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次の日も、そのまた次の日も、おとひっちゃんの機嫌はすこぶる良好なままだった。。
総田が唖然呆然としつつも、おとひっちゃんの好意ある『フォークダンス企画』へのアドバイスをありがたく受け取っているらしいということも聞いた。誤字脱字および会計関係の書類なども、川上さんが苦労しているところをさらさらっと手直しして、黙って渡してくれたという。
別に、小学校の頃から知っているおとひっちゃんの、ふつうな部分を見せているだけじゃないかと、僕は思うけれども。
そういう顔を生徒会室で全く見せられなかったということは、相当、おとひっちゃんも心がすさみまくっていたに違いない。
もちろんその陰には水野五月女神様がいらっしゃることも確かだった。
僕が仕組むことのできる、唯一の方法だ。
さっきたんが週番で職員玄関に立っている時を見計らい、
「今日も大変だよね、さっきたん」
と、声を掛け、一緒に教室へ戻る。必然、噂になりそうだけど、かえって意識すると思う壺だから堂々としている。
さっきたんもご立派なものだ。決して、僕と話した内容を他の女子にはばらさないようだった。
別に話したことってそんなにすごいことではない。
「さっきたん、女子の友達同士ってどうなのかなあ。やっぱり友達のことを心配したりするだろう? 俺もばかみたいだなって思うけど、やっぱりおとひっちゃんのことが、心配なんだ」
あえてさらりと、でもため息をつきながらつぶやいてみた。
「佐川くんと関崎くん、本当に仲がいいものね」
「だから、何とかして、あいつを生徒会長にしてやりたいんだ。こんな、失策続きの副会長っていう汚名を、晴らしてやりたいんだ。あいつがやめるなんて言ったら、絶対にその『汚名』は晴らせないんだからさ」
「そう。そうよね。私もそう思うわ」
一週間に三回程度、ちょこっとだけしゃべるにとどめた。
あまりたくさんやらかすと、さっきたんも馬鹿じゃないから気付く可能性が高い。僕が大切な親友のことで悩んでいることを、さっきたんに伝えればそれでいい。ずっと悩みつづけていて、いい方法が見つからずという風に振る舞い、さっきたんの顔を曇らせる。
不思議なことにさっきたんは、かならず僕の望んだ通りの行動を取ってくれた。
「佐川くんが内緒にしているから、選挙のことは話さなかったけれど」
と前置きをつけて、さっきたんは話してくれた。
「さっきも、関崎くんとすれ違ったの。なんだか、少しずつだけど元気を取り戻しているようす。私の顔を見て、ちょっとだけ笑ってくれたわ。最近はそんなことなくて、目をそらされていたんだけれど、やっぱり女子の反響が悪いっていうのを気にしていたのね」
おとひっちゃんがなぜいままでさっきたんから目をそらしてきたか。
その理由は簡単だ。
さっきたんの顔を見ると自分が真っ赤になってしまい、意味不明なことを口走りそうになるからに決まっている。
「生活委員会でも、学校祭の制服規定問題をもう一度考え直して、生徒会に意見書を提出しようかって話が持ち上がっているの。二年生の男子には、私たちと同じ小学校の人が多いから、気持ちも伝わるのね」
「さっきたん、その意見、誰が言い出したんか」
「私。ううん、手を挙げていったわけじゃないの。合間のおしゃべりで、なんとなく、女子と男子が盛り上がって、関崎くんを助けてあげようよってことになったの」
残念ながら生活委員会がどういう雰囲気だったのかはわからない。
ただはっきりしていることは。
さっきたんが僕の望むことをみんな、読み取って実行し、想像以上の効果をあげてくれたってことだけだ。
そんなこんなで一週間がたち、二年実力テスト、および担任の先生との面談、その他いろいろなことが続いた。
水鳥中学の場合、クラスの活動発表などはほとんどない。授業でこしらえた鉄の状差し、マガジンラック、女子は手芸品、クッキーなどを売るにとどまっていた。
うちの母さんをはじめとするPTAの人たちが、教室利用ということで食堂をこしらえてくれた。チケットは前もって配られている。おなかがすいた時は、学校で注文したドーナツのセット三個で100円ものなどを、チケットで購入するようになっていた
唯一部活で参加させてもらえるのが音楽部の連中だろう。全校生徒が体育館に詰め込まれて、延々と一時間半、演奏を聴かされる。音楽が好きならそれでもいいけれど、僕はすでに寝るだけだった。
二日目に弁論大会。
去年までは三日目のメインイベントだった。
もちろんそれをずらすためにおとひっちゃんと総田を代表とする生徒会が力を尽くしたのはいうまでもない。
各クラス一名ずつ『僕の主張』『私の主張』という名目で作文を読み上げる。クラスで一応は取り捨て選択を行うべく、学級で発表してもらうのだけれども、結局決めるのは担任の先生だ。先生達を攻撃するようなものではなく、あくまでも『自分』の内面を優先した内容を選ぶ傾向がある。ま、それにおとひっちゃんはむかついたってことだ。自分の意志ではなく、先生たちの意志で弁論の原稿を作って、いったいなんになるんだと書いたのが一年前のことだった。
生徒会は初日、二日目の行事にほとんどタッチしていないらしかった。
教室からの移動指示を出したりする程度じゃないだろうか。始まりと終りの挨拶くらいだ。最初は総田、終りの挨拶はおとひっちゃんにすることに決めていたらしい。
僕は行事を成り行き任せに眺めていた。
たまにさっきたんへそれとなく話かけたりする程度だった。
おとひっちゃんと話す機会も一週間くらいは全くなかった。そう言うとみな驚く。僕とおとひっちゃんとがいつもお神酒徳利のようにくっついていたことを知っているからだろう。
忙しい時に顔を出されて、下手におとひっちゃんに怒鳴られるのは勘弁してほしい。
また、総田との間にまた挟まれて、顔色伺いあうのも疲れるからやめたい。
どこの部活にも顔を出していなくて、かといってエスケープするほど度胸もなく、ただみんなと仲良くしゃべっていたい、そんな連中が二年三組の教室にたむろっていた。五名くらいがぼんやりと日差しの薄れ行く中、机をかためてトランプをはじめていた。ばばぬきらしい。
僕は面子をみきわめた後、すぐに混ぜてもらうことに決めた。
男子三人、女子三人。カードのテンを切っているのはさっきたんだった。
生活委員も今のところはお仕事が明日までないらしい。
僕が来るのを見て、戸惑い加減に目をまんまるくしていたけれど、すぐにいつものやわらかい表情に戻った。僕は隣に坐った。
トランプゲームは僕も結構強い方だ。別に考えたことなんてないけれど、いつのまにか僕の方にいい札が揃ってしまい、勝手に上がってしまう。理由はわからない。トランプの神様がついているとしか思えない。さっさと上がりを決めた僕は、となりのさっきたんの札を覗き込み、ちょこちょこっと助言してやったりしていた。さっきたんの方はというと、運が向いていないらしく、なんどもジョーカーを引いてしまう。
「ずっとこうなの。調子が悪いみたい」
「でも顔に出したらだめだよ。知らん振りして、持っていないふりをしなくちゃ」
さっきたんの強みは、ジョーカーを持っていてもそれこそ『ポーカーフェイス』を保ちつづけられることだろう。僕の助言を素直に聞いて、さっきたんは三番目に上がることに成功した。
「そりゃあ、水野さん、佐川っていう強い味方がいるんだもんなあ」
「そうだよ、佐川強すぎるぜ。さ、やーめたやーめた。金かけてねえのにこんなことやってたって、不毛すぎるもんな」
「俺、入ったばかりなのに、すぐにやめるなんてひどいよ。あーあ。なんのために来たんだろ」
トランプを片付ける男子学級委員に、これみよがしにいやみを言うが、誰も聞いてくれない。わかっている。僕はやたらと勝負事に強い。自慢じゃないけれど、おとひっちゃんにもトランプやオセロなんかで一度も負けたことがない。総田とはまだ手合わせしたことがないが、たぶん勝てるだろう。ああいうのは気合で勝負だ。
すでに総田と僕との力関係は均衡しているか、むしろ僕の方が勝っている。
そういう相手と勝負するのは得意だ。
でもあまり、やりすぎると今のように、誰も相手にしてくれないという問題がある。しかたないので、僕も、チケットで引き換えてきたドーナツを開き、食べながらだべっていた。さっきたんも一緒だった。
晴れすぎた空の影が、教室の窓いっぱいに流れていた。ここに残っている連中はみな、派手に騒ぐでもなく、仲間はずれにされるでもなく、ただ疲れて休みたくなった連中ばかりだった。他の同級生たちはすでにグラウンドで勝手に遊んでいるか、展示を見て回っているかだろう。もしくは帰っていたりして。
僕の隣で黙って聞いているさっきたんに、話を振った。
「学校祭、楽しみにしてた?」
「ううん、早く帰りたい、終わってほしいな」
正直なところだと僕も思う。まぜっかえす奴がいた。
「何言ってるのよ水野さん、明日はとうとう、フォークダンスよ。フォークダンスのためにみんな、燃えているって知っているでしょ」
一部、受けて笑う者あり。僕とさっきたんはきょとんとした顔のままだった。
「そんなに燃えるものかよ、フォークダンスってさ。なあ、佐川。たかがマイムマイムだけだろ」
正確な情報が流れてきていないらしい。生徒会サイトから得た情報によると、
「オクラホマミキサーもあるよ。あと、ジェンカとトロイカ」
ジェンカは、五人一列に並び、相手の両肩に手を置いて、右、右、左、左とステップを踏む。前飛び、後ろ飛んで、前に三回飛んで進む。分かりやすいけれども、あまり期待できない。というのがみんなの意見だ。
トロイカの方がまだましだという声も多い。参列に列を組んで真中の人が入れ替わり立ち代りする。三人で組むから、本来の目的は達せられないだろう。
両隣の人と手をつないでファイヤーを囲むマイムマイムにいたっては、もうなにを言わんか、だ。
「要するにだ、一対一で踊れる奴っていうのは、オクラホマミキサーだけってか」
学級委員が手を打って僕を指差した。
「しかも、そんなにたくさん曲があるってことは、お目当ての相手と手をつなげないうちに終わるって奴ですよ。きっと」
「生徒会も盛り上げるだけ盛り上げておいて、実は、そこのところが甘いよね。佐川くん、親友の副会長さんに言っておいてよ」
「おとひっちゃんは座談会だけだよ。そんなこと言ったら俺、生きて三組の教室に戻れないよ」
ここにいる連中はみな、小学校が一緒だったから、関崎乙彦を『おとひっちゃん』と口にしても、妙に思われない。僕は目で合図をしながら話をそらした。
「女子って何が楽しみでフォークダンスに盛り上がっているんか?」
「そりゃあ、同じ学年にお目当ての人がいればさ、燃えるかもって思うけど、私ら二年の女子って、あこがれの人がほとんど三年とかじゃない」
「あ、おめえはそうなんだ」
「話逸らさないでよ。それに、同学年だけで輪を作ったとしても、五クラスみんな総当りしないでしょ。手をつなげないうちに終わっちゃうなんて、なんか淋しいよね」
さっきたんがそそ、と口を挟んだ。
「でも、当たりたくない人も、ひそかにいるかもしれないわ」
僕とふたりの時に聞いたことのある言葉。雰囲気を翳らせたくなかった。
「それは言いっこなしだよ、さっきたん」
ひとしきりフォークダンスねたで盛り上がった。
僕にたしなめられたさっきたんはにっこり頷くと、黙って耳を傾けていた。いやな顔しないで、僕の言うことを素直に聞いてくれている。
不思議で、ちょっと怖かった。
さっきたんが、ではない。僕の口にする、言葉の力が、だった。
「そうそう、でもさ、その前に関崎副会長の命運がかかった『教師VS生徒』の座談会があるじゃない。そこの三組学級委員の君、緊張してない?」
いよいよ来た。僕は身構えた。
いくらここにいる連中が小学校時代からの友達同士だからといって、おとひっちゃんをかならずしもかばおうとするわけではない。
思ったとおり、学級委員は舌打ちした。
「司会がおとひっちゃんだっていうのがなあ、哀れを誘うというか」
「だって企画を立てたのがおとひっちゃんなんだろ。本当だったらいかにも司会なれしていそうな総田副会長あたりに任せればよかったのにって思うけど、でも、なあ」
僕に質問を振る。
「あのな、佐川、生徒会もそこんところの人選考えてなかったのかよ。関崎のおとひっちゃんがだぜ、あがらないで、エキサイトしないで、マイク持てるかって言いたい」
「切れたら怖いのがおとひっちゃんの性格だからな。俺もそう思う」
おとひっちゃんから聞いたところによると、仕切り役は関崎副会長すべてだという。各クラスの学級委員が壇上にずらっとならんで座り、各クラスの意見を読み上げる。その後先生側の意見と交換したのち、いきなり体育館で聞いている誰かから意見を募り、たまには抜き打ちで意見を請う。
この辺は僕も話してかまわない内容だから、ぺらぺらとしゃべった。
「ふうん、おとひっちゃんの情熱が真っ赤に燃えていることは雅弘の言葉でよーく、わかったよ」
「だろ、本当に情熱、そのものなんだ」
「でもなあ、自分にできることと出来ないことの見分けくらい、はっきり付けろよと俺は言いたいね」
三組学級委員は、座談会一日前になってようやく、熱く、語り始めている。こいつもちょっと勘違いしているよな、と思いつつも僕はさっきたんと一緒に聞いていた。たまに相槌を打った。
「おとひっちゃんは偉いよ。本当に頭いいし。でもな、人前で仕切りが得意な奴じゃないよ。あいつ。しゃべりも下手だし、早口になるし、いきなり議論吹っかけられたら冷静でいられないし。な、雅弘。そういう奴が司会なんてやってみろ、崩壊するぜ」
「じゃあ、どうすればよかったと思う?」
いまさら聞いてもしょうがない。でも聞く。
学級委員は確かな、でも遅すぎる答えを返してくれた。
「水鳥中学にだって放送委員会っていうのがあるだろ。そこの誰かに、まかせちゃえばよかったんだよ」
いまさらながらどっさり出てくる活発なご意見を胸の中にしまいこんだ。
があがあと、天井のスピーカーが鳴った。
耳障りにきゅうんと、マイクの悲鳴。
「本日の学校祭は、あと三十分で終了いたします。学校に残っているみなさまは、どうかお早めに展示物をごらんください。なお校内に残っている生徒のみなさんは、各教室、もしくは決められた教室に集合してください。決して、そのまま、帰らないでください」
これだって、もう遅い。
僕たちのように暇を持て余している連中でなければ、とっくに帰っているだろうに。日は翳っていき、やがて影濃く、冷たくなっていった。トランプをしまいこみ、自分の席について、大声で言葉を交わしつづけた。ひとり、ふたりと教室に戻ってくる連中もいる。だんだん、最初の五人との話題が届かなくなり、別の奴との会話が中心となり、やがて先生により中断となった。
「明日は朝八時半に集合。九時から、生徒会主催による「座談会」だ。学級委員二名は、朝の会に出なくてもいいから、真っ直ぐ体育館に集合するように。そして昼の展示が終わってからは、学校祭最後を締めくくる、フォークダンスが行われる。いいか、生徒自身の手で取り仕切る、初めてのことなんだぞ。お前らももっと、情熱を見せてみろ」
先生の方がおとひっちゃんたち生徒会の情熱に影響されているんだと思う。
だから、なんとか盛り上げてやりたいと思っているんだと思う。
どうして、肝心要の生徒たちがこうまでしらけているんだと、不思議がっているだろう。
僕は、ぼんやりと聞き流しながら、さっきたんの方を見た。
うんうんと頷いている。
本当にさっきたんって、「ミス校則」だよな。
似合う格好が校則どおりの格好だよな。
おとひっちゃんは別にそういうところを好きになったわけじゃないと思うけど、でも、自分の味方がこういう形でいてくれているってのは、きっと、舞い上がるほどうれしいんだろう。
帰りの会が終わると僕は、すぐに教室を出て、ひさびさに生徒会室に寄ってみた。
やっぱり明日の大仕事だ、一回くらい、おとひっちゃんに会っておきたかった。きっと修羅場だろう。僕なんかと馬鹿話する余裕なんてあるわけないだろう。だからこそ、安心して声が掛けられる。もし総田がいたとしても、せわしなくしゃべってさっさと帰るから、僕と総田との関係についてあまりとやかく言われないだろう。
僕の考えは、はっきり言うと。甘かった。
「おとひっちゃん、いるかな?」
おそるおそる覗いてみたところ、おとひっちゃんらしき人の影はなく、総田だけが背中を向けて立っている。まあいいか、と声を掛けてみた。
「総田、お前だけか?」
「んだよ。佐川、何の用だ」
ずいぶん冷たい声が帰ってきた。機嫌悪そうだ。これは早めに退散することに決めた。
「別に、ただ、いよいよ明日だなと思って、覗きにきただけだよ」
「たぶん誰も、しばらくこねえよ。佐川。ジュースあるから飲んでけよ」
「喫茶店みたいなことしているね」
僕は言われるままに敷居をまたぎ、総田の側に席を取った。まだ日差しが落ちない中、他の生徒たちがぽつりぽつりと帰っていくのが見えた。総田の肩越しからは、カラスのたむろっているらしい大きな木がちらちらと覗いた。があがあと、『あ』の音をにごらせたような声で鳴いている。
「あのな、佐川。お前、どうやって関崎を変えたんだ?」
ぬるくなったサイダーを一本、缶のまま置いた後、総田は僕の顔をじっと見つめながら尋ねた。
「それは言えないよ。俺だってそんなにおとひっちゃんが、協力的な奴になったなんて想像もしてなかったもん。多少小学校時代から、お互いのことを知っているから、強みも弱みもつかめないわけじゃないよ。でも、おとひっちゃんが楽しそうに協力してくれているんだったら、そんなこと聞かなくたっていいじゃないか」
まだきづいていないのか、と半ばあきれ顔をしていたのかもしれない。
総田は歯を食いしばったような表情で、口を真一文字にした。
「わからないわけじゃねえよ。たぶん、ああいうことかと見当はついた。でもな、関崎を隅から隅まで知っている佐川でないと、出来ないことだったんだろうなあ。やっぱり」
「どんなことだと思った?」
直接総田の口から聞きたくて僕は問い詰めた。なんだか総田の様子は、自信なさげに見えた。僕から目をそらすと、じっと天井を見上げ、握りこぶしを作り、もう一度口を引き締めた。
「さっきまで、関崎と最後の詰めをやっていたんだ。たいしたことじゃない。あんときまでは、今までにないくらいうまく話が進んでいたんだ。座談会の時には俺たちも椅子を出す手伝いくらいはするとか、フォークダンスの時は水を運ぶことをするとか、いろいろと。あれだけ関崎と普通に話をしたのは初めてだってくらいだった」
「ふうん、そうなんだ」
相槌を打った。
全部過去形で話しているってことは、そんないい雰囲気が壊れたって証拠だ。
「あいつが純粋すぎるくらい純粋に、学校祭を成功させたいと思っていることはわかったよ。単なる規則大好き馬鹿じゃないということも。佐川が懸命に関崎のことをかばうのも、わからないわけじゃない、って思った」
「でもそれがどうして」
僕はさらに理解できず総田の顔をうかがった。ぬるいソーダは気が抜けていて、ほとんど砂糖水のような感じだった。甘ったるい。
「佐川。わかったよ」
総田はほおに笑い皺を瞬間、こしらえてつぶやいた。
「すべてをぶち壊すのは、やっぱり、女子ってところだな」
総田は読んだな。
僕にはぴんときた。
「女子、なんだ」
しくじったとばかりに舌打ちしながら、もういちど総田は上を見上げた。
「俺も油断していたよ。俺だけが気付いていれば、あとはうまくやっていけると思っててさ。のんびりとかまえていたら、あの女が全く何を考えてるんだか」
「あの女って、川上、さん?」
「そうだ、うちの会計だ」
総田を怒らせるなにかをやらかしたらしい。想像がつかない。黙って聞いていた。
了解と受け取ってくれたか総田は一気にまくし立てた。
「たぶん俺たちの雰囲気が和やかだったから、調子に乗ったんだろうな。ぽろっと言いやがった。『あれ、あそこに水野さんがいるよ』ってな」
「水野さん? うちのクラスの生活委員?」
とぼけたところ、あっさりと言い返された。
「わからないわけないだろう。お前が仕組んだことなんだからな」
「どうしてだよ。水野さんとなに関係あるんだよ」
困った時は徹底してとぼけるのが僕の流儀だ。さらに舌打ちを二回、総田は聞こえがしにして続けた。
「俺もだいたいそういうことじゃないかと思ってたさ。最近、生活委員会の協力があって助かっているとか、二年生は協力的だとか、自慢げに話していたし、それをかこつけて、水野さんに自分から話かけているところを見たら、そりゃ、怪しいと思うよな。三日前にやっと俺も気付いた。馬鹿だよな。俺が馬鹿なのは、そのことを自分の胸にしまわなかったことだよ。全く大馬鹿ものとしか言い様ねえよ。佐川、そう思うか」
「つまり、総田は、水野さんのことを、言ってしまったってことか? 川上さんに」
「油断したよ。情けねえ」
「ちなみに、どこで? 教室で? それとも生徒会室で?」
「そんなことは関係ないだろ!」
一瞬だが、総田の顔が一気にどす黒く染まった。
色が黒い奴の顔は、赤くならない。
「総田が油断するってことは、きっとふたりっきりの時だったんだね」
僕はゆっくりとたたみかけた。ここまで言われたら聞かなくちゃ終わらない。
「何していたかなんて聞かないけれど、きっと油断してしまいたくなるような、雰囲気だったんだね」
「佐川、お前何を言おうとしてる!」
「何も言う気なんて、ないよ。たださ。ちょっとだけほっとしたよ」
血相変えた総田。でも僕は、ちっとも怖くなんてなかった。
言いたいこと、ここでいってやろう。
ちょっとくらい、反省してもらったっていいだろう。
「総田も、おとひっちゃんも、やっぱりおんなじなんだね。好きな子には油断しちゃうんだ」
「俺のどこがあの女を・・・!」
言いかけた総田に僕はにっこりと笑いかけた。
「大丈夫、言わないよ。ただ、おんなじことをおとひっちゃんは思ったんだよね。それでおとひっちゃんは、川上さんの言葉にどう反応したん?」
一番聞きたいところはそこだった。総田は頭をかきむしりながら、吐き出すようにつぶやいた。
「ぶっちぎれた。『お前らが、仕組んだのか』って、つぶやいて、シャープを叩きつけて出て行きやがった」
もうひとつ、確認しておきたいことを僕は訊ねた。
「どこにおとひっちゃん出て行ったの?」
「しらねえよ。ただ、それでもほとんどフォークダンスの実行予定はまとまったんだ。関崎の手でほとんどまとめられたようなもんだ。俺も座談会の椅子運びについての手伝い準備、手順をまとめたし。一応、ほとんどの準備は終わった段階でよかったよ」
仕組んだか。
おとひっちゃんは単純だけど馬鹿じゃない。
これは早急におとひっちゃんを探さなくてはならない。
「総田、無事に座談会とフォークダンスは開けそうな状態なんだね。そういうことからすると」
「幸い、すべてが片付いてからだからな。しっかし、佐川、俺は馬鹿だよな。おい、そう思っているだろ佐川」
僕に何度も問い掛ける総田に対して、どう答えればいいのだろう。
そうだ、その通りだ。
「おとひっちゃんをとにかく探すよ。総田はこれ以上動かないでいた方がいい。せっかくここまでうまくいったんだ、絶対成功させなくちゃ」
僕は大急ぎで生徒会室を飛び出した。
川上さんの口から漏れたということは、恐らく僕と総田がたくらんでいることまでばれている可能性がある。うっかりそれがばれてしまったら、もう手の施しようがない。
でも僕が徹底して
「そんなことないよ」
と言い放ったとするならば、なんとかなるんじゃないか。そんな気もしていた。
おとひっちゃんがいそうな場所となると、どのへんだろう。思いつくところをすべて回った。図書館、職員室、技術家庭室、まさかと思うけれども体育館、グラウンド、一通り見て回ったけれどいなかった。しかたないので次は空き教室を回った。たぶん、三年と一年じゃないだろうかと思ってみたが誰もいない。あきらめかけたところ、灯台下暗し。二年三組の教室にあかりが灯っていた。だいぶ闇も濃くなってきたせいだろうか。僕は無我夢中で教室に戻った。四組のおとひっちゃんが、三組にいるなんて、見られたら、大変だ。盗んでいるでないかと思われるだろう。
「おとひっちゃん、どうしたんだよ、こんなところにいたら」
「雅弘か、やっぱりいたんだ」
おとひっちゃんは教壇の上に腰掛けていた。膝を抱えて真っ正面を見つめていた。僕の顔を見てかすかに笑ったのは、たぶんばれていないから。少しほっとしたのを隠しながら僕はおとひっちゃんの隣に腰掛けた。
「さっき、生徒会室に行ったら、おとひっちゃんがどっかいっちゃったって聞いたから、焦ったんだよ。俺さ、おとひっちゃんが考えていることってなんとなくわかるから」
うまく言えず、息も切らしたままだった。
「やっぱし、雅弘だけなんだよな。俺の味方ってさ。雅弘、やっぱり俺は馬鹿だと思うか? たかが学校祭に燃えている馬鹿だと思うか?」
そうは思わない。僕は首を振った。小学生みたいに子供っぽい振りをした。
「でも、みんなはそう思ってないんだよな。水鳥中学の生徒一同、みな、俺のことを物笑いにしているんだよな。分かってたよ。それくらい」
ある程度は正しく、またある程度は違う。
「おとひっちゃん、違うって。そりゃみんな、人によっては考え方違う奴もいるかもしれないけどさ、三組の連中もみな、おとひっちゃんを知っている人たちは、がんばってほしいって言ってたよ。うん、さっきたんとかとも一緒にトランプしてたんだけど」
おとひっちゃんの顔がかすかにゆがんだ。
「小学校の頃からおとひっちゃん知っていたら、誰も誤解なんてしないよ。俺たちが知っているのは、生徒会に入る前から一生懸命にやっていたおとひっちゃんであって、生徒会副会長って顔だけじゃないんだからさ」
「そう言ってくれるのは雅弘だけだ。俺は救いようない馬鹿だよ。最低だよ。なあにが、味方なんだよ。結局、舞い上がっていた俺が馬鹿じゃねえかよ」
どうしてなのかは聞いた方がいいだろうか。僕は迷った。
おとひっちゃんの口から『水野さん』という言葉を出させるべきか。
「舞い上がりたくなるようなことが、なにかあったんか?」
おとひっちゃんは、そっと周りを見渡した。僕とおとひっちゃん以外誰もいないことを確かめた上で、
「自分の考えていることを隠せない性格だっていうのは、前から親や兄貴に言われていたし分かってる。そうさ、どうしようもない単細胞さ。ひとつのことしか見えなくて周りに迷惑かける人間だってこともわかってるさ。そうだよ、総田の言うことは正しいんだよ。だから、校則改正の時だって、俺は馬鹿なことをやらかして、しくじったわけなんだ。でも、その理由を勝手に想像して、突きつけることはないよな。ひでえよ。ひどすぎる」
「いったい、おとひっちゃん、何を言われたんか?」
図星の言葉を言い出したくて口があがあがする。僕は待った。
「ちくしょう、人を馬鹿にしやがって!」
「え?」
おとひっちゃんはうつむいたまま顔を挙げなかった。ひくくつぶやきつづけ、息を荒々しく吐いた。
「俺があいつらよりも女好きに見えるのか? ちくしょう。なんで、あんなやつらに俺だけこけにされなくちゃなんねえんだよ。ちくしょう、総田の野郎、ちくしょう……」
身動きが取れず、おとひっちゃんは僕がいることすら忘れているようだ。おとひっちゃんは両腕に顔をうずめたまま同じ言葉をつぶやきつづけた。その声がだんだん、くぐもって聞こえ、鼻を激しくすすり上げる音に変わった。おとひっちゃんの、いささか錯乱した怒りの放出を、僕はただ黙って見つめていた。
泣いていないのかもしれない。涙を流していないのかもしれない。内から突き上げる悔しさが、いつしか涙に化けただけなのかもしれなかった。
おとひっちゃんはその後、僕と帰った。途中までずっと無言で歩きつづけた。
なんと言えばいいかわからなかったし、それ以上に僕のしたことがばれるのではないか、が怖かった。