忍び寄る影
――聖光国 神都への道中
(これが、お風呂……!)
拠点に入ってからというもの、アクは驚きっぱなしである。
自分達の家とは根本的に違う――“頑強さ”を最初に感じた。例えば、熊や猪などが突っ込んできたとしても、ビクともしないのではないだろうか?
相手が凶悪な魔物であっても、ここが破られる気がしない。
拠点の中にはベッドやキッチンまで備え付けられており、つい自分が一端の人間になったような気分になってしまう。
家では藁などに粗末な布を敷いて、その上で寝るのが精々だったのだ。
それに比べれば、まるでここは天国である。
(極め付けは、このお風呂――!)
魔王様が言うには「ドラム缶風呂」というらしい。
驚くべき事に、この中には温かい“お湯”が入っていたのだ! 信じ難い程の贅沢さであり、入っている今も、体の震えが止まらない。
(でも、魔王様は何故か謝ってたけど……)
正確には「すまん、今はこの拠点が限界だわ」だったかな……?
正直、言っている意味がよく分からなかった。
只、これが“限界”だと言うなら、それは当たり前の事だ。これ以上の贅沢など、自分には想像も付かない。
(魔王様は何処から来たんだろう? 魔界とか、そんな風に思ってたけど……)
酔った時に口にしていた“大帝国”と言うのが、少し気になった。
もしかすると、そこが魔王様の故郷なのかも知れない。
そんな事を考えていると、魔王様の声が扉の向こうから聞こえてきた。
「狭くて悪いな。だが、見ていろ――いずれは“温泉旅館”を設置してやるぞ」
それだけ言うと、魔王様はまた足音を立てながら去って行った。
魔王様の言葉は、とても難しい……もっと自分の頭が良ければ理解出来たのかも知れないけど、無いものねだりというものだろう。
(それにしても、オンセンリョカンって何だろ?)
アクが素朴な疑問を浮かべながらも、ドラム缶風呂を堪能する――
何とも平穏な光景であった。
一方――
魔王もパイプベッドに寝転がり、窓から見える夜空に目をやっていた。
(この世界にも月があるんだな……)
暫くこうしていれば、酔いも醒めていくだろう。
この世界に来てそれなりに時間が経ったが、自然と元の世界へ戻る、などという事は無さそうであった。
(権限を全て戻せば、本当に帰れるのか……?)
少なくとも、管理者権限とはGAMEに関するものであり、「元の世界へ戻る」などというコマンドは当然、存在しない。
あの邪神っぽい石像に呼ばれたとするなら、似たような物を探して、それに頼むしかないんじゃないだろうか?
(一番の問題は戻れたとして、同じ時間なのか? という事だな……)
あの日、あの時間に戻れるなら何の問題も無い。
ただ、ここで過ごした時間と、元の世界の時間が同じように動いているとすれば、それこそ致命的だ。
一ヵ月後などに戻ったとしたら、失踪扱いで大変な騒ぎになっているだろう。よもや「異世界へ行ってました。えへへ」などで通る訳もない。
その日から俺は、鉄格子の付いた病院へ長期入院させられるだろう。
(当面は、あらゆる権限の回復を目指すか?)
それには何が必要なのか、まだ分からない。
単純にSPを稼げば良いのか、金でも稼げば良いのか、アイテムでも集めるのか。
いずれにせよ、ボーッとしていても何にもならないだろう。むしろ、旅行にでも来たと思って楽しんだ方が余程、建設的だと思える。
(戻ってもどうせ仕事の日々、か……)
「魔王様ー! ドラム缶って幸せですねっ!」
その声につい、噴き出す。
戦時中じゃあるまいし、あんな風呂で幸せと言われても反応に困ってしまう。
何の因果か一緒に旅をする事になったが……管理機能が戻れば、色々と驚かしてやるのも良いかも知れない。
アクはこれまで、余り幸せな人生を歩んでなかったようだしな。
(温泉旅館、か……どうせやるなら“不夜城”を復活させてやるか?)
不夜城――“九内伯斗”をはじめ、側近達が全員鎮座するGAMEの最終エリア。
世界中の大富豪の中でも、特別な人間だけが招待され、リアルタイムでGAMEを鑑賞出来る、という設定の場所だ。
側近だけでなく、二千名もの兵隊で守られた、鉄壁の最終防衛拠点。
大帝国の科学力が全て結集したあれをアクに見せてやれば――どんな反応をするだろうか?
十年以上の月日に渡り、数多のプレイヤーを撃退し続けた血塗られた場所ではあるが、不夜城があれば身の安全も完璧に確保出来る。
あの場所が落とされた事など、過去に一度しかないのだから。
それに、他の側近もこの世界に来られるなら、行動範囲も格段に広がるだろう。
「魔王様、今日もシャボンで体を洗いましたっ」
「ん……確かに、良い香りがするな」
「本当ですか? えへへ……」
アクが嬉しそうに笑い、そのままベッドに潜り込んでくる。
金髪という事もあって、毛並みの良い子猫にでも懐かれたような気分だ。
「お前、一緒に寝る気かよ」
「ダメですか?」
「お前は私の事を父親のようなオッサンと思っているようだが、とても大切な事を伝えておく――良いか、本当の私は“お兄さん”なんだ。もう一度言っておくぞ、私はまだオッサンではない」
「魔王様、ちょっと何を言ってるのか分からないです」
こうして、魔王が無駄な足掻きをしつつ、夜は更けて行く。
■□■□
数日後――聖光国 山中
四十名近い“山賊”が山中に蠢いていた。
彼らはこの麓を聖女が乗った馬車が通る、という情報を聞きつけたのだ。そんな絶好の機会を山賊達が逃す筈もなく、襲撃の準備を整えていた。
この辺りでは――土竜と呼ばれ、忌み嫌われている連中である。
彼らは獲物を選ばない。
相手がどんな強者であれ、弱者であれ、等しく襲う。
それによって、時には手痛い逆撃を蒙る事もあるが、その総数は減る数より、増えていく数の方が多い。それだけ、国が乱れているという事だろう。
そんな命知らずの集団を率いる頭領が悠々と切り株に座り、麓を睥睨していた。
十代の頃から追剥ぎを始め、今では近隣にまで知られる一端の頭領である。既にその齢は51にもなるが、その体は頑強であり、壮年の頃と何ら変わっていない。
彼が酒瓶を緩やかに傾けた時、麓に人影が見えた。
――例の獲物ではない。
彼は即座に判断したものの、別の事が頭に浮かぶ。
こんな荒野とも呼べる僻地を、馬車にも乗らず、二人で歩いている姿。
――罠か。
少人数の美味しい餌に食い付けば、後方から本隊が来る――
気付けば包囲され、ほうほうの体で逃げ出すというのはままある事だ。
彼はいまいち掴めなかった聖女の目的が、ここに至って理解出来た。聖女は自分達を炙り出し、これを殲滅するつもりなのだ、と。
「……へっ、安く見られたもんだ」
「頭領、あの二人はどうしましょうか?」
「殺せ――後ろから本隊が来る前に退くぞ」
この道で長く生きている所為か、頭領の決断は酷く早い。
鉄火場で迷っている暇などなく、行動しなければ死ぬからだ。大事な場面で迷い、死んでいった連中の何と多い事か。
手下が音も立てずに動き出し、弓に矢を番える。
同時にそれを放つ――人を殺す事に全く躊躇のない動きであった。
■□■□
(お粗末なもんだな……)
飛んできた矢を見ながら、魔王が溜息をつく。
気配もまるで消せていなければ、その矢も至って普通のものである。
――何の力も乗っていない。
これがGAMEなら、属性スキルの《五月雨打ち》などで軽く二十数本の即死級の矢が飛んでくるであろう。魔王からすれば、通りかかった人間へ行き当たりばったりで撃ったとしか思えない無様なものであった。
(あえて食らうか――?)
魔王が腹を決め、あえて矢を受ける事にする。
どれだけのダメージが来るのか、試してみたかったのだろう。あの悪魔との遭遇以来、敵対者が居なかった為、ロクに実験をする事も出来なかったのだ。
これは、絶好の機会であろう。
念の為、魔王は既に自動迎撃や自動反撃などの機能は切ってある。
どんな判断で“それ”が行われるか分からない為、信用出来なかったのだ。
下手をすれば、何の問題も無い行為に対しても、致命的とも言える反撃をしてしまうかも知れない。化物相手ならまだしも、それが人間に向けられるともなれば流石に困ると考えたのだろう。
「アク、下がっていろ」
「……え?」
飛んでくる矢が、魔王の眼にはまるで止まっているように見える。
それも当然か――彼はGAME上ではマシンガンから吐き出される銃弾を避け、ショットガンからぶち撒けられる、散弾すら回避するのだから。
飛んできた矢がようやく魔王の目前に迫ったが、体に突き刺さる前に軽い電子音が響き、矢は力を無くしたように地に転がった。
「ふむ、LV30未満か……ゴミだな」
GAMEのラスボスである魔王には、システム上の上限であるLV30のプレイヤーのみがダメージを与える事が出来る。それ以下のプレイヤーは、対峙する資格すら与えられない。
尤も、カンストしたプレイヤーであったとしても、魔王とはまともな戦闘にもならないだろう――彼はRPGのラスボスのように、様々なアイテムを使わなければロクにダメージも通らないし、その体力は余りにも異常すぎた。
「人を殺そうとしながら、高みの見物か――?」
魔王の言葉に、ようやく山賊達が姿を現す。
その顔にあるのは、一様に驚愕や戸惑いであった。
「てめぇ、何をした……魔法使いか!?」
「図に乗ってんじゃねぇぞ。魔法使いなんざ、気力が尽きりゃ只の案山子だ!」
「ほぅ、案山子ね……それは良い事を聞いた」
鉄火場だと言うのに、魔王の表情が緩む。
アクから“魔法”という単語は聞いていたが、アクはその内容までは詳しくは知らなかった為、いまいち理解が進んでいないのだ。
「お前達の中に魔法使いが居るなら、是非とも一発見舞って欲しいもんだが」
その言葉に、山賊達が色めき立つ。
舐められている、などという次元ではない――何か、昆虫相手に雑多な実験でもしている風情であった。
とうとう耐え切れなくなったのか、髭を揺らしながら頭領が顔を出す。
「おぅ、オッサン。随分と吹くじゃねぇか」
「誰がオッサンか――!」
魔王が思わず叫ぶ。
だが、彼の外見はどう贔屓目に見ても青年とは言えない。頭領の方が面食らったように黙り込み、山中に微妙な空気が流れた。
「俺は土竜の頭領、オ・ウンゴールってんだが、おめぇは――」
「オウンゴール?」
「オ・ウンゴールだッ! 妙な言い方をするんじゃねぇ!」
「……で、自殺点が何の用だ?」
「誰が自殺点だ――! てめぇ、耳がイカれてんのか!」
二人のオッサンの、醜い争いであった。
頭領の怒りに呼応するように、続々と山賊達が山から降り、二人を包囲する。
「ま、魔王様! 危ないですよ……逃げましょうっ!」
ここ数日、ドラム缶風呂に入り、心なしか肌がツヤツヤしているアクが叫ぶ。
まさに、水をも弾く年齢だ――周囲の小汚いオッサン達の中では、完全に浮いた存在と言って良い。
「あぁん、魔王だぁ……? オッサン、ガキにそんな大層な名前で呼ばせてやがんのか?」
山賊の一人が大笑いし、周りの男達も手を叩いて爆笑する。
魔王のこめかみに怒りマークが浮かんだが、山賊達が笑うのも無理はない。
周りからすれば「良い歳して、魔王ごっこか」といったところだ。ただ、一つだけ難点を挙げるなら――その男は“本当に魔王”であった事だろう。
「よし、お前達……ゲームをしようじゃないか――」
そんな言葉と共に、魔王が最初に笑った男へ“デコピン”をかます。
男が猛風に吹き飛ばされたように後方へと吹き飛び、何度かバウンドしながら無様に転がっていく。
その動きが止まった時、男の体はピクピクと痙攣し、完全に失神していた。
「ほら、次はお前の番だぞ――おや、起きられない? 残念、私の不戦勝だな」
魔王が人を食ったような笑みを浮かべ、山賊達を見回す。
全員が息を呑んだように静まり返っていたが、やがて正気に戻ったのか、口々に騒ぎ出す。それらを見て、今度は魔王が笑った。
「流石に“オウンゴール”に率いられてるだけはある。吹き飛んだ方向が自軍のゴールなのかな?」
「ふざけろ! てめぇ、一体何をしやがったぁぁぁ!」
「こいつ、指に何か魔法を仕込んでやがるぞッ!」
――魔法が何ですって?
そんな言葉が聞こえ、山賊達の視線が声のした方向へと向けられる。
視線を向けたのも束の間、すぐさま悲鳴と絶叫が山中に木霊した。
声の主から金色の光が迸り、山賊達の体が――派手に千切れ飛んだのだ。
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情報の一部が公開されました。
「属性スキル」
先制攻撃時、任意で発動。
FIRST SKILL――SECOND SKILL――THIRD SKILLと繋がっていく地獄の連鎖コンボ。九内の攻撃力でこれを放ち、THIRD SKILLまで繋げてしまえば、凶悪な魔族であっても裸足で逃げ出すだろう。
GAMEでは強力な反面、武器の個数を著しく消費する為、諸刃の剣でもあった。
使用武器が銃であるなら、弾丸も空っぽになってしまう。
加熱した戦場では、リロードしている間に殺される事も珍しくない。
九内の武器はNPC特有のものであり、個数は無限――