前夜
――ルーキーの街
「中々に栄えているではないか」
魔王の口から明るい声が漏れる。
アクの村や、ラビの村を見た時とは正反対の反応だ。この男は賑やかな街が嫌いではない。かと言って、寺などの鄙びた空気も悪くないと思っている。
要するに、我侭なのだろう。
街を往く人間はやはり、というべきか冒険者の風体をしている者が多い。
剣を担いでいる者や、いかにも魔法使いといった姿や、ラクダのようなものに大きな荷物を括りつけている者もいた。
(しかし、思っていたより一般人も多いな。冒険者相手の商売か?)
そう、冒険者が多く集まるならそれに対する商売が成り立つ。
食料や飲料だけでなく、道具屋や宿屋なども必須になるだろうし、酒場や娼館などの娯楽施設も必要になってくる。
(古来、軍の駐屯地には自然と“街”が出来上がると聞いたものだが……)
確かに、魔王の考えは間違っていない。
軍などになると、何千・何万という“客”となる為、こんな美味しい商売はないといったところだ。
「冒険者と、商売人だけではなく、裕福な身なりの者も多いな」
「この国は迷宮以外には何も無いからね。わざわざ獣人国と国境を接するリスクを抱えてまで、攻め込む馬鹿なんていないわよ」
「ふむ――つまりは体のいい“防波堤”という訳か」
「ま、そうね。そんな事情もあって戦争期には避難してくる金持ちも多いのよ。言っとくけど、別にあんたに話してる訳じゃないからね。これは私の独り言だから」
ミカンがそっぽを向いて言う様に、魔王が思わず吹き出す。
何だかんだで、根が親切なのだろう。
「いや、感謝する。私は自分に足りない部分を補ってくれる者や、自分に出来ない事を出来る存在を好む」
「好まれても迷惑ですから。これも独り言だけどね」
「それは残念。今回の礼に、塩みかん風呂に招待しようと思ったのだが」
「何よ、それ! ぁ、これも独り言だけど……」
そっぽを向いていたミカンであったが、つい魔王を見てしまう。
彼女は自分の名でもある果物が好きなのだ。
しかし、二人の会話を聞いていたユキカゼが、氷のような一言を放つ。
「……ミカンはミカンが好き。“一人遊び”が好き」
「ユキカゼは黙ってて!」
「……一人遊びとは、つま――むぐ!」
ミカンがユキカゼの口を抑え、強引に口を塞ぐ。
白と褐色が絡み合い、昼間から何とも言えない姿であった。二人の騒ぎを耳に入れつつ、魔王は抜かりなく道往く人間や街並みへと目をやる。
全移動の為、というのもあるが、この男は自分の目で見たもの、感じたものを大切にするからであろう。聞いた知識も自分の中に一旦溶かし込み、全て自分の中のフィルターを通してから頭へと蓄える。
一見、それは普通の事のようにも思えるが、この男は一事が万事、それなのだ。
それはやはり、異常であろう。
そこには、“他人が介入”する余地がない。
だからこそ――“大野晶”は十五年もの間、一人でコツコツと“世界”を作り続ける事が出来た。
それは異常なまでの“意思の強さ”と、“閉鎖性”であろう。
一人で世界を創生し、一人で完結させ、一人で消滅させる。
その姿は神のようでもあり、独裁者のようでもあり、そして――“魔王”と呼ぶに相応しいものであった。
■□■□
「安宿にしては、中々の部屋だな……」
魔王が部屋を見渡し、珍しそうな手付きで壁を撫でる。
彼の目から見れば、それは何らかの土で出来た素材であると判断しているのだが、それにしては異様に固いのだ。当然、それは『土』の魔法で固められたものであり、詠唱者の力量によっては、コンクリートに匹敵する固さとなる。
この街に集まるルーキー達は、酒を飲んでは騒ぎ、暴れる者も多い為、安宿であっても頑丈な作りになっている。ドアや椅子一つとっても、非常にしっかりとした作りであった。
「……おじ様、どうして安宿に? お金がないなら私が養う」
「何故、私がヒモにならねばならん。それに、安宿に泊まるのも経験の一つだと思ってな……今しか出来ん事だ」
事実、魔王は今のところ、金には困ってはいない。
悠が入手したラムダ聖貨を大金貨120枚で売り払い、その内の110枚を田原へと預けて残りの10枚を所持しているのだ。
一財産といっていいだろう。
それに、アクやルナやトロンなどが居れば、気軽に安宿に泊まる事など出来ないだろうし、側近達が近くに居れば立場上、良い部屋に泊まる必要が出てくる。
単独で動いている今だからこそ出来る事であった。
「……今後は私が養う。三食昼寝付き。朝も夜もおじ様にご奉仕する」
「お前は完全にダメ男製造機だな」
「……おじ様は家で寝て暮らすの。夜は私が全てを受け止める」
「ダメ男どころか、廃人製造機ではないか……」
魔王が顔を顰めながら、髪を後ろで束ねる。
ホワイトとの一件以来、リラックスした部屋の中などではゴムを使って髪を纏める事が多くなっている。
単純に“大野晶”は長髪にした事がない為、慣れないのだろう。
「……おじ様は、髪を切らないの?」
「まぁ、作った時の“こだわり”でな」
「……作った??」
「気にするな」
「……でも、束ねた顔も素敵。おじ様、格好良い」
ユキカゼがつま先で立ち、魔王の髪を両手で触る。
彼女(?)の目には、この“黒髪”が非常にエキゾチックに映っているのだ。
身に纏っている服といい、黒曜石のような瞳といい、黒髪といい、全身の全てから“異国の香り”が漂っている。
その上で――あの圧巻の強さである。
人間以外の種族も多いこの世界では、人の立場は決して強くない。
一部の例外を除いては、様々な意味で“食い物”にされる事も多いのだ。この世界では当然、強さとは正義でもあり、格好良さでもあり、ステータスでもある。
魔王などと呼ばれるこの男が、冒険者には妙に人気が高いのも当然であった。
彼ら、彼女らにしてみれば、強さこそが第一なのだから。
「ひとまず、今日は休んで明日から監獄迷宮とやらに行ってみるか」
「……おじ様となら、監獄に閉じ込められてもいい」
「今更だが――お前は幾つなんだ?」
「……16になった。ミカンは一つ上」
それを聞いて、魔王は「ガキだな」と洩らす。
彼の感覚では、一般的な高校を卒業する18ぐらいから、ようやく大人への一歩といった所だ。完全に大人扱いして良いのは20歳からだろう、というのがある。
「ま、ガキの内は大いに遊んで、大いに食って、大いに女を磨くといいさ」
魔王がユキカゼの襟首を掴み、猫のようにして部屋の外へと運ぶ。
そのまま軽く手を振り、容赦なくドアを閉めた。絶世の美少女(?)からこれだけ言い寄られても、まるで動じない姿である。
だが、それに対するユキカゼは――
「……おじ様、私の事をやっぱり“大切”にしてくれてる」
更に勘違いを加速させていた。
魔王はユキカゼに対し、必要や大切といった言葉を度々放っており、ユキカゼの中では既に相思相愛なのだ。結婚式は何処で挙げようか、などと妄想しているレベルであり、魔王が聞いたら仰天するであろう。
だが、魔王の“意思の強さ”が尋常ではないのと同じく、ユキカゼの意思もまた、尋常なレベルではなかった。
二人の綱引きが今度どうなっていくのかは、まだ誰にも分からない――
翌朝――
ミカンは時間通りに目を覚まし、支度を整えて部屋を出た。
真面目な彼女は時間にもキッチリしており、常に10分前行動を心掛けている。時間にルーズな者が多い冒険者の中にあっては、非常に珍しいタイプであった。
そんな彼女だからこそ、扱いにくい大剣を名人レベルにまで習得し、Bランクにまで駆け上がってくる事が出来たのだろう。
「あの魔王……ちゃんと起きてんでしょうね……」
朝からイライラしながら、ミカンが魔王の部屋へと向かう。
真面目な彼女と、あの悪辣な魔王では相性が良い筈もないのだが、魔王からすればからかい甲斐がある、面白い女であった。
(寝てたら枕を蹴飛ばしてやる……)
ミカンが魔王の部屋の前に立ち、ドアをノックしようした時、部屋内から二人の声が聞こえてきた。
眉間に寄っていた皺が、僅かに解れる。
(最低限、時間だけは守れるようね)
ミカンはそう思ったが、中から聞こえてくる声は異質なものであった。
「ふん、こんなに出るとはな。余程溜まっていたのか?」
「……白いのが、こんなに……おじ様、もう……これ以上は」
「馬鹿を言うな。この程度で、私が満足するとでも思っているのか?」
――パァン! パァンッ!
力強い音が響く。
腹の底に、鼓膜に、叩き付けてくるような重い音であった。
慌ててミカンがドアを開ける。
「あんたら、何してんのよッッ!」
そこには布団を窓から出し、埃を叩いている魔王の姿があった。
部屋内に、何とも言えぬ微妙な空気が流れる。
「布団の埃を払っていただけだが……お前は一体、何を想像したんだ?」
「……おじ様は、ベッドの魔王」
「いちいち、ややこしいのよッ!」
こうして、おかしなトリオが遂に迷宮へと足を踏み入れる事となった。
魔王の――迷宮デビュー戦である。