監獄迷宮五階層~七階層
鬼沸きから離れた魔王一行は、凄まじい速度で下の階層へと進んでいった。
元々、ここはルーキーが挑む迷宮であり、Bランクであるユキカゼとミカンにとっては目を瞑っていても進めるような難易度でしかない。
三階層までは似た魔物が出現していたが、五階層に降りた途端、暴れ鶏と呼ばれる魔物が出現し、魔王を内心で驚かせた。
1メートル程の大きさがあり、それが凶暴さを剥き出しにして襲ってきたのだ。
ミカンが難なく一撃で首を切り落としたが、大きな鶏が人に突撃してくる姿は魔王にとっては衝撃的であった。
「羽を毟って~肉を切る~♪」
ミカンが嬉しそうに、下手糞な鼻歌を歌いながら解体していく。
手早く白い羽を毟って次々にダガーで肉を小分けに切り分けていくのだ。
その手付きはベテランと呼べるものであり、何よりも――早い。
「あれは幾らぐらいになるんだ?」
「……肉は庶民の楽しみ。羽も用途が広い。全部で銀貨2枚にはなる」
「それなりの儲けにはなる訳か」
二人のチームなら銀貨1枚の儲けとなり、四人なら大銅貨5枚にはなる。命を賭ける金額とすれば安いだろうが、何羽も狩れるとなれば話は変わってくるだろう。
二人の会話をよそに、ミカンの解体がどんどん進む。
「見直したぞ、ミカン。大したものだ」
「ハッ、何処かのポーター様が解体をしてくれれば、時間を無駄にせずに済んだんですけどね~。独り言ですけど~」
ミカンがジト目で皮肉を口にしたが、それを聞いている魔王の顔は何処吹く風である。そもそも、この男は獲物を運んですらいない。
全てユキカゼの作り出した台車に放り投げているだけであった。
「よし、と! おしまい!」
「……お疲れ様《白い光/ホワイトニング》」
汚れを落とす魔法を手に受け、ミカンがサッパリとした表情を浮かべる。
何だかんだで良いコンビであった。
それを見て、魔王の顔にも自然と笑みが浮かぶ。かつての“GAME”でもそうであったが、連携の取れたチームというのは、見ていて非常に心地が良いものだ。
――よぉ、ミカンじゃねぇか。
だが、そんな空間に染みを落とすようなダミ声が響く。
魔王が振り返ると、そこにはあばただらけの顔に小太りの男がいた。
咄嗟に魔王がユキカゼへと《通信》を飛ばす。
《ユキカゼ、あの男は何者だ?》
《……ハッ、私の頭におじ様の声が。これが結婚?》
《何を言っている。あの男は何だ?》
《……あれはDランクのエンジョイという男。ミカンの処女を狙っている》
《それはまた、ご苦労な事だ》
あのじゃじゃ馬を狙うなど、魔王からすれば乙、としか言いようがない。
だが、エンジョイの態度は実に馴れ馴れしいものであった。
「つれないじゃないか。ここに来ていたのなら声をかけてくれよ」
「はぁ? 何であんたに声をかける必要があんのよ」
「俺とお前の仲だろ? ツンツンすんなって」
「キモッ!」
エンジョイの態度も大概であったが、それに対するミカンの態度もそれに準じた酷いものであった。続けて、エンジョンがわざとらしく「今、気付いた」と言わんばかりの態度で魔王へと目を向ける。
半笑いの、何処か見下した目付きであった。
魔王はそれを見て反射的にブン殴りそうになったが、何とか堪える。
そう、彼は大人なのだ。
「ミカン、まさかこんなオッサンに趣味を変……おげぇぇぇぇぇッ!」
エンジョイの言葉が途中で止まる。
魔王が軽く小石を親指で弾き、腹にぶつけた為であった。
そう、彼は大人ではあるが、無礼な若者に対しては鉄拳制裁も辞さない勇気ある大人であったのだ。
「おやおや、腹痛かね? 昨夜は腹を出して寝ていたに違いない」
そんな魔王の皮肉すら耳に入れている余裕がないのだろう。
エンジョイが腹を押さえながら悶絶する。
余りの激痛に膝を付いた時、強烈な腹部への圧迫が頂点に達し――
――ブーッ。ブッ!
と、エンジョイの臀部からガスが漏れた。
一瞬、場に静寂が訪れ、魔王が「はぷっ!」と吹き出す。
だが、魔王は大きく咳を一つすると顔を顰め、重々しく口を開いた。
「迷宮内で堂々と放屁とは、君は冒険者の風上にもおけんな。緊張感が足りん、と言わざるを得んよ」
「て、てめっ、ふざけ――」
「それとも、何か? その悪臭で魔物を誘き寄せる、何らかのスキルだとでも主張したいのかね?」
「お前、殺……し……ッ!」
――ブッッ!
エンジョイが怒りの余り立ち上がろうとした時、引き締めていた力が抜けたのか、二度目の力ある放屁が迷宮内に響いた。
「全く、度し難い男だな――君には失望したよ」
「~~~!」
まるで、最初は期待していたかのような口振りで魔王が話す。
次々と矢のように放たれる煽りに、ミカンが遂に爆笑する。
無論、期待どころか魔王はもう彼の名前すらロクに覚えていない。もう一度聞いたところで、脳内には「屁こき男」としかインプットされないであろう。
「抜け! 殺してやるよ、てめぇ!」
「ほぅ――」
魔王が無言で小石を投擲し、それがエンジョイの臀部を擦る。
それは摩擦熱であったのか、ガスに引火したのか――エンジョイの臀部に、薄暗い洞窟を照らすような、小さな火が灯った。
「あっつッッ! あっちぃぃぃ! 水! 水ぅぅぅぅ!」
「次は炎上芸かね。君も冒険者ならば、戦いの中で体を張りたまえ」
「……炎ジョイ」
ユキカゼの放った一言に、魔王も遂に爆笑する。
火を消そうと必死に転がりまわるエンジョイを尻目に、一向は笑い声を響かせながら六階層へと向かっていった。
「殺してやる……あいつ、殺してやるぞぉぉぉ! あっち!」
■□■□
一行が七階層まで進んだ時、魔王の足が止まった。
田原から《通信》が届いたのだ。
「すまないが、私は少し瞑想に入る。二人で遊んでいてくれ」
「……分かった。魔物からおじ様を守る」
「な~にが瞑想よ。カッコ付けちゃってさ」
ミカンが不満を露にしながらも、大剣を引っさげて暴れ鶏へと向かう。
彼女からすれば、ここは懐かしい地でもあり、思い出の地でもあり、何だかんだ言いながらも楽しんでいるのだろう。
《どうした、田原。緊急の案件か?》
《いんや、只の報連相だわ。昨日、馬鹿が来たんで始末したってだけの話なんだけどよ……悠の話じゃ、例のドナ・ドナって貴族の手下らしい。長官殿の狙い通りって訳だ》
《ほぅ、ようやくか――》
咄嗟に魔王が適当に合わせる。ようやくも何も、この男はドナ・ドナという貴族の名すら初めて聞いたばかりである。
むしろ頭には、その名前から否応なしに連想される、独特のメロディーしか流れていない。
《あんたの狙い通り、オルゴールを狙ってたみたいだな。相変わらず、良い餌をぶら下げて釣り上げるのがお上手なこって。あんたの事だ、堂々と国境を越えて留守をこれみよがしに“アピール”したのもこの為なんだろ?》
《ははっ、私にそんな思惑はなかったさ》
《かーっ、いけしゃあしゃあと良く言いやがらぁ。ま、これで堂々と相手の非を鳴らせるって訳だ。狙いは、やっこさんが持ってる鉱山か?》
《まぁ、その辺りも含めて帰還後に会議を開くとしよう――》
《りょ~かい。しみじみ、あんただきゃ……敵に回したかないね》
田原との通信を終え、魔王がよろめきながら壁に手を付く。
気力をごっそり持っていかれたような姿だ。
(何を言ってるんだ、あいつは!? オルゴールが何だって??)
無論、魔王は金に困ってオルゴールを売却したに過ぎない。だが、田原や悠の中では何事かの謀になっているらしい。
それも、用意周到に張り巡らされた罠の類であるらしかった。
(むしろ、俺が罠にかかった気分だよ!)
魔王はそう叫びたくなったが、それを口に出来る筈もなく、必死に震えを押さえ込んでいた。
そんな魔王へ続けざま、悠から《通信》が入る。
《長官、ご報告は聞いて頂けましたでしょうか?》
《あぁ、ご苦労だったな。追って、次の指示を出す》
《はい、それとお戻りになった際、長官にお渡ししたいものがありまして。最近、綺麗な花を咲かせる植物を育てているんです》
《ほぉ!》
魔王がそれに対し、強い反応を示す。
マッドな設定を施していた側近が、そんな可愛らしい趣味を始めるなど思いも寄らなかったのだろう。現に、“大野晶”はそんな設定など一行も書いていない。
それだけに、悠の始めた女性らしい趣味につい笑顔になってしまう。
《お前がそんな趣味を始めるとはな。素晴らしい事ではないか》
《は、はいっ! 長官に喜んで頂けるよう、立派に育てたいと思います》
《うむ、楽しみにしているぞ》
《はい、お帰りをお待ちしております》
悠との通信を終え、魔王が嬉しそうに煙草へ火を点ける。
解剖や解体をこよなく愛する悠に、何らかの良い変化が訪れていると心が浮き立つような気分だったのだろう。
無論、今の通信によって外道達が生まれてきた事を後悔する事になるのだが、魔王が知る由もない事であった。
「よし、今日はこれまでにして、ディナーにでも赴こうではないか」
「……おじ様とディナー。素敵」
「何であんたが仕切ってるのよ。仕事しないポーターの癖に」
ミカンが狩った獲物を台車に放り込みながら、小言を洩らす。
実際、今日の狩りはミカンとユキカゼばかりが働いており、魔王は特に何もしていない。この男がしたのはエンジョイのケツに火を点けた事くらいだろう。
「まぁ、そう言うな。今日は私が奢ろうではないか」
「マジ!? 高いもんばっか頼んで後悔させてやる……」
「余り遠慮なしに食うようなら、ケツに火が点く事になるぞ」
「……ミカンなら逆に喜ぶ。ロウソクファイヤープレイ」
「あんたら二人が燃えてろ! いっそ灰になれッ!」
こうして、一行の迷宮初日は無事に終了した。
恐るべき魔王の深慮遠謀!
時にはドナドナをドナドナし、時にはケツに火を点け、
時には人間植物の栽培を促進していく……!
やはり、この男は邪悪な存在だった(様式美)