が直ぐに向かう!」
驚いたマティアスが腰を上げ、祖父を睨み付けながらそう怒鳴る。
「まぁ待て。襲撃はあったが、奴は奪われてなどいない。安心しろ」
「何を悠長に!既に複数回襲ってきたんだろ?!護衛も疲弊している筈だ、直にやられる!」
「落ち着け。何も悠長に構えている訳ではない。実はな、ハーシュはどうやっても奪えないんだよ」
「?……意味が解らないんだが」
「だからその訳を今から話す。
ハーシュは恐らくクロエの力で木の根に雁字搦めにされた。今、奴は木の根に拘束され、猿轡を咬まされたそのままの状態で運ばれている。
その戒めの木の根なんだが、何故か誰が何をしても伐れないし、剥がれないんだよ。
そして、ハーシュを奪還しようと襲ってきた奴等にまでその木の根は自ら絡み付いていき、挙げ句捕らえてしまうのだ。
不思議なことに此方の騎士達には絡み付いてこない。まさにあの木の根は意志を持って人間を判別し動いているのだとしか思えぬ。
現在、ハーシュとその仲間5人は互いに木の根で縺れた状態となっている。結構大きな塊になってるらしく、普通の護送馬車では対応出来なくてなぁ。しょうがないから奴等を運ぶ為の荷車をその場で急造している最中だ。。
そういう訳で護送に時間が掛かっているんだよ」
ジェラルドは何とも困った顔で話し終える。
「嘘だろ……そんな、そんな話聞いたことがないぞ?!」
「クロエちゃん、確か行方が分からなくなってる筈ですよね?何で未だ魔力が発動されたままなんです?現場から離れてもあの娘は力を操れると云うんですか?!」
(違う……クロエじゃない。きっと森だ)
マティアスとリュシアンが驚愕のあまり声を荒げる中、ライリーは一人思う。
他の3人が首を捻りながらその不思議な現象に付いて話す中、彼はずっと黙ったままだった。
やがてライリーが余りに静かなのを不審に思った3人が顔を見合わせてから、共に彼を窺う。
「どうしたんだ、ライリー。全く何も言わないけど、思うことがあるのか?」
ライリーは伏し目がちだった視線を上げて、問い掛けてきたマティアスを見る。
「いえ……別に。ただ、早く森に行って父や弟から事情を聞かなければと」
マティアスはライリーの言葉に大きく頷く。
「確かにそうだな。ここでこうしていても始まらん。ジジイ、俺達も今から森に向かう。良いよな?」
「ああ。……マティアス、ジジイはやめんか。益々言葉が汚くなってきおったな、お前は」
「ジジイはジジイだろうが。何を今更。さて、では出るとするか!行くぞリュシアン、ライリー」
マティアスの掛け声と共に3人は席を立つ。
リュシアンはふと立ち止まり、ジェラルドに問う。
「……お祖母様には、もう?」
ジェラルドは視線を反らし、苦悩に満ちた声で
「……未だ言っておらぬ。余りに衝撃が強すぎる。……今のアレに耐えれるかどうか、儂には……」
と打ち明けた。
「お祖母様なら耐えてくださいます、きっと。……でも、そうですね。僕達が戻ったら一緒にお祖母様にお伝えしましょうか。その方がお祖母様の色々な疑問にもお答えできると思いますし」
リュシアンの気遣いにジェラルドは申し訳なさそうに微笑み
「……すまぬな。助かる」
と呟いた。
その返答を聞いたリュシアンは小さく首を横に振り
「そんな、当たり前の事ですよ。じゃあ、すみませんが戻るまで待っていてください、お祖父様。
では、行ってまいります」
と祖父の肩を叩いて踵を返す。
ライリーもジェラルドに深く頭を下げてから、2人の後を追う。
ジェラルドがライリーの背に声を掛ける。
「ライリー!……コリンの事、すまない」
「そんな……謝らなければならないのは僕達です。きっと父と弟もそう言うでしょう。
守らなければならない人を守れなかった。託されていたのに……申し訳ありません、ジェラルド様」
謝罪の為、もう一度深く頭を下げてから、ライリーはジェラルドを見つめて気持ちを伝える。
「妹と先生の……手掛かりを見つけてきます、何としても」
そう一言伝えてジェラルドに背を向けた。
ジェラルドはそれ以上何も言えず、森に向かう3人の背を見送ったのだった。
アラベラを出て森に着く少し手前で、3人はハーシュ護送の騎士達に遭遇した。
大きな筏のような荷台を造っている最中で、大分難儀をしているようだった。
人目を遮る為、件のハーシュ達が絡め取られている木の根の塊は、大きな布で覆われた状態にされていた。
3人が近付いて布を取ると、丁度そこから中心にいる若い男の顔が見えた。その男は苦悶に顔を歪めながらも、覗き込んできた3人に鋭い眼差しを向けてきた。
「……コイツが?」
マティアスが低く唸るような声で案内した騎士に問う。
「はい、この者が主犯のハーシュです」
騎士が肯定した。
「思ったより元気だね。ん?足に怪我をしているな……結構な深手の様だが、君達が治療してやったのかい?」
リュシアンが問うと、騎士は思わぬ答えを返してきた。
「いえ、我等は一切奴等には手を出せないのです。ですのでハーシュと云う者の血止めも、この戒めの木の根がしたのではないかと皆で言っておりました所です。
あの傷、あれ以上は血が拡がらないんです。だけど塞がっているようにも見えないので……本当に不思議な木の根ですよ」
騎士の説明にリュシアンが頷きながら
「そう……ありがとう。もう一つ、良いかな。コイツ等の水分補給や食事はどうしてるの?それも手を出せない?」
と再度問う。
騎士は眉を寄せながら
「はい、おっしゃる通りそれについても手が出せません。
ですが見張りの他の騎士から不思議な報告が上がっていまして、あの猿轡になっている木の根の部分から、何らかの液体が奴等の口に強制的に入れられているようです。
排泄についても、もうそのままと言うしか。ですがいつの間にか木の根が吸収しているようでして、辺りに臭いがしないのです。木の根の下にも汚物は有りませんし。
便利と言えば便利で助かるのですが……」
と言いにくそうに言葉を切る。
リュシアンが目を丸くして木の根を見る。
「何と……凄いな、強制循環か。この木の根を研究したいな、真剣に。
今から僕達が森に向かって戻ってくるまで……後2・3日ってとこか。未だここからは発てる見通しは無いの?」
騎士はそれについても頷いて肯定する。
「少なくとも4・5日は……すみません、中々荷車が。車輪と強度に手間取ってしまいまして」
「いや、無理もないよ。では僕達もなるべく早く戻って君達に合流する。護送に付き添わせて貰うから。
護送荷車に付いては僕が力になれる。暫く待っていてくれないか。疲れているのにすまないが」
「いえ!有り難きお申し出でございます。お待ちしております」
「じゃあ森に向かう前に幾つか指示をしておくよ。その指示に沿って荷車の補強を頼む」
「わかりました、ではこちらへ……」
「ん、わかった。だけど、すまないが先に行っててくれないかい?僕は少しコイツに言いたいことがあるんでね……」
「はい。では後程。……布は又掛けておいてください」
騎士が離れると、リュシアンが睨み付けてくるハーシュに美しく微笑む。
「やあ、ハーシュ。僕はこの地の領主の息子、リュシアンだ。
ウチの領地で本当、やりたい放題してくれたね、君。その返礼はしっかりさせて貰う。
君の取り調べは騎士である僕と兄が直々にすることになった。当然だが容赦しない。ありとあらゆる手を使うから、覚悟しておくが良い。
死んだ方がマシだと心から思わせてあげるよ。……では又」
布を掛け終わったリュシアンは、横にいるマティアスが眉を寄せて自分を見ていることに、首をかしげる。
「なに?」
「いやお前……楽しそうだな?」
「は?楽しい訳無いだろ。何いってんの、馬鹿なの?
腹立たしいもんで奴に何か言わなきゃ気が済まなかったんだよ。だけど慣れない脅しなんてするもんじゃない。陳腐な台詞しか出ないし」
「や、充分お前脅せてたぞ。その顔であの丁寧な脅し文句はハマり過ぎ。俺には出来ねーよ」
「……何それ。今から指示だけしたら、直ぐに森へ向かおう。あ、その前に一度ロイドの店に寄りたいな。一応先に見ておきたい」
「じゃ、そうするか。ライリーわかったな……おい、ライリー?」
マティアスがライリーを見ると、彼は木の根の塊の布を少し捲って、その木の根に手を当てていた。
(……やはり。この木の根は森の奥でクロエを待っていたときの木と同じだ。森がこれを……)
「ライリー、どうしたんだ?」
マティアスに肩を叩かれてライリーはハッとする。
「すみません、戒めの木の根とはどんなものか気になって。不思議ですね、僕が触ってもちっとも絡んで来ないのに……」
「確かにな。さぁ、馬に水をやっておくか。リュシアンがやって来たら直ぐに出るぞ」
「はい」
やがて指示を終えたリュシアンがやって来て、彼等は再び森へと向かった。
森の手前にあるロイドの店に程無く着いた3人は、店を警備する騎士達を労った後、店の中と騒ぎのあった場所に案内して貰う。
先ず騒ぎの場所に着くと足元を丹念に見た。直ぐに黒く染まった草の場所に気付いて近付く。
「……ここか。少し離れた場所にもう2ヶ所血の跡があるな。
引きずった跡が有るから、あれがジーナと。
ならばあの小さい血の跡はあの馬鹿のものか。フン。
とすると、やはりこの大きな血溜まりが先生のものだ。相当な量だ、余程の深手を受けた筈。
無事でおられると良いが……」
マティアスが草を撫でながら、難しい顔で呟く。
リュシアンはハーシュの血の跡の周りを丹念に見ていた。
「信じがたい事だが、この幾つもの穴から戒めの木の根が現れたんだ。……今はもう影も形も無いけど」
リュシアンは草に覆われた地面に開いた穴を覗き込みながら、呟く。
ライリーはマティアスと共にクロエとディルクが居た辺りを汲まなく調べていた。
「だが、この出血量なら何とか命は助かっておられる筈。しかし消えたと云うのは一体……。魔力を行使したにしても陣が描かれていないし、痕跡が一切見えないのは何故なのか……。ライリーどうだ、何か感じるか?」
マティアスの問い掛けにライリーは小さく首を振る。
「いいえ、僕も魔力の痕跡は全く感じられません。……だから余計に確信出来ました」
「確信?何だそれは!」
ライリーはマティアスを見つめる。
「ここでは話せません。後程森の家で僕の見解をお話しします。
すみません、店を見に行っても良いですか?」
「あ、ああ、わかった。おい、リュシアン行くぞ」
「うん、わかった」
ロイドの店に入り、各部屋を汲まなく見ていく。
するとリュシアンがロイド夫婦の寝室の床に違和感を感じた。
「この床板、妙だな。とすると、ここで間違いないか……。あぁ、すまないがそこの君、何人か呼んできてくれ。床板を剥がしたい」
リュシアンの命を受けやって来た騎士達が、彼の指示に従い慎重に床板を剥がしていく。
「下には何もないが、これがどうした?」
「いいや、見たかったのは剥がした床板の裏だよ。……ほら、やっぱりね」
「え?……あ、ああ?!」
「これがあの禁術の陣だよ。人2人、あんな物に変えた元凶。この部屋が一番やり易かった筈だし。
奴は大工の息子だし、多分床板が脆くなってるから修繕するとか言って、この部屋に上手く仕込んだんだろう。端に比べてこの中央の床板だけが妙に新しかったんだよ。
終わった後しっかり裏返して打ち付けたんだ。……これは回収しなければな。置いとくわけにはいかない」
「姑息な手を……。すまないが運び出してくれ。決して見られないように後で布にくるんで封を施すから」
「はっ!」
騎士達が剥がした床板を運び出した後、又各部屋を見ていく。
「リュシアン、お前何を探している?」
「……もう一つの陣」
「もう一つ?」
「うん、ある筈なんだ、何処かに。でも何処でも展開が可能な形にしている筈なんだよね。幾つかにバラして普段使いの場所に紛れ込ませているか、布に描いて持ち運び可能な物にしているか。でも布は刺繍か染めでないと直ぐに陣が崩れるからなぁ。一番確かなのは木に描いて彫り込むことなんだけど」
「だからなんの術だよ?!」
「強制転移の陣さ。クロエちゃんを捕まえた後、直ぐにあの夫婦で作った魔石で彼女を特定の場所まで転移させる手筈だったと思うんだ。
その陣を見付ければ、分析して敵が特定出来る。まぁ何度かに分けて転移させる予定だったろうから、一つ目の敵陣が判明するだけなんだけど」
「そうか。ならば必ず見つけないとな。怪しいのはどの辺りだ?」
「そうだね、木が一番だから薄い板である程度の大きさがあり、且つ取り外しが容易な物。だけど大人1人と子供1人が入らなきゃならないから、少なくとも一辺がこの扉の半分は欲しい。理想はこの3分の2ね。組み合わせて使うなら、同種の木の板で同じ薄さが必須条件。さて、どれが当てはまるかな……」
「……ならば外させてみようか、全ての木の板を」
「ん、それが手っ取り早いよね。特に怪しいのは店と倉庫、あと廊下だね。あの子を捕まえた後、直ぐに転移するならそこが1番だし」
「わかった。さっきの床板の封をする次いでに指示してこよう。そろそろ森に向かわないと。多分ガルシアさんが来てくれてる」
「そうだね。頼むよ兄さん。それから店と倉庫……いや、家中の布と糸、紙とインクも掻き集めて纏めて貰っといて欲しい。それらの魔力の痕跡を調べたい」
「わかった。馬のとこで待っててくれ」
リュシアンとライリーが馬に乗って待っていると、程無く仕事を終えたマティアスがやって来て自分の馬に飛び乗った。
騎士達に後を頼み、森に近付いていく。
森の入口に人影が見えた。
ガルシアが馬に乗って待っていたのだ。
彼はいつもの通り口上を述べて制約を掛けると、3人を招き入れる。
そして森の家に向かいながら、苦悩に満ちた声で3人に詫びる。
「此度は……全て私の失態です。マティアス様とリュシアン様には何とお詫びすれば良いのか。本当に申し訳ありません。
ライリー……すまない。お前にも何と言えば良いのかわからん。
こんな事になってしまって、俺は父親失格だ……」
先頭に立って案内する父の背中が本当に辛そうで、ライリー達は言葉を失う。
「……とにかく、先ずは家に案内いたします。実はテオ殿にも未だ留まって頂いているんです。
マティアス様達が来られるとわかったので、今後についてある程度話し合ってもらえれば良いかと……」
そこまで話すとガルシアは黙り込んでしまった。
恐らくあの事件後は、まともに休んでいないのだろう。窶れた感が半端無い。
髪もボサボサで、いつもならコレットが口煩く注意し身だしなみを調えさせる筈だが、彼女もそれどころでは無い精神状態なのだろう。
3人はガルシアに掛ける言葉がわからず、いつも堂々としているこの森の“強者”足る彼を痛々しく見守るしか出来なかった。
そうやってほぼ半時。
やがて森の家に着いた一行は、オーバーワークの馬を休ませる為に馬小屋に向かう。
そこで違和感を覚える。
いつもならコレットが満面の笑みで出迎えてくれる筈が、誰も出てこないからだ。
ガルシアが3人の戸惑いに気付いて再び詫びる。
「ああ。コレットはちょっと体調を崩してしまって……。すみません、出迎えも無しで。
コリンは今ベッドから出るのを禁じられていますし。実はテオ殿が今コリンについて下さっているのですよ。本当に助かりました。
コレットはクロエの事を思い悩むあまり、昨夜倒れてしまったのです。
アレはクロエと母子であり、又姉妹のようでもあり、友達同士でもありましたから……。クロエに投げ付けられた酷い脅しを知って、半狂乱になるほど取り乱しましてね。
今は何とか落ち着いたんですが」
ガルシアの台詞に皆が固まる。
「父さん……クロエはどんな脅しを受けたの?」
「ああ、全て話すよ。あのハーシュがあの子に言い放った全てをな……。許されるならば俺が奴を捻り潰してやりたかった……!」
ガルシアは吐き捨てるように言い、森の家の中に皆を招き入れた。