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魔王様、リトライ!  作者: 神埼 黒音
五章 恋の迷宮

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嵐の前②

 魔王とルナが帰還する少し前、田原は旅館の執務室で地図と睨み合っていた。

 何かを思い付けばそれを書き込み、時には白紙の紙に様々な項目を並べ、それを丸で囲ったりしていく。その範囲は既にラビの村を超え、周辺の村を飲み込んだ上での計画になっている。


 この計画書を“長官殿”が見れば仰天するだろう。

 無論、田原からすればこの規模で計画を進める事こそが長官殿の意を汲んだ行動であり、まだまだ手緩いと思っている程であった。



「千里の道も一歩から、ってか」



 この天才の頭の中では、最終的な本拠地こそ《不夜城》に定められているが、大規模な首都を作り上げ、それを抱え込んだ姿こそが理想である。

 武力と恐怖で世界を抑え込む体制では大帝国と同じ末路を辿り、必ず何処かに歪みを生み、時には強烈な逆撃を蒙ると考えているのだ。

 田原が再度、紙へ何かを記そうとした時、扉がノックもなしに開いた。



「……あら、田原だけ?」


「長官殿ならまだ戻ってねぇぞー」



 田原が顔も上げず、紙に何かを書き込んでいる姿を見て、悠が珍しい生き物でも見るような目付きとなる。



「貴方、変わったわね。以前はやる気を見せた事なんて無かったのに」


「ん……? まぁ、そうだナ」


「随分と楽しそうに見えるわ。“仕事”をしているっていうのに」



 仕事、という単語を聞いて初めて田原が顔を上げた。

 その表情は目が点になっており、実にマヌケな表情である。やがて耳に挟んでいた赤鉛筆を上唇と鼻の下に挟み、何事かを深く考え込む表情となった。



「仕事、か……いや、悪ぃ。どうも俺ぁ、これを“仕事”と思ってなかったみてーだわ。こいつぁ、驚いたな」


「は? 気でも狂ったの?」



 ピシャリ、と悠が叩き付ける。たが、田原はそれを意にも介さない風情で煙草に火を点け、旨そうに煙に吐き出した。



「いや、なんつーかよ……皆、楽しそうにしてんだろ? ここに来る前はよ、“仕事”をするってのはいっぺー人が死んで、真っ暗で、どうしようもねぇ虚しさしか残らなかったしよ」


「虚しさ、ねぇ……」


「だけどよ、ここで俺らがやってる事は違うだろ。少なくとも何かを遺し、何かを生み出してる。こいつぁ、前の世界に居た頃には得られなかったモンだ」


「今後も、ずっとそうだとは限らないわよ? 敵対者は必ず現れるし、長官はそれに対して容赦なんてしない。何処までも無慈悲な鉄槌を下されるわ」


「そりゃ、そうだろうよ。お手手繋いで仲良く世界平和なんざ、ありえる訳がねぇんだから。俺が言いたいのはよ、1万の人間を泣かしても、100万の人間を笑顔にするなら、前よかよっぽど“マシ”ってこった」



 田原が灰皿に灰を落としながら言うものの、悠はいまいち理解出来ないという表情をしていた。田原は以前の血塗られた仕事より、今の仕事によほど遣り甲斐というものを感じているのだが、悠からすれば他人の命に興味などない。

 故に、彼女の出した結論は実に味気ないものであった。



「あら、結局は“数値の問題”なの?」


「かーっ! おめぇの頭には人の気持ちとか、人情ってもんがねぇのかぁ?」


「そんなもの、人体の研究には不要よ。勿論、長官がそれをお求めになるのなら、私は喜んでそれを研究するけれど」


「人情を研究だぁ? んなもん、試験管やリトマス試験紙で測れるようなもんじゃねぇだろうが」



 絶対的な上官を頭上に据える二人であったが、その内面は何処まで行っても平行線である。田原はそれが必要とあれば、100万の人間でも殺し尽くすだろうが、悠は別に必要でなくとも100万の人間を殺し尽くす。

 とどのつまり、二人の違いはそこであろう。



「それよか、頼んでたもんは出来たのか?」


「えぇ、効果は保障するわ」



 悠がポケットから出した小さな瓶には、透明な液体が入っていた。炭酸泉を利用した“化粧水”だ。この暑い国では、男女共に肌へのダメージが大きい。

 これがあれば、温泉に入れない者も肌を労わる事が出来るであろう。



「特産品が人参だけっつーのはなぁ。化粧水やら、温泉卵やら、色々と考えてんだが、最終的にはやっぱ《不夜城》が必要になるわナ」


「そうね、私達の城が戻れば、全てを圧殺出来るわ」


「馬鹿言ってんじゃねぇよ。不夜城を武力に使う必要なんざ何処にあんだ? 俺が言いたいのは、不夜城の生産施設だ。食料生成プラントに、工場ライン、この辺りをフル稼動させて国の中心に据えるってこった」


「食料はともかく、工場なんて何の意味があるのよ」


「何のって……“電化製品”でも作りゃ良いだろ」


「電化製品!?」



 悠がその単語に絶句する。このファンタジーな世界に、その言葉は余りにも違和感があるものであった。だが、電気が来ていないこの状況でも、何ら変わりなく温泉施設は動き、天井の照明もつき、入り口の自動ドアも動いている。

 それらを考えると、あながち電化製品という単語も妄想ではなくなってくる。



「電気がないとダメだってんなら、《エリア設置》があんだろ」


「エリア設置って……」



 確かに“長官”の権限にはエリア設置というものがある。平たく言えば、会場が常に同じだと飽きるので、模様変えといったところである。

 どんなゲームであっても、色んな“ステージ”を用意するのは当たり前であり、珍しくも何ともないものであるが、現実世界でそれを行うとなれば、想像を絶する力である。それは“天地創造”のレベルであり、人に成し得る事ではない。



「昔の会場にゃ、“発電所”もあったろ。それこそ、採石場や採掘所、食料庫や工場に診療所だってあった。他にもプールだの、山だの池だの、中には樹海なんて笑えるモンもあったよナ」


「貴方……」



 田原がぽんぽんと口から出す言葉に、悠も思わず考え込む表情となった。この男はあろう事か、このファンタジー世界に“オール電化”や、天地を新しく創造する事を描いていたのだ。



「ねぇ、それは長官の……」


「俺が思い付く事なんざ、長官殿が考えてねぇ筈がないだろ」



 田原が溜息を吐きながら煙草を揉み消す。

 勿論、“長官殿”がそんな事を考えている筈もなく、田原の考えている構想を知れば椅子から転げ落ちるであろう。

 二人が思わず無言になったところで、扉が可愛くノックされた。顔を出したのは、飲物を持ってきたアクである。



「お二人にコーヒーを持ってきましたっ」


「あら、アクちゃんに運んで貰うなんて悪いわね」


「悪ぃな、嬢ちゃん」



 悠も田原も、アクに対する態度は丁重だ。

 いや、慎重といった方がいいかも知れない。あの長官殿がこれだけ目をかけているからには、余程の何かがあるのだろうと。故に、二人の中では「長官の客人」という極めて珍しいものにカテゴライズされていた。



「それで、嬢ちゃん。長官殿は何か言ってなかったか?」


「え、えっと、僕には分からない事が多くって……」


「ほぇー、例えばどんなのだ?」


「うんと、ぷ、ぷーるを作るとか何とか……」


「――へぇ」



 田原の口元がニヤリと上がり、悠もカップに口を付けながら、その目だけが鋭く光る。アクがおじぎをして去った後も、部屋の中には不気味な沈黙が続いた。

 その沈黙を破ったのは、悠の方である。



「確かに、とうに考えてらっしゃったようね」


「そりゃそうだろ。影も踏めねぇってのはこういうこった」



 田原が両手を上げ、お手上げのポーズを作る。

 その後、二人の密談が続くも、やがて飛んできた《通信》によって会話は唐突に終わりを告げた。田原の表情が面白いくらいにコロコロと変わり、それを見ていた悠は怪訝な顔付きとなっていく。



「悪ぃ、ちっと温泉に行ってくるわ」


「待ちなさい――」



 頭を掻きながら立ち上がった田原であったが、その手を悠が掴む。頑丈なケブラージャケットの繊維が、ミリミリと奇妙な音を立てた。



「どういう事? まさか、長官と湯に浸かるなんて言わないでしょうね」


「いてぇ! マジで痛ぇっつーの! 離せ、馬鹿野郎ッ!」


「答えなさい――この腕と永遠にお別れしたいの?」


「しょうがねぇだろうが! 誘われたんだからよー!」


「どうして、貴方が……ッッッ! ありえない!」



 遂に田原のケブラージャケットに悠の爪が食い込み、猫にでも引っかかれたような傷が出来上がっていく。

 凄まじい握力であり、そして執念であった。



「わ、わぁーった! 今度、お前とも入るように言っとくってば! マジで!」


「本当でしょうね――」


「マジマジ!」


「嘘をついたら、口から濃硫酸を流し込むわよ。目にも一本一本、針を刺す。手の指も一本ずつ鋏で切り落とすわ」


「言う事がいちいち怖ぇーんだよッッ! ホラゲーの世界に帰れッ!」



 田原が悠の手を無理やり振り切り、逃げるようにして執務室を飛び出す。

 このやり取りを“長官殿”が聞いていたら腰を抜かし、その黒々とした髪も一瞬で白髪と化しそうであった。



「長官と、温泉……ふふっ」



 悠が凄艶ともいうべき表情を浮かべ、嗤う。

 その時がくれば、どうなってしまうのか――まさに神のみぞ知る世界である。





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