無情の行進
「無人の野を往くが如し、だな……」
魔王が小さく呟く。別にその顔は嬉しそうではない。
どちらかと言えば、拍子抜けしているような表情である。
元々、この迷宮はビギナーが挑む場所であり、深階まで降りない限りはそこまで危険な魔物も出現しないのだ。まして、魔王と呼ばれるに相応しい力を備えたこの男が往けば、敵など皆無に等しい。
「またお前か。懲りない奴だ」
魔王の前にブリキが立ちはだかる。その体は苔生した金属に覆われており、その金属を剥がせばそれなりの収入になるが、ルーキーが相手をするには中々、厳しい相手であった。
無論、この男の前では文字通り、只のブリキでしかない。
無言で魔王が距離を詰め、その拳を胴体へ叩き付ける。
ソドムの火を使うまでもなく、金属を撒き散らしながらその生命ごとブリキが壁へと吹き飛ばされた。今日は迷宮に入ってからというもの、この男は全て格闘だけで敵へ対処しており、様々な戦闘スタイルを模索している。
「金にはならんが、SPを稼ぐには丁度良いな」
そう、この男は魔物を倒しても一切、剥ぎ取りや解体などをしていない。
そんな技術もなければ、それをやるつもりなかった。この邪悪な魔王には汲めども尽きぬ黄金を生む源泉があり、ちまちまと低級の魔物を解体する必要がない。
現れる魔物を次々と撃退しながら、下の階層へと突き進んでいく。
そして、遂に十階層に降り立った時――異変は起きた。
「ま~た一人で潜る馬鹿を発見っと♪」
「今日はカモが多くて助かるな」
魔王の前にガラの悪い冒険者が二人現れ、ナイフをチラつかせる。見た目からして既に危ない雰囲気であった。現に、辺りには錆びた鉄のような不快な血の匂いが漂っており、魔王の顔を顰めさせている。
「何か用か――と聞きたいところだが。まぁ、察しはつく」
「お利口じゃねぇか。ありったけの金を置いてけ」
「でもよ……こいつ、獲物を持ってねぇぞ?」
ゴロツキコンビが困惑するのも無理はない。
余程腕に自信のある者なら一人で潜る事もあるだろうが、それでもポーターを連れていたり、獲物を入れる何らかの箱なり、袋なりを所持している筈であった。
しかし、この男にはそんな気配すら見えない。
「素直に払っても、無事に帰れるとは思えんな」
魔王が視線を向けた先には、首のない死体が転がっていた。
匂いの発生源である。首のない死体というのは何処か作り物のようでもあり、良く出来た人形のようでもあり、魔王の頭ではあれをすぐに“人間である”と認識するのは難しいものがあった。
「あいつは特別だぁ……抵抗しやがった馬鹿の末路よぉ」
「おめぇも、あぁなりたくなきゃ、素直に払うんだな」
「死人に口無し、とは良く言ったものだ。まぁ、上に戻って訴えられては身の破滅だろうしな。お前らの対処は、間違ってはいないさ」
こんな修羅場であるというのに魔王の頭に浮かんだのは、大昔のアメリカなどで金山が発見され、ゴールドラッシュとなった時の風景であった。
発見された当初は皆、金を掘るのに夢中になっていたが、いつからか発掘現場では“これまでとは違う”金の掘り方が発見されたのだ。
――金を発見した者を殺し、それを奪い取るという“掘り方”である。
労力を使わず、時間も使わず、実に賢い掘り方と言えるだろう。
無論、人道を無視したやり方ではあるが。
魔王が無言で一歩踏み出した時、ゴロツキの一人が咄嗟に魔法を唱えた。
「おっと、動くなよ――《睡眠/スリープ》」
「おぁっ……」
ゴロツキの指から放たれた『水』の魔法が、魔王の瞳に飛び込む。
途端、魔王の膝が崩れ、その上半身が揺れた。これは『水』の第二魔法であり、人間だけではなく、魔物に対しても効果が見込めるものである。
まして、魔法への防御力が皆無のこの男には覿面であった。
「ぐっ……あ、あぁぁぁぁぁぁッ!」
瞬間、魔王の右手に嵌められていた指輪から禍々しい黒い霧が立ち昇り、その全身を瞬く間に包み込む。
カチリ、と――“ナニ”かが変わる。
変わって、しまった。新たにそこに現れたのは本来の体の持ち主――九内伯斗、その人である。
九内の右手がソドムの火を掴み、自らの太腿に深々と刺し込む。
強烈な痛みを以って、眠気を打ち払おうとしたのであろう。理屈では分かるが、それを実際の行動に移せるかどうかは別問題である。
咄嗟に、自らの体に刃物を突き立てる判断を下すなど、とてもではないが人間の思考ではなかった。
ゆらりと立ち上がったその姿から、大気を震わせるような憎悪が溢れ出す。その眼からは、紅蓮の火を思わせるような紅い光まで迸っていた。
紅い残照を引きながら、九内が一気に距離を詰め、魔法を放ったゴロツキの顔を掴み上げる。右手一本でその体を持ち上げつつ、万力のような力で相手の顔面を握り潰す勢いで締め付け始めた。
『下賎――私に何をした?』
「はぎっ、が、顔、はが……ッ!」
『言葉の意を解する、知すら持ち合わせておらんのか?』
九内が力を強めると、人体からこんな不思議な音が漏れるのか、と思えるような無骨極まりない音が漏れ、ゴロツキの顔が骨格ごと変化していく。
まるで、柔らかいゴムが握り潰されるような姿である。九内の、何処か優雅さすら感じる指がゴロツキの皮膚を破り、肉を破り、骨にまで食い込んでいく。
「ま”っ、まほ、う……水の……ふぇひ!」
九内が無言で腕を振るい、ゴロツキを壁へ叩き付ける。
瞬間、その体がゴシャリと奇妙な音を立てながら壁に赤い染みを作った。力なく四肢を投げ出したゴロツキの姿は、それこそ人形としか思えない。
『魔法か……厄介な世界だ』
「だす、だすげ……」
もう一人のゴロツキは腰が抜けたのか、尻餅を付いたまま後退していく。しかし、その背がいつしか迷宮の壁にぶつかり、逃げ場がなくなる。
九内がゴロツキへ向かい、一歩一歩、ゆっくりとその足を進めていく。その顔は不思議な生き物でも見ているかのようでもあり、何か昆虫の生態を観察しているかのようでもあった。
「もう、じません……お金も出します。あげまず、お金ッッ!」
『……下賎はいつも、同じ過ちを繰り返す』
「えっ?」
ゴロツキの顔に、ほんの少し希望が生まれる。九内の口調は酷く落ち着いており、これから自分を殺そうとするような気配が見当たらなかったのだ。
この男はもしかして、自分に他のものを求めているのではないかと。例えば情報であったり、金ではなく物品であるかも知れないと。
だが、正解はそのどちらでもなかった。
『命乞いとは、“慈悲のある相手”にするものなのだ――』
九内が足を持ち上げ、ゴロツキの顔にそのまま靴底を叩き込む。ゴロツキの頭部が様々なものを撒き散らしながら四散し、壁にもう一つの赤い染みが出来上がった。辺りに転がる三人の死体を見回し、九内が呆れたように“苦言”を洩らす。
『間抜けな創造主め――もっと私を愉しませて貰わねば困る』
そう言いながら、九内が右手に嵌められた指輪を見つめる。そこには血で出来たようなメーターが刻まれており、“順調”にそれが満ちつつあるのを確認し、その顔には似つかわしくない笑みを浮かべた。
『いや、確かに“混沌”を齎してはいるか……くっく……』
眼から赤い残照を引きつつ、九内が更に下の階層へと向かう。
その足が進む度、体を覆っていた黒い霧が少しずつ剥がれ落ち、下の階層に降りた頃にはすっかりと元の姿へと戻っていた。
■□■□
「クソがっ……あの野郎、好き放題にやりやがって!」
魔王が呪詛を吐き出しながら拳を壁にぶつける。拳の方に痛みはなかったが、壁の方には大きな亀裂が走り、遂には粉々に砕け散った。
憤懣やるかたないのか、煙草に火を付けてしきりに煙を吸い込んでいたが、苛立ちが収まらないらしい。
「気楽にぽんぽん殺しやがって……」
相手は殺人犯だった、正当防衛だった、色んな言い訳が魔王の頭には浮かんでいたが、行き着くところは何ら抵抗する事すら出来ないまま、人をゴミのように殺したという平凡な結論しか出てこない。手と足に、生々しい感触がまだ残っているのだろう。SPの無駄使いと知りながらもペットボトルに詰められた《水》を生み出し、それらを使って手や靴を洗っていた。
「んだよ、これ……綺麗になった気がしねぇぞ!」
正確に言えば、それは少し違ったかも知れない。
彼の身に付けている衣服は全て《耐久力無限》であり、既にナイフを突き立てた太腿の部分も自動的に《裁縫》が施され、破れも綻びも無い。
自身が流した血も、付着した血も、いずれ時間と共に《耐久力無限》の修復作用で跡形も無く消え去るであろう。
だが、自分の意思とは無関係に人を殺したという事実は簡単に消えはしない。
自らの意思で立ち向かうのと、まるで身動きも取れないまま勝手に人をゴミのように殺されるのとでは感触も意味も違いすぎた。
まるで工場のベルトに人間が乗せられ、運ばれてきた“ソレ”を自動的に殺す機械にでもなったような気がしたのだ。
無論、九内伯斗が聞けば大笑いするであろう。
400万以上の人間を殺し尽くした身に、一滴か二滴の血が加わったところで何の意味があるのか、と。その声が今にも耳に聞こえてきそうで、魔王は残ったペットボトルの水を勢い良く顔にかけ、気分ごと洗い流した。
「あの野郎、今に見てろよ……」
その呟きは小さなものであったが、闘志と一つの希望に満ちたもの。
九内へと意識が切り替わった時、ハッキリと感じたのだ。右手に嵌められた指輪の強烈な意思と、その効果を。
(この指輪は、世に“混沌と破滅”を齎す事を望んでいる。それを達成すれば、願いが叶う)
イラついていた魔王の顔が、徐々に不敵な面構えへと戻っていく。
それは世に混沌を齎す“魔王”に相応しい容貌であっただろう。
「お前の願いなんぞ、叶えてたまるか。何もかも、俺が全て掻っ攫ってやる」





