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 青潟駅から歩いて二分程度のところに、『佐川書店』はある。立地条件がいいとか、学校帰りの客が多いとか、いろいろ理由はあるだろうけれどもそれなりに繁盛している。父と母が三人の従業員を雇って、年中無休で働いているのを僕はずっと見てきていた。たまには雑誌の付録の輪ゴムかけや、店の掃除を手伝うこともある。もっとも多いのが、自転車で定期購読雑誌を配達することだ。かなり遠くから注文をするお客さんも多いので、放課後毎日配達に出かける。問題は、季節問わず自転車を使うというところだ。夏の炎天下荷物をくくりつけてというのはなかなかハードだ。

 両親がいうには、

「小遣いに色つけてやってるんだから」

とのことだ。

 確かに、僕がもらう小遣いの額はかなり多いらしい。

 おとひっちゃんに前、話したところ

「絶対にほかの奴には、雅弘のもらってる額のことなんていうなよ。かなりどころじゃない。高校生だってそんなにもらっている奴いないんだからな」と言われたものだった。

「おとひっちゃんはどのくらいもらってるの?」

「雅弘の半分くらいだけどな。でもそんなに使うわけじゃないから、ほとんど貯金しているんだ。高校進学の時、金かかると思うからな」

 おとひっちゃん、やっぱり私立の高校行くつもりなんだ。

 僕は思ったけれども黙っていた。

 いつものように玄関から入り、配達がないことを確認してから自分の部屋にこもった。返品される寸前の本を五冊ほど部屋に持ってきて、大急ぎで読むのが日課だった。たいていは男子中学生をターゲットとした雑誌だった。一応、人並みに知識は持っている。男女関係の話とか、今はやりのファッションとか、ゲームネタとか。たぶん僕は、どの連中ともうまく話をあわせていける才能があるのだと思う。おとひっちゃんのようにかたくな過ぎるところもないし、かといって真面目な人間を馬鹿にしたいとも思わない。

「佐川くんって、妙にバランスが取れているよね」

 とは、六年生の時、担任の先生に言われた言葉だった。

「甘ったれているように見えて、実はしっかりしているし、頼っているようにみえて、実は全部自分で片付けているんだよね」

 すると親は必ず言い返す。むかっとくるけれど黙っていた。

「いいえ、うちの雅弘はね、関崎さんちのおとひっちゃんにみんな、めんどうみてもらっているんですよ。ほとんどお兄ちゃんみたいな感じでしょうかね。いや、どちらかいうと親、に近いかしら」

 何か言いたげに担任の先生は笑いをこらえていた。どういう意味なのかは見当がつかず、僕もただへらへらしていたものだった。

 

 ひととおり目を通すと、だいたい学校で話題にすることの大まかなことは頭に入った。僕の日課だった。無理して浮かないようにしようとしているのではない。なんとなく、誰とでも楽なきもちでしゃべることができるほうが、気持ちいいだけだ。

 よく『人に合わせるために』『情報を仕入れて』『顔色をうかがいながら』『人と付き合う』という奴がいるらしいけれど、それも僕には無縁な感覚だ。普通に話していれば、自然と知っている話が出てくる。それをなんとなく、おもしろいと思いつつ聞いてみると、本当にはまってしまう。だからいつも、僕にはどのグループにも居場所がある。おとひっちゃんとクラスが別になり最初の内はみな心配してくれたけれども、とんでもない。全く問題なしなのだ。

 人気テレビアニメ『砂のマレイ2』のストーリー展開も、最近アイドル歌手の『鈴蘭優』に恋愛沙汰が起こった噂なども、最近流行の、トラッド風ネクタイのおしゃれなども、僕にはみな同じに並んでいた。もっというなら、男子と女子の差がどうのこうのという保健体育ネタも、それなりには聞いて知っていた。

 話に聞く分にはおもしろいからいいじゃないか。

 別におとひっちゃんみたく、意識しなくてもいいじゃないか。

 どうしておとひっちゃん、ああも女子を見て、変な態度をとるようになったんだろう。

 なによりも変なのは、どうしておとひっちゃん、さっきたんのことを好きなんだろう。

 『さっきたん』と、呼びなれた名前が浮かんだとたんめまいがした。

 俺の気のせいだったら、いいんだけどなあ。

 しゃれにならないよ、もしほんとだったら。


 勉強している振りして数学の教科書を開いていた。

 総田からの電話はまだこなかった。夕飯はすでに食べ終わり、僕はいつものように部屋の中でテレビをつけっぱなしにしていた。このテレビが古いのか、画像が全然まともに入らないので、ほとんどラジオ状態にしていた。別に見たいものがあったわけではないから、なんとなく時代劇が入っているのをそのままにしていた。

 試験勉強用に借りたおとひっちゃんの黒いファイル。

 書いてあるとおりの問題を完璧に覚えて試験当日に備えられたら、たぶん誰もがおとひっちゃんと同じ成績になるだろうと思う。それができないのは、やっぱりおとひっちゃんの頭がすごいからだろう。おとひっちゃんの部屋は僕と違って、三人兄弟で分け合っている。八畳間を三等分して、それぞれカーテンで区切っている。ほとんど何をしているかは丸聞こえだといっていた。

 その点僕は恵まれている。

 一人っ子だから。

 六畳間の和室だけれども、ちゃんとひとりで占領できるし、テレビも見られる。母さんはいつも

「雅弘は一人っ子だから淋しくて悪いねえ」

と言うけれども、そんなことはない。少なくともおとひっちゃんみたく、お兄さんや弟の面倒を見なくてはならないなんて、ことないから。

 おとひっちゃんだって、隠したいものを持っていないわけじゃないだろうし。僕よりは秘密をたくさん持っているだろうと思う。学校では絶対にいえない秘密を、知られていないと思い込みながら、隠している。

 

 電話が鳴った。八時にはまだなっていないっていうのに。

 おおざっぱなかけかたはやっぱり奴だろう。

 大急ぎで取ろうと階段を下りた。しかし一歩遅かった。母さんが受話器を取って

「はい、佐川書店でございます」

と挨拶していた。最初は店のお客さん向けの口調だけれど、だんだん

「あら、こんにちは。雅弘ですか? ちょっと待っててくださいね!」

とくだけてくる。相手がおとひっちゃんだと、

「あら、おとひっちゃんこんにちは。雅弘呼びますね」

になるのだが。

「あら、雅弘、もう降りてきてたの。総田くんから電話」

「わかってる」

 ひったくり、母さんを背にすぐ答えた。

「どうも、佐川です」

「どうして最初に出なかったんだよ! 俺苦手なんだよ。人の家にかけるのって」

 妙に緊張してしまったらしくいきなりなじられた。

「そう、思わないけれど。それより総田、どうした?」

「側に誰かいるのか? お前の母さんとか」

 後ろを見ると、すでに母さんは店に下りていってしまった。そろそろ締める時間だからだろう。よかった。たまにじいっと様子をうかがうことがなきにしもあらずだが、今日のところは問題ない。

「いないよ。隠さなくっちゃなんないことなのかなあ」

「当たり前だ。お前は、関崎の親友なんだろ」

「そうだよ、でも、それを承知でなぜかけてくるのかなあ」

 何度か繰り返された言葉、『関崎の親友』

 居心地が悪くなり、まるで僕がこれから悪いことをするような気持ちになってしまう。大げさに言えば裏切りをしようとしているようだ。

 現にこうやって、総田とこっそり電話をしていることが、そのものだ。 

 そうでない、と言いたくて僕は総田に問い掛けた。

「俺に何か聞きたいことあるならいいけれど、黙っている権利だってあるんだから、それはわかっているだろ。総田だって」

「でも、関崎には絶対言わないでくれと頼んだら、どうだ。それもしゃべるつもりか」

 ちょっとだけ考えた。

 もし仮に、おとひっちゃんに対してなにかまずいことを頼まれたりしたら。

 でもそんなことはあり得ない。

 だって俺はそんなことがあったって、無視できるんだから。

「大丈夫だよ、総田。今話すことは、絶対におとひっちゃんに話さない。そのかわり、総田の頼みも聞けない可能性があるってこと、あるけどさ」

 約束した。


 総田の声は自然にひそやかになった。店の方からレジ締めのけたたましい音が鳴り響いている。もっと大きい声で聞きたかった。

「あのなあ、佐川。お前、関崎から座談会についてどのくらい聞いている?」

「聞いているって、たいしたことないよ。一応は先生と話もついて、各クラスの学級委員から意見を吸い上げようとしているってこと。おとひっちゃん、教室をたずねては一生懸命、説明しているって」

「ふう、ごくろうなこった」

「でも、それくらいは知っているだろ? さっきだって、プリントをコピーしたの持って、おとひっちゃん駆けずり回っていたの見たし。総田には悪いけど、あいつ、よくやってると思うな」

「認める。それはよおく、わかる。だがな佐川」

 ゆっくりと、声をひそめて総田は言った。

「ほとんどの座談会設定は、俺がやったってこと、知らないだろう」

「え? 今、何て言った?」

「信じられないだろう」

 僕は嘘だ、とつぶやきたいのをこらえた。

「だって、総田は今回、座談会には一切関わらないって言っていただろ」

「誰がそんなこと言った、関崎がか?」

「おとひっちゃんはそんなこと、言ってないけれどさ。でも、二分割にしてやるって話だっただろ。総田はフォークダンスでおとひっちゃんは座談会。きれいに分かれてやるから、手を出さないって」

 電話の向こうから破裂したかのように笑いこける声が聞こえた。レジの音が小さく聞こえた。

「あいつは自分で考えたつもりでいるんだと思うけどさ。パネルディスカッション方式でやろうとか、代表者を各クラス一名ずつ出すとか、それを持ち出したのは全部俺だ。嘘だと思うなら、今度萩野先生に聞いてみろよ。俺は萩野先生と関崎と三人で話し合った時、冗談っぽくしゃべったんだ。どうせ誰も聞いていないだろうと思ったからな。あいつ、黙って聞いていて、それでちゃっかり自分の手柄にしようとしているんだぜ。全く、あきれるよな」

「あ……」

 声が出ない。僕は首を振った。絶対に総田からは見えないのが救いだった。

「おとひっちゃん、お前に全然、断りもしないで、そうしたんか」

「そうだ。最初は俺も唖然として言い返そうと思ったさ。まさかな、俺が思いついたものを横取りされるとは思わなかったしな。汚ねえ奴だと思ったさ。でも、冷静に考えてみて、どうも向こうには悪意が全くないんじゃねえかって、行き着いてしまってさ。これは俺が大人になるしかないって、結論に達したってわけ」

 僕が答えられないでいるのに気付いているのだろうか。総田はさらに続けた。

「関崎の考えることって言ったら、生徒と先生とを向かい合わせることだけなんだぜ。それでまともに話し合いが成り立つわけないだろう。好き勝手なこといいまくって、誰も交通整理できないで、それでおしまいさ。それか先生に言いくるめられて、はああと頷いて、それで一件落着。たぶん、関崎の考えていることとは繋がらないままに終わってしまう。もしくは、生徒会側でその悲惨なありさまを治めることができなくて、先生の力を借りざるえなくなる。冗談じゃねえよ」

 

 頭の中に響く声が、急にちくりと差し込んできたようだった。

 店の方から、レジ締めをする声が聞こえる。

「売上は本日は……、うち文房具……・、雑誌……・、コミック……」

 母さんが、保存専用のレシートロールを手巻きしなおして、読み上げている最中だ。

 総田の畳み掛けるような声に混じって、めまいがした。

「言いたいことはわかるよ。総田。でもさ、じゃあどうして、おとひっちゃんにそれを言わなかったんだよ」

 か細く僕は訊ねるしかなかった。

 仮に、もしだ。

 総田の言う通り、おとひっちゃんが『水鳥中学学校祭最終日座談会案』を自分の考えでなくすり替えとしてやろうとしたのだったら、僕は絶対に許せないだろう。正義感が強い性格だとか、そういうんではない。あのおとひっちゃんが、絶対そういうことするわけないと信じたい。

 たかが一年ちょっと付き合いのある総田の判断で、おとひっちゃんを決め付けられたくなかった。確かに不器用だし、勘違い野郎だし、受けが悪いところがあるかもしれないけれども。同じ小学校の連中はみな、僕もふくめて、おとひっちゃんをいい奴だといいきっている。間違ったことを身体づくで否定しようとする、ひたむきな奴だったと。

 少なくとも他人のアイデアをすっぽり盗もうとするような、したたかな奴なんかじゃない。それって一種のカンニングだ。

「あのなあ、佐川。俺は決して、関崎を責めているわけじゃねえよ。そこんところは誤解するなよ。俺が言いたいのはつまりだな」

 僕の語調が震えているのを感じたのだろう、なだめるような感じで総田は続けた。

「そりゃあいきなり、座談会案の中に、俺の案がひょっこり出てきた時は仰天したさ。こいつ何考えてるんだ? 結局は俺とおんなじ考えだったんじゃねえかよ、とか思ってさ。でも、よくよく観察していると、関崎は盗んだという意識がさらっさらなさそうなんだ。うん、あいつは自分で自分のしたことを正しいと信じきっているんだ。自分の思いついたことを、自然そのまま言っていると、思い込んでいるんだ。俺の方を見ておどおどするんじゃねえかと、ちょっと釜をかけたけれども全然、反応なし。そこで初めて気付いたんだな。俺も」

「何に?」

 頭の中で言葉にならない、直感がきらきらした。

「関崎の場合は、他の連中が思いついたことが直接頭に刷り込まれてしまうタイプの人間だってこと」

「ええと、俺、総田の言っていること、よくわからない」

「つまりだな、佐川。お前だって覚えあるだろ」

 深く息を吸い込み、電話口で僕は頷いた。レジのばちんとはじける音が、今度は響かなかった。

「服装規定事件の時もそうだったけれど、関崎の場合は自分で自分の考え方が、決められない奴なんじゃないかって。ルールがあって、その中で行動するのは平気なんだろう。だから成績だってあれだけトップ取れるんだろう。制服のきちんとした形がきれいだと思うのもあるだろうが、崩したよさっていうのもまた、一理あるはずだ。しかし関崎の場合、なんらかの理由でひとつの価値観しか、絶対だめなんだ。他人の価値観をそのまんま、鵜呑みにしてしまって自分の考えにしてしまう、そういうおめでたい奴だってことさ」

「いいかげんにしろよ!総田、それは言い過ぎだぞ!」

「たまたま親友の佐川が側にいると。佐川が賛成してくれるから、関崎も安心して自分の考えを確認できると。もちろんそれは俺だって同じだ。信頼できる奴が賛成してくれると嬉しいもんだ。でも関崎の場合、またちょっと違うような気がするんだ。なんか、宗教がかっているっていう感じだろうかなあ」

 もっと僕は言い返すべきだったろう。

 『関崎乙彦の親友』として。

 幼いころからおとひっちゃんを慕ってきた弟分として。

 でもどういえばよかったのだろう。

 受話器を握り締めながら、レジの閉まる硬い音を聞いていた。

「雅弘、今から銀行に行ってくるからな」

 夜間金庫に売上を投函しにいくのだろう。父さん母さんが出かける気配だ。

「うん、わかった」

 両親にも、そして総田にも伝わるように、僕は答えた。


 親の前でも僕は『関崎乙彦の親友』として振舞っている。

 家の中でひとりっきりだった。総田と受話器で繋がっている間に、僕は数時間前の生徒会室を思い出した。おとひっちゃんの後輩が、総田のかく乱するような質問に戸惑い、パニックになりながら帰っていったことを。あの時僕は、総田を魔術師だと思った。同じように僕も、総田に呪文をかけられているのかもしれない。逆らえない感情が湧き出てきた。総田が何を僕に言わせたいのかがおぼろげに見えてきた。

「わかったよ、総田。言いたいこと、わかる」

 ほおっとため息をつく気配がする。勢いで総田はくしゃみをしていた。

「さすが佐川。その点は鋭いよな」

「でも総田は、別におとひっちゃんへ恩を売ろうとは思っていないよな。結局どうしたいのか、俺にはまだわからないよ。もしおとひっちゃんが総田の案を無意識で盗んで、いろいろやっているのがむかつくのならば、それは総田が勝手にやればいいことだろ。俺は生徒会と関係ないんだからさ」

 ゆっくり、ボーダー線を引いておこうとしている自分がいた。

「関係ない奴だから、佐川。お前の助けがほしいんだ」

「さっきも言っただろ。おとひっちゃんを裏切るようなことはしたくないから。俺には黙っている自由だってあるんだから。たださ、総田」

 このままだと総田の魔術にかかってしまう。僕は思いつくままに言葉をつなげた。

「ただ、総田のやり方は俺から見ると、すごくうまいと思うよ。おとひっちゃんが動いて、総田がそれを無意識に指示いくってやり方、これはなかなか、頭のいいやり方だなって思う。俺だったら、おとひっちゃんにいろいろやり方を暗示して、勝手にやってもらって、成功させようって思う。総田にはそういうやり方が向いているんだなって思う。このまま、水鳥中学生徒会のやり方がかたまっていったら、もっとすごいことができるんじゃないかな」

 区切ってから、忘れていた言葉を付け加えた。

「だから、俺、今の水鳥中学生徒会、うまく行っていると思うよ。これ、おとひっちゃんの親友としても、ただの生徒としても、そう思う」

 電話の向こうはしばし黙った。

「総田、聞いてるか」

「……聞いてる」

「どう思う? 俺の言うこと」

 総田の答えを待った。

 あやつられはしない。俺は誰の味方でもないもんな。

 繰り返し咽元でつぶやき、待った。

「佐川、負けた」

 続く総田の言葉で初めて知った。

 この時魔術師になったのは、僕だった。

「頼む、俺に知恵を貸してくれ。俺以上の発想を見つけ出せるのは、水鳥中学を探したって、佐川しかいねえ」


 繰り返し

「たのむ、たのむ」

とつぶやく総田の声を聴きながら、僕は意外に冷静な顔をして天井を見上げていた。くすんでいる木目が、一つ目小僧の泳ぎに似ていた。家の中ではひとりきりなのに、誰かに見張られている。にらまれている、そんな気がした。でも怖くなかった。

「じゃあさあ、総田は結局何がしたいんか」

 一番大きな釣り目っぽい木目をきっとにらみつけ、僕は尋ねた。

「生徒会長、から逃げ出す方法を考えているんか」

  

 どうしてわかったのか、総田は知りたいに決まっている。

 でもあえて言わなかった。説明できない。ただの直感だ。そうごまかすしかない。僕はじりじりと響く雑音を聞きながら、総田の答えを待つことにした。うーん、と小さな唸り声がひとつ、聞こえた。

「やっぱり、お前には、見抜かれていたか」

「当たり前だよ。見え見えだよ。おとひっちゃんほどではないけれどさ」

「関崎と比べられるくらいだと、俺も落ちたもんだよな。まあ、佐川だったら仕方ねえ」

 理由を聞いてこなかった。安心して僕は、自分の予想を総田にぶつけてみることにした。ただの直感だったら、お互い内緒にすればいいことだ。僕の勝手な想像が外れていたら、

「なあに馬鹿言っているんだよ」

と笑われるだけだ。言うことそのもにに、害なんてない。

「俺が思うんだけど、総田はどちらかいうと、おとひっちゃんを生徒会長に仕立て上げて、自分がリモコンで動かしたいっていうのが本心なんじゃないかなあ。否定できる?できないよな」

「……そうだ、ごもっともだ」

「摂政と関白、って感じだよね」

「そのとおりだ」

「俺からすると、おとひっちゃんは一生懸命にやるけれども報われないってとこあるし、総田がいろいろ知恵をつけてやったりするのはなかなかいい方法だと思うんだ。これ、おとひっちゃんには内緒で言うんだけど。さっきの座談会のことも、正直なところ、俺、ショックだったよ。まさか、総田の案を鵜呑みにして、おとひっちゃんがやろうとするなんてって」

「でも、わかっただろ」

「うん、わかったよ。おとひっちゃんは一度があっとわめき散らすことはあるかもしれないけれど、二度目からはあっさり頷く性格なんだよな。総田は違う小学校だったから知らないと思うけれど、おとひっちゃんの成績がいい理由は、二年生の時がきっかけなんだ」

「教えろよ」

 僕は、もったいぶって会話の中に空白を置いた。

「おとひっちゃんよりも頭がいいって言われていた奴が、小学校一年の頃にいたんだ。あの頃のおとひっちゃんと同じくらいだったけれど、なんとなく、賢そうな顔していたから、下駄履かされてたのかもしれない。でもそいつ、すごくいやな奴だったんだ。俺とか、身体が小さいだろ。よく古いタイヤをぶつけられたりして蹴飛ばされたりしたんだ。おとひっちゃんがそれを見てて、すぐに奴を叩きのめしてくれたんだけど」

「腕力もあったのか、関崎って奴は」

「そうだよ、本気で怒らせたらおとひっちゃん、怖いよ。でもそいつは、おとひっちゃんに『お前俺よりも頭悪いくせに』て言い放ったんだ」

 五年以上前のことなのに、鮮やかによみがえってくる。おとひっちゃんのかっとなった表情と、片手で僕をかばって立ちふさがった姿が、天井に映し出されているようだった。僕はずっと天井をにらみながら続けた。

「それまではおとひっちゃんも対して、成績がいいこととか意識してなかったと思うんだ。そりゃ、頭いいって言われていたけれど、むしろかけっこのほうが得意だったし、そっちの方で有名だった。でも、おとひっちゃん、そいつの言葉聞いて、すぐに殴るのを止めたんだ。俺をすぐに引っ張っていって、『いいか雅弘、俺はあいつよりずっとずっといい成績取って、何にも言わせないようにしてやるからな。お前を蹴り飛ばすようなこと、絶対させないからな』って、言ったんだ」

「悪いけど、言っていいか」

「いいよ」

 総田は咽を鳴らしながら笑いをこらえている様子だった。

「単純きわまりない奴だな、関崎って」

「でも、大体想像つくだろ」

「それ以来、関崎は誰にも暴力沙汰を起こさなかったってわけかよ」

「そう。手を出しても成績が悪かったらだめだと、あの時おとひっちゃんそう思ったみたいだね。あれ以来、おとひっちゃんはあっというまにテスト満点の連発しだしたよ。気が付いたら、おとひっちゃん通知表に『よくできました』のところ以外、全くしるしがつかなくなったもの」

 三段階評価の通知表だった。まだ一番かどうかはわからない。

 ただおとひっちゃんがいつも、満点の答案を返してもらっていることだけは窺い知れた。先生が解答を読み上げるよりも、おとひっちゃんの用紙を見せてもらえればすぐに済むものだから。


 総田はなんだか考え込んでいる様子だった。ずっと黙っている。

 決して、聞き流しているんじゃないだろう。

 暇を持て余しているような物音がしないから。

「俺がもしかしたら、と思っていたことが大体本当だということが、佐川の言葉で、証明されたな」

「みんな気付いてもいいのにな。どうして誰も勘付かないんだろうって、思ってたよ」

「天才は辛いよな」

 皮肉っぽく言い返された。

「とにかく、総田に俺が言いたいのは、このままだと計画がみんなこなごなになっちゃうよ、ってことなんだ。今回の学校祭最終日企画に、おとひっちゃんがあそこまで燃え上がっているのは、これで最後にしようっていう覚悟の表れだと思うんだ。来年やればいいのに、二年で生徒会を引退しようって真剣に考えているんだ。でも、そうしたら総田、お前が生徒会長になるはめになるだろう? ま、それでもいいよ。俺、総田の方が『ひとり』で会長になるのならば、別に問題はないと思うな」

「「ひとり」でってところが、みそだな」

 僕はゆっくり繰り返した。

「そうだよ、『ひとり』っきりでだよ」

 天井に向かい、もう一度頷いた。

 今がチャンスだ、そう天井の木目たちからささやかれたような気がした。

「総田、本当の計画、教えてくれたら、もっと俺もいい方法考えられるよ。俺、おとひっちゃんが生徒会に残った方がいいと、思ってるから。『教授』の密かなるプロジェクト計画を教えてほしいな。たぶん川上さんあたりも一枚かんでいるんだろ」

「なんであの女が出てくるんだよ!」

 いきなり慌てた気配あり。やっぱり図星だった。

「だって、今日も見え見えだったしさ。おとひっちゃんならともかく、ほかのみんなには、総田と川上さんがどういう関係かって、大体わかるんじゃないかな」

 あとは総田が白状するのを待つだけだ。

 力関係、完全に僕が主導権を握った。

 狙ったわけじゃないのだ。ただ、いつのまにか僕の方が有利になっただけ。

 おとひっちゃんとも、総田とも、いっつもそうだった。

「……わかった。佐川。俺に何を言わせればいいんだ」

「おとひっちゃんを生徒会長に祭り上げる計画の一部始終」

 ようやく聞き出せた「総田教授の密かなるプロジェクト」だった。


────

 

 総田教授の密かなるプロジェクト 原案


 学校祭が終わった後、十月には生徒会総選挙が行われる。

 告示は十月初旬をめどとして、選挙管理委員会を結成し行われる。

 生徒会長一名。副会長二名。会計二名。書記二名。計七名。


 しかしながら、現在の水鳥中学生徒会は、生徒会長がいないきわめて異常な事態となっている。また、生徒会副会長二名、会計二名、書記一名という、これもまたかなり少ない人員となっている。計五人。

 本来だったら、全員二年生ということもあり持ち上がりで立候補してもらい、そのまま信任投票を行ってもらうのが一番よい。

 もちろん会長職は、現副会長の総田幸信、関崎乙彦のどちらかで決めてもらうのが一番よいのではないだろうか。できれば総田副会長と関崎副会長との話し合いで一人に絞ってもらい、どちらかが再度、副会長に、もうひとりは生徒会長に、という形で。

 そうすれば、丸く収まるはずだった。

 空いたポスト「生徒会副会長一人」と「書記一名」を一年生から募集するか、二年生から再度募集するかのどちらかで、決まるはずだった。


──────


「総田はそう、計画していたわけなんだ。そうだよね、俺もそう思ってた」

「今日までは、俺も同じく」

 ちっと舌打ちして、総田は続けた。

「関崎の場合、とにかく上に立ちたがっているところが見え見えだったから、ここは俺が引いて、副会長に降りようと思っていたんだ。もちろん話はまだしていなかったし、できる状態でもないよな。でもまあ、関崎の性格を考えれば大体まとまるであろうと、甘く、見ていたんだなあ、俺」

「そりゃそうだよね、俺だって、驚いたよ。でも総田。そんなに生徒会長って、やりたくないものなんか。面倒なことなのか?」

 立候補すれば一発で決まるだろうにな、と思ったが言わなかった。

「正直なところ、仕事が面倒だとは、思わねえ。ほとんど去年から、生徒会長の仕事してきたもんだろ。関崎との仁義なき戦いを続けてきて、それでまともに動かしていこうとしているんだからさ。でもな、俺が『服装規定問題』なんかで多少なりとも、まともに形を残せたのは、立場が『副』だからだった、とも思うんだ」

「限りなく生徒会長に近い、副会長だもんな」

「ちゃかすな。変な言い方だけど、関崎がいい子の生徒会長役を全部引き受けてくれたから、俺が反対勢力をかこって、なんとかできたわけなんだ。対照的、って言えば一番近いかもしれない。全校生徒から反発かいまくって、人気下落ぎみの関崎副会長に対抗して、という構図がいつのまにか、出来てしまったっていうかさ」

「さすがだなあ、総田」

 だんだん、総田の本心らしきものが見えてきた。

 でもここでばらすようなことはしない。

 僕は話を促すべく、黙った。

「でも仮にだ。俺が生徒会長にまぐれでなって、関崎がいなくなって、ということになると、果たして俺は同じこと、できるか? できないな、ということに気付いてしまったんだ」

「確かに、総田は革命派かもしれない。ナポレオンみたいな感じかな」

「しかも、生徒会長はふたりじゃない、ひとりだ。関崎もいればいたで、それなりに仕事こなしてくれるしさ、個人的感情はとにかく、やる時はやってくれるよ。でも、仮にあいつがいなくなった場合だと、俺ひとりで先生たちの責めを受ける自信は、ないな」

「王政復古、してしまいそうだもんなあ」

「そう、佐川。俺は今、水鳥中学生徒会に『王様』が必要なんだ」

 総田は、気付いた後に立て直した『総田教授の密かなるプロジェクト』をさらに続けた。


─────


 今、仮に関崎乙彦が、水鳥中学生徒会を脱退するつもりだとする。学校祭最終日の座談会を花道にして引退できれば未練なしだろう。

 しかし、それではたまったものではない。

 次期生徒会長として本来ならば、関崎を押し出すつもりでいた総田の考えが覆されてしまう。次期生徒会長のお株が、総田本人に回ってきてしまう。

それは、全校生徒の大多数にとっては、かなり望ましいことと思われているだろう。たいしたことではない。『服装規定問題』で失点した関崎副会長よりも、制服の襟をはずせるように緩和した総田副会長を評価する声の方が高いに決まっているからだ。百歩譲って、関崎と同じ小学校出身者が多少反発したとしても、一年、三年の評価はかなり高いのだから、まかりまちがっても不信任ということはないだろう。


 さて、それではどうすれば関崎乙彦を次期生徒会長に残しておけるだろうか?

 関崎の、おだてに乗りやすい性格を利用して、生徒会メンバー一同でほめまくり、おだてまくる。さすがに犬猿の仲である総田副会長が、しらじらしいおせじを言うのはまずい。たまたま今回は学校祭最終日座談会というからみも存在する。関崎が命をかけてやり遂げようとしていることだ。

 まずは、成功させよう。

 表面上は大成功の座談会として幕を下ろそう。

 直後、関崎は自己満足に浸りきっていることだろう。

 どう成功させるかは、これから総田を始めとする一同が考える。


 大成功で気をよくしている関崎に、誰か第三者から、

「実は総田を始めとする連中のおかげなのだ」

ということを、ささやかせる。相手は佐川か、もしくは別の相手か(できれば女子がベスト)、決めていない。とにかく関崎ひとりの手でやり遂げたわけではない、総田副会長の手によって助けられたことを伝える。

 できれば、それは生徒会関係者とは別の方から伝えてもらうのが望ましい。

 

 思い知って関崎乙彦は荒れるだろう。

 よりにもって、あの不真面目野郎に手玉に取られたと気付いた時。

 はたして関崎乙彦は生徒会に未練なく、やめることが可能だろうか?

 プライドはずたずただ。かといって総田に文句を言うことはできない。いや、言うかもしれないけれども、「生徒会の人間が、学校祭成功に力を尽くさないと思っていたのか?」と言い返せばぎゃふんと黙るだろう。

 総田への対抗意識がこれで高まり、未練が倍増するのは、目に見えている。

 そして、『来年こそは、絶対に』という気持ちが芽生えるのも時間の問題。

 自ら立候補するだろう。

 総田が動かなければ、信任投票に持っていけるだろう。

 多少失点の多い関崎副会長だけれども、全校生徒はよっぽどのことがないかぎり、不信任投票などしないだろう。あっさり決まる。

 

─────


「やりたいいことをやっているのが、俺には一番いいような気がするんだ。佐川。俺はもともと、ナンバー2の人間なんだよなあ。トップで圧力を受けつづけるよか、縛られないで好き勝手にやらせてもらえる副会長ってところ、俺は一番好きなんだ」

 

 総田の言葉を大体まとめると、こういう形にまとまるのだろう。僕は頭の中にメモしていき、自分の中で『総田教授の密かなるプロジェクト』計画書を書き上げた。

 予想していた通りだった。

 総田はやっぱり、おとひっちゃんを防波堤にして、秋以降の生徒会を運営していこうとたくらんでいた、というわけだった。はたしておとひっちゃんが、総田の計画に気付いているのかわからないけれども、僕は気付いていない方に一票入れていい。そして、たぶん総田の読み通りに話を進めれば、その通りになるだろうということも、断言できそうだ。

 おとひっちゃん、そういうところは単純だからなあ。

 おだててほしい人に、おだててもらえれば、素直に言うこときいてくれるもんなあ。さすがだよ、総田。

 

 何か言おうと思ったとたん、裏口から物音ががさこそとした。どうやら両親が夜間金庫からもどってきたらしい。まずい、これ以上しゃべっていると母さんから問い詰められそうだ。

「総田、ごめん。今の話はおとひちゃんには絶対に言わないよ。ただ、今はうちの親が帰ってきてこれ以上続きを話せない。おとひっちゃんとは親同士も仲いいから、俺もあまり、これ以上いえないからさあ。うわっつらのことだけで終わらせたく、ないからさ」

 僕は、いかにも総田に加担したさそうな口ぶりを装って、電話を切ろうとした。

「分かった。最後に一言だけ確認させろ」

「いいよ、手短に」

「俺の計画は、はたして水鳥中学生徒会にとってプラスになると思うか? 俺の判断は、俺ひとりの身勝手な考えだと思うか? 保身だと思うか?」

 難しい質問だった。

 でも、僕は考えることなく、即座に答えた。

「俺は総田の考えが正しいと、思ってるよ。おとひっちゃんの親友だから、絶対にそう、信じている。だから、これから総田にいろんなことを参考に助言できたらいいなあと思っている。明日、もう一度夜に、電話するよ」

「助言?」

「そう、誰に頼めばおとひっちゃんは、うんと頷いて、生徒会に残ろうと思うかどうか」

 僕はゆっくりと最後の部分を強めに言った。

 総田もなにやらぴんときたらしい。含み笑いする様子だった。

「明日の夜、だな。わかった」

 電話は切れた。

 

 僕は関崎乙彦の親友として、総田の言葉を受け入れてしまった。

 確かに、会長就任後の計画はあまりにもひどすぎる。

 でも僕は、おとひっちゃんが生徒会長としてトップにたった姿を見たかった。誰よりも、不器用だけれどひたむきなおとひっちゃんには、水鳥中学生徒会の会長としての名誉が、一番ふさわしいような気がしてならなかった。たとえ、失策を繰り返し顰蹙もんだった関崎副会長だったとしても、僕はおとひっちゃんの、本当に一途で懸命なところを知っている。僕が泣かされていた時に、すぐ立ちふさがってくれたおとひっちゃんを知っている。

 生徒会を副会長のまま、引退させるなんて、絶対にいやだった。

 たとえ、おとひっちゃんを一時的に裏切ることになったとしても、僕は僕の意志で関崎乙彦生徒会長を、誕生させたかった。

 

 おとひっちゃん、ごめん。

 でもそれは、おとひっちゃんにとって一番いいことなんだ。

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