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oblivion 3: 妄断

 文化祭の翌日、小栗は休まずに登校してきた。

 直接話すことはなかったが、友人と話しているのが聞こえた限りでは体長は悪くないとのことだった。

 しかし、傍目に見てわかるほどに小栗は落ち込んでいるようだった。

 小栗はやや病弱気味でよく風邪をひいたり貧血を起こしたりするが、はつらつとしていて、少々の失敗にも冷静に対処をして落ち込むことは無い。

 しかし、ある一定の許容量を超えるとさすがに対応できなくなることがある。

 俺が転校してきたころ、そういう時期が一度あった。

 小学生のころの話だ。





 俺はそのころは割合に社交的だった。

 亡霊が見えることもあって相手の性格を掴みやすかったためだ。

 そういう訳で、転校してすぐに各々のクラスメイトごとに適切な対応をすることができ、あっという間になじんだ。

 そんな中で亡霊を持たない小栗は俺にとって不思議な存在であり、自然と気にかけるようになった。

 彼女は話すのが得意というよりは相手の話を引き出すのがうまく、誰とでも打ち解けられていた。

 常にクラスの中心にいた小栗は、俺に目を付けた。

 それなりに仲良くなり、あるとき小栗からある提案をされた。

 それは、相談所を結成すること。

 小栗は人の役に立つことがしたいと言っていた。

 小学生の人生相談といっては少々大げさだが、子供は子供でさまざまに悩みを抱える。

 初対面の相手でも、俺が大まかに悩みを言い当て、小栗が優しく聞き出すことで相談者からの信頼を得ることができた。

 相談内容は、親が塾に行かせようとするだの、門限が厳しいだの、少しませた者は好きな人がいるだの、他愛のないものだった。

 それでも、色んな人の一面を見るというのは興味深く、俺は楽しんで相談に乗っていた。

 また話をするだけでも相談者は気持ちが楽になるようで、生徒の間でも好評だった。



 そして、相談所の開設から数か月たったころ、最後の相談を受けることになる。

 同じクラスの彼の亡霊は他の生徒の亡霊と比べて明らかに異質であったので、いやでも俺の目にとまっていた。

 彼は黒々とした、巨大なライオンを引き連れていた。

 彼はどことなく怯えているようで弱々しく、むしろライオンに引きずられているという方が適切だったかもしれない。

 相談内容は虐待を受けていることだった。



「それは虐待だね……。先生には、もう相談したの?」



小栗が尋ねると、彼は力なく首を振った。



「一度相談したことがあるんだ。

 お母さんに電話をかけてくれたんだけど、お母さんがそんなことは無いっていったら、それっきり。

 お母さんもお父さんの言いなりだから。

 それに、その日からもっと殴られるようになったから、もうあきらめてる。

 僕の家が変なのかと思って相談してみたけど、もしかすると、やっぱり本当に、僕がダメなだけなのかもしれないし」


「そんな……」


 小栗は唖然として、続ける言葉が見つからないようだった。

 それでも彼は相談しに来た。

 おそらく彼はこの事態に異常性を認識しているし、実際に異常だと俺も判断した。

 俺は何とか助けたいと思った。

 小学生にとっての世界とは、家と学校だ。

 それ以外には、せいぜいが塾とか習い事くらいで、それ以上は思いもよらない。

 その時の俺は、あまりにも無知だった。

 ニュースでそういうことが世の中にはあることは知っていたが、全くの無縁だと思っていた。

 先生もあてにならないとなれば、俺に思いつく相談相手は親くらいだった。

 俺も小栗も対処不能ということで、家の人に相談するということになった。

 しかし、ただそれだけ、次の行動のみを示せばよかったのに、俺は余計なことを言ってしまった。



「虐待というのは、弱い人間のすることだ。

 君の問題は必ずなんとかする。

 だから、君は強い人間になってほしい」


「うん、わかった……」



 ニュースで見た虐待の事件というのが、もともと虐待を受けていた親が子供にもしたという事件だったことを覚えていたためだ。

 パニックに陥っている人間の判断力を、俺は見誤っていた。




 家に帰ると母がいたが、俺は今日の相談者についての話を切り出せずにいた。

 もし通報したのがばれて逆恨みでもされたらどうしようとか、あるいは母が冷淡な態度をとったらどうしようとか、そういうことを考えていた。

 踏ん切りがつかず、夕食の後に話すことに決め、俺は風呂に入った。

 風呂から上がると電話のベルが鳴った。

 母は料理をしていたので、俺が受話器をとった。



「瀬戸君だよね……。僕、やったよ。強い人間に、なれたよ」



 彼の声は上ずったように震えており、明らかに異常だった。

 背中を嫌な汗が流れる。



「君は……。ごめん、まだお母さんに相談できてないんだ。明日まで待ってほしい」



 とにかくいったん電話を切ろうと、早々に会話を終えようとする。



「もういいんだ、それは。もう、終わったことだから」


「え、終わったって、どういうこと?」


「もういなくなったんだ。だから、僕も母さんも、もう大丈夫」


「だから、いなくなったって、どういうこと」


 同じことを繰り返す彼に俺はいらだち、また、とてつもなく悪い予感がしていた。

 俺の声も少し震えていたと思う。



「だから、殺したんだよ。包丁で」



 俺には彼の言葉が即座には理解できなかった。

 日常会話で使う言葉ではない。

 ころした。

 ほうちょうで。



「僕が帰ると、お父さんはお酒を飲んで寝ていた。

 だから、台所から包丁を持ってきて。刺したの。

 最初は起きて抵抗してきたけど、何度も刺したら動かなくなったよ」



 あまりの内容に俺が茫然としていると、彼はやはり興奮した様子で、早口でまくしたてる。



「言ったよね、強い人間になれって。強い人間は自分で問題をなんとか解決しないといけないと思うんだ。

 瀬戸君は僕にきっかけをくれた。だから、ありがとう、瀬戸君。君には」



 俺は彼の言葉をこれ以上聞くことに耐えられず、会話の途中で電話を切った。

 風呂に入ったばかりだというのに、俺は汗だくだった。

 心臓が早鐘を打つ。

 彼が、俺のせいで、殺人をした?

 そのことが俺には到底受け入れられず、本来であれば真っ先に母親に話に行くべきであるのに、そうしなかった。

 代わりに俺は、忘れることにした。

 風呂上がりの電話はセールスの電話だった。

 今日は学校では相談所に誰も来ず、小栗と少し話をしておしまいになった。

 そういうことにした。

 俺には、図らずも殺人の片棒を担いでしまったということを、否定することで頭が一杯だった。




 次の日、俺はなるべくいつもと同じように登校した。

 そして、昨日相談しに来た彼は欠席だった。

 近所に住む生徒の話によると、パトカーと救急車が来て、騒動になっていたらしい。

 彼は登校することは無く、間もなく転校し、その理由は伏せられたままだった。

 小栗はことの詳細は知らないと思うが、それでも人のいい小栗は負い目に感じるところがあったのだろう。彼女はしばらく落ち込んでいた。

 それ以来俺たちは相談所をやめた。

 好奇心は猫を殺す、それが俺の得た教訓だ。

 だがしかし、小栗は違った。



「私に、知識が無かったから。だから適切な行動がとれなかった。

 知識さえあれば、違う結末になったかもしれない」



 あるとき小栗はそう言って、図書室の本を片っ端から読み始め、再び誰に対しても明るくなった。

 小栗は強い。

 自分で考え抜き、自分で正面から困難を克服するに至った。

 しかし、以前から時折差していた一筋の影が見えることが、その頃からさらに多くなったように思えるのは、俺が変わってしまったためだろうか。




 そういう訳で小栗は以前にも増して知識の虜となり、俺は人を遠ざけるようになった。

 中学はずっと同じクラスで、小栗が常にクラスの中心にいるのを、俺は端の方から眺めていた。

 小栗はそれでも変わらず俺と接してくれた。

 もしかすると、相談所を始めたことを気にしていたのかもしれないが、俺にはわからない。

 俺は努めて悩みなど無く、自ら進んで孤立しているように振る舞った。

 お互いに志望校は明言しなかったが、たまたま同じ高校に進学した。

 そして、高校二年生になって再び同じクラスとなり、現在に至る。





 文化祭の後から、小栗はぼんやりしていることが増えた。

 昼食はいつも友人と教室でとっていたが、今は昼休みが始まるとふらっと一人でどこかへ行ってしまい、終わる直前に帰ってくるようになった。

 掃除のときに少し話しかけてみたが、さりげなくかわされ、あまり会話にならなかった。

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