CROSS ROAD
―――― ライト皇国 皇都 ――――
ライト皇国の中心地たる皇都は今、湧きに湧いていた。
子供たちは街中を駆け回り、壮年の者たちは酒を酌み交わし、腰の曲がった老人たちまで華やいでいる。
先日、数百年ぶりに本物の聖勇者が誕生したのだから、無理もない話だ。
正確に言えば、聖衣箱が動いたのは千年以上前と言うべきであろう。
これまでは本当に動いたのかどうかも分からない微かな反応や、僅かな光でさえ「反応があった!」と大々的に国内外へと喧伝してきたのだから。
そんな嘘か真か分からないガセ話を、何度も何度も聞かされる方は堪ったものではない。諸国の間では、皇国が顔を真っ赤にしながら口にしているジョークであるとして、総スルーされてきたのが実態である。
だが、今回は違う。
本当に聖衣箱が一人の青年を認め、聖勇者であると認定したのだ。しかし、この話に登場する男だけはそれを無視し、歯牙にもかけていない様子であった。
(何が聖勇者か……馬鹿馬鹿しい……)
フードを深く被り、薄暗い路地裏を1人の男が駆けている。
一国を挙げた祝福ムードの中、男が纏っている空気は異常であった。
懐にはよほどの大金でも入っているのか、あちこちに視線を走らせ、油断のない目付きをしている。
(運命の女神は……モイラ様は、私にこそ祝福を下さる……!)
男は神学校を初等、中等、高等と順調に進み、その後の任官試験を無事に突破し、皇国に住まう誰もが羨むであろう「神官」の地位を得た。
名家の出身でもない者が、若干28歳でその地位を得るなど快挙と言っていい。
もう若い、とは言えない年齢であるが、神官になる道は非常に険しく、35や40になっても「神学校 高等生」という肩書きの者はザラだ。
ライト皇国における神官の地位は異常に高く、武官は上層部から軽んじられる傾向にある。神官という入り口に立ち、そこから登っていく道こそが“大いなる光”に近付き、死後もそれに連なる身である考えられているからだ。
(私こそが光に近付き、栄達の道を登るのだ……ッ!)
人々からの畏敬、手厚い給金、有形無形の保護、退職後の恩給……神官になれば一生は安泰である、と言っていい。
故に、皇国では神官を目指す者が後を絶たない。その殆どが夢半ばで破れ、誰に知られることもなく、ひっそりと故郷に戻っていくのが通例ではあったが。
(私にこれほどの適正があったのは、その暗示に他ならない…………)
神官を目指す者には「光」や「聖」の魔法に強い適正を求められる。
それ以外にも素性や家柄がしっかりとしており、自身は当然のこととして、身内にも犯罪者が居ないことなども条件の一つだ。
男は「光」や「聖」に強い適正を持っていたが、如何せん家が貧しく、任官試験を何度受けても、実質は門前払いされているのが実態であった。
どれだけ勉学に励もうと、光に祈ろうとも、何一つ成果が出ない不毛の日々。
壊れたように同じ時間を繰り返す日常。
張り出される「不合格」の文字。
先に壊れたのは日常であったのか、それとも男の方であったのか―――やがて、男が走る路地裏の先に強面の集団が現れた。
中心に居る男は小さな眼鏡をかけ、蛇を思わせる酷薄な容貌をしている。
この痩身の男が、集団の長であるらしい。
「これはこれは、神官様。お待ちしておりましたよ」
「……もう少し、マシな日はなかったのか」
「どうやら国中が浮かれている様子。これを利用しない手はないと思いまして」
「異教徒どもめ…………」
「この国は光を信じ、我々は金を信じる。ただ、それだけの違いですよ。そして、貴方の懐には私の大~~好きな“神”が降臨しておられる」
神官が顔を歪めるも、痩身の男は口を開けて嗤うばかりであった。正確に言えば、この男と出会った日から、壊れた日常は更に崩壊したのだ。
今ではもう、二度と元に戻ることはない。
「……金は用意した。ブツは?」
「勿論、今回も上物を揃えております。慈悲深~い神官様におかれては、医薬品がどれだけあっても足りることはないと思いまして」
「用意できた金はこれだけだ……それ以上は、買えん」
差し出された大量の麻薬を見て、神官は思わずゴクリと唾を飲み込む。
しかし、持参した金では僅かな量しか購入できない。痩身の男は残念そうに首を振るも、何を思ったのか突然、満面の笑みを浮かべた。
「他ならぬ神官様相手の取引。此度は格安でお譲り致しましょう」
「なに? ジャンキー……貴様、何を企んでいる」
冗談のつもりで名乗っているのか、何であるのか。
ジャンキーと呼ばれた痩身の男は首を竦め、困ったように言う。
「企むとは心外な。ここ何度かの取引を経て、貴方は信用できる御方だと判断したまでのこと。大切な顧客には、サービスが欠かせぬものです」
「フン…………」
忌々しそうに鼻を鳴らしながら、神官は「ツイている」と叫びたくなった。
こちらの立場、地位を見込んでいるのであろうと。
事実、ジャンキーは神官の存在を重く見ている。この国で尊ばれ、清い立場の者がトランスの売人になってくれるなど、ありうることではない。
まるで、現職の警察官僚が捜査網の裏を突きながら麻薬を売り捌いているようなものだ。手に負えない、とはこの事であろう。
「私を通じて上を腐らせ、客としていくつもりか」
「上が腐れば腐るほど、貴方の地位は上がる。トランスだけでなく、必要とあらば様々な贈物も御用意させて頂きましょう」
「……贈物、だと?」
「えぇ。物であれ、酒であれ、女であれ、望むのであれば、それが他国の機密であろうとも。地位の高い方ほど、脛に傷を持っているものです」
まるで悪魔の囁きだ、と神官は思った。
相手が伸ばしてきた手を掴めば、更なる泥土の中へ引き摺り込まれるであろう。既に首元まで泥に浸かった身であっても、震えざるを得ない。
「そうやって、貴様ら“ダイダロス商会”は多くの人間を破滅に追いやってきたのだろう。大陸を蝕む害虫どもめ」
神官のそんな声に強面の男たちが色めき立つも、ジャンキーが手を挙げると途端に大人しくなった。
よほど、訓練が行き届いているらしい。
「一面から見れば、害虫も有用なのですよ。駆除した結果、思わぬ惨劇を生むこともある……雀などが益鳥であり、害鳥であるように。必然、光にも闇が付き纏うものです」
「口の減らぬ奴め……じき、貴様らダイダロス商会にも、いや、“イカロス”にも神罰が下ろうぞ」
「ハハッ、それはそれは……恐ろしくて今宵は眠れそうにありませんな」
神官は舌打ちしながら懐の革袋を投げ渡し、引き換えに大量のトランスを得た。
彼はこれを使い、更なる栄達を求めて動くことであろう。強面の集団も、浮かれる街並みに溶け込むようにして消えていく。
大通りに出たジャンキーは一度だけ振り返り、皇都の中心地へと目をやる。そこには見る者を瞠目させ、平伏させるような煌びやかな大神殿が聳え立っていた。
信徒であれば、その威容を見て伏し拝み、涙を流すことであろう。
「神罰、か……笑わせてくれる」
その口から、嘲笑とも呪詛とも取れぬものが零れる。
ジャンキーは首元に手をやり、そこにあった逆十字を模したネックレスを強く握り締めた。
「この国も、ダイダロスも、イカロスも、知ったことか…………全ては我らを導く大いなる指導者・ユートピア様のために」
小さく呟かれたそれは、遠い未来に起こる何事かを暗示しているようでもあり、不吉なものが含まれている。
一方の神官も、思わぬ棚ぼたにほくそ笑んでいた。
「何が、聖勇者だ……何ら努力もせず、葛藤もなく、運良く切符を手に入れただけの小僧にすぎんではないか。私は如何なる汚泥に塗れようとも、自らの力で、才覚で、何処までも登り詰めてくれるッ!」
――――選定の儀という大きな節目を迎えたこの年――――
皇国には新たな聖勇者が誕生し、野心に燃ゆる神官が奔っていた。
彼らは後年、とある魔王と遭遇する事となるが、その命運はくっきりと分かれる事になってしまう。
片方は歴史に大きな足跡を刻み。
もう片方は、歴史から存在ごと抹消されてしまうからである。
今話に登場した神官は新装版の4巻でとある魔王と激突する事になります。
いや、黒塗りの魔王に追突してしまった、と言って良いかも知れませんね……。
全ての責任を負った神官に対し、広域暴力団「大帝国」の組長・魔王が言い渡した示談の条件とは……。
とまぁ、冗談はさておき(?)
ここを見て下さっている方にアニメの続報を。先日、更に追加でキャストの方々が発表されました。その他の情報も併記します。
・ユキカゼ(cv.徳井青空さん)
・ミカン(cv.生天目仁美さん)
・6月16日、先行上映会の開催(詳しくは公式サイトや、ツイッターにて)
・5月30日、新装版3巻が発売されます
とまぁ、洪水のように情報が流れて来ております。
アニメが激しく動く中、私は相変らず執筆し、時に散歩し、王将で飯を食い、家で安いビールを飲むという日々を繰り返しております。
あれ……おかしいな……私がイメージしていた作家と違う……これじゃ、ただのオッサンじゃないか(その通り
そんな訳でこちらは相変らずですが、皆さんは元気にしていますかね?
ではでは、また次の投稿でお会いできれば幸いです。
PS
新しくブクマや評価を入れて下さった皆さん、ありがとう!