ブッチャー・ルガル
仕事だ。
寝ている所を叩き起こされおれは不機嫌だ。仏頂面の大男が冷たく言い放った言葉におれの機嫌はさらに悪くなる。この目の前の平凡で特徴のない顔面に拳を叩き込み歯を砕き鼻を折り二度と人前に立てなくしてやりたいと思うがコイツは金色の鎧を着ている。王国騎士つまりジェラルドの手下だ。だとすれば闇ギルド絡みの仕事だ。王都第四区画のクソ溜めで暮らしているおれからすれば闇市場は貴重な収入源だ。おれは床に転がっていた酒瓶を掴み中身を一気にあおった。胃が熱くなり意識が明瞭になる代償に二日酔いの頭痛が加速しおれを苛む。頭を抱え起き上がろうとしないおれに男は軽蔑の眼差し向ける。コイツはおれをクズだと思っているカスだと思っているゴミだと思っている。確かにその通りだがジェラルドの手下とあっては王国騎士だろうがコイツもおれと変わらないごみ溜めのクソ野郎だ。この男はそれを分かっていないクソだという自覚がない。そういう人間はたちが悪い。おれは苛々してきた。だがだからっておれに何ができる。ジェラルドに楯突くなんてナンセンスだ。下手をすれば殺される。
ジェラルドは王国騎士団の上級騎士でありながら王都の奴隷市場を支配する恐ろしい男だ。貴族や元老院に強力なコネを持ちあらゆる場所に金をばらまき王都の裏社会を支配する男のひとりだ。おれなんか消そうと思えば簡単に消すことができる。
ようブッチャー相変わらず酷い生活だな。
聞き覚えのある声がした。おれは部屋の入り口を見る。茶色い癖毛の女が冷たい眼でおれを見ている。
アニーシャルカ何の用だよ。
仕事だよ仕事。毎日毎日酒浸りだなオメーは。アル中のネルグイよか酷いぜ。
うるせえな。お前の声は頭に響くんだよ。
口の利き方がなってねーな。昔馴染みじゃなきゃ指の二三本切り落としてるぜ。
どこから取り出したのかアニーシャルカは指先でナイフを弄んでいる。
アニーシャルカは幼馴染みだ。おれはルガル傭兵団でコイツやバルガスという男と共に育った。アニーシャルカとバルガスはよくつるんでいたがおれは暗いガキで鬱の傾向が強く人間嫌いで他人といるのが苦痛だった。あの頃のルガル傭兵団にはガキが多かった。戦場の孤児を拾ったり団員同士が子供を作ったり娼婦たちの棄てたガキ引き取ったり・・・とはいえせいぜい十数人だが傭兵団のようなやくざな場所にそれだけのガキがいるのは異様だ。おれたちは朝早く起きると朝食を作り団員の装備を用意し洗濯と掃除をすませそして剣術を叩き込まれた。ネルグイというのはおれたちに剣術を手解きした男だ。そいつは四六時中スキットルを手放さない筋金入りのアル中でしかもクソがつくほど厳しい男だった。ガキどもは短剣を握らされひたすら鍛えられた。手の皮が破れ全身に痣を浮かべ時には骨を折りそれでも皆死ぬほど辛い鍛練を乗り越えていった。ここしか家がないからだ。ガキどもの中でおれの実力は三番手といったところでおれの上にバルガスがその遥か上にアニーシャルカがいた。この女はガキの頃から文字通り隔絶していた。剣を握って十日で小鬼を仕留めたような女だ。一年後にはルガル傭兵団の中堅ほどの実力を身に付けていた。八歳の女の子がだ。まさしく天才だ。だがただの天才じゃない。イカれた天才だった。アニーシャルカが十一歳の時ある事件が起きた。ビルマという傭兵がルガルに入団した。ハンサムな男でなかなかに剣の腕もよく王国ギルドの基準に当てはめれば六七闘級の実力者だった。仕事はよくするし酒癖も悪くなく報酬に文句をたれないと申し分ない奴だ。おれたちガキにも人気があってネルグイとの鍛練で傷ついたおれたちに魔薬水をくれたり高級なコカトリスの肉を差し入れてくれたり優しい兄貴分のような存在だった。だがコイツにはひとつだけ問題があった。性癖だ。ビルマは少女を相手にしないと勃たないロリコン野郎だった。ビルマの眼に当時のアニーシャルカはドンピシャだった。白い肌に可愛らしい癖毛に引き締まった肢体。おれはなぜビルマがアニーシャルカの眼を見なかったのか疑問だ。もしもアニーシャルカの瞳をしっかり覗き込んでいればコイツの奥に潜む狂暴な獣の気配に気づけたはずだ。だがビルマは気づけなかった。欲情に負けたのだ。深夜おれたちはビルマの断末魔で叩き起こされた。声はアニーシャルカの部屋から響いた。おれは同室のバルガスと共にアニーシャルカの部屋へ向かい扉を開けた。血の海だった。切断された四肢がベッド脇に転がっていた。腹を裂かれた胴体が臓物を撒き散らしながらぐらぐらと揺れていた。アニーシャルカは血の海で右手に短剣を左手にビルマの生首を持っていた。強姦されそうになったから殺っちゃったぜ。不思議と男に触られるよりこうして殺らしてる時のほうが濡れるんだよね。アニーシャルカはおれとバルガスに嗤いかけた。
そういう女がおれの私生活を酷評するのは間違っている。
さっさと起きろや。ジェラルドからの仕事だぜ。遅れると耳削がれるぞ。
クソ厄介事じゃねえだろうな。
お前に持ち込まれる仕事なんざ厄介事しかねーだろうが。
おれは起き上がる。平衡感覚がおかしい。現実感もあやふやだ。こんな状態で仕事をしなきゃならない。
おれは毒づくとアニーシャルカの方へ歩いていく。
朝起きるたびに思う。この世界はクソだ。悪夢であってほしいと。だがこれは現実だ。悪夢よりたちが悪い。