異世界の街
――聖光国 交易の街「ヤホー」
「この国のネーミングセンスは色々と酷いな」
「そうですか?」
行き交う人の群れは、確かに交易の街に相応しい賑わいであった。
この街には特産品と呼べるようなものは無かったが、幾つもの大道が重なる地点にあり、あらゆる地方からの品が集まるのだ。
ターバンを巻いている者や、見るからにガタイの良い戦士も居れば、肌を多く露出させている踊り子のような女もいる。
道の端では怪しげな占いをしている老婆も居るし、大きなトカゲに乗っている商人も居た。
「よくあんなのに乗れるもんだな……」
「あれは砂蜥蜴と言って大人しい生き物ですよ」
アクが嬉しそうに話す。
普段、驚かされる事が多いので、魔王に何かを教えられる事が嬉しいのだろう。
と言っても、アクも街に関しては殆ど無知である。村から出た事など、両親がまだ健在だった頃の話であり、その記憶は遥か昔のものだ。
大通りを見れば、露店も非常に多い――其々の屋根がカラフルな為、何かの祭りでもやっているのかと思える程だ。聖光国の僻地は貧しい地が多いが、反面、栄えている場所は何処までも栄えている。
(格差社会ってやつか……?)
魔王はおぼろげにそんな事を頭に浮かべたが、確かにこの国の格差は酷いものであった。それは地域だけでなく、個人にも及ぶ。
かつて智天使と共に悪魔王と戦った者の末裔は貴族となり、人民の上に立って贅沢な暮らしを享受している。
智天使を信奉する宗教のお陰で、国としては一つに纏まってはいるが、その内部は非常に対立が多い。貴族の制度を無くせと叫ぶ者も居れば、社会に絶望し、遂には悪魔を信奉する一派も存在する。
それもこれも、魔族領から遠く離れた地域だからこそ出来る内紛であった。
魔族が跋扈する地域では、そんな“贅沢”は出来ない。
「金はあるんだし、適当に何か買ってみるか?」
「それ、聖女様のお金ですよね……」
「いきなり人を殺そうとする聖女なんて居るもんか……スパンキングされて喜んでいたようだしな。あれは性女だろう」
魔王が一つの露店に近寄り、売られている物を覗き込む。
何かの肉を焼いているようであり、微かに胡椒のような香りがした。
途端、魔王の腹が鳴る。
これまで、拠点に常備してある《乾パン》しか食べていなかったのだ。アクは大喜びで食べていたが、魔王に取っては拷問でしかなかった。
「これは幾らするんだ?」
「串三本で銅貨五枚だよ」
「アク、銅貨ってどれだ?」
「これですっ!ぁ、凄い……大銅貨も入ってる。えっ、これ噂の銀貨!?」
アクが驚いている姿を尻目に、小さいながらも綺麗に鋳造された硬貨を魔王が無造作に掴んで店主に渡す。
他人の金だというのに、無駄使いする事に全く躊躇のない姿であった。
「アク、私の奢りだ――遠慮なく食らうが良い」
「あの、二回目ですけど……聖女様のお金ですよね……」
「正当防衛の結果だ。むしろ、温情溢れる処置だったと言わざるを得ない」
確かに、魔王の言っている事は間違ってはいない。理由は何であれ、いきなり殺そうとしたのだから、相手は殺されても文句は言えなかったであろう。
只、今回の場合――
相手が聖女であった事が、色んな意味で規格外過ぎた。
「これがエロゲーなら《囚われの聖女 ~あんたと子作りなんて嫌っ!~》とかってタイトルで性奴隷コース一直線だぞ? それを思えば、自分の優しさに泣けてくる」
「えろげって何ですか?」
「おいおい、あんた……見慣れねぇ服だし、ヨソもんだろ。この国じゃ奴隷はご法度だぜ? 冗談でも口にしちゃいけねぇよ」
魔王の口振りに、見かねた店主が口を挟んだ。
聖光国の格差は酷いものだが、奴隷は一切、認められていない。その禁を破れば、どれだけの地位のものであれ、即座に処断される。
「まるでヨソの国じゃ、奴隷が居るみたいな口振りだな」
「北や東の方だとな……あっちは野蛮だからよ」
(野蛮ね……この国のトップも十分に野蛮だったと思うんだが)
魔王は内心、そんな事を思ったが口には出さず、代わりに串を放り込んだ。
■□■□
――宿屋「ググレ」
「本当に酷い名が多いな」
「そうですか……? 僕は可愛いと思うんですが」
名こそ奇妙ではあったが、ヤホーの街でも屈指と言われる最高級の宿である。
庶民には中々、その敷居は跨げない。
魔王がカウンターへと近づき、店主に話しかける。初めての街だというのに、全く物怖じない姿であった。
――クソ度胸、と言って良い。
最早、完全に開き直っているのだろう。
「店主、一番良い部屋を頼む」
魔王の言葉に店主は一瞬、眉を顰めたが、その姿を見て考え直す。
見慣れない服だが、客商売で慣らした店主の目には、その服がかなり上等な布で仕立てられている事が一目で分かったのだ。
「一番良い部屋となりますと、金貨一枚になりますが……」
「えぇぇぇ、ダメですよ! 魔王様!」
「ま、魔王……?」
余りの値段にアクが叫んだが、店主が魔王という単語に訝しげな視線を送る。
「い、いや、私はマ・オーと言いう名でな。紛らわしくて困っているのだよ」
「そ、そうですか……」
店主が微妙な表情を浮かべたが、別にそれ以上は追及しようとはしなかった。見るからに他国の人間であり、国によっては色んな名や風習があるものだ。
そんな店主を尻目に、魔王とアクが《通信》で会議を始める。
《人前では魔王と呼ぶなと言っただろう! 私の事は“お兄さん”と呼べ》
《えぇー……それは、ちょっと無理があるような……》
《なら、兄貴とか、お兄ちゃんとか、先輩とか、色々あるだろ》
《パ、パパ、とかはどうでしょう……?》
《ふざけるなよ! 私はピチピチの独身だぞ!》
ピチピチ、などという死語を使っている時点で、この男がお兄さんなどと呼ばれる資格はあるまい。
「と、とにかく……金貨一枚だったな、これで良いだろう」
魔王が袋の中から金色の硬貨を取り出し、店主へと渡す。
アクは口を押さえられてバタバタしていたが、金を渡された店主はほくほく顔で二人を部屋へと案内した。
■□■□
「……中々の眺めだな」
最高級の部屋に入り、魔王が偉そうに窓からの風景を見る。
彼は内心、部屋の豪華な内装に驚いていたのだが、アクが居る手前、格好を付けて偉そうにふんぞり返っていた。
「す、凄い……貴族様のお屋敷みたいですよっ!」
「フン……いずれ、私に相応しい“居城”を建ててやるさ」
魔王はそう嘯いたが、それが実際に建てられた時――世界にどういった影響を及ぼしてしまうのか? この男はまだ、そこまで考えてはいない。
いや、“世界”などというあやふやなものに対し、この男は責任を負おうなどと考えもしないだろう。
一体、誰が日々の生活の中で、いちいち世界全体の事を考えながら行動などするだろうか。誰もが自分の為に働き、自分の為に食い、自分の為に寝る。それと同じように、この男は自分の為に、全ての権限を取り戻そうとするだろう。
その結果、大量の血が流れるかも知れないし、救いが齎されるかも知れない。
未来はまだ、この時点ではどうなるのか誰にも分からないのだ――
「にしても、魔王様という呼び名は色々と不味い。他の呼び名はないのか?」
「く、九内様……とかでしょうか?」
「うーん……しっくり来ないな」
注文の多い男である。
こういうタイプは得てして、外食やデートの行き先などが中々決まらない。
「……やっぱり、お兄ちゃんで良いんじゃないのか?」
「ないです」
魔王が悪あがきしていたが、アクがバッサリと切る。
最初の頃と比べ、アクも成長してきたのだろう。この調子で行けば、無知からの暴走をしがちな魔王の、良いブレーキになるに違いない。
「それにしても、さっきのお肉はとても美味しかったですねっ」
「うん……? まぁ、そうだな」
アクの無邪気な言葉に、魔王が言い淀む。
魔王からすれば、あの肉は決して美味いとは言い難いものである。血抜きがちゃんとされていないのか、肉も固く、獣臭さが残っていた。
だから胡椒のようなもので、香りを無理やり誤魔化していたのだろう。
その流れもあって、魔王はわざわざ最高級の宿へと来たのだ。夕食ぐらい、まともなものを食いたくなったに違いない。
「ぁ、でも、僕は《乾パン》も大好きですよ。ほんのり甘くて幸せになります」
「幸せ、ねぇ……」
アクがふにゃっと表情を崩し、それを見た魔王の顔が一瞬曇る。
あれは災害用の非常食なのだ。
確かにGAMEの設定上、変態的とも言える大帝国は、非常食にもこだわりを見せ、味にも様々な工夫をしていたが、魔王の気分的には食事とは言えない。
「なら、次の“幸せ”を求めて今日は豪勢なディナーと行くか」
それを聞いたアクが嬉しそうに魔王のもとへ歩み寄り、その手を掴む。
一瞬、魔王の目が痛ましい右足へと向けられたが、彼は何も言わず、その体を抱えて肩へと乗せた。
「その前に、お前の服をどうにかしよう。この世界ではどうだか知らんが、ディナーの場では、服装も大事だからな」
「服ですか??」
最早、魔王の意識の中では、聖女の金などという事は完全に忘れ去られているのだろう。完膚なきまでに自分の金扱いであった。
その目には一片の曇りも無い。
オウンゴールがこの姿を見れば、「あいつこそが山賊だ」と叫ぶ事だろう。
こうして、“魔王様と悪”のお買い物が始まった――
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「魔法」
この世界における元素を操り、発動する。
基本となる四大元素――「土」「水」「火」「風」
理外とされる――「光」「魔」の六つを以って為す。
中には上位互換が存在し、壁を踏み越えた者だけが、その領域を駆使する。
才ある者は素を組み合わせ、混合の素すら扱う者も。
魔法名の文字数により、第一魔法~第十魔法まで存在するが、
規格外の魔力を持っていた、悪魔王ですら第六魔法が限界であった。
ちなみに聖女であるルナが駆使していたのは――「金」
「光素」の上位は「聖素」であり、
彼女の使う「金」は「光」から独立した、オリジナルとも言える元素。
これを食らって死ななかった自殺点は、特殊なスキルを持っていた為である。