熾火
ライト皇国の首都たる皇都――――
その中央には偉大なる聖地である“皇都大神殿”が屹立している。
今、その皇都大神殿では聖勇者の誕生を祝い、それを祝福するパーティーが既に7日目を迎えていた。
祝賀会の最終日とあってか、会場には高価なワインが惜しげもなく並び、豪華な肉料理や豊富な海産物が来場者の舌を楽しませている。
来場者と一口で言っても、その内容は様々だ。
招待された客も居れば、各種ギルドの関係者も多く、諸国から訪れた外交官などの油断出来ない存在も居る。
皇国の民衆や金を実質的に動かしている名家の者や、大司教を頂点とした神殿関係者の者も多い。
会場の全てを見渡す聖座に体を預けながら、教皇は油断なく来場客の表情を伺っていた。諸国から訪れた外交官などは、皇国が用意した会場の煌びやかさに驚き、目を丸くしているものも居る。
「聖下、全てが順調に進んでおります」
「まるで足りんよ」
「……何か、ご不満でも?」
「ダイダロスとゴルゴン、両商会の者たちを見よ。金品だけは大袈裟に献上してきよったが、使者は何の決定権も持たぬ地位の低い者たちだ」
大陸を代表する商会といえば、西のダイダロス、東のゴルゴンである。
皇国は以前から両商会に対し、商品の値下げや、輸送費の見直し、敵対国家への武具供与の停止などを求めてきた。
しかし、使者の顔ぶれを見ている限り、今回もまともに協議を開くつもりはないらしい。元来、商人とは腹の据わった者が多いが、この両商会は開き直った態度を取っており、下手な敵対国家よりも性質の悪い連中であった。
「それに3日も短縮したせいで、予定していた行事も大幅に狂ったではないか」
「それは、その、聖勇者殿のご意向ということで……」
「あの男は些事に拘りすぎる。まるで政というものを分かっておらんのだ。目の前の小事ばかりを見て、大局がまったく見えておらん」
本来、この祝賀会は10日間に渡って行われる予定であり、それに応じて様々なスケジュールが組まれていたのだが、聖勇者の強い反対によって泣く泣く短縮することになったのだ。
無論、この煌びやかな祝賀会に費やされる莫大な費用を考えてのことである。
聖勇者からすれば、こんなパーティーに回す金があるなら貧民に対する何らかの対策を打って欲しいという願いがあったのだ。
「神殿長よ、あの男が最初に言ったことを覚えておるか?」
「はっ。1日だけで十分です、と…………」
「馬鹿げておる。諸国から訪れる客も多いというのに、一日でどうやって集めろというのか。あの男は移動にかかる時間すら浮かばぬらしい」
「ご尤もで…………」
晴れの舞台を潰された、と考えているのか教皇の愚痴は止まらない。処世に巧みな神殿長も頭を垂れ、ひたすらに相槌を打つ生き物と化した。
「第一、考えてもみよ。国内の貧民に回す金と、諸国に威を見せ付ける行事に費やす金の重み、その差をだ。貧民にどれだけ金を撒こうと、安い飯となって胃の中に収まり、排泄物となるだけではないか。貧民の腹をどれだけ満たそうと、周辺国家から侵略されれば、何の意味もない」
「……聖下の仰られる通りであります」
「ならば、一時は費えになろうとも、周辺国家に我々の威を見せ付け、戦わずして相手の矛を収めさせる方がどれだけ有益であることか。これこそが生きた金の使い方というものだ。あの男が大局を知らんと言うのはそういうところよ」
「まさに金言でありますな。子々孫々に至るまで今の御言葉を伝えたく存じます」
教皇に深々と頭を下げながら、神殿長が阿った相槌を打つ。本人たちは大真面目であるのだが、傍目から見ているとコントのようでもある。
実際のところ、教皇の考えにも一理があり、巨大な国家の運営を考えるのであれば、聖勇者の全てが正しいとは言えないであろう。
要するに、この両人の性質は何処までいっても水と油なのだ。
後に、とある魔王はその間隙を縫うように両者の間に入り込み、その関係を決定的に引き裂くこととなる。
「で、あの連中……厄介者3人はどうしておる?」
聖座の肘置きを指で叩きながら、教皇は顔を顰めながら言う。
口にするのも忌々しい、といった風情であった。
「聖下の勅命通り、最前線へと送り込みましたが、今は諸国も静観の姿勢を取っているため、無聊を囲っているようです」
「当分はあの男から引き離しておけ。面倒なことになりかねん」
「はっ!」
教皇の頭に浮かぶのは、白い三連星と諸国から恐れられる手練れの騎士たち。
彼らが戦場で挙げてきた功績は凄まじく、兵からの信頼も厚い。あまりの強さに、身分の差も越えて名家の当主たちにもその名が響いているほどだ。
だが、彼らは揃いも揃って反骨心が強い。
教皇が推し進める威圧や脅迫に近い外交方針や、名家の思惑を優先する政策にも真っ向から反対することが常であった。
聖勇者ほど極端ではないものの、彼らも現状を是としていないのであろう。
かの3名は諸国に響いた騎士でありながら、武力で全てを解決することは不可能であると数多の戦場で悟ったのかも知れない。
「鶏肋よの」
「…………聖下?」
「気にするな」
まるで、あの3人の騎士たちは鶏の肋だと教皇は独り言ちる。
ダシは取れるが、食える肉は少ない。
いっそ、前線でくたばってしまえ――という思いと、戦死されてはそれはそれで困るという奇妙な狭間で教皇の心が揺れる。
「まぁ、よい。で、あの男はまだ元の住居を引き払っておらんのか?」
「どうやら、そのようであります」
「あの男には、ここで生活するように伝えた筈だが?」
「どうにも頑な男でありまして………その、この祝賀会が終わり次第、元の住居に戻りたいと」
「まったく、何を考えておるのか……聖衣箱に選ばれたことにより、得体の知れぬ正義感にでも酔っておるのであろう」
皇都には5つもの大神殿が建立されている。
中心には“光”を称える皇都大神殿が存在し、それを守るように東西南北の其々に火・水・風・土の大神殿が建てられているのだ。
隙間風が吹くあばら家と、皇都大神殿での生活など天と地の差である。
余人であれば、1秒も迷うことなく引っ越すであろう。ここでは美しい女官たちが食事から入浴まで全てを世話してくれるのだから。
「神殿長よ……見目麗しい女官を100人ほど集めておけ。あの男に、下らぬことを考えさせる暇を与えるな」
「良きご思案ですな。じき、骨抜きになって靴紐も結べぬ男になりましょう」
「ははっ、あれも男だ。美しい女官たちと毎晩でも水風呂へ浸からせ、垢と一緒に下らぬ考えも流してしまえ」
2人がそんな会話を交わしていた頃――――
聖勇者はひっそりと会場の片隅に佇み、憂鬱な表情を浮かべていた。
(何と華美で、無駄な空間なのでしょうか…………)
常人であれば心華やぎ、煌びやかな空間の中で高価なワインに酔い痴れるであろう。いや、ワインなど不要であったかも知れない。
名も無い貧民から一躍、聖勇者という伝説的な存在となってしまったのだから。
酒など無くとも、一夜にして身分が転変したことに酔い浮かれるであろう。
栄耀栄華、酒も美食も美女も、名誉も名声も富も、何でも思うが侭である。これに浮かれない男が居るとすれば、それは異常人であるとしか言いようがない。
しかし――その“異常人”こそが、この男であった。
連日のパーティーに些か疲労しているものの、その心は何処までも澄んでおり、巨大な箱を背負った姿は物言わぬ彫刻のようでもある。
「おやおや、この辺りは臭いな。会場に猿でも紛れ込んでいるのではないか?」
そんな聖勇者に、屈強な取り巻きを連れたフレイが声をかける。
今日も赤を基調とした華麗な装束を纏い、人目をそばだてるいでたちであった。
彼は聖衣箱に選ばれなかったことで、ここ数日は屋敷で荒れ狂っていたのだが、ようやく表に出てきたらしい。
「高貴な者たちが集まる会場に、相応しくない匂いだ。誰か、香水を撒いてくれ。僕の美しい鼻が曲がってしまうじゃないか」
わざとらしく鼻を摘み、手を振るフレイに取り巻きも大いに笑う。
名家の中の名家、リュクサンブール家の跡取り息子であるフレイはどんな場所であろうと自儘に振舞う。
また、それを止められる者など存在しない。
彼のメンタリティは幼児のそれであって、気に食わないことがあれば、いつでも家の権力でそれを叩き潰してきた。
皇国を統べる教皇からしても、彼に対しては完全に腫れ物扱いである。まるで、歩く火薬庫のようなものであり、装束もそれに相応しい赤色であった。
取り巻き連中もフレイに雷同するように、聖勇者を罵倒しはじめる。
「まったく、自分を人であると勘違いした猿が居るようですな」
「フレイ様を不快にさせるとは、とんだ畜生よ」
「いっそ斬り捨てて、匂いの元を断つというのはどうですかな?」
「よせよせ、大神殿を猿の血などで汚すのは“光”への冒涜よ」
突然始まった内輪揉めに、会場内がざわめく。
皇国の者は「またか」といった表情であったが、諸国の外交官はそうもいかず、この騒動へ鋭い視線を送る。
聖勇者の誕生という脅威の中に、1つの綻びを垣間見た瞬間であった。
皇国も一枚岩ではないのだ、と。
折角の舞台を台無しにされかねず、教皇は慌てて立ち上がったが、聖勇者の行動の方が早かった。
「分不相応な身であることは重々、承知しております。来場者の方々を不快にさせぬよう、私はこれで退席させて頂きます――」
深々と絵に描いたようなお辞儀をし、聖勇者が音もなく立ち去る。
フレイは一瞬、呆気に取られたような顔をしていたが、やがて勝ち誇ったように膝を叩いて大笑いした。
「あ、あれが聖勇者だってぇぇ? 血筋も何もない貧民で、その上、勇気の欠片もないなんて! ちゃんちゃら可笑しいじゃないか!」
「まったくですな! あの箱はやはり、壊れておるのでしょう」
「あの箱を背負うのは、フレイ様以外に居る筈もありません」
「待て待て、フレイ様が背負うのはあの箱だけではない。国そのものよ」
「おっと、これは失言であったな!」
フレイや取り巻きが大笑いし、教皇は1人、顔を青褪めさせていた。
諸国に威を見せ付けるどころか、味方が聖勇者を罵倒し、その光輝く権威を貶めているのだから、堪ったものではない。
大局を知らぬ、とは聖勇者ではなく、彼に言うべき言葉であったろう。
教皇はフレイを呼び寄せるべく、慌てて会場内へ兵を走らせた。そんなドタバタ劇を、醒めた目で見ている1人の男が居る。
(絡む方も、絡まれる方も、等しく愚か者よ…………)
懐に、高価なトランスを忍ばせた神官である。
彼はこの派手な祝賀会を利用し、次々と取引を行っていた。
陰に隠れてこそこそ取引するよりも、公の場で堂々とやり取りした方が露見する可能性が低いと踏んだのだ。
その思惑は見事に当った。
何処の誰が、聖勇者の誕生を祝うパーティーでトランスの取引が行われているなどと思うであろうか。
誰も彼もが浮かれ、酔い痴れる中での虚を突いた行動と言えるだろう。
神官は敬愛する“運命の女神”に祈りながら、今回も大きな成果を得た。“太客”と呼んでいい大物と何人も繋がることが出来たのだから。
(モイラ様……貴女様からの“寵愛”に感謝致します!)
神官は思わず、心の中で叫ぶ。
本来、トランスは少量であればともかく、大量の入手は難しい。その点、神官はダイダロス商会と直接繋がっており、その供給力は無限に等しい。
また、医薬品として使用されるトランスは質が悪いため、上客は食いつかないのだが、ダイダロス商会が扱う品は非常に高品質である。
それを知ってしまえば、もはや他の粗悪なトランスになど戻れないであろう。
(私こそが、聖下の隣に相応しい男なのだ……)
壇上へと目をやり、神官はギラついた目を光らせる。
かの教皇聖下の隣に並ぼうとするのであれば、更なる上の役職、神官長へと駆け上がり、更に上の大神官を目指さなければならない。
その上にある“神殿長”にまで駆け上れば、教皇と直接繋がることが出来る。
(聖勇者でもなく、名家のお坊ちゃんでもなく、女神は私をこそ祝福する……!)
神官は暗い笑みを浮かべ、普段は接することが出来ない高貴な立場の者を求め、屍人のようにゆらりと一歩を踏み出した。
その存在を利用しようとする者、その存在を疎む者、相変らずヲタメガ様がラノベの主人公をしていますが、次話では久しぶりにあの男が登場してきます。
勇者とは似ても似つかぬ、邪悪な姿を見せてくれることでしょう。
首都圏などの早いところでは、明日ぐらいから新装版の3巻が書店さんに並ぶかも知れません。WEB未登場の側近なども登場してきますので、興味のある方はそちらも宜しくお願いします!





