選定の儀
――――西方諸国 ライト皇国――――
その人口、二千万を超える巨大な国家である。
本編の主舞台である聖光国は天使を信奉しているが、皇国はその天使たちを率いたとされる“大いなる光”へ信仰を捧げる国家であった。
歴史ある国だけに、国家のシステムとしては些か古い。
古くから綿々と続く名家が多くの農奴を抱え、それを労働力としていたが、農奴にはまともな教育などは行われない。
下手に知恵を付ければ、叛乱でも起こされると思っているのだろう。
教育の機会を与えず、農奴の子もまた農奴として生きていかざるを得ない、古い体制を敷いていた。
それらの土地と農奴を抱える名家が、皇国の頂点たる“教皇”を選出する。
教皇という響きとは裏腹に、その実態は既得権益の塊であり、その代表者と言っていいだろう。これでは、体制の改革など進む筈もない。
本来であれば、このような国家体制はロシアのロマノフ王朝のように衰退し、遂には滅ぶものだが、ライト皇国には他にはない反則ともいえる力が存在していた。
1つは、その大地。
大いなる光に祝福された土地は、ありえない程に農作物が良く育つのだ。
その収穫量は軽く、他国の数倍の規模を誇り、農奴には生かさず殺さずの給金で済む。戦乱に明け暮れる北方諸国の食糧事情を一手に担っても、有り余るほどの余裕があった。
尽きぬ食料と、尽きぬ争い。
これが皇国に年々、莫大な富を齎しつつある状況である。
更に、聖勇者の存在。
この大陸における、一騎当千の武力を持つイレギュラー。
皇国には大いなる光が遺したとされる二つの古代の断片が存在し、それらに認められた者は聖勇者として皇国の威となり、剣となることが義務付けられている。
この日、その“選定”が行われようとしていた――――
皇国に住まう16歳を迎えた男子が元旦から大神殿へと集められ、古代の断片の前に立つのだ。この日ばかりは農奴であっても例外なく、大神殿へと集うことになっている。
その数は膨大であり、数日がかりで行われるものだが、神聖な儀式でもあり、選定の儀には教皇や名家の者のみならず、騎士団の有力者たちも立ち会っていた。
毎年のように行われ、空振りを続ける退屈な儀式に、教皇は些か暇を弄ぶように呟く。
「まるで、時間の浪費でしかないな」
「同感ですが、これも大切な儀式ではありますので……」
教皇という立場を考えれば、儀式に立ち会わざるを得ない。荘厳な大神殿の深奥に座る己の姿を万民に見せ、その威を知らしめる大切な場でもある。
実際、上の腐敗など何も知らぬ民衆は大神殿の荘厳さに身を震わせ、大いなる光の代行者たる教皇の姿を見ては涙を流していくのだ。
「まぁ、民草からすれば、私の姿を見れる生涯で一度の機会であろうしな」
「そうですとも。聖下の御姿を見せ、忠誠を誓わせる場としては悪くありませぬ」
阿るように、神殿長も同意した。
今代の教皇は頭こそ切れるものの、相当な俗物である。名家からの支持を集め、自身に巨万の富を齎すことしか考えていない。
そんな上の腐敗を知り尽くしている者も僅かではあるが、この場に居る。
諸国から「白い三連星」と恐れられる、三人の屈強な騎士であった。
彼らも数日、この儀式に立会っていたが、流石に閉口気味である。
「今年も、現れんようだな」
「あの教皇の下で、聖勇者など誕生するものか」
「しかし、去年は荒れ狂う炎が反応したではないか」
もう一つの選定の儀は、16歳を迎えた名家の女性が集められる。
その古代の断片は代々、名家の女性にしか反応しないのだ。驚いたことに、去年選ばれたのは僅か8歳の少女であった。
数十年、時には数百年もの間、聖勇者が不在の代も存在することを考えれば慶事である。小さな勇者の誕生に、国中が祝福ムードに包まれたのは記憶に新しい。
しかし、三連星からすれば素直に喜べない結果である。まさか、8歳の少女を戦場に立たせる訳にもいかず、騎士団としても困惑するしかない。
「あのような幼子が選ばれたところで、情勢は何も変わらん」
「確か、ファンブルク家の御令嬢であったか。戦場で傷でも負わせようものなら、全員が縛り首になろう」
「馬鹿馬鹿しい。敵は家柄を見て、遠慮や手加減などしてくれんぞ」
三人が愚痴とも言えぬものを吐き出していた頃、一人の男が意気揚々と大神殿へと乗り込んできた。その服装は華美を極め、多数の護衛や楽団を引き連れた華々しいものである。
儀式も終わりが近く、全員が退屈していたということもあってか、楽曲付きで登場したその姿は大いに人目を引くものがあった。
「あれは?」
「火聖霊騎士団を私物化している、火の一族。リュクサンブール家の跡取り息子だ」
「フン、あの赤一色のお飾り騎士団か…………ご丁寧に楽曲付きとは呆れてものが言えん」
名家の跡取り息子ということもあるのだろう。わざわざ教皇も立ち上がり、機嫌よく声をかけていた。三人からすれば馬鹿馬鹿しさの極みである。
儀式の終わりを狙ってきたのも、自分が選ばれるという自信があってのことに違いない。
「あの男、よほど自信があるらしい」
「拝見させて貰おうではないか」
「あんな空っぽの男が選ばれた日には、世も末よ」
三人が醒めた視線を送る中、満座は古代の断片が反応するか固唾を飲んで見守っていたが、結果は無反応――――
これまでと同じく、古代の断片は沈黙したままであった。教皇が取り成すように優しく声をかける。
「フレイ君、気落ちすることはない。この聖衣箱はもう壊れているのであろう。最後に反応したのは、いつとも知れぬ彼方だ」
「ですが、聖下! 僕以外に相応しい人物など居る筈もありませんッ!」
「うむうむ、その通りだとも。君に反応しないということは、この箱が壊れているという証左でもある。そうは思わんかね?」
「た、確かに……そうとも言えますが…………」
これまでの傲岸な態度とは違い、教皇はフレイと呼んだ青年を手厚い態度で宥める。彼の家は皇国の中でも随一、とも言える名家であり、大地主なのだ。
ここの機嫌を損ねるのは教皇であっても甚だ不味い。
一連のやり取りを見ていた三人は、不満気に立ち去っていくフレイを見て大笑いした。彼らは己の実力を以って立つ者であり、揃いも揃って反骨心が強いのだ。
相手が名家のお坊ちゃんであっても、遠慮なしである。
「鳴り物入りで登場した割には、何と情けなき後ろ姿か」
「……喜劇役者がお似合いよ」
「然り。取り巻きに囲まれていなければ、道も歩けぬような臆病者が聖勇者などと片腹痛いわッ!」
辺りを憚らぬ三人の声に、教皇が苦虫を潰したような表情を浮かべる。他の者がこのような暴言を吐いた日には、即座に首を跳ねられたであろう。
しかし、この三人は諸国にまで響いた騎士であり、激化の一途を辿る情勢下では、とてもではないが手放せぬ存在であった。
「口を慎め――戦場以外の場所で、背後から刺されたくはあるまい?」
教皇の脅しともいえる発言にも、三人は何処吹く風といった様子で受け流す。来るならいつでも来い、と言わんばかりの堂々たる態度であった。
教皇からすれば、面白い筈もない。
「……考えなしの馬鹿どもが。もう良い、さっさと終わらせよ」
教皇の声に、慌てて兵たちが動き出す。残っていた農奴や貧民たちが、まるで引っ立てられるようにして次々と箱の前に立たされ、即座に退場させられていく。
全員が、まるで消化試合のようにそれを見守っていた。
最後に現れたのは、痩せ細った貧相な小男である。その髪はボサボサであり、農作業でもしていたのか、服は泥塗れであった。
おまけに、かけている眼鏡にまでヒビが入っている。その姿を見て、流石の三連星も深々と溜息を吐く。
こんな貧相な男など、結果を見るまでもないと。教皇も同じことを思ったのか、億劫そうに椅子から立ち上がり、早々に立ち去ろうとする。
しかし、その男が大神殿に足を踏み入れた瞬間――――場に異変が起きた。
前に立つまでもなく、聖衣箱から眩い光が溢れ出したのだ! その光は男が一歩進むごとに強くなり、次第に目を開けていられないまでの白い閃光となっていく。
その光に、胸を叩き付けられるような鼓動に、三連星が呻き声を上げる。
「な、何だ…………何が起きている!」
「し、信じられん……聖衣箱が反応した…………」
「何たる光か! まさか、あんな貧相な男が選ばれたというのか!?」
ヒビ割れた眼鏡をかけた男は、光に導かれるようにして箱の前へと立つ。
その神聖な光景に全員が言葉を失う中、男は大音声を上げた。
「大いなる光よ――大地を照らす神よ! 私に弱き者を救う力を! 愚かな戦乱を終息させる力を! 明日を生きれぬ子供たちに、パンを与える力をッッ!」
男の口から、魂を揺さぶるような絶叫が迸る。それを聞いていた三連星の体はガタガタと震え、遂には立っていられないほどにその体が揺れ始めた。
「私に――私に――――貧しき者を救う力を……今すぐ与えろぉぉぉぉッッ!」
男が大声で叫び終えた後、聖衣箱が眩い光と共に遂に開く。
中には神聖な光を放つ光剣と、どんな魔物も打ち砕くであろう強靭なモーニングスターが鎮座しており、奇妙な形をした何十枚もの金属が収まっていた。
教皇は呆気に取られたように口をパクパクとさせていたが、正気に戻ったのか、慌しく口を開き、この信じ難い快挙を祝う。
「す、素晴らしい…………君が、君こそが、今代の聖勇者であるッッッ!」
教皇の頭に過ぎったもの――それは、数千年ぶりに二人の聖勇者が揃ったという歴史的な快挙と、それが齎す栄光の道である。
己が教皇の座に居る時に、奇しくも二人の聖勇者が揃ったのだ。まさに、大いなる光が自分に大陸の全てを統べよ、と告げているとしか思えない。
「皆の者ッ! この快挙を大いに祝おうではないか! 今宵は盛大なパーティーを開き、国中に、諸国に、我らが光の威を知らしめようぞ!」
「「「おおぅッッ!」」」
満座のあちこちから賛同する声が上がり、各々が拳を振り上げる。実際、二人の聖勇者を擁すれば、周辺は切り取り次第になるであろう。
長年、覇を争ってきた西方諸国の雄、マジックやローゼンに打ち勝つことも夢ではなくなる。全員が浮かれる中、男は静かに箱を背負い、無表情に告げた。
「――――無用のことです」
「ど、どうしたのかね……? 今宵は、君こそが主役なのだぞ」
「その費えを、どうか貧民へのパンとスープにして頂きたい」
「待たんか! このような快挙を前に、国を挙げて祝うのは当然のことであろう。これまでとは違い、君には政というものを学んで貰わねばならんようだ」
それだけ言うと教皇は手を叩き、多数の兵を走らせた。
国内外の有力者を全て集め、己の地位を強化しようとしているのだ。実際、二人の聖勇者が誕生したことにより、教皇の地位と権力は確実に増大するであろう。
周囲が慌しく動く中、新たに誕生した勇者は困惑しているようであった。
何か、自分の思わぬ方向に事が動いていると。数にもならぬ貧民であったのに、今では名家の者が次々と笑顔を浮かべながら挨拶をしてくるのだから。
大嵐の中に突然、放り込まれたようなものである。
「……あの男を、守らねばならん」
三連星のリーダー、カイヤがポツリと漏らし、他の二人も無言で頷く。
戸惑う勇者の姿を見て、自分たちが防波堤にならなければ、と決意を固めたのであろう。
この国の権力や政治、腐敗した階級制度や、名家の者たちの思惑の中に取り込まれてしまえば、得難い素質を持った男であっても、どう豹変してしまうか分かったものではない。
――――奇しくも、その予感は的中することとなった。
この日から聖勇者と三連星の、権力者との長きに渡る虚々実々の戦いが始まるのだから。
時に、この大陸へ“魔王”が現れる9年前の出来事であった――――
ご無沙汰しておりました。
はじめましての方ははじめまして、作者の神埼黒音と申します。
ネット小説大賞受賞からの書籍化、漫画化、アニメ化、とあれから本当に色々な事がありましたが、まずは今話を読んでくれた貴方に感謝を!
ブクマを剥がさずにいてくれた貴方には、もう投げキッスを(要らない
久しぶりの投下となりましたが、今話では裏の主人公(?)とも言える聖勇者誕生の瞬間を描かせて頂きました。
こちらはちゃんとラノベの主人公をしているというのに、あの魔王は……
という訳で、旧章では色んなキャラや場面を自由に描いていこうと考えております。放送が終わるまでは多忙な日々が続くと思いますので、更新速度に関しては、あまり期待しないで下さい。
では、次回の投稿でお会いしましょう!