ガルシア自伝 その3
続きです。長いです。ごめんなさい。
踞って泣いているうちに、どうやら私は寝てしまったようだった。
気が付いたら馬車は止まっていて、幌の間から光が差し込んできていた。
馬車の中で踞って寝てしまった筈なのに、起きたときの私は布を掛けられて横たわっていたんだ。
……ジェラルド様がそうしてくれたんだと、流石に私も分かった。
泣き疲れて誰かの直ぐ近くで寝てしまい、挙げ句体勢を変えられても起きなかった事実に私はビックリした。
座って掛けられた布を掴んだまま、どうして良いか解らなかった私は馬車の中をキョロキョロ見回す。
ジェラルド様は勿論馬車の中には居なくて、差し込んでくる光が幌に外の馬の影は写していたが、御者席に居る筈の彼の影は無かった。
私はジェラルド様が御者席に居ない事に気づいた途端、物凄く焦りを感じた。
「えっ……お、おっさん?……どこ?」
これも初めての感覚だった。
誰かが自分の近くに居ることで不快になったり、警戒してピリピリしたりはいつもの事だが、近くに居ない事で焦りを感じた事等無かったからだ。
馬車の中で立ち上がり、前の幌から顔を出して見ても、やはりそこに彼は居なかった。
益々焦った私は馬車の中から飛び降りて、周りを見渡す。
すると馬車は川の真横で止まっていて見渡す限り野原しかなく、近くに建物が全く見えなかった。
そしてその川の中にジェラルド様の姿を見付けた。
「おーい!起きたか、ガキーー!お前も服脱いで川入れーー!気持ち良いぞーー!お前臭いから全身洗えーー!」
と水に浮かびながら叫んできた。
「おっさん、何してんだよーー!休まず走るんじゃなかったのかよーー!何で水浴びなんかしてんだよーー!大丈夫なのかーー?」
と私も叫び返した。
ジェラルド様はバシャバシャ水音を立てながら、私の方に泳いできて岸近くで立ち上がった。
……真っ裸だった。
「おっさん、裸じゃねーか!何やってんだよ!」
私は呆れてジェラルド様にそう言った。
「いやぁよく考えたら、俺3日前から忙しくて全然風呂に入ってなかったんだよ。自分が臭くてなー。
やっぱ汗流さねーとおっさんの臭いは強烈だわ~。鼻が曲がるかと思った。
あ、お前も大概臭いぞ?早く服脱いで川入れ!頭は石鹸で俺が洗ってやる。洗いがいが有りそうだよな、お前の頭。絶対何か居る。
とにかく入れ!服脱ぐぞーー、ホレばんざーい!」
とジェラルド様は両手を高く上に挙げて、バンザイの格好になった。
私は首をかしげてジェラルド様を見つめ
「おっさん、何やってんだ、おかしくなったのか?」
と問い掛けた。
ジェラルド様は小さく首を振り
「ああ、全くわかってねーな。ばんざーいってったら、お前も一緒にバンザイすんだよ!常識なんだよ、それが!ホレ、両手挙げて!ばんざーいしてみろ!」
と両手を挙げるように私に催促する。
私は首をかしげつつも素直に
「そ、そうなのか?俺知らねーから……。こ、こうすんのか?ば、ばんざ、い?」
と戸惑いながら、恐る恐る両手を挙げる。
するとジェラルド様がニヤリと笑って
「よおし、良い子だ!ホレ、脱ぐぞーー!」
と私の服の裾を掴んで上に一気に引き抜く。
「うわっ!な、何すんだよっ!……へ?ば、バカ!止めろよっ!うわぁ!」
と止める間も無く、今度は履いていたボロボロのズボンを引き下ろされた。
下着なんざ履いていなかったから、それだけで私は真っ裸になってしまった。
私は真っ裸にされ、アタフタと体を隠すものを自然と探した。
しかしそんな私を気にもせず、ジェラルド様は私を抱き上げると川に又入っていく。
「わ、わ、止めてよ!入ったこと無いんだよ!こわいよ!止めてよーー!」
と焦りながら暴れる私に
「だーいじょーぶだって!ちゃんと足がつく所で洗うから!ホレ、立ってみな!」
と川の岸から少し離れた所で私を下ろす。
「ひゃあっ!つ、冷たい~!ううっ!な、何でこんなこと……ヒャアアッ!」
と震える私にジェラルド様は、今度は頭の上から水を思いっきり掛けてきた。
「し、死ぬ!死んじゃう!止めてよ、息出来ないーー!」
と泣き声混じりに訴えた私の頭に今度は何かを擦り付けていく。
「しっかしきったねーなー!結構汚れ落ちが良い筈なんだぜ、この石鹸!全然泡立たねぇや。
今度あの工房に文句言ってやろ!もっと改良せんとなっ!
……ああ、お前も体をコレで擦れ。ホレ、この布に石鹸擦り付けて体を擦るんだよ。手でな、こうやってゴーシゴシ!……ああ、上手い上手い。そうやって首から下全部擦れ!垢が浮いてきてるだろ?そうそう、コレがお前の汚れなんだよ。
頭は俺に任せろ!あ、背中も擦ってやるよ。
ケツは自分でやれよ?俺ぁそんな趣味ねぇからな!」
と笑いながら私の頭を大きな手で洗ってくれていた。
正直髪は縺れ、引っ張られて滅茶苦茶痛い。髪の毛が絶対に相当数抜けた筈だ。拷問かと感じるくらい乱暴な手付きだったが、何故か私にはこそばゆく、気恥ずかしく感じた。
人に世話をしてもらう事など無かった。
だけどジェラルド様に出会ってからは、全て甲斐甲斐しく面倒を見て貰っている。
今まで1人で生きてきたから何も気にせず、ただ自分の身の安全だけ考えて来た。食べて寝て盗る。それが私の毎日だった。
なのに食べ物を与えられ、寝ている自分を世話して貰い、体を洗われている今の状況をどう捉えれば良いのか。
ひどく居たたまれないのだが、とてもこそばゆくて気恥ずかしくて、そしてずっとそうされていたいという気持ちに包まれる。
そんなことを考えながら、言われた通りに体を擦り垢を落としていく。
垢が落ちていくのが見えて、心に頑固にくっついていた澱も一緒に落ちて流れていく気がした。
「おっ?お前の髪は金色だったのか!3回洗って漸く色がハッキリしたぞ。綺麗な髪じゃないか!
ちゃんとこれからは風呂に入ろうな。せっかくの髪が又薄汚れてくすんだ茶色にしか見えねーなんて、勿体ねぇからなぁ!」
と大きな声でジェラルド様が言った。
「えっ?金……?誰が?」
とジェラルド様に戸惑いながら聞く。
ジェラルド様は顎で私を示しながら
「お前だよ、ガキ。綺麗な金髪だ。ちゃんと洗えばこんな綺麗な髪だし、顔も整ってるし、目は海のように蒼い。
お前は綺麗な子なんだよ、本当は」
と言って私に笑う。
「……そんなの……嘘だよ。俺、汚いもん」
とジェラルド様から目を逸らして下を向く。
「そんなことないぞ。ほら、こんなに汚れが取れたら……」
「だって、俺!汚いゴミだよっ!名前もないんだよっ!
……ずっと……ずっと……汚いって言われてきたんだ。ゴミだって。
だから、だからおっさんも……俺を捕まえたんだろ……?
ホントは……処分する筈だったんだろ……」
と一気に言って私は黙った。
(何でこんなこと……。でも言わずにいられなかった。おっさんが憎いんじゃない!でも、でも……!)
ジェラルド様の顔を見る勇気もなく、ただ項垂れて自分から流れ落ちて行く泡や汚れや水を見つめていた。
ジェラルド様は小さな溜め息を一つ吐くと、私に水を掛けて頭の泡を流し、背中を擦って汚れを落としてくれ、それが終わってから私を担ぎ上げて川から上がった。
私はその間黙ったまま、されるがままだった。
馬車の前で焚き火を起こしてくれたジェラルド様が、布に私を包んで火の横に座らせた。
後ろに立って布で髪の水を拭きながら、次に髪を櫛で解いてくれた。
ジェラルド様の手付きは優しくて、それが余計に私を自己嫌悪に陥らせる。
暫くして自分の服を羽織ったジェラルド様が、昨日水を飲んだ空の筒に川の水を汲み、馬車に積み込む。
焚き火のお陰で体が暖まり、私も自分の服を着ようとすると
「ちょっと待て。コレを着な」
とジェラルド様が何かを持ってきた。
私はジェラルド様が差し出した布を受け取り広げると、私位の子供の着る服一式が中に包まれていた。
下着も靴下も全て揃っている。
「な、何でコレ?いつ用意したんだよ?」
とジェラルド様に戸惑いながら聞く。
ジェラルド様が真面目な顔で
「お前に合わせてある。寸法に問題は無い筈だ。着てみな。靴も用意してある。着替えたら出るからな、早くしろ」
と私に指示をする。
「な、何で俺の?合うって、何でわかる?」
と聞くが、ジェラルド様はそれには答えず、焚き火を消したり馬に水をやったりと出発の準備をテキパキと進める。
私は仕方無くその場で与えられた衣服を身に付けてみた。
……本当にぴったりだったんだ。
「えっ?何でこんなに大きさが合ってんだ?おっさん、俺の体の大きさなんて昨日会ったばっかで知ってる訳無いのに!」
とジェラルド様に噛み付くように問うた。
「お前に会ったのは昨日が初めてじゃないんだよ。それだけだ。さぁ行くぞ、乗れ」
とジェラルド様は私に静かな声で答えて、馬車に乗るように促す。
「は、初めてじゃ……ない?それって、それって……」
私が混乱した声でジェラルド様にその先を聞きただそうとしたが、ジェラルド様は私を担ぎ上げて御者席の隣に座らせると自分も御者席に座り
「ハイッ!」
と馬に一声掛けて馬車を動かし始めた。
馬車を御しながら、ジェラルド様が口を開いた。
「お前をずっと見ていたんだよ……。仕事の時も休みの時もな。お前以外でお前のように処分から逃れられた他の奴も、俺の仲間が同じ様に見ていたんだ……」
ジェラルド様が溢した言葉に私は驚愕した。
「見ていた?お、俺を?ずっと?!」
私の驚いた顔を横目でチラリと見て、真剣な表情で又前を見ながら、ジェラルド様が頷く。
「元々は王都のあの界隈もあんな風じゃ無かった。
大人の浮浪者は居ても、子供が一人であんな風に街の片隅で生きる様な、あんな街じゃ無かったんだよ。
ここ5年位の話なんだ、あんな風に荒み始めたのは……」
と全く関係の無さそうな話をし始めた。
だが私は黙って聞いていた。
「勿論貧しい者は居た。子供を口減らしで捨てる奴も居た。だけどそういう子供は王都の孤児院で全て引き取り、面倒を見る。
俺達騎士団の連中はそういう子供を見付けると、先ず親を探して見付からなければ孤児院に連れていく。そういう仕事もしていたんだ。
だから街の片隅で盗みをしながら、一人で生きるような子供は王都には5年前までは居なかった。
だが、5年前に事態が変わってしまったんだ。あの愚王が即位してから……」
とジェラルド様は歯軋りをしながら話す。
「そうなの?俺、知らなかった」
と素直に私は言った。
ジェラルド様は私を見て頭を撫でながら
「知らなくて当たり前だ。お前は物心付いたときにはもうあそこに居たんだろ?言っても3年経って無い筈だ。
多分お前は棄てられたんじゃ無く、拐われて何かの手違いであそこに居る事になったんだよ。他の4人の奴等も似たり寄ったりだ。
お前等つるんでないガキ達はある力を持っている。だから生きて来られたんだよ。普通なら死んでる。
何も出来ない幼児が一人で生きていけるほど、世の中は甘くないからな。
お前等はその力を命の危機の際にだけ少し発動させていたんだろう。無意識の内に。結界を張れていたのかもな。
やれと言われて出来るもんでも無いのだろうが、命が掛かれば魔力の多い者にはたまに聞く話だ……」
と私に語りかける。
しかし私にはそのジェラルド様の話が皆目理解できなかった。
「へ?何の力があるって?俺は棄てられたんじゃ無くて、拐われた……?な、何で判るんだよ、そんなこと!」
と焦りながら聞く。
しかしジェラルド様は首を横に振りながら
「今のお前には未だ理解が難しすぎる話だ。しかしその内に判っていることは全て話していってやるよ。
ああ、話を最初に戻すぞ。
元々孤児院でそういう子供達は引き取っていたんだが、あの愚王が5年前に即位してから全てが変わった。
享楽的な生活を好むあの馬鹿王はその自分の生活のために、今まで孤児院や里親に国が出していた援助金全てを打ち切り、あろうことか孤児達の保護を禁じると王命を出しやがった!
それにともない税率も上げ、王の為に民は命の限り尽くせと訳のわからん話をし出した。
又あの馬鹿は自分に尻尾を振る貴族や商人を重用し、其奴等から何かを上納される度に其奴等の陳情を二つ返事で聞く。
最初の間は前王の側近達が、何とかとんでもない王命は骨抜きにしたり、又王を諌めたりしていたんだがな。
だが、そんな側近達も一人減り二人減りしてゆく一方でな。
今じゃ側近の何人かはあの馬鹿に取り入ってる害虫どもになってしまった。
早く何とかしないと……。
とにかく先ず騎士団も出来ることからやっていくと言う話になったんだ。
取り敢えずは喫緊の取り組みとして、俺達は孤児の保護を最優先課題にした。
しかし保護対象が何人居るか分からんし、騎士団だけでは孤児全員の保護は流石に無理だ。
だから選別を開始したんだ。
あの界隈でつるんでる奴等は元々そう言う組織に売られて訓練されてる奴等だから、俺達も容赦なく取り締まっていた。
組織に売られた子も救うべきだと思うし可哀想だが、幼い頃から染められた奴は早々その考えからは引き剥がせない。
こちら側に余裕があり、孤児院も運営が普通に出来ていて、後、国の後ろ楯があればそんな子供達にも手を伸ばしたいが、今は望むべくもない。
保護対象となる、つるまないでただ一人で行動している子供を確定するのに少々骨がおれた。見た目では中々判別が難しかったしな。
間違えてつるんでるガキを保護してしまったら、その組織は散らばって潰せなくなる。その取り締まりの妨害をせぬように、何人一匹者が居るか、本当に裏社会の組織の者では無いのか、慎重に見極め、漸く何人かが特定できた。そして騎士団で何とか保護しようと動いていた矢先に、あの愚王がとんでもない命令を俺達に下したんだ……」
と歯を又食い縛って怒りを抑えるように言葉を切った。
その命令が今回の取り締まりだと云うことは、流石に私でも判った。
だが、確認せずには居られず
「俺達を捕まえて、全員処分しろ……てヤツか?」
と言葉に出した。
「……ああ。勿論とんでもない王命だ。従う訳にいかないと騎士団も国の重鎮も常識ある者達は全て反対した。
しかしこれにはからくりがあって、影に隠れて敵がアレを操っていたんだよ。……俺達は油断していた。先手を打たれたんだ。愚王が何故愚王となったのか、それをもっと考えるべきだった。
……反対しても、もう遅かった。あの知恵者の参謀ですら、裏をかかれてしまったんだ……。
従わざるを得なかった。
だが、全て屈伏する訳にはいかない。せめてお前等だけは、何がなんでも救うと決めたんだ。……。
すまない。俺達に力が無いから、お前達に全て皺寄せが行ってしまった。
お前達は今この国を動かしている大人達の犠牲になったんだよ……」
とジェラルド様は前を見据えながら手綱を握り締め、声を掠れさせた。
私はジェラルド様の話を聞きながら、黙っていた。
ジェラルド様が話した全ての内容が理解出来る訳がない。
だが何だろう、とても真剣なこの人の声は私の心にスッと入ってきた。
話自体は私達を人間扱いしない王への怒りと自分達の不甲斐なさを懺悔するという、犠牲になった私たちから見れば何を勝手な、と腹立たしく思って当たり前の内容だった。
だが私は嬉しかった。
一人きりの私を見てくれていた、気にかけてくれていた人が居た事実だけで充分嬉しかったんだ。
そして、私達を救うには難しくなった状況でも諦めず、本当に救ってくれたという事実を私は身を以て知っている。
その一番大事な事だけは理解出来たから、後の事はどうでもよかった。
この人は私を救う義理も何も無かったのに、暗闇に居た私を光の元に連れ出してくれたんだ。
もう、ジェラルド様に付いていく理由はそれだけで充分だった。
だから……
「良いよ、もう。難しいことわかんねーし。おっさんは俺を見ていてくれた。そんでちゃんと助けてくれた。それで充分だ。だから俺、おっさんに付いてく。俺付いてって良いんだよな?おっさん」
と笑いながらジェラルド様に言った。
ジェラルド様は私を見ながら優しく笑って
「……ああ。勿論だ。お前は俺が育てる。これからお前はフェリークの子だ」
と言った。
俺は首をかしげて
「フェリーク?何か聞いたな、その言葉。あ、おっさんの名前だろ?おっさんの家の子にしてくれるのか?
でもおっさんの奥さんが許してくれるかな」
と尋ねる。
「あ、もう言ってある。大丈夫、大歓迎だとさ。アイツはそんな心の狭い女じゃねぇから。俺の家族には既に伝わってるから心配要らない。
寧ろ心配なのは、お前の方だ」
とジェラルド様がニヤリと笑う。
「へ?何で?あ、家が小さいのか?俺も働かなきゃ生活苦しいのか?
そんなの気にしねぇって!屋根があって寝るとこがあるなら充分だよ。
畑仕事だろうが、力仕事だろうが何でもやるさ~。今までと比べたらすっげぇ良い暮らしだよ。
奥さんも優しそうだしさ!働くのは任せろって。楽させてやるよ、おっさん!」
と胸を叩いてニカッと笑って見せる私にジェラルド様はクッと笑いながら
「そいつは頼もしい。忘れんなよその言葉!よーし、俺はお前に養って貰うとするか!」
と私の背中をバンッと叩いた。
「いってー!馬鹿力なんだよ、おっさんは!俺小さいんだから手加減しろよ、全く」
とジンジンする背中に手をやりながら、私はジェラルド様に文句を言った。
ジェラルド様はそんな私を見て大笑いした。
フェリークに着くまでの時間、そんな幸せなやり取りを私は楽しんでいた。
「さて、ここが最終関門だ……。
おい、ガキ。気合い入れろよ?多分手配が回ってる。
これからお前の名前はガルシアだ。わかったな?言ってみろ、お前の名前は?」
とジェラルド様は急に真剣な顔になり、私に名前を言うように指示した。
急に名前を与えられたことに焦り
「えっ!な、名前?!何で急に!が、ガルシア?俺、ガルシアって名前?もっと早く言ってくれよ、慣れねーじゃんか!」
とアタフタと名前を口にする。
ジェラルド様は
「すまん、話に夢中になりすぎてお前に名前を付けるの忘れちまってた。
しかし、もう関所に着いちまう。無理矢理でも慣れろ!
……だがお前の名前は今急に決めた訳じゃねぇ。ちゃあんと考えてあったんだ!又名前の意味は後から教えてやる。
とにかくお前はガルシアだ、良いな?
ガルシアって呼ばれたら、ちゃんとハイッて返事しろよ!」
とこちらも幾分焦りぎみに説明をする。
「お、おう。じゃないや、ハイッ。俺はガルシア、俺はガルシア……」
と名前を繰り返し呟く私に
「あ、もうひとつ!俺、じゃなく僕だ!良いか、僕はガルシアです、だ!」
とジェラルド様は一人称を正してきた。
「えっ!ボ、ボクッ?!です?!出来ねー、俺!いや、僕?!わ、わかんなくなってきた~」
と益々混乱する私に
「落ち着け!お前ならやれる!大丈夫だ。ゆっくり言ってみ?僕はガルシアです、だ。ほれ?」
とジェラルド様は復唱するように言う。
「う、いや、ハイッ!ボ、ボクはガルシアです。僕はガルシアです……」
と私は空を見つめながら呟き続けた。
呟き続ける私とジェラルド様の馬車は、大きな石壁に挟まれた重厚な門扉のある場所に近付いて行く。
私は呟く口を思わずあんぐりと開けた。
「アレ、なに?」
するとジェラルド様は真剣な表情で私に教える。
「あれが関所だ。フェリークを守る砦だよ。あそこに恐らく王都からの追っ手が張っている筈だ。
あの関所に居る門番は俺の味方だが……さて、誰がやって来ているのやら」
とジェラルド様が真剣な目をしながらニヤリと口元を歪める。
まるでその追っ手が誰だか判っていて、今からその追っ手を潰してやるとでも言いたげな表情だ。
「だ、大丈夫?俺、いや僕達捕まるの?僕……捕まったら処分される……?」
と怯え始めた私に
「ここはもう王都じゃない。フェリークだ。俺のフェリークで奴等の好きにはさせん。
大丈夫、俺に任せろ。安心してお前は笑って馬車に座ってるんだ。良いな?名前を忘れるなよ?」
とジェラルド様はイタズラっぽく笑い、頭を撫でた。
「おい、貴様!止まれ!止まるんだ!」
と門扉に近付くと騎士が何人かバラバラと馬車に走り寄って、私達を囲んだ。
ジェラルド様と同じ王都騎士団の制服に身を包んだ奴等だった。
(こいつらが、おっさんが話してた追っ手……。
見たこと無い奴等ばっかだ……って、アレ?!あ、アレ……あのデブはまさか?!)
私は目を丸くしながら、最後にゆっくり歩いて近付いて来た騎士を見た。
「おや、お前さんはあの能無しじゃねーか。一体俺に何の用だ?俺ぁあの取り締まり終了後、直ぐに里に帰任すると手続きしていたんだが。何で王都の騎士達が俺を待ち伏せしてやがるんだ?」
ジェラルド様があの平民騎士に声を掛ける。
「ああ。確かに。しかし貴様は命令違反を犯した。王命に従わず、あのガキを処分せずどこへやった!
……あの後、何人かの騎士がガキを連れて逃げたという報告が入ってな。私はこのフェリークで貴様を捕縛するため、夜討ち朝駆けでこの関所までやって来たんだ!
人も名前もふざけているが、やることまでふざけたのはやり過ぎだったな、ジェラルド・フェリークよ!
私は自ら貴様を捕縛し、ガキをこの手で処分し、この大領地フェリークの領主に恩を売る。このフェリークの名前を使って悪さをする人品卑しい貧乏貴族を私がこの手で潰し、こちらの領主と懇意になるのだ。
既にフェリーク領主夫人とは目通り叶って、先程お話をさせていただいた。前領主様もお越しだ。残念ながらフェリーク公は居られなかったが、今後がある。
……あの美しい領主夫人の前で貴様を断罪した後、捕縛し私の名と顔を覚えていただくのだ!
覚悟しろ、この貧乏貴族がっ!さあ、ガキを出せ!」
と手を突き出しながら、更に近付く平民デブ騎士。
ジェラルド様は暫く平民デブ騎士の長~い喋りと、顔を紅潮させて得意気に振る舞う姿を見つめていたが、やがて大きな溜め息を一つ吐き
「……アチャ~。何だよ、家で待ってろって言っといたのに。
うわ、カッコ悪。これからアイツ等の前でこいつに啖呵切らなきゃなんねーの?最悪だ、親父まで居るってか。……止めてくれ。
……あーもぉっ!
ゴラ、このボンクラ能無しデブ!よくもアイツ等に言いやがったな!要らん事ばっかしやがって!
許さねー、ボッコボコにせにゃ気がおさまらねぇ!覚悟しやがれ、このゴミがっ!」
と馬車から飛び降り、仁王立ちになってた平民デブ騎士の腹に蹴りを一発入れた。
不意を突かれた平民デブ騎士はものの見事に吹っ飛び、門扉近くまで転がって行った。
「グアアーーッ!ウガアーーッ!ま、また腹を……ゆ、ゆるさん……貴様だけは絶対に八つ裂きにしてやる……グゥッ」
のたうち回りながら悪態を吐く平民デブ騎士。
ジェラルド様はそんな平民デブ騎士に見向きもせず
「ああ、一緒に来さされたアンタ等は気の毒だったな。で、騎士団本部は何て言ってんだ?有るだろ、令状。見せてみな?」
と周りを囲んだ騎士達に声を掛ける。
騎士達は顔を見合せて互いに頷くと、丸めた羊皮紙をジェラルド様に差し出し
「一応あの行方不明になった孤児の居所を知っておられるか、貴方に確認するようにと。
それから馬車の中に潜んで居るかもしれぬから馬車を検索し、何もなければ我々は帰還するようにとの事です。団長指示です。
ただ貴方の命令違反等は我々は聞いておりません。あのフォルト殿の独断です」
と一番顔立ちの整った、出来る感じの若い騎士がジェラルド様に伝えた。
「おい、貴様!何を勝手にヤツに令状を見せている!
それはこのフェリーク捕縛班の班長である、このフォルト様が貧乏貴族のこの嘘つき野郎に突き付けるんだぞ!
勝手な事をすれば、貴様も処分してやる!覚悟しろ!」
と踞りながら、その若い騎士を罵る。
若い騎士は踞ったままの平民デブ騎士フォルトを冷たく見据え
「……貴方が班長だなどと、我々は聞いておりません。第一貴方は無理矢理私達に付いてきたのではありませんか。
一応私より早く入団されていますから礼を取ってはおりますが、余りに見苦しい言動や行動を取られると私達も困るのです。いい加減大人しく控えて居てくださいませんか。
……私にも我慢の限度がありますよ?フォルト殿」
と言い放つ。
「グッ……き、貴様~!平民のぺーぺー騎士がこの私に楯突くとは!貴様も許さんっ!お父様に言い付けて、処分してやるからな!」
と立ち上がりつつ、又悪態を吐く。
「……ご自由に。さてジェラルド殿。一応お聞きいたします。あの孤児の行方をご存じありませんか?」
若い騎士はジェラルド様に向き直り、淡々と質問をする。
「いや、私はあの子の行方など知らぬよ。処分するように指示を受けたが、その後処分の為に向かった房の者に引き渡したんだ。
……息子と同じ年格好だったものでな、とても自らの手で命を絶つなど出来なかったんだよ。
すまない、確かに処分はしなかった。それは命令違反かもしれぬな。しかし引き渡しはしたのだがな……」
とジェラルド様も淡々と嘘を吐く。
すると若い騎士は微かに笑い
「いえ、貴方が孤児を処分しないことは団長も了解されていました。
あの孤児と同じ位の息子さんが居られたのなら、無理もありません。
団長も副団長も参謀も皆さん、貴方には酷であると仰って居られましたから。
ですから孤児の処分については、既に貴方への任務記録から削除されております、命令違反等ありません。ご安心を」
とこれ又淡々と伝える。
ジェラルド様は若い騎士に軽く頭を下げ
「ご寛恕痛み入ると、団長方々にお伝えください。君達にも迷惑を掛けたな、シュナイダー。すまない。ああ、馬車の検索だったな。頼む」
と馬車に案内する。
すると漸く立ち上がったデブ騎士フォルトが
「ええい!退け!私が直々に馬車の検索をする!貴様等に任せておけるか!
さっきから聞いていれば、好き勝手な事ばかりほざきよって!絶対こいつがあのくそ生意気なガキを連れて逃げたんだ!私は見たんだからな!」
と馬車に足を掛けて飛び乗ろうとした。
そして御者席に座る私に気付いた。
「な、なんだ?誰だ、お前は!」
とフォルトは私に噛みつくように聞く。
「はい、僕はガルシアです」
とジェラルド様の指示通りに小さな、しかしはっきりした声でにっこり笑って返事をする。
「ガルシア……?ちっ、知り合いの子供かなんかかっ!早く退け!中を見るんだ、貴様は邪魔だ!」
と私に馬車から降りるように怒鳴る。
私は困った様にジェラルド様を見ると
「おお、ガルシア可哀想に。怖かっただろう。折角きちんと挨拶したのにな。礼儀知らずのボンクラのせいで嫌な思いをさせてしまった。すまない」
とジェラルド様は私を優しく抱き上げて馬車から降ろし、自分の後ろに私を庇うようにした。
馬車に乗り込んだ平民デブ騎士フォルトは、馬車の中でドタンバタンと暴れながら検索している。
私やジェラルド様、若い騎士のシュナイダー殿や後の王都騎士達は呆れた顔で、あのデブの一人大騒ぎを見ていた。
やがて何も見つからなかったフォルトは
「く、くそっ!一体何処に匿った!ジェラルド・フェリーク!ガキを出せ!」
と馬車から顔を出し、ジェラルド様に噛みつく。
ジェラルド様は肩を竦め
「訳のわからん事を……。私はガルシアを連れて、ゆっくりと景色を観ながら帰ってきただけだよ。なぁガルシア?川は綺麗だったよな?」
と私に話し掛けた。
「はいっ!とても水が冷たくて、キラキラしてたの!」
と私も調子を合わせる。
シュナイダー殿も
「それは良い体験をしたね。あの川はとても綺麗だから。私も任務でなければゆっくりと観て帰りたい位だ」
と私に笑いかけてくださった。
私は嬉しくなって
「はい!騎士様達も観てください!本当にキラキラで!」
と騎士達にニッコリ笑って感想を言った。
すると騎士達も私に笑ってくれ
「ガルシア君は素直な良い子ですな、ジェラルド殿」
とジェラルド様に優しく言ってくださった。
ジェラルド様も嬉しそうに頷く。
すると後ろで平民デブ騎士フォルトが
「何を呑気にそんなガキと話をしてるんだ!おい、お前等!早くジェラルド・フェリークを捕縛しろ!
あのガキを何処に隠したのか尋問するんだ!そんなチビの貴族のガキなどに構っている暇はない!
さっさとやれ!この能無し共がっ!」
といきり立って騎士達に命令する。
王都騎士達が顔を強張らせ、不穏な空気を纏ってフォルトを見た。
その時だった。
そんな空気を吹き飛ばすかのように、優しくて軽やかな女性の声が関所の方から近付いて来た。
「まぁ!ジェラルド様、もう着いておられたのですか?
何故、そんな所でお話をされてますの?
王都騎士の方々もお疲れなのですから、早く屋敷に案内をさせて頂かなくてはなりませんのに。
……まぁ!貴方がガルシアね!待っていたのよ!私がジェラルド様の妻のグレースです!
さぁ、いらっしゃい!何て綺麗な子なんでしょう、会えて本当に嬉しくてよ!
さあ、私に早く貴方を抱っこさせて頂戴!」
と凄い勢いで私に走り寄ってきたグレース奥様は、ジェラルド様が止める間もなく私を抱き上げて、頬擦りしキスの嵐を降らせた。
「は、はい!僕がガルシアです!……て、ええっ!あ、あの!ま、待って待って~!キャア~!」
私はグレース奥様の物凄い大歓迎に目を白黒させて、思わず悲鳴を上げてしまった。
ジェラルド様も王都騎士達もグレース奥様に毒気を抜かれて、呆然としている。
グレース奥様の見た目は儚い美人で、髪は美しく深い蒼色、目は長くて濃い蒼の睫毛に縁取られた大きなビリジアンの瞳をしておられた。
しかし儚い見た目とは裏腹に、目はキラキラと少女の様に輝いていて、艶やかなピンクの口元は大きく笑っていて、バイタリティの塊の様な方だった。
奥様に抱かれてぐったりしている私に、漸く気付いたジェラルド様が
「ま、待て、グレース!ガルシアが気を失いかけている!大歓迎は解ったから、少しは加減しろ!」
とグレース奥様を止めに入った。
グレース奥様もぐったりした私の様子に気が付き
「きゃあ!ガルシアちゃんが大変!
誰がガルシアちゃんをこんなに疲れさせたの!もぉっ!ジェラルド様ねっ!
早く屋敷で介抱しなければなりませんわっ!私が元気にしてあげますからね!
ジェラルド様、私ガルシアちゃんの介抱のために直ぐ屋敷へ帰ります!
よろしくて?!」
と私をきつく抱き締めたまま、ジェラルド様を睨むグレース奥様。
ジェラルド様と王都騎士達は、グレース奥様の迫力にタジタジになっている。
しかしここでも空気を読まないあの平民デブ騎士フォルトは、グレース奥様に近寄り、彼女の目の前にひざまづくと
「おお、我が麗しのフェリーク領主夫人!
申し訳ありません、このような見苦しい男をお目に入れて。
こ奴はしがない貧乏貴族なのですが、王都で命令違反を犯しましたもので、優秀な私が捕らえるべく追ってきたのです。
早速私フォルトが、こちらの領地に逃げ込もうと企むこの不届きな貧乏人のジェラルドめを貴女様の目の前で断罪致しますゆえ!
どうかご安心なされませ……」
と、まるで三文芝居の役者の様に畏まった言葉を話した。
しかし芝居の様だと思ったのは私やジェラルド様、それと王都騎士達だけだったらしい。
グレース奥様の顔が強張り、やがて彼女の美しく大きなビリジアンの瞳が鋭い光を帯びて、目の前のデブを睨み付け始めた。
いち早くジェラルド様はグレース奥様の変化に気づき、目に見えて焦り出した。
デブは自分に酔い、目を伏せてひざまづいたままグレース奥様の言葉を待っている。
ジェラルド様も思わぬ展開に焦りの表情を濃くし
「あ、あの、グレース?お、落ち着いて、な?俺は大丈夫だから、な?余り……」
とグレース奥様を宥めようとする。
しかしグレース奥様はニッコリ笑うと、ぐったりした私を優しくジェラルド様に渡し
「貴方はガルシアちゃんと下がっていらして。ああ、王都騎士の方々、暫くお待ちくださるかしら?
それから一番門扉に近い、そう、貴方様。
申し訳ありませんが、関所に居られるお義父様と我がフェリークの騎士達をお呼びくださいませんか?
その後は騎士様もどうか下がっていてくださいませ。
私、大事なものを傷つけられたり、罵られたりするのが一番我慢がなりませんの。
フェリーク領主夫人の私の前で、よくもこのような無礼を働いてくれましたこと。
許せない……その命をもって償って頂きましょう。覚悟なさいませっ!」
と声も高らかに宣言した。
するとそのグレース奥様の声を聞いた平民デブ騎士フォルトが、喜色満面の表情で顔をあげた。
「おおっ!流石はフェリーク領主夫人!分かりました、早速私めがこのけしからんジェラルドを……て、えっ?
あ、あの、夫人?何故私がフェリークの騎士に囲まれているのですか……?」
と周りを見て、戸惑いの声を漏らす。
グレース奥様は先程とは打って変わった酷薄な笑みを浮かべ、ひざまづいたままのフォルトを見下ろしながら、フェリークの騎士達に命じた。
「この痴れ者の騎士紛いの豚を捕縛しなさいっ!
フェリークの領地内で、よくも我が夫であり領主であるジェラルド様に対して、無礼を働いてくれましたわね!
平民である其方がよくもよくも……!
これはフェリークに対する侮辱です!
貴方と貴方の実家に対し、厳しい処分を下して頂くように王都騎士団並びに王宮に伝令を向かわせます!
その醜い姿、今後一切見なくてすむように処断して貰いますから覚悟なさい。
私を、フェリークを怒らせたことをその命で償って頂きます!
さあ、この穢らわしい豚を早く連れてお行きなさい!」
とフェリークの騎士達に鋭い声で命じた。
領主を虚仮にされた怒りに顔を強張らせたフェリークの騎士達は迅速に動き、乱暴極まりない手付きでフォルトを捕縛する。
「な、何故私が!ジェラルド様って、まさかそんな!本当にこの男が?!」
と捕縛され引きずられながら叫ぶフォルトに
「まだ、我が夫の名を口にするか!痴れ者め!
許さないっ!二度と喋るな、この豚がっ!」
と激高したグレース奥様は走り寄ってフォルトの顎を思いっきり蹴りあげた。
「グアッ!」
一声叫んでぐったりしたフォルトを、フェリークの騎士達が乱暴に引き摺って関所内の牢屋に運んでいった。
その一部始終を固唾を呑んで見ていた私やジェラルド様、王都騎士達は、肩で息をしながら怒りに震える美しい領主夫人に恐れをなしていた。
ジェラルド様が領主だと知ったのに全く驚けない位、グレース奥様にビビってしまった私は
(お、奥様にだけは絶対に逆らわないようにしよう……怖すぎる……。良い子にならないと俺、違った、僕も殺される!)
と固く心に誓ったのだった。
それはその場に居合わせて、同じ位ビビった王都騎士達により王都騎士団にも伝えられ、フェリーク領主夫人最凶伝説が生まれたのだった。
何はともあれ、こうして私は街の片隅で一人ゴミの様に生きてきた生活からジェラルド様に因って助け出されたのだった。
その後、フェリーク領主のジェラルド様の元暮らしていくことになったのだが、その生活に付いては又後日に話そう。






