魔王のスカウト
温泉旅館を出た魔王は隠匿姿勢となり、村のあちこちへ視線を這わせながら歩いていく。姿を見せていては、相手の手を止めさせてしまうからだ。
バニー達の住居区画まで足を伸ばした時、ルナの明るい声が耳に入ってくる。
どうやら木箱を重ね、その上で踏ん反り返って指示を出しているらしい。
「いい? 太くて長いのを作るのよ!」
「相変わらず、ピンクな事を口走っているな」
「きゃぁぁぁ! 急に現れないでよ、このド変態! ずっと姿を隠して私の事を見てたんでしょ! 見てたって言えっ!」
「何をトチ狂っている。それよりも、少し出掛けるぞ」
ルナが嬉しそうに突っかかってくるのを程々にかわしながら、魔王がその小さな体を掴んで木箱から下ろす。
「こ、こら……変なところを触るなっ!」
「今日は《ブレザー》ではなく、正装に着替えて貰う」
「せ、正装って……何処に行くのよ」
「なぁに、お前の威光に縋ろうと思ってな」
「へぇ~、やっと私の偉大さが分かったって訳? なら、私にお願いしなさい。どうしてもルナ様のお力が必……きゃ! ぁんっ!」
――パパァン! と乾いた音が蒼天に鳴る。
魔王の掌が、ルナの臀部をリズミカルに叩いたのだ。一つの動作で軽快な二つの音を響かせる、芸術的な技巧であった。
「時間が惜しい。行くぞ」
「小脇に抱えて運ぶな! お姫様抱っこで運びなさいよっ!」
「寝言とは、寝てから言うものだ」
着替えたルナを連れ、魔王がヤホーの街へと《全移動》で飛ぶ。田原との打ち合わせで決まった事を、今日一日で全て済まそうとしているのだ。この男には距離など関係なく、600の気力は疲労という概念すら物ともしない。
「ここ、ヤホーの街じゃない……何の用があるのよ?」
「まぁ、簡単に言えばスカウトだな」
ルナが魔王に引っ付いたまま、上目使いで問う。全移動の際、魔王の腰へ回していた両手は未だそのままであった。今日は聖女として《ラムダの修道服》を着ている事もあり、その姿は異様なまでに目立つ。
「どういう事よ。ちゃんと説明しなさい」
「有力な店を、ラビの村に引っ張ろうと思ってな。お前は隣でニコニコと笑っていればいい。口を開けばボロを出しかねん」
「あ、あんたねぇ……私の事を何だと思ってるのよ! 私は聖女なんだから!」
「無論、お前は性女だとも。私はその事に関して、一度も疑った事はない」
「そ、そう……?」
「あぁ、胸を張るといい」
微妙に噛み合っていない会話であったが、何だかんだで楽しそうな二人である。出会いが出会いだったので、互いが素に近い状態で接していられる為であろう。
魔王がまず、マンデンの店へ向けて歩き出そうとしたが、ルナが引っ付いたままであった。
「そろそろ離れろ。行くぞ」
「……手」
「うん?」
「……ちゃんと手、繋いでエスコートしなさいよ」
そっぽを向きながらルナが言う。
漆黒の魔王と聖女が仲良く手を繋いで街を歩いている姿を想像し、軽い眩暈でも感じたのか黒いロングコートが揺れる。
「そうか。そこまで言うなら、望み通りエスコートしてやろう」
「ぇ?」
魔王がルナの小さな体を掴み、そのままお姫様抱っこで歩き出す。開き直ったというのもあるだろうが、これも宣伝になるとでも考えたのだろう。
この男は一度腹を括ると、常人では成し難い事も平然と行う。無論、それが良い事であれ、悪い事であれ、だ。
「ちょ、ちょっと! ここまでしろなんて言ってないわよっ!」
「なら、降ろそう」
「だ、ダメ! ちゃ、ちゃんと……お姫様扱いしてっ」
「お前はお姫様じゃなくて、聖女だろう」
「私は聖女でお姫様なのっ! プリンセスでホーリーでゴールドなの!」
「プリンセスホーリーゴールド……突き抜けた馬鹿だな」
そんなやり取りをしながら、二人がマンデンの店の前へと立つ。その店構えは以前よりも大きくなっており、景気の良さを伺わせるものであった。
事実、マンデンは魔王と接触してからというもの、その資金力に大きなブーストがかかっている。
「まずは、ここの店主との商談を纏める」
「ふぅーん、あんた美術商の知り合いなんて居たんだ?」
一方、マンデンはドアの前に立つ人影を見た時、すぐにそれが“海の向こうの貴人”である事を察した。魔王の背丈はこの世界においてもかなりのものであり、その風貌もあって、まさに見上げるような偉容である。
が、今回はそれに――輪をかけて“酷いもの”であった。
「これはこれは、九内さ……げぇぇぇぇ!?」
「久方ぶり、ですな」
魔王が抱える、小さな少女を見てマンデンが驚愕の声を上げる。
以前から、この貴人は聖女とただならぬ関係にあると見ていたのだが、何と白昼に堂々とお姫様抱っこをして店に現れたのだ。
マンデンが慌てて立ち上がり、その頭を深々と下げる。
「楽にしていいわよ。今日の私はお姫様だからっ」
ルナの意味不明な言葉にマンデンは目を白黒させたが、素早く従業員に命じ、最高級の紅茶と茶請けを用意させる。魔王もゆったりとソファーに腰掛け、手に抱えていたルナを横へと座らせた。
「なによっ、もう降ろしちゃうの?」
「当然だろう。女性を抱えて商談をする人間が何処に居る」
魔王が懐から巻物を出し、そこから次々と美術品を取り出し、床やテーブルの上に並べていく。
それは圧巻の光景であり、驚愕すべき光景である。が、マンデンは驚かない。
もはやこの貴人が何をしても驚くまい、と肝を据えているのだろう。だが――
「こ、これは……著名なアダンの壷ではありませんかっ!」
そんなマンデンであっても、限界であった。
見た事のない“収納”は辛うじて我慢出来た。海の向こうの、系統が違う魔法の一種なのか、新種の魔道具なのだろうと。だが、自身のライフワークでもある美術品に関しては到底、感情を抑える事が出来なかった。
「これらはマダムから頂いた物でしてな。私では少々、持て余すのでマンデン氏に有効活用して貰おうと思ったのですよ」
「マダ、ム……それは、著名な収集家である妹君の方でしょうか?」
マダム、という単語にマンデンが激しく反応する。
この国でマダムと呼ばれるのは二人しかおらず、その妹は著名な収集家なのだ。以前に出したオルゴールの落札者でもある。
「いえ、姉の方ですよ」
「なるほど……」
魔王の言葉に、マンデンがホッとした息を吐く。
あのマダム・カキフライが、よもや《アダンの壷》を手放すような事などありえない、と思ったからだ。逆に姉の方は美術品には興味が薄く、それらを譲る事はありえる事であった。
「それにしても、とんでもない品ばかりですな……ドリル男爵夫人の肖像画に、こちらはヘルンの金杓、こちらは翡翠のネックレスですか」
「今後も、それらの美術品が次々と入る事になりそうでしてな」
「そ、それは、マダムから……でしょうか?」
マンデンが震える声で問う。目の前の聖女――そして、マダム。
それらが出す品が偽物である筈がなく、何度自分の目で見ても全てが本物なのである。ここにある品だけで、ざっと大金貨20枚以上の価値がある。
魔王はおもむろに煙草に火を点け、悠然とした態度で口を開く。
――大陸中、からですよ。
その不敵な言葉に、マンデンが目を剥く。
あのマダムから美術品を譲られる、というだけでも驚愕であるのに、それどころか大陸中から品が集まるというのだ。横にいたルナも一瞬、驚いた顔をしたが、やがて何かに納得したのか深々と頷く。
「それって温泉の事よね。一体、どれだけのお金が動くのかしら」
「金銭ではない。あの村を中心に――大陸が動くのだ」
「なら、その領主である私は世界一のお姫様になるって事じゃないっ!」
「ふむ……確かに、そうとも言えるな」
「やった!」
ルナが魔王の腕に抱きつき、無邪気な笑みを浮かべる。マンデンはそれら一連の流れに、腹の中で呻いていた。
一体、何が起こっているのか。いや、起ころうとしているのか。
ただ、途方もない事が裏で進んでいるようであり、商人としての勘がこれに乗り遅れるな、と先程から絶叫をあげている。
「く、九内様と聖女様は……その、何やら、とても大きな事を進められておられるようですな」
「なに、ほんの“箱庭”を作っているに過ぎませんよ」
白煙を燻らせ、魔王が笑う。
実際、言葉は悪いが、この男からすれば箱庭ゲームのようなものであろう。拠点の設置や撤去など、動作一つで行える簡単なものでしかない。計画の立案や細かい作業などは田原が行っており、この男は確認するだけなのだから。
「さて、先に商談を済ませるとしましょうか。これらの品を、今回は大金貨10枚でお譲りしたい」
「じゅ……そ、それは幾らなんでも安すぎでは?」
「浮いた金で、二号店を出して頂きたいのですよ。ラビの村にね」
「ふーん、この人を誘うのね」
魔王が立て続けに吐く言葉に驚くマンデンであったが、何よりの驚きは、聖女がその腕に巻き付きっぱなしである事であった。非常に我侭で、癇癪持ちであると恐れられている存在であったが、今はどう見ても一人の少女でしかない。
「品の方は、喜んで買い取らせて頂きます。しかし、店となりますと、その、契約内容などをお聞かせ頂けますと……」
「当然の疑問ですな。マンデン氏に関しては、土地の家賃などは不要ですよ。但し、月の売り上げの1割を税として収めて頂く形となります」
「た、たった……1割、ですか?」
「おや、高い方が安心出来ますかな?」
「い、いえいえいえ! 1割の方が安心出来ますとも! 是非とも1割で!」
マンデンが思わず絶叫する。魔王としても別に意地悪した訳でもなく、深い考えがあって1割という数字を弾き出した訳ではない。単に迷宮へ潜った際に見聞きした冒険者のシステムを丸々、流用しただけの事である。
当然、税とは領主や街によって変わる。迷宮も場所によっては天と地ほどの差があるのだが、魔王が知っているのは監獄迷宮の税率だけであった。
ちなみに、ヤホーは交易の街として名高い為、その税率は非常に高い。
「では、商談成立ですな。細かい話は、私の部下である田原という男に」
「は、はい! 今後とも、よろしくお願いいたします!」
「おっと、貴方には特別にプレゼントを用意していたのですよ」
「プレゼント、ですか……」
「急遽作ったものですが、中々に面白い値で売れるやも知れませんな」
魔王が差し出したのは名刺のようなもの。温泉旅館にあった、簡易な名刺作成の機械で作ったものなのだが、そこには《温泉旅館一泊招待券》と書かれてある。
マンデンはそれが何かも分からないまま、とにかく頭を下げて礼を述べたが、これが後に一つの騒動を生むなど、この時は想像もしていなかった。
この一枚の紙きれは後にオークションにかけられるのだが、それを落札する事になるのは、もう一人の華麗な蝶。
カキフライ・バタフライ――その人となるのである。