侵略者
脱衣所で田原が服を脱ぎ捨て、その頭に折り畳んだタオルを乗せる。この男は銭湯好きというのもあるが、どうも昭和の匂いが漂う古めかしい一面があった。
最新の武器ともいえる銃と、それに反するような格好。このアンバランスさこそが、天才という一種の「変人」である事の証明のようでもあった。
「しっかし、長官殿と温泉なんざ……以前じゃ、考えられん事だわな」
田原がぐるりと脱衣所を見渡すものの、ここは銭湯とは違い、全く人の気配が感じられず、ロクに使われている形跡すらない。
実際、ここは魔王しか使っておらず、ほぼ専用の空間となっているのだ。鏡を見れば、曇り一つない鏡面に田原の鍛え抜かれた肉体が映る。
「訓練の時間が減ってるよな……せめて、野村がいりゃなぁ」
田原がしかめっ面で頭をボリボリと掻くものの、その腹筋は見事なシックスパックであり、重い銃器を扱う両腕、反動をものともしないバネのような全身には、およそ無駄というものがない。
同性から見ても、惚れ惚れとするような肉体であった。
「さて、長官殿はもう入ってんのか……?」
扉を開け、田原がひとまず全身をシャワーで洗い流す。悠に掴まれた腕にはまだ、うっすらと爪痕が残されていた。それを見て田原の顔が青褪める。
「冗談じゃねぇぞ、あのマッド女が……」
そう毒づいた時、奥の露天風呂から声がかかる。
田原がそちらへ足を向けると、そこには魔王が湯に浸かり、杯を口にしていた。どうやら日本酒を盆に浮かべ、酒を飲んでいるらしい。
「よく来たな、田原」
「露天風呂で日本酒たぁ、随分と粋な事をしてんだナ」
田原も遠慮なく湯に浸かり、差し出された杯を呷る。露天風呂の効果と、日本酒の気力回復の効果が重なり、まさに天国の心地であった。
「くぁー! 堪らねぇな、こりゃぁ」
「少ないが、つまみも用意した」
もう一つの盆には、たこわさや枝豆、冷奴や刺身などが並べられてある。魔王がSPを消費して生み出した“おつまみセット”だ。
GAME会場では、単品なら気力を20~40回復してくれるものであったが、このセット物は15しか回復しない為、微妙な扱いのものである。だが、この異世界においては、回復量よりも種類が豊富な方が余程ありがたみがあるだろう。
「刺身まであるたぁ……つぁぁ! うんめぇ!」
「いずれは、海産物の入手も考えたいところだな」
「んー、手っ取り早さで考えるなら《釣り》だけどよぉ、気力の消費がナ」
「うむ」
生存スキルには《釣り》というスキルがあり、気力を30消費すればどんなエリアであっても釣りを行う事が出来たのだ。
鮮魚を代表として、黒アワビや鱶鰭、本マグロや大王イカ、真鯛や河豚、人面魚や海藻類、貝類など、釣れる内容も滅茶苦茶であった。
他にも水脈探索、食料探索、薬草探索、道具探索、空き巣、宝探しなど、様々な探索系スキルが用意されており、其々で手に入る内容が変わる。探索物の中には高値で売却出来る物も多く、回復だけではなく、資金源にもなるものであった。
一般的なゲームでいう、“生産職”に近いものといっていいだろう。
「こんな世界にきても、会場でやってた事が殆ど再現されちまうとはなぁ。俺にゃ、何がなんだかわからねぇが……」
「その辺りも、いずれ解明するだろうさ。権限が回復すればする程、我々に穴はなくなるのだからな」
そこからは今後の打ち合わせが続いたが、軽い表面的なものであった。田原は自分の構想などとうに織り込み済みだろうと考えていたし、魔王は魔王で迂闊に口を滑らせてはボロを出す、と深く突っ込む事はしない。
互いに手酌で酒を飲み、つまみを口へ運ぶ静かな時間が続く。
これはこれで、中々の風景であった。中身はともかく、魔王は杯を含んでいるだけでも絵になる男であり、田原にも歴戦の男だけが醸し出せる色気がある。
「……全員が揃った日にゃ、さぞ賑やかになんだろうけどナ」
「無論、全員を揃えるつもりだ」
ぽつりと田原が呟いたが、それに対する魔王の返答は力強いものであった。
そして、予想を超える言葉まで飛び出す。
「いずれ、お前の妹も呼ぶつもりでいる」
「……えっ?」
一瞬、田原の動きが止まり、何かを言おうとしたが、それよりも早く魔王の右手がその顔の前に広げられた。
そこにあるのは、以前は着けられていなかった――禍々しい指輪。
「そ、その指輪が、何だってんだよ……」
「特定の条件を満たせば、願いを叶える奇跡の指輪、とでも言っておこうか」
「よしてくれよ……何処ぞの漫画じゃあるまいし」
「私が、この手の冗談を口にすると思うかね?」
その言葉に、田原が思わず唾を飲み込む。
確かに、田原から見た“長官殿”は間違ってもこんな冗談を口にするような人物ではない。善悪に関わらず、言った言葉を悉く有限実行する、大帝国の魔王と呼ばれるに相応しい存在であった。
「真奈美、と……いや、待て! こっちに呼んで、万が一にも危険が……」
田原の表情が百面相のように変わり、ぐるぐると思考が回る。
そう、田原は不夜城で働くと決めた“あの日”から一度も妹と会っておらず、手紙はおろか、メールなどの通信も一切遮断していたのだ。
田原のみならず、委員会のメンバーは莫大な懸賞金をその首に賭けられており、世界中から憎悪を集める存在であったのだ。もっと言うなら、一発逆転を狙う参加者の前へとぶら下げられた、“人参”でもあった。
故に、無力な妹に害が及ばぬよう、一切を遠ざけ、共に過ごした痕跡を悉く消し去ったのだ。当然、不夜城で共に暮らすなど論外である。
あの場所こそが、世界中から殺意を向けられる場所であったのだから。幼い少女が暮らすには、余りにも過酷すぎる場所であった。
「落ち着け、田原。この世界で、我々の首に懸賞金などは賭けられていない。この先はどうなるか分からんが、今やっている仕事を思えば、恨みを抱く連中など自分の権益を侵されたと逆恨みする小物だけであろう」
「ん……」
「我々が、そのような愚物に遅れを取るとでも思っているのか?」
「……いんや、思わねぇな」
「ふむ――今、お前の口から“答え”が出たようだ。私はこれを以って、お前の働きに報いようと思う」
魔王がそう言いながら、更に杯を傾ける。これは褒美であると同時に、先に奇跡を叶え、九内伯斗の何らかの狙いを阻止する為でもあった。
無論、田原からすれば、どちらでもいい話である。肝心なのは妹と共に暮らせる日々であって、その理由などを問うている場合ではない。
「なら、ここの守りをもっと固めないとナ。ピアノ線にスネアトラップ、デッドフォール、地雷……いや、自動固定小銃も要るだろ」
「………いや、まだ気が早いのではないか?」
「その前に、真奈美の城……いや、家が要るよな。その辺りは長官殿に大規模拠点を建てて貰うとして……」
田原がぶつぶつと物騒な事を口走り、やがて派手な音と共に立ち上がる。
その顔には――少年のようなはにかみが浮かんでいた。
「いやー、あんたにそんな人情があるとはな! こりゃ、計画を一から立て直す必要があるだろ!」
田原が魔王の両肩に手を置き、嬉しそうに笑う。
上官と部下の、感動の場面である。しかし、田原が立ち上がった事により、その立派な一物が、魔王の目の前にぶら下がっていた。
「う、うむ……ともあれ、落ち着いて座るといい」
「これが落ち着いてる場合かよッ! 俺ぁ、嬉しいんだ! 真奈美とは10年以上会ってねぇんだぞ!」
田原が興奮して叫ぶ度、一物も激しく揺れる。
それは時に左右に揺れ、時に前後に揺れ、縦横無尽の凄まじい迫力であった。魔王はこの異世界にきてから、これ程までに危機感を感じた事はない。
「わ、分かった……まずは座っ……!」
「こうしちゃいられねぇ! 計画の練り直しだ!」
田原が露天風呂を飛び出し、残された魔王は巨大な圧迫感から解放されたように息を吐いた。気分を変えようとでもしたのか、日本酒を銚子ごと傾け、胃の中へと叩き込む。
「まさか、あいつの一物をどアップで見る事になるとはな……何の罰ゲームだ」
魔王はしかめっ面でつまみと日本酒を堪能した後、露天風呂を後にした。その後は就寝するだけであったが、念の為にユキカゼへと《通信》を送る。
また自分の部屋に侵入してないか、気になったのだろう。
だが、その《通信》から――やがて大陸全土を巻き込む戦いが始まる事など。
この時の魔王は想像すらしていなかった。
《ユキカゼ、聞こえるか?》
《――さ――ま》
《うん? どうした、何が起きている?》
通信の乱れに、魔王の顔付きが変わる。
ユキカゼが戦闘状態にある事を察したからだ。
《……おじ様、迷宮に侵略者が発生した》
《アグレッサー? それは魔物か?》
《……指揮官級の魔物。迷宮から逆侵攻を仕掛けてくる、特異種》
《そうか、すぐに戻る》
ユキカゼとの通信を終え、すぐさま魔王は《チーム通信》で田原と悠を呼び出す。これは対個人ではなく、チームを組んでいる全員に繋がるものだ。
《悠、今すぐ旅館前に来てくれ。北の方で少し、荒事が発生しそうでな。田原、村の事を頼む》
《了解、こっちは任せてくれ》
《すぐに向かいます》
数分後、合流した二人はすぐさまルーキーの街へと飛んだ。