監獄迷宮 十二階層~十五階層
――監獄迷宮 十二階層
「なるほど、これが言っていた“監獄”か」
魔王の目の前に、鉄格子の付いた牢屋のようなものがあった。
尤も、その鉄格子は錆びており、朽ちている部分も多い為、牢屋としての役割を果たす事はもう出来ないだろう。
軽く見ただけでも、遥か昔に作られたものである事が見て取れる。
「岩壁を刳り貫き、鉄格子を嵌めているのか……原始的だな」
鉄格子をコンコンと叩いたり、岩肌を触ったり、好奇心を剥き出しにして調べるも、特別変わった部分はないようであった。魔王としてはベタに、中には人骨が残ってたりするんじゃないかと考えていたのだが、そんな思いに肩透かしを食らわせるように、牢屋の中は綺麗なものであった。
(誰かが掃除でもしているのかってくらい綺麗だよな。いや、それを言うならこの迷宮そのものが清潔だ)
これだけ多くの人間が入り込んでいるというのに、ゴミ一つ落ちていない。
まして、ここは観光地でも何でもなく、命懸けで戦う場所だ。刃毀れした破片や血痕、それこそ人体の一部が転がっていても不思議ではないだろう。
魔王の頭に浮かぶのは――“管理”という文字。
マンションがそうであるように、誰かが行き届いた管理・清掃でもしていなければ、こうも清潔さを保つ事は出来ない。
(もし、そうだとしたら……それは一体、何者だ? まさか凄腕の清掃集団などという事はないだろう)
走り寄ってきた魔物に回し蹴りを放ちながら、魔王が思案に耽る。吹き飛ばされた魔物が背後にあった鉄格子を撒き散らしながら牢獄に収納された。
それを見ている限り、鉄格子も特別なものではなく、只の金属のようである。
「ここは昔、何かを閉じ込める牢獄だった。それは間違いない。そして、今もこの場所を管理している何者かが居る」
そこまで考えた時、魔王は楽しそうに笑った。俄然、興味が沸いてきたのだ。
ユキカゼからこの迷宮は二十階層まであると聞いていたのだが、その最下層にも特別なものは何もなかったという。そこで行き止まり、という事で別にこの世界の住人は誰も不思議に思わないらしい。
それもその筈であった。
冒険者にとってここは“職場”であり、知的好奇心を満たすような場所でも何でもなく、もっと生活に直結したリアルな場所なのだ。
この男のように、生活を背負わずに気楽に潜っているような者など居ない。
「気になるな……その“管理者気取り”が」
魔王が更に下の階層へ続く階段を降りていく。
ここまでの深部に潜るような者は全く居らず、辺りは静まり返っていた。
次々と襲いくる魔物を振り払いながら、遂に十五階層に降り立った時、魔王の鋭い視線が鈍く光る何かを発見する。それは――小さな木箱。
それも、中にあったのは見覚えのある物。
この世界で目にするには、余りにも違和感があるものであった。
「嘘だろ……。これ、銃じゃないのか……?」
魔王が木箱に入った銃らしき物を、穴が開くほどに見つめる。
次に、指でツンツンと触れた。まるで未知な物に怯える女子中学生のような姿である。こんな姿を誰かに見られたら赤面ものであろう。
「これは……田原に見て貰った方が良さそうだな」
こと、銃に関しては田原に丸投げすれば問題はない。
魔王はそう考え、木箱ごとアイテムファイルへと放り込んだ。銃どころか村の事も丸投げしているのだが、適材適所と言うべきだろう。
この男は統率や戦闘、詐欺行為などを働いている時が最も光るのだから。
「一度、宿に戻るか――」
魔王が《全移動》を使い、安宿の自部屋へと戻る。
気力を30消費すれば、距離など無関係に移動出来てしまう壊れ性能であったが、迷宮からの離脱にも使えるのは余りにも反則であった。
当然、戦闘中には使用する事が出来ないが、それでも時間の節約という観点から見れば魔法を越えた“奇跡”と称して良いレベルである。
魔王が難なく部屋に戻り、漆黒のロングコートを壁にかけた時、ベッドが不自然に盛り上がっている事に気付く。
布団を捲ると、そこにはユキカゼが可憐なパジャマ姿で熟睡していた。
数瞬、思考が止まり――その体が固まる。
「何故、私の部屋にいる?」
その問いに、ユキカゼは答えない。
完全に熟睡しているからだ。
「いや、その前にどうやって中に入った」
「……中に、挿れる。おじ様が私を求め――ぁむっ」
「これでも舐めておけ」
特定のキーワードに反応し、目を覚ましたユキカゼの口にキャンディーが放り込まれる。最早、様式美であった。
ユキカゼがキャンディーを口の中で転がしながら、甘い息を吐く。
「……宿の主を買収して、マスターキーで開けさせた」
だが、吐かれた言葉は甘くはなく、どちからかと言えば辛いものであった。魔王が思わず顔を覆い、込み上げてきた頭痛を抑える。
迷宮ではゴロツキに絡まれ、部屋に戻ったら戻ったで無断侵入されているのだから堪ったものではないだろう。
「この世界は犯罪者天国か……」
そう嘆く魔王であったが、この男の所業も大概であり、人様の事を言えるような立場ではない。聖光国を大混乱させている辺り、ベッドへの無断侵入犯など可愛く見えるような大悪人であった。
「……おじ様。あの玩具、とても楽しかった」
「それは何より。由緒正しいパーティーグッズだしな」
あれも例には漏れず、攻撃力1のゴミアイテムであったが、遊ぶ分には何の問題もない。ユキカゼが言うには、ミカンや冒険者が小銭を賭けて大いに盛り上がっているらしく、今もロビーでは熱い戦いが続いているらしい。
「ふん、久しぶりに私もやってみるか」
「……おじ様。犯るなら――ぁむっ」
「それでも舐めておけ」
「……悔しいけど甘い。びくんびくん」
魔王が様式美を達成しつつ、ロビーへと降りていく。下からは興奮した声が聞こえてきており、かなりの人数が白ひげ危機一髪で遊んでいるようであった。
やはり、伝統と歴史あるパーティーグッズとは何処の世界であろうと、盛り上がるのだろう。
「イヤッフー! 私の勝ちよ、さぁ銅貨3枚払った払った!」
「クソー! この赤い姉ちゃん強すぎるだろ!」
「この白ひげ、舐めてんのか!」
「ちょっと刺されたぐらいで飛び上がりやがって……!」
口々に冒険者らが叫び、ミカンが投げ出された銅貨を嬉しそうに掻き集める。彼女の稼ぎからすれば小銭でしかないのだが、その顔は太陽のように輝いていた。
冒険者らしく、賭け事が好きなのだろうし、勝つ事も好きなのだろう。何せ、日常からして命を賭けているのだから。
「随分と盛り上がっているようだな」
魔王が不敵な笑みを浮かべ、樽が置かれた中央のテーブルに近付いていく。
その気配に冒険者達が自然に道を開け、一本の道筋が出来上がる。ミカンだけが腕を組み、じっと魔王を待ち構えていた。
形の良い胸、細いウエスト、しなやかな足、キツイ眼光――その姿にはまるで、磨き抜かれた野生の豹のような美しさがあった。
「へー、あんたもカモにされに来たって訳?」
「私はどちらかと言えば“胴元”でね。運否天賦の勝負などはしない」
「やる前から逃げるんだ? 恥を掻くのが嫌なんだぁ?」
「安い挑発だ――」
魔王がそう言いながら、白髭を掴み樽にセットする。そのまま、懐かしそうに小さな剣を握ったかと思うと、一つの穴へと突き刺した。
ミカンもそれを見て、挑発的な笑みを浮かべる。朝から遊び続けていたのか、勝つ事に自信があるらしい。
早速、小さな剣を握って刺そうとしたが、それよりも早く魔王の声が響いた。
「この私に勝負を挑むのであれば、賭けて貰わねばならん」
「幾らよ? と言うか、先に昨日のお釣りを返しとく」
ミカンがぶっきらぼうに皮袋を投げ渡す。
大金貨を貰ったものの、結局は使い切らなかったらしい。銀貨2枚だけを使ったらしく、袋の中には二百万相当の金がそのまま残されていた。それを受け取った魔王は、その皮袋の中身を豪快にテーブルの上へとぶちまける。
「き、金貨だぁぁぁ!」
「銀貨があんなに……眩しいぃぃぃ!」
「何だありゃぁぁぁぁ!?」
ロビーに居る冒険者達は、安宿に泊まっているルーキー達ばかりである。それらを前に、この金銀の輝きは余りにも眩しすぎた。
Bランクの冒険者であり、良い時には月に金貨80枚を稼いだ事のあるミカンであっても、思わず唾を飲み込むような大金である。
「あんた、何のつもりよ……」
「私に勝てば、これを全てやる。但し、負けた時には――」
「負けた、時には……?」
全員の視線が魔王へと集まる。
その一挙手一投足からもう、目が離せない。たっぷりと間を置き、もったいぶった口調で魔王の口から禍々しい言葉が発せられた。
「そうだな。一日、従順なペットにでもなって貰うか」
「なっ……!」
「犬と猫、どちらが好みだ? 兎でも構わんぞ。語尾には全て、ワンやニャン、ピョンやウサなどを付けて貰う事になるが」
「そんなの、死んだ方がマシよッ!」
ミカンが顔を真っ赤にして叫び、剣を差し込む。続けて魔王も、躊躇無く差し込んだ。何度か応酬が続き、段々とミカンの迷う時間が増えていく。
だが、魔王の動きには何の躊躇も無い。まるで、その鋭い眼光は全てを見通す力でも持っているかのような風情であった。
「どうした、そんなところで固まって? 自ら冷凍ミカンになってどうする」
「うるっさいわね!」
苛立つミカンを尻目に、周りの冒険者達は剣が差し込まれる度にどよめきを上げ、時には固唾を飲んだ。何せ、目の前には眩い金銀が転がっているのだ。
彼ら彼女らにとって、それは夢のような額である。
「――ここッ!」
ミカンの裂帛の意思を込めた突き――それは見事に、白ひげを宙に舞わせた。
歓声と悲鳴が響く中、ミカンの目にはまるで、白ひげがスローモーションで飛んでいくような錯覚すら感じた。
様々な歓声でロビーが包まれていく中、魔王が優雅に笑みを浮かべる。
「古来、戦とは――始まる前には終わっているものだ」
その重々しい台詞に、ミカンが思わず床に突っ伏す。
事実、始まる前に終わっていたのだ。白ひげはセットし、それを捻った位置によってアウトの穴が決まってしまう。ミカン達は適当にセットして、適当に遊んでいた為、それらの事実に気付く事がなかったのだ。
「折角のゲームだ。盛り上げる為に、更に一役買おうではないか」
魔王が無造作にテーブルの上に散らばっていた金銀を皮袋に放り込み、それを宿屋の主へと放り投げる。
「その金で酒や食べ物、果物などを買ってきたまえ。綺麗に使い切るようにな」
「こ、これをぜ、全部……ですか……!」
「全て、だ。それと、今後は私の部屋に何人も入れぬように」
「は、はいぃぃぃっ!」
店主が米搗きバッタのように何度も頭を下げながら店の外へ飛び出して行き、安宿のロビーに歓声が響き渡った。普段は露天で質の悪い物ばかりを口にしているルーキー達にとっては堪らない振る舞いであろう。
評判を良くする、という意味でこの男は勇者を真似てみたのかも知れないし、単に懐かしいグッズでの遊びに気分を良くしただけなのかも知れない。
(大帝国とは別の道を往く、か……)
喜びに沸く冒険者達を眺めている内に、魔王の頭にはいつか適当に吐いた言葉が蘇っていた。それは――側近達に苦し紛れに放った言葉。
だが、指輪の意思を知ったからには、別の意味合いを持ってくるであろう。明らかに九内は、この指輪を通して何事かを叶えようとしていたのだから。
(一度、村に戻ってみるか)
手に入れた銃らしきもの、ドナ・ドナという貴族への対処、作業の進捗具合……やらなければならない事、考えるべき事はまだまだ山積みであった。
魔王は早速、田原へ《通信》を飛ばそうとしたが、相手を切り替える。
頭に浮かぶのは、一人の少女。
《アク、今は何処に居る?》
《魔王様!? 今は畑で作業を手伝っていましたっ!》
《そうか、今から少し村へと戻る》
《本当ですか! すぐに迎えに行きますっ》
通信を終えた魔王は、未だ項垂れているミカンへと声をかける。
「ミカン、私は少し出る。朝には戻る予定だ。それと一日、ペットになる練習もしておくようにな」
「もう、帰ってくんなぁぁぁぁ!」
こうして魔王は久しぶりに、村へと戻る事となった。