嵐の前
二人が飛んだ先である神都では様々な噂が流れており、人々を驚愕させたり、困惑させたりと混乱の中にある。それは時に魔王が降臨したという噂であったり、どんな病気をも治す神医であったり、聖女の筆頭たるホワイトが天使の輪を授かった、という噂であったりした。
だが、一番ホットな噂はやはり――“銀の龍人”であろう。
ホワイトは聖城に居る為、その姿を民衆が見る機会は少ないのだが、零と上級悪魔であるオルイットの戦いは、数万人がそれを目撃した為、その噂の伝播力と熱気は尋常ではないのだ。
「あの龍人が聖城を守って下さったのさ」
「噂の魔王ってのが、ルナ様の後見人になってるらしいぞ」
「ラビの村に仕事があるらしいな」
「俺っちも髪を銀色にしてぇな……」
「ホワイト様が天使になったんだってさ!」
「クイーン様と、銀の龍人は相思相愛と聞いたぞ」
「龍人がここに現れたのは、クイーン様を守る為だろうな」
「二人の結婚式はいつだ?」
新聞やTVなどといったものがない為、良くも悪くも人の口から出るものが噂の正体であり、それらが無秩序に広がっていく。
正しい情報もあれば、中には見当違いのものもあるが、SNSなどが存在しないこの世界では、それらの真偽を見極めるのは至難の業といっていい。
そんな中、新たな噂をぶち撒けるような光景が現れた。
漆黒のコートに身を包んだ魔王と、そのコートを掴みながら嬉しそうに歩いているルナである。二人の姿を見た群集が時間と共に群がり、どよめきが広がっていく。それらを見た魔王は頭痛を抑えるように前髪へと手をやり、後ろへと流す。
「魔王と聖女が仲良く並んでいれば、こうにもなるか。何故、お前は姿を消せないのか。聖女の力にそんなものはないのか?」
「何処の世界に姿を消せる人間なんているのよ。あんた達は自分が非常識な存在だって事を自覚して」
まさに、平行線であろう。
魔王からすれば、魔法なんてものを使うこの世界の人間こそが非常識であり、ありえない存在なのだが、この世界の住人から見れば魔王とその側近こそが、さらりと大魔法を駆使する存在なのだ。
「ねぇ、次は何処の店に行くの?」
「美味い飯を出す店があったのでな。そこの女将を誘おうと思っている」
「そういえば、村には本格的なレストランってないわよね……なら、アルテミスの支配人にも話を通しておくわ」
「ほぉ――それは良い。やるではないか」
魔王が見直した、と言わんばかりにルナの頭に手を置き、労うように優しく叩く。ちなみに、これも素の行動である。この男から見ればルナはまだまだ子供であって、女性という程の対象ではない。
但し、それはあくまで今の段階では――という注釈が付く。
いつの時代も、どんな世界でも、女性は早熟であり、男より遥かに早く大人になっていく。その事を思えば、今は笑っているこの男も、いつかはルナに狼狽させられる日が来るに違いない。
「ふ、ふんっ。褒めるのが遅いのよ。私は偉い聖女なんだからっ」
「うむ。素晴らしいぞ」
立て続けに、魔王が素直に賞賛する。この男は自分に出来ない事や、思いも寄らなかった部分を補ってくれる存在をストレートに好む。
その点だけ抜き出すと、良き君主のようでもあり、何処か子供っぽくもある。
「アルテミスは店を構えさせるのではなく、温泉旅館の食堂スペースを使わせる事にするか。いや、違うな――月の売り上げや評判が一番であった店に、翌月の食堂を独占的に使わせるというのはどうだ。うん、これは良い」
「競争って訳ね。良いじゃない、それこそが智天使様の教えよ。競争のない所に成長なんてないんだから」
「成長、ね……」
つい、魔王の目がルナの胸部へと向けられる。
そこは無法の荒野であり、競争どころか敵対者を寄せ付けない絶壁の断崖と化していた。これではとても成長は見込めないだろう。
「ど、どどど何処を見てんのよ! 幾ら私が可愛いからって、いやらしい目で見ないでっ!」
「はっはっは」
「何が可笑しいかっ!」
魔王が乾いた笑いを洩らしながら、「ノマノマ」へと向かう。
店は相変わらず冒険者でごった返しており、活気に満ちている。店主であるイエイの腕もあるのだろうが、やはり世話になった店に愛着があるのだろう。
魔王が店の扉を開けると、中の目が一斉に入り口へと向けられた。
「あいよ、いらっしゃ……って、せ、聖女様!? それに黒い旦那まで!」
「久しぶりだな、女将」
「お、女将って……その呼び方は何だい」
「黒い旦那の方がどうかと思うが……」
魔王の目から見たイエイは、その恰幅や気風の良さもあって相撲部屋の女将のようなイメージなのだ。実際、それに近い気質がある。
「そ、それで今日は食事かい、それとも……」
イエイがルナの方をチラ見しながら、魔王へと問う。
流石のイエイであっても、聖女が店に来るなど緊張するのであろう。現代でいえば、警視庁のTOPがいきなり家や店に来るようなものだ。何も悪い事はしていなくとも、落ち着かなくなるのは当然であった。
「心配するな。今日は女将の勧誘にきてな」
「か、勧誘……?」
二人が話を進めている間、ルナは店内の風景にチラチラと目をやっていた。その目は意外と鋭く、店の作りを確かめているような雰囲気である。
魔王とイエイの話の方は論ずるまでもなく、すぐに纏まった。一般区画への出店は、何といっても税がかからないのだ。その上、多数の人間が労働力として集められており、客も豊富だ。商売人がこんな話を見逃す筈もない。
当面、ラビの村に建てる二号店には愛弟子が赴き、イエイはたまに顔を出して様子を見る、という方向で話が纏まっていく。
「これは支度金だ。この店の味に期待している」
「えっ……ちょ、ちょっと旦那! これ、大金貨じゃないのさ!」
「わざわざ女将の愛弟子にご足労願うのだ。それぐらいは用意せねばな」
魔王が大金貨を2枚並べる。
どうやら、この店の味が気に入っているらしい。商売人であるイエイにとっては、銅貨1枚であっても大切なお金である。
繁盛しているこの店であっても、大金貨など滅多に見れるものではない。
「我々はあの区画に儲けを求めていない。質を求めている。女将の事は部下によく説明しておくので、大船に乗った気持ちで来て貰いたい」
「そ、そうかい……」
魔王と聖女が嵐のように去った後、大金貨の眩い輝きがイエイの顔を照らす。
この店はツケ払いの客も多く、纏まった現金が入った事によって一息つけたのだ。神都では客が多い分、食材も高い。
大金貨が2枚もあれば、随分と余裕が持てるというものだ。
「あの旦那は……本当に“魔王様”なのかも知れないね」
イエイがぽつりと呟く。
彼女の頭に浮かぶのは魔王という単語と、乱世にのみ生まれる、“英雄”などと謳われる存在。それらの単語には悲劇的な最期が付き纏うものだが、あの男の前では、悲劇の方が地に捻じ伏せられそうな雰囲気があった。
店を出た二人はアルテミス、冒険者ギルド、と次々に訪れ用件を済ませていく。
これらに関しては、聖女であるルナの威光が覿面であった。前者はルナの機嫌を損なうまいと即座に出店を決め、ギルドも公共事業に近い仕事であると大規模な呼び掛けを確約してくれた。
(さて、そろそろ村へと戻るか)
流石に人前で消える訳にもいかず、路地裏へ入った魔王であったが、ルナの様子がおかしい事に気付く。
いつもはやかましいルナが、ノマノマに入ってから妙に静かになったのだ。
「どうした、あの店に不満でもあるのか?」
「ううん……ちょっと、懐かしくなっただけよ」
俯いて話すルナの表情は伺えないが、その声は決して明るいものではない。
「ほぅ、あの店に行った事あったのか」
「ないわ。昔、外から見た事があるだけ」
「そう言えば、無言で店内を見ていたな。庶民的な店が珍しかったのか」
「……ううん。私は昔、店になんて入れなかったもの」
その言葉に、魔王が何かを思い出すような表情となった。かつてレストランで話した時、アクが言っていた事を。
「そうか。確か孤児院から才能を見出されたと言っていたな」
「まぁね」
その短い返答を聞いて、魔王が懐から煙草を取り出し、火を点ける。
孤児院に居たという事は、幼い頃に両親と死別したのか、捨てられたのか、そもそも両親が誰なのかすら分からないのか、そういった類であろう。
流石にこの男であっても、その辺りを茶化すような事は出来ない。
(昔を思い出したという事か――)
魔王がその光景を、おぼろげに思い浮かべる。
店に入れなかったという事は当然、金がなかったのだろう。もしくは、店に入れるような格好ですらなかったのかも知れない。
現に、アクも最初は酷い格好をしていた事を否応無く思い出したのだ。
「努力の果てに今を掴んだ、か。立派なものではないか。少なくとも、恥じるような話ではない」
「そんな事、あんたに言われなくても分かってるわよ……」
「なら、胸を張る事だな。お前は常人には成し難い事をしたのだから。私も、時にはみっともなく足掻きに足掻いて、恥を晒しながら生きてきた」
「あんたがぁ? 想像もつかないんだけど……生まれた時から、えっっらそうにしてたんじゃないの?」
「ははっ、期待に添えなくて残念だが、私はそんな特別な人間ではない」
「な、なら……きゃっ」
魔王が有無を言わせずルナの腰を引き寄せ、全移動の態勢に入る。ルナも黙って魔王の腰に両手を回したが、そのピンク色の瞳は何かを問いたげであった。
「い、いつか、聞かせなさいよ……あんたの昔の話を」
「そうだな、お前が大人の女になったら考えるとしよう」
二人の姿が路地裏から消え――瞬時にラビの村へと辿り着く。
気付けば辺りは既に暗く、夜の帳が降りようとしていた。魔王は即座に《通信》を飛ばし、今日の結果を田原へ伝えていく。
《相変わらず、仕事が早いこって。こっちとしちゃ助かるけどナー》
《それと、お前に少し話がある。二人で温泉にでも浸かりながら、どうだ?》
《温泉だぁ……? ちょ、長官殿と、二人でか!?》
《何を驚いている。まぁ、お前が銭湯好きなのは承知しているが、あそこは人目が多いのでな》
田原は銭湯派であり、その設定を施した張本人がこの男であった。田原は昔、金のない頃は妹と共に銭湯へ行き、妹を出てくるのを表で凍えながら待っていた時期があったのだ。それらの“小話”から、田原は今でも銭湯を愛しており、豪華な温泉が目の前にあるというのに全く足を向ける事すらなかった。
《では、温泉で待っている》
《ま、まじか~~!》
並み居るヒロインを押し退け、男を温泉へ誘う魔王……!
貴方って本当に最低の魔王ね……ッ!(女騎士風)