魔王の鬼謀
(まさか住みたいとはな……これは予想外の成果というべきか)
魔王とマダムがロビーで向き合い、ゆったりと朝食を楽しんでいた。
スピーカーからは軽やかな琴の音が鳴っており、何とも良い雰囲気である。互いに考えている事はまるで違うだろうが、双方とも笑顔を浮かべていた。
「なるほど。国の法に触れぬのであれば、私としては一向に構いませんよ」
「魔王様のお気持ちに感謝するわ」
「但し、幾つか条件があります――」
きた、とマダムは思う。
こちらの無茶を聞いて貰うからには、相応の条件を呑まされるであろうと。
無論、マダムとしては覚悟の上であった。
「必要な部屋を引くと、この旅館で使えるのは三十部屋でして。泊まる客をマダムの方でリストアップし、“貴女の判断”で選別して貰いたいのですよ」
その言葉にマダムが息を飲む。
昨日の体験を通していえば、この世に存在するどんな女であろうと、この施設に通いたくなるであろう。たとえ、万金を積む事になろうとだ。
それを、マダムに選べと言うのだ。
(これで面倒な貴族を相手にしなくて済むな。対応を丸投げしてしまおう)
魔王の思惑とは裏腹に、マダムの方は身を震わせていた。
こちらで自由に選べるという事は、たとえ相手がどんな存在であろうと、圧倒的に上の立場から権力を振るえるという事でもある。
だが、魔王の条件は更に続く――
「一つ付け加えましょう。相手が誰であろうと、一泊を限度として貰いたい」
「一泊……」
(当然、色んな客を泊まらせて口コミで広げて貰わないとな)
魔王の思惑とは裏腹に、マダムの方は更に身を震わせた。
この夢のような施設を味わわせてから、翌日には強制的に領地へと戻す。それは身を引き裂かれるような思いをするであろうと。
マダム自身がそんな立場になれば、泣き叫ぶか大暴れするに違いない。
「魔王様は、よほど私に“力”を与えたいのね……」
評判を聞きつけ、この施設に泊まりたいと思った者は何度でもマダムに陳情してくるであろう。一度味わって領地へ戻った者など、より強い勢いでマダムへと懇願してくるに違いない。
そこには当然、金や物品も絡んでくる。
口だけで頼んでくるような粗忽な者など、マダムの周囲には存在しない。
その姿を傍目から見ると、まるで天国への切符を握る選別者として浮かび上がってくるであろう。否が応にも、その求心力は高まらざるを得ない。
「力など――私は美を求める女性の味方である、というだけですよ」
マダムはそれを聞いて思う。
そう、確かに美しさを求めない女など居ないのだ。
そこには年齢など何の関係もない――女は死ぬまで女なのだから。
「つまり、魔王様は“世の半分”を握っていくという事になるのね」
当たり前の事だが、世の中は男と女で出来ている。
女を鷲掴みにするという事――
それはまさに、世界の半分を手中にしてしまうのと同じ意味でもある。
「ふむ――――」
魔王はその問いに、決して短くない沈黙を続けた。
やがて、厳かに口を開く。
「私は100%を求めない。“半分”あれば、十分に事は成りますからな」
魔王の頭に浮かぶのは「温泉の話をしてんのに、こいつは何を言ってるんだ」といったものであったが、それをおくびにも出さず、思わせぶりな事を口にした。
適当に合わせておけば何とかなるだろう、といった態度だ。
だが、傍目から見ればその姿は、重厚極まりない。
実際、マダムの思考は先走り過ぎていたともいえるし、魔王は魔王でその思考が平和的過ぎたとも言える。片方は権力の坩堝の中で半生を過ごしてきたマダムであり、もう片方の魔王は金を稼いで、評判を良くしようとしか考えていない。
「そうね、この国の女は強いわ――魔王様が考えてらっしゃる通りよ」
「ははっ、それは頼もしいですな」
思考はすれ違っているのに、マダムは今以上の権勢を振るえるようになり、魔王は魔王で金を稼ぎながら評判を良くしていける、と妙な部分で一致している為、歯車だけは奇妙なまでに噛み合っていく。
何より、この二人の組み合わせは互いに損をしない。
それどころか、得しかない。
それは美であり、権勢であり、求心力であり、金であり、評判である。極めて現実的な要素であり、“実益”であった。
これに敵対する者からすれば、悪夢のような組み合わせでしかないが。
そして、この魔王は――女性に対する“一言”も忘れない。
あながち、それはお世辞で口にしたのではなく、真実が込められていた。
「それにしても、昨日より美しくなりましたな――マダム」
「いやね、相変わらず口がお上手なんだから……」
そう、マダムはこんな台詞を言われる事に慣れている。
耳にタコが出来る程だ。彼女はそんな言葉に踊らされない。右から左に流れるだけである。
――本来ならば、だ。
だが、この男が……魔王の口から出た言葉は、意味合いが変わってくる。
「言った筈です、マダム。私の口は虚飾を述べない、と――」
魔王の鋭い眼光がマダムを貫く。
その圧巻とも言える「迫力」に、流石のマダムも息を飲んだ。
「そうだったわね。そして――」
「私の口から出た言葉は」
「「全てが、現実になる」」
二人の声が重なり、嬉しそうにマダムが笑う。
魔王も胸に手を当て、何か手品を披露したような仕草を取った。
実に平和な朝食の風景である。
■□■□
――聖城
「そんな……こんな、事が……」
届けられた書簡を見て、ホワイトの背筋が凍る。
何と、あのマダム・エビフライが“ラビの村”にて療養したい、という内容を送ってきたのだ。ありえる事ではなかった。
「つい先日、派手なパーティーをしていたじゃありませんか……!」
ホワイトの目の前が暗くなっていく。
あの派手好きな社交界の中心人物がよりにもよって、ラビの村で療養など笑い話にもならない。あの村には、“何も無い”のだから。
馬鹿にしているというよりも、完全に愚弄しているレベルであった。
「あのマダムが寒村に引っ込……あっ!」
そこまで考えた時、ホワイトの頭に衝撃が走る。
ラビの村――領主であるルナが、最近になって手腕を振るうと張り切り出した村である。それは、本来なら妹の成長を喜ぶべき事柄であった。
だが、今は違う。その後ろには恐るべき魔王の存在があるのだ。
「妹だけでなく、あのマダムまで取り込んだというのですか……!?」
それはホワイトにとって、更なる悪夢である。
あの社交界の女帝ともいえる存在は、貴族の奥方への影響力が尋常ではないのだ。彼女の口から出るものが流行を左右し、経済すら動かしてしまう。
彼女が美味しいと言った物はたちまち品薄となり、彼女が不味いと洩らした店などはその日から閑古鳥が鳴く。
ある者にとっては歩く災厄であり。
ある者にとっては福の神であろう。
それだけに、非常に扱いが難しい存在なのである。
マーシャル・アーツはマダムとは大きく距離を取り、ドナ・ドナは嫌悪感を出しつつも、時には媚びるような態度を取る程だ。
女性の集団を敵に回す恐ろしさを、両者共に知っているのであろう。
「あのマダムをどうやって……それよりも一体、何をするつも……あっ!」
《私がこれから行う事を実際に見て、そして判断して下されば良い。私は昔から、口舌ではなく、実際の行動を以ってそれを示してきた》
ホワイトの頭に魔王の言葉が蘇る。
改めて浮かべると――それは衝撃の内容であった。
確かに口舌ではなく、あの魔王は“実際の行動”で示したのだ。
「そう、ですか……宣戦布告であったのですね……」
ホワイトが思わず、拳を握り締める。聖城で、聖女の筆頭たる彼女の前で、あの魔王は堂々と宣戦布告を行っていたのだ。
その姿の、何と不敵で禍々しい事であろうか。
前代未聞ともいえる敵の本拠地での、敵の総大将の前での侵略宣言。
そこから浮かぶ単語は最早、一つしかありえない――“魔王”である。
「クイーン、これを見て……」
ホワイトとしては珍しく、乱暴に書簡を投げ渡す。
相変わらず、円卓の上に足を放り出しているクイーンであったが、無言で書簡を受け取り、目を通していく。
大きく入ったスリットからは艶めかしい足が丸見えであり、とても書簡を読むような態度ではない。
「んー、療養ねぇ……良いんじゃね?」
「ちょっと! そんな簡単に言わないで!」
「誰が何処に居ようと、どうでも良い事じゃねぇか」
「これはね、クイーン。あのマダムが、魔王に取り込まれたって事なのよ!?」
クイーンが天井を見上げ、どうでも良さそうに口を開く。
心底どうでも良さそうであり、その態度はいっそ清々しい程であった。
「魔王魔王ってよぉ……あんなもん、単にルナの“お気に”ってだけだろうが」
「お気にって……どうして、そんな簡単に考えられるのよ!?」
「姉貴は見てねぇから知らねぇんだろな。ヤホーの街でルナのボケカスに会ったけどよ……あのアホ、一丁前に“女のツラ”してやがったぜ」
「一体、何の話をしてるの……っ!」
ホワイトの怒りは高まっていくが、クイーンの方は相変わらずである。
足を放り出したまま両手を頭の後ろで組み、ヤンキー女そのものであった。
「あのボケナスも恋をしてんのさ……放っておきゃいいんだよ」
「何が恋よ……! これは国の危機なのよ!?」
必死に叫ぶホワイトを見て、クイーンが「ハッ」と鼻で笑う。
そこには何故か、憐れみの篭った視線があった。クイーンが珍しく足を下ろし、両手を胸の前に持ってくる。
「まぁ、姉貴には分からねぇか……良い相手、見つかるといいな? 聖女として祈ってやんぜ」
「人を可哀想な女みたいに言わないで! 今は真面目な話をしてるのよ!?」
クイーンが笑いを堪えながら祈りの言葉を捧げる。
目を閉じ、両手の指を組むとそこには完膚無き美少女が出来上がるのだ。
誰が見ても聖女様であり、男であるなら釘付けにならざるを得ない。
「天にいやがる……大いなる……ぁー、何だっけ。姉貴が喪女にならんように頼むわ。それと、零様……大好きです。愛してます」
「貴女、最後のを言いたかっただけでしょ!?」
「零様……」
「まだ続いてるの!?」
今日も聖城は大騒ぎであった。
いたいけな聖女を追い詰めていく、魔王の恐るべき鬼謀……!
やはり、この男は邪悪な存在だった(名推理)