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おとひっちゃん。そう僕は呼んでいる。
放課後に突入するやいなや、夏の黒く硬い影を廊下になびかせながら、教室から飛び出す影、あれが関崎乙彦こと、おとひっちゃんだった。
夏服の白いワイシャツを、しっかり襟まで閉め、職員室の方に向かっていた。職員室まで来ると少し足音を忍ばせる様子だった。
もう八月の末だというのに、まだ衰えない夏の暑さで、汗がにじむ。僕がここにいるのを気付いてか気付いているんだろうか。
タバコの煙が目の前まで白くたゆたっていた。軽くむせている様子。おとひっちゃんは乱暴にと職員室の引き戸を開け、生徒会顧問の先生がいる机へと向かっていこうとした。
そこで僕は初めて声を掛けた。
「あ、おとひっちゃん?」
僕は学習委員だ。チョーク入れと教科書を先生から預かっていた。授業が終わると、必ず学習委員が職員室まで、授業道具を持ち運ぶことになっている。
煙が僕の頭の上を流れているのがわかる。たばこくさくなりそうだ。
「雅弘、これから生徒会室に来い」
おとひっちゃんは咳きこみながら、僕にささやいた。
「なにかいいこと、あったみたいだね、おとひっちゃん」
「ちょっとばかり、おもしろいことになりそうなんだ」
「舞い上がっているって感じだもんなあ」
「そう見えるか?」
おとひっちゃんは、学生帽を右に左にと持ち替えてつぶやいた。
「俺、完全に舞い上がっているだろ」
言い残し、おとひっちゃんは社会の先生のもとへ向かった。生徒会顧問だ。
言葉どおり炎がなにか、燃え立っているみたいだった。
心臓から、夏の陽炎のように、わやわやと。
僕は国語の先生に教科書とチョークを渡した後、すぐに生徒会室に向かった。南京錠がまだかかっていた。おとひっちゃんも、時間を食わなかったら、すぐに来るだろう。
二階、図書館の隣。
倉庫とみまちがえそうな細長い部屋がそこだった。
誰もいない生徒会室。
おとひっちゃんにとって、もっとも気楽でいられるところ。
そう、らしい。
生徒会副会長に当選してから、おとひっちゃんは同じ組の連中と遊ぶ時間が減っているようだった。そのせいだろうか。僕を付き合わせ教室ではしゃべることの出来ないようなことを話してくれたものだった。
「まだ、誰も来てないよ」
「まったく、たるんでるしな」
おとひっちゃんは鍵をはずした。
「だいたい生徒会室に鍵がかかっているなんて、ほんとはあっちゃならないことなんだ」
さっと戸を開け放った。むせ狂ったような空気が鼻についた。
「本当は、できるだけ役員が待機していて、他のみんなが気軽に入ることのできる、そんなところにしておくべきなんだ」
入り口からは真っ直ぐ見える大きな窓ガラス。跳ね返った光がまぶしすぎた。眼の中を刺しそうだった。痛い。涙が出そうになった。調度品は古めかしく、黒光りしている。先に入ったおとひっちゃんはその逆光を浴びていた。なんだか、影絵芝居の登場人物のようだ。後光が差している。
窓際から伸びている、長めのテーブルに、平行四辺形の反射光が白く光った。おとひっちゃんはその明るい部分にノートをぽんと置いた。
「なんかさあ、俺、この日のために副会長やってきたんだなあって気、すごいするんだ」
いつになく、おとひっちゃんはよくしゃべった。
「荻野先生から、噂は聞いていたんだけど、今日正式に決定したんだ」
「何がさ」
「今年の学校祭」
そういう時期なんだ。
夏休みが終わったばかりのせいか、まだぴんとこなかった。
「期間が三日間あるだろ。そのうち最初の二日間は学校行事いろいろな講演会とか、ブラスバンドの発表会とかで、動かせないものばかりだって」
そうだそうだ、去年は三日ともそういう感じだった。
「今年はなんと、第三日目を生徒会の自主計画に任せてもらえるんだ! 俺たちの手で動かせるんだ!」
おとひっちゃんは窓から身を乗り出した。僕も側に寄っておとひっちゃんの表情を眺めた。アカシア、ななかまど、花も実もない木々が、緑葉だけつややかに輝かせているのが見えた。ずっと奥にはグラウンド。サッカー部の練習だろうか。こまこまと動き回っている。そのまわりを、円を描くように陸上部の連中がゆったり、走っている。
「弁論大会がいやだっていうんじゃないんだ、俺。ああいう真面目に一生懸命やることって、すげえ好きだよ。でも、先生の手が入るだけ入っているのを、みんな読み上げているだけだろ。本当に言いたいことは全部削られたって、先輩も言っていたんだ。だから、去年は三日目弁論大会だったのを、俺たちにその時間、くださいって頼んだんだ。ちゃんと理由も言ったよ。そうしたら、荻野先生も話を通してくれたみたいでさ。今日、やっとOKさ」
水鳥中学学校祭恒例の弁論大会は、三日目に行われるはずだった。よくぞ撤回できたものだと思う。新企画を立てるまでにこぎつけるには、おとひっちゃん一年がかりの「憤」が種になっていた。あまりにもひどい、ひどすぎるとおとひっちゃんは血を上らせ、学級日誌を三日分使って、抗議していたらしい。同じ組でないから直接見てはいないけれど、友達から詳しく聞いた。
去年の学校祭直後は、おとひっちゃんの熱弁に悩まされたものだった。よく覚えている。
去年も一応、生徒企画のものはないわけじゃなかった。
ただ、内容がひどすぎると言われてもしかたのないものだった。
テレビクイズ番組の真似ならばまだ参加できるからいいけれど、先生たちの脚本を押し付けられた民話演劇にはみな、眠くなる一方だった。それに繋がるブーイング、やじ、途中退場。それに対決を挑む先生たち。終わった後に残るのは、関わったものだけの自己満足だった。僕たちに残るものは、ほとんどなかった。
おとひっちゃんが怒りまくるのも、僕は決してわからないわけじゃない。
「俺がもしやるとしたら、こんなくだらない学校祭なんてやらない。もっと、楽しく、祭りの後にも何かが残ることをしたいんだ」
もちろん敬語を使っているだろう。先生達には。
きっと啖呵を切ったんだろうな。おとひっちゃん。
先生達には、おとひっちゃんの発言がイコール、『次期生徒会出馬表明』として受け取られたらしい。
一年が経った。あと一ヶ月でおとひっちゃんの任期も終わる。
長かっただろう。
おとひっちゃんは両手をぱしりと、テーブルに下ろした。
「それなりにさ、俺も必死こいてきたつもりだよ、でも、やっぱり、俺って無力だよなあ。ちっとも変わんないでやんの」 「でも、おとひっちゃん、やってきたこと、すごいよ」
「俺がやればやるほど、他の奴は逃げるしさあ。こければすぐ生徒会のせいにされてしまうんだ」
おとひっちゃんは物憂げにグラウンドの群れを目で追った。
「でも、学校祭は俺たちのお祭りだろ。生徒会まかせにしておいていいと思うか? 学校祭は、一部の奴の義務なんかじゃないんだ。もっともっと、楽しいもののはずなんだ」
僕の答えを待たずに強く頷いた。テーブルに戻り、置きっぱなしにしたノートを広げた。僕の前に差し出した。
第一行には、右に跳ね上がった筆圧の強い字が並んでいた。
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水鳥中学学校祭 第三日目生徒会自主企画書
二年 生徒会副会長 関崎乙彦
僕は学校祭代三日目自由企画に 「教師VS生徒」による本気本音の座談会 を提案したい。テーマは後ほど決定する。今までは、先生たちの圧力などで押しつぶされてきた意見などがたくさんあるはずである。それを公の場でぶつけあい、あとあとまで残るものにしたい。
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「座談会?」
「早い話、先生たちが思っても見なかったようなことを、アドリブで言ってやって、へこまそうって魂胆なんだ」
「ふうん」
すぐにすごいとは言い切れなかった。
おとひっちゃんの情熱だけがなんだか熱かった。
「でも、一歩間違ったらけんかにならないかなあ。そんな企画、簡単には通してくれないと思うよ」
「大丈夫、さっきちらっと匂わせてきたんだ。そしたらおめでたいもんでさ。『それはいい、ただの遊びで終わるのではないかと思っていたけどな、そうか、生徒の自主性を活かせる企画になりそうだな』なんて、にこにこしながら言ってたぜ」
「それなら、それでうまくいくんでないの」
僕は、声が裏返ったような感じで答えた。
自分でも少し、無責任っぽく聞こえた。
本音なんだから仕方ないのかな。
「おとひっちゃん、来年もあるんだから、そうあせらなくたっても」
二年のうちに全部やろうなんて思わなくたっていいのに。
次期改選も近い。 おとひっちゃんには明日がある。
なのに、なんだかおとひっちゃんにはせっぱつまったものがある。
「来年はないんだ、雅弘」
おとひっちゃんは口を一文字に結んだ。
「俺はこれが成功したら、生徒会を引退する」
すっと笑みを隠して、言った。
僕は思わず声を上げ、おとひっちゃんを指差してしまった。
「おとひっちゃん、どういうこと?」
この時まで、ずっとおとひっちゃんは次期副会長かもしくは生徒会長に立候補するものだと思っていた。毎年そうだけれども、生徒会経験者が二年でやめるなんてことは、普通絶対ない。
大抵、現在の副会長あたりから生徒会長が立つ形になるし、会長にまでならなくともなんらかのポストに残るのは約束だった。
冗談を言っているつもりなのだろうか。
でも、おとひっちゃんの顔にはなんとなく、はにかんだようなやさしい笑顔が浮かんでいた。めったに、他の奴らには見せない、やわらかい表情だ。ずっと小さなころから、僕をかばってくれた時、泣かされていたときにかばってくれた時、
「雅弘、俺はお前の親友だからな」
と言ってくれた時。僕には見慣れた表情だった。
窓辺から来る弱い夏風。頬を撫でさせている。でも不意に部屋の方を向いた。日焼けしてうっすらと染まった顔。目鼻口、硬くつややかに焼かれ、顔に埋められた陶器のように、見えた。ただ硬いだけではなく、ぶつけるとこわれそうなもろさが同居している。時がくれば夏の日焼けも消えるだろう。皮がむける時。落とせば砕け散る破片。その下からおびえたように震える肌が現われるだろう。
おとひっちゃんの本質を、僕は十三年かけて、見つけてきたつもりだった。 陳腐な言葉だけど。言ってしまう。
『純情』なんだよな、おとひっちゃん。
「そんなもったいないよ、せっかくここまできたのにさ、おとひっちゃんすごく苦労していたの、俺は知っているよ。なのになんでさ」
おとひっちゃんは軽く伸びをして僕に顔を突出した。
「俺は生徒会長なんて柄じゃねえよ。もともと上に立ってまとめるなんて、出来ない性格なんだ。俺が生徒会に入った理由って、一にも二にも、学校祭をやりたかっただけだしさ。前代未聞の生徒一丸学校祭を作り上げて、華々しく引退するって、最初から決めていたんだ」
「俺にはそんなこと、一言も言わなかったじゃないか」
「言ったら、選挙に落ちるに決まってるだろう。そのくらいの計算は、俺だって働いていたよ」
肩をすくめて、おとひっちゃんはちらりと窓辺に目を向けつぶやいた。
「来年は受験生だしさ」
未練だ。でも、気持ちはわかる。
どうしても行きたい学校、あるんだよな、おとひっちゃん。
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おとひっちゃんが黙ると、窓の外、図書館、廊下からさまざまなざわめきがなだれうって聞こえた。合唱団の歌声、家庭科室から足踏みミシンの緩やかな響き、階段を駆け上がってくる派手な足音。
「あいや、佐川と関崎、またホモだちごっこ、してるっつで」
いきなりがらりと開いてのけたのは、水鳥中学生徒会、もうひとりの主だ。 総田幸信。同じく生徒会副会長。
「そういう言い方やめろ」
おとひっちゃんはきっと見据えて怒鳴り返した。
「だってえ、そういう雰囲気だったんだもおん」
顔色変えず、口調だけなまめかしく答えた。
なんだかいやな予感がする。過去の経験からも明らかだ。僕はそろそろ退散することに決め、学生帽に手を伸ばした。
しかし、僕に対しては目ざといおとひっちゃんだった。
「雅弘、ちょっと待ってろ」
かばんを引き寄せたとたん、おとひっちゃんの止めが入った。
言いたいことはわかる。
おとひっちゃんと総田を二人っきりにするな、そう言いたいのだろう。
しまった。家の手伝いがあると、最初に言っておけばよかったな。
今日は暇なんだと、答えてしまったのは大失敗だ。
しかたないや。水鳥中学生徒会毎度恒例『関崎VS総田』のにらみ合いに立ち会わなくてはならないよ。
広げっぱなしのノートを閉じ、おとひっちゃんは総田の第一声を待っていた。
「なにそうにらむんだよ。ったく、おとなげねえの。わあったよ。さいならするよ」
総田は唇を一瞬への字のに曲げ、背を向けた。
本気で帰る気はなさそうだ。ポーズだポーズ。
戸口で立ち止まり、
「なんか、俺に言いたいことあるんだろ」
数テンポ遅い口調で振り返った。さっきとは一気にけろっとさわやかな笑顔である。百面相総田と、ひそかに僕は呼んでいる。余裕があるように、見える。
「学校祭のことを聞いたのか」
反対におとひっちゃんは重ったるい声で答えた。どすが利いている。
「ああ、学校祭三日目のことだろ」
「総田は、どうするつもりだ」
どすとさわやか声の対比がばらばらだ。かえってそれが怖い。
お互いに自分のテンポを崩そうとしないのだから。
「どうするもこうするも、俺たちがやるしかないだろ。好きなようにやれって言われているんだからさ。やりたいようにやればいいんでないの」
うん、たとえば、と首をひねりながら、総田の足は僕とおとひっちゃんの立っている方に向かった。結局、生徒会室の奥に来たかったんじゃないか。白い光はたらたらとしたたっていた。その光を浴び、総田はまぶしそうに目を細めた。細い隙間から外を眺めやり、
「たとえば、グラウンドを利用するってのは」
「運動会でもやるつもりか」
「そういうのは関崎のお得意だろ。俺、総田幸信はやっぱり、全校生徒の皆様にご奉仕しなくてはならないと思うわけでありまして」 「それとこれとどう関係があるんだ」
「まあそうさな、アイドル歌手のコンサートやるとかさ」
おとひっちゃんの心によぎった言葉を、僕はかなり正確に読み取れる。
一言、狂気の沙汰。
こんなもんじゃないかな。
「からかうのもいいかげんにしろ」
それでもあえて声を抑え目にしているのは、おとひっちゃんも一年でかなり、辛抱強くなったしるしだ。本人もきっとそう思っているに違いない。僕からしたら、尻尾丸見えなんだけれども。
「冗談でもできるわけないこというな。ここは学校なんだぞ」
「良くご存知で。俺もよおく知っているぜ」
ちゃんとおとひっちゃんの出方を計算しているのだろう。
「大体、常識ってものがないんかよ」
素直ないやみじゃない総田のつっこみ。こういうのが一番、おとひっちゃんの苦手なところなのだ。ストレートに文句をいうなら、爆発して怒鳴るなり殴るなりできるだろう。でも総田は決して、そういうわかりやすいことをしない。もし手出ししたら、一発でおとひっちゃんが悪者になるようなシュチュエーションに持っていく。挑発にひっかかることもあれば、うまくやり過ごしてくれたことも逢った。いや、気付かないことも多かったと言い換えた方がいいんだろうか。おとひっちゃんは、都合のいいところで鈍感なところもあったから。
総田の声がいきなり跳ね上がった。
「関崎、お前こそ、同じ年の連中が持つ常識っていうのが、わからないのかよ」
おとひっちゃんの方がぴくりと動いた。何かを言おうと口を「あ」の形に開けた。それを押しとどめるように、
「お前の考えは、今さっき荻野先生から聞いてきた。なあにが座談会だよ。思いっきり笑っちゃうって。せっかくさ、俺たちにバトンを渡してくれて、好きなようにやれって言ってくれたんだ。その好意を無駄にしちゃ困るぜ」
腹式呼吸を使っているに違いない。腹の真中をほっほっほと三回膨らませて大笑いしてみせた。芝居がかっている。良く響いた。負けるわけないと思っているのだろう。さらに続けた。
「まあ、関崎の言う風に座談会とやらをやってみたとするさ」
「とやらってのはなんだ!」
「まあまあ、したら、どうなると思う?」
「なんだと?」
腰に手を当てすっくと立ち上がった。つかつかと近寄り,にらみつけているおとひっちゃんの鼻先に人差し指を突きつけた。一歩たじろいだ様子のおとひっちゃん。
「考えたくないだろうが、去年の焼き直しさ」
ただでさえ大きな目がさらに見開かれている。
「つまり、あんたの発想っていうのは、先生たちと全く変わらないってことさ」
「なんだと、もう一度言ってみろ!」
一年前のおとひっちゃんだったらここで総田の襟首を引っつかんでいただろう。少なくとも、怒鳴り散らしていただろう。でも今聞こえた声は、かろうじて普通にしゃべる響きのままだった。
おとひっちゃん、成長したよな。ひそかに僕は感心した。
おとひっちゃんと総田との中は決していい方とはいえない。
去年、生徒会役員選挙で初めて顔を合わせた時から、たぶん誰もが気付いていただろう。僕だって、生徒会室の雰囲気がここまで険悪だとは思わなかった。共通点といえば、唯一、ずばぬけて成績がいいということくらいだろうか。もっとも一年の頃からおとひっちゃんは学年トップを守りつづけていて、それをしつこく追うように総田がひっついているといった構図だ。
服装が一番、見分けやすいんじゃないだろうか。
あくまで標準の学生服そのまんまに着こなしているおとひっちゃん。ただし今は八月なのでワイシャツのみだけれども。それでも三十度を越す暑さの中、乱れぬようにワイシャツの襟を止め、隙間なくベルトを締めている姿にくらべて、総田はまさに「乱れる」という言葉がぴったり来る。
ベルトからして目立つ。蛇腹の黄色いしろものに、太め感たっぷりの学生ズボン。一年前からはやっていた幅だった。足の短い奴がはくと非常にまぬけだけれども、たっぱのある総田はだぶつかないように着こなしている。髪ば「天然パーマ」と申告しているので注意されることもないが、僕はこっそり聞き出した。中学入学式前日にしっかりかけてきて、それ以来三ヶ月に一回はきっちりと形を整えてくるのだそうだ。学校側にはばれていない。秋になれば、裾に竜を刺繍した学生服を羽織り、生徒会室に乗り込んでくるであろう。もちろん服装検査の前には普通のものにするという。先輩からのもらい物だといって、去年さんざん見せびらかされたものだった。
こいつらが本当に同じ、生徒会副会長なのか。
そう思われても仕方ない。
まさに、座談会とコンサートの違いと一緒。
合い通じるものを探せといわれても無理だろう。
「総田、もう一度聞く。どういうことだ。どういう意味だ」
おとひっちゃんの口調は震えている。必死に理性で押さえている様子だ。限界のメーターはそろそろあぶないところまでさしかかっている。知ってか知らずか、総田はふふっと笑いを漏らしながら続けた。
「あんたを抜かして考えるとすればだよ。まず、『普通』といわれる中学生たちが、こんな真面目なイベントに乗ってくるもんかね」
口をひらきかけたおとひっちゃんを今度は平手で封じた。もちろん鼻の前。さわりはしない。ストップのポーズだ。
「たとえば、テーマを『校則』にしたとする。先生たちを真中に十人くらい置いて、代表参加の生徒たちも同じくらいの数にすると。後の連中は体育館にずらっとならんで、安座して、言いたい時に手を上げて発言するってわけだ。三百人の全校生徒が体育館に集まるってわけだよな。まずは、そいつら全員に目が届くと思うのかよ」
「だから、思うことを直接手を上げればいいんじゃないか。みんなに参加意識をもってもらえば」
少しうつむき加減に、目線は総田の方へ向けたまま、おとひっちゃんは低く答えた。
「参加意識を、どのくらいの連中が持っていると思うかねえ。それ以前に、『座談会』なんかにどのくらい参加したいと思っている奴いるか? 大抵はさっさと切り上げて、おんもに行って、ゲームセンターあたりでうろうろしたいとぶつくさ言っているはずだぜ。または寝まくっているか。尻が痛いなあ、いいかげん終わらねえかなあって、あくびかみ殺しているだけだぜ」
「だから、そうならないようにするのが生徒会の仕事だろう!」
「さらに言う。俺とかならともかく、他の連中が先生達の言い分をひっくり返せると思うか? どうせ言いくるめられるに決まっていると、みなあきらめてるぜ。ここでいいたいことを言ったとしても、あいつらには全く、利益なんてねえんだからさ」
「利益は自分の中にたまっていくものだ。割り切ることなんてできるかよ」
「と、思っているのは、関崎、お前だけじゃねえの。参加意義を強く感じているあんたの気持もわからんではないけれどな、あんたとおんなじことを、俺たちや他の生徒たちに求められたって溜まったもんじゃねえ。知ってるか? やっぱり、学校ってつまらんな。生徒会? ひまだなあ。ご苦労さん。 学校祭? さっさとふけようぜ。 ばっかでないの、とこんなもんだ」
身振り手振りも華やかに、総田は言ってのけた。
別に演劇部でもないっていうのに、「不良」と呼ばれるみなさまのポーズを三種類くらい取ってくれた。通称「ヤンキーすわり」で膝を広げてしゃがみ、タバコを吸うように二本指。投げキッスに似ている。かと思えばポケットに手を突っ込み口をぎゅっとひらいて鼻の穴を見せつけるポーズ。
リアルだ。本当に、そう思う。
口八丁手八丁のパフォーマンスに説得された連中が今までどれだけ多かったことか、つくづく思い知らされる。
出来そうにないおとひっちゃんはあきれたような表情で唇を曲げ、吐き捨てるように。
「そういうのを、『見てきたようなうそを言う』って言うんだ」
舌打ちしながら答えた。
「人間の第六感が優れているとでも言ってほしいな」
「総田の予知能力がもし完璧だとするならば、じゃあ、生徒って一体何をやりたがってると思うんだ。それをまずは説明してみろよ。つまりそれがコンサートなのか? 言っておくけど、学校側は一日を使うことを許してくれたけれども、予算はそんなに使えないんだ。第一、誰か有名人、呼べると思うのか? いくらなんでも、俺たちに任されているったって。ここでしくじったら、また来年から不毛な先生たちのおしつけ行事に戻ってしまう・・・」
つっかえながらもおとひっちゃんは一気に言い放った。
言葉が上手に出てこない。
唇の端で総田がせせら笑っているのがちらりと見えた。
おとひっちゃんが気付かないわけがない。真っ赤になっている。
「そうか。やっぱり、関崎の発想はそこまでか」
夕暮れの色、甘い朱色が光に少しずつ溶けていった。窓に当たる反射光にするすると混じっていった。風が温もりを飛ばして、冷ややかに吹いていた。
部屋の湿った空気が冷え、僕とおとひっちゃんたちを囲む光も斜めに薄れている。こういう時は、そろそろ会話を打ち切らなくてはならない。今日は四時までしか残れない。校内放送が、下校の案内を告げている。
「じゃあ、どういう発想だったらいいっていうんだ」
「遊び慣れてねえやつって、困るよなあ。教科書以外の外を見ろよ」
総田は噛み砕くような口調で説明をし始めた。
馬鹿にしている。おとひっちゃんが気付いているかどうかはわからなくとも、小学生に話し掛けるような言い方はまずいんじゃないだろうか。
「だから。なにも。コンサートに必ずしもプロを呼べとは言っていないだろ。世の中にはアマチュアバンドっていう、無料でいろいろ演奏してくれる人たちだっているんだ。そこまでいかなくともさ、学校の中でバンド組んでいる奴ってたくさんいるだろ。ごろごろいるぞ。何グループから集めて、『水鳥中学アマチュアバンドコンクール』とくれば、ただで、問題ほとんどないイベントができるさ。大成功すると思うな。これこそうちの学校の連中が求めていたイベントだからなあ。みんなで一丸となって盛り上がれるんだ。ただし……そのまま提出したら、あんたさんは発狂するだろうな。後始末を佐川に任せるのはちょいとかわいそうだ」
計算が透けて見えた。
おとひっちゃんの頬が夕日で真っ赤に染まっていた。
「あたりまえだ、誰だってそうに決まってるだろう! 誰もがバンドをやりたがってるわけじゃないだろう! 俺は別にバンドを嫌っちゃいないが、でもやりたくない奴だっているだろ! 先生たちだってロック系統を嫌っている人いるって知っているだろ。一部の有志だけで盛り上がるのはもうたくさんなんだ。だから俺は!」
再び腰に手をあて、片手でおとひっちゃんの鼻先に指を刺した。
「交換条件といきましょか」
「どういうことだ!」
「交換条件さえ飲んでくれれば、俺は喜んで座談会とやらに、協力してやるぜ」
「だから、とやらって言い方はやめろ!」
総田は続けた。
自信を積み上げたという顔で。
「フォークダンスと、ファイヤーストームっていうのは」
おとひっちゃんの目がさらに見開かれた。
「フォークダンス、って、おい」
「マイムマイムだけじゃない、オクラホマミキサー、トロイカ、とにかく男女ペアで踊ることのできる奴を選曲しましょうや」
男女ペア、という言葉に力が入っていた。ねばっこい。
「おい、まさかだろ」
「ちょいと生きのいい学校ならよくやってることだろ」
大げさかもしれないけれど、おとひっちゃんの様子、明らかに凍り付いていた。思い当たる節がある。おとひっちゃんの場合、「弁慶の泣き所」といえる部分が、丸見えなのだから。僕も、無駄だと知りつつ、こういうしかない。
「おとひっちゃん、落ち着けよ」
見るに忍びないものがあった。
「よく、そこまで言えるよな、総田。お前だけの感覚で、物を簡単に決めるなよな」
説得力なし。隠すこともできずに、ただおろおろしているんだから。おとひっちゃんのそういうところを、純情と取るのか、それとも不器用と取るのか。難しいところだ。
別に、フォークダンスくらい、たいしたことないのに。
僕だったらそう思う。
手を握るったって、せいぜい数秒程度だろうに。
おとひっちゃん、そんなに動揺することないのに。
それに第一。 さっきたんとかならず、手を握ることになるなんて、ことないんだからさ。
全くおとひっちゃんは、やったらめったら、神経質だよなあ。
女子のことについてはさ。
さらにつっこみを続けるんじゃないかと思っていたのだが、どうも収拾がつかなくなってしまったらしい。電池切れといった方がいいんだろうか。総田の様子をうかがうと、ふいっと天上を見上げて、鼻歌を歌っている。言葉を返さずに、なにやら時間稼ぎしているらしい。かかとをつけたままリズムを取りつつ、ふふふふんと軽くはもっている。
僕はしばらく総田の方をじっと見つめた。妙なことを考えているわけじゃない。ただ、なんとなく、ひっかかっただけだ。おとひっちゃんからしたら、きっと
「余裕かましてみせて俺を怒らせようとしてるんだ」
と思っているんだろう。でも、僕からしたら、なんだか自分で何をしたらいいのかわからなくなって、大至急計算しなおしている風に見えてならなかった。僕が思いつくくらいなんだからおとひっちゃんも、もっと気付けばいいのに。僕よりずっと、頭がいいんだから。
「総田、どうしたんか」
僕は、なにげない表情をつくって尋ねてみた。
「なんだか、困っているようだけどさ」
はっとしたように総田は僕の方を、まんまるい目で見返した。
「困ってなんかねえよ。たださ、思ったより衝撃がでかかったのかな、って思ったわけだよ。佐川の親友がさ」
「いいかげんにしろ! 言いたいことがあればはっきり言えよ、雅弘を通したりなんかしないでさ!」
「もういいよ、おとひっちゃん。あのさ、総田。フォークダンスのことってまだ、先生には通していないんだろ。だったら、これからゆっくり考えればいいよ。もうそろそろ帰らなくちゃならないしさ、俺、閉じ込められたくないから、先に帰るね」
タイミングを計っていたのに気付かれたくない。おとひっちゃんはたぶん気付かないだろうけれど、総田にはわかるだろう。まあいい。僕はかばんの柄を握りなおし、おとひっちゃんに笑顔を向けてドアを開けた。総田にも軽く頷いた。
「おい、雅弘、ちょっと待った」
「思い出したんだ、今日父さんに、配達するよう頼まれてたんだ。ちょっと遠いところだから、早めに帰るね」
「今日は暇だって言ってただろう!」
「うん、そのつもりだったんだ。でも香弥の方まで行く用事があったんだよな。明日雨かもしれないから、今日のうちに片付けておきたいんだ」
はたして、納得しているかどうかなんて僕には知ったことじゃない。
僕の家は書店を経営している。大抵放課後は僕が、自転車で定期刊行物や注文の書籍を配達することが多く、あまり居残りができない。明日までに配達しなくてはならないところがあったのを、都合よく、たった今、思い出した。早いうちに片付けておけばいいんだから、嘘を言っているわけじゃない。
「佐川、ちょっとあとで話がある。頼む」
すれ違い際に総田が、耳もとでささやいた。振り向くと、親指を立てて、にやりと笑っていた。頷き返し、僕は一瞬、しまる直前の生徒会室を目に焼き付けた。
おとひっちゃんは、何も言わず、ただ凍りついていた。
僕にはすべてが読めてしまった。
総田の計画におとひっちゃんが乗せられただけの話だった。もし僕が総田の立場だったら、最初からフォークダンスで企画を打ち出すなんていう、単純なことはしないだろう。いきなりだったらおとひっちゃんの拒否反応がどう出るか想像つかなくて、通るものも通らないだろう。そこで、ショック療法を施そうと思う。
最初に
「コンサートをやるか」
と打撃を与え、頭を麻痺させる。
「ふざけるな!」
と激怒するおとひっちゃんをひとりでわめかせておいてから、次に妥協案を出す。
フォークダンスだ。
おとひっちゃんは一度ガンとやられると、二回目からはわりとおとなしく頷くタイプだ。口では文句をぶつぶつ言っていたとしても、あきらめて自分なりのことをして尽くそうとするタイプだ。この一年、何度も試して成功していたのだろう。
そこまでは正しい。僕もたぶん、総田だったらそうするだろう。
しかしながら、まだ甘い。
おとひっちゃんを総田はまだ、知り尽くしちゃいない。
こんな初歩的な間違い、誰が犯すかって。
おとひっちゃんにとって、フォークダンスというのは決して、妥協案になるようなことじゃないのだ。もちろんお金のかかるコンサートなどを行うというのは、「生徒会」の立場として、できるだけ避けたいことだろう。ただ眺めているだけで終わりたくない、と思っているからだろう。おとひっちゃんが望んでいるのは、「全校生徒が一丸となって、企画に参加してくれる」ことであり、それゆえの「座談会」なのだから。もちろん総田の指摘通り「みんな退屈して結局同じこと」というのもその通りだと思うし、僕も「教師VS生徒」の対決がうまくいくなんて思っちゃいない。
そうなんだ、つまり、生徒会副会長として、コンサートという行事が許せないだけだ。
しかし、フォークダンスとなると、副会長ではなく、関崎乙彦としての激しい抵抗がもろに出てきたんだろう。僕にもその辺の思考回路がどうなっているのか想像つかないけれど、おとひっちゃんはとにかく、女子の顔をまともに見られないところがある。何も悪いことしてないくせにだ。小学校五年生あたりから、妙に女子としゃべることを嫌がりだして、僕をひっつれてはいつも男子同士で遊んでいた。決していじめたり、悪口を言うわけじゃない。基本的には自分から手伝ってやったりするし、
「おとひっちゃんはあまり女子としゃべらないけど、やさしいよね」
と言われている。
その傾向は続いているのだろう。
おとひっちゃんと同じクラスの奴に聞くと、相変わらず女子とは最低限しか話をせず、何かからかわれるといきなり真っ赤になってしまったりするという。
そんなおとひっちゃんが、「女子と手を握り合う」ようなフォークダンス案をすんなり飲むとは思えない。総田に「自分と同じ感覚で物事を決め付けるな」と言うけれど、それはおとひっちゃんにも言えることだ。おとひっちゃんは、全校生徒がみな、おとひっちゃんのように女子としゃべって真っ赤になるからフォークダンスなんてやだと言っている。しかし、僕は結構面白そうだと思っているし、それ以前に、女子を見て真っ赤になんてなったりしない。すべてが僕と同じなんてことはないと思うけど、そういう奴だって、水鳥中学にはいる。
恋愛っぽい要素が少ない行事だったら、総田のことだ、いくらでも思いついただろうに。
種をまいたのは総田だ。さて、僕としてはお手並み拝見といこうか。
関崎副会長VS総田副会長。
学校祭三日目を巡る対決。
学校祭本番よりもそれを楽しませてもらおうかな。