マダムの来訪
ラビの村の入り口に、豪華な馬車が止まる。
その馬車にはバタフライ家の紋章と旗が掲げられており、それは本来、こんな寒村に止まるようなことはありえなかった。
従者が次々と降り、馬車のドアを恭しく開く。
馬車の中から重そうな体を揺らし、降りてきたのはエビフライ・バタフライ、その人であった。
社交界の重鎮であり、貴族の奥様方から熱狂的な支持を受け、それらを一手に纏め上げている女帝である。
彼女が白と言えばどんなものでも白になり、その逆も然りであった。
あのドナ・ドナですら、一枚岩となって纏まっているマダムの集団に対しては手の付けようがなく、無視出来ない程の大勢力となっている。
現在の聖光国内の勢力図は、非常に細かく分裂しているといっていい。
一国の在り方として、三人の聖女を中心とした形は変わらない。
その下に聖堂教会と聖堂騎士団が存在するが、教会は聖女を輩出する機関であると同時に、魔法の才を持つ者を一箇所に集めて教育する“学校”の役割も果たしており、政治的な集団ではない。
そして、《ドナ・ドナ》が率いる一派。
領地から『水』に適した魔石が取れる事もあり、その資金力はダントツだ。
聖堂騎士団の一部にも金をばら撒き、更に勢力を拡大しつつある。
次に《マーシャル・アーツ》が率いる一派。
国境近くの武断派と呼ばれる貴族を纏めており、資金力には乏しいが、戦場で背を預けあってきた独特の絆で結ばれている。聖堂騎士団の中にも彼らへのシンパは多く、武力では随一といっていい。
少数ではあるが、決して無視出来ないのが《カキフライ・バタフライ》を中心とする芸術家肌の集団である。貴族であるなら、誰もが欲する名品を多数所持しており、自身が芸術家である者も多く、尊敬と畏敬を一身に集めている一派だ。
貴族の中の貴族、などと呼ばれる事もあり、これらと表立って喧嘩をするような愚か者は少ない。自分が野蛮人であると宣伝するようなものだからだ。
最後に、《エビフライ・バタフライ》の一派である。
貴族の奥方は揃いも揃って非常に自尊心が強く、また権力も強い。入り婿の旦那など、一顧だにされない事も多いほどだ。
尻に敷かれている、などというレベルではなく、本当に頭が上がらないのだ。
実際、奥方に嫌われれば家を放り出されるような立場の者も多い。
この下には多くの一般階級の者がおり、そして貧民が居る。
更に地下へと潜ると、サタニストが蠢いているという形であった。一見すれば、一つの信仰を元に一枚岩となっている国に思えるが、その内情は激しく分裂しているといっていいだろう。
「「ようこそいらっしゃいました、マダム――」」
タキシードを着た魔王と田原が胸に手をあて、優雅に礼をする。
二人とも中々の役者であった。マダムも二人を見て、笑顔を浮かべる。
人を見る眼が非常に厳しく、その豪快な見た目とは裏腹に、細かい所にまでうるさいマダムであったが、二人の姿は満点であった。
(相変わらず、いい男ね……)
マダムから見た“魔王”は非常に色気のある男だ。
それも、一流の悪党だけが持つ――独特の“危うい色香”を漂わせている。それが分かる女からすれば、堪らない男であった。
近付けば、どんな危険があるか分からない――そのスリルは言葉では形容し難いものである。
魔王の横に居る男――田原もマダムから見れば非常に“危ない男”だ。
恭しく振舞っているものの、その怜悧な眼光はマダムの心胆の奥底を暴き立て、臓腑の一つ一つまでを見通しているかのようであった。
相手がどんな存在であれ躊躇わずに殺し、何事も無かったようにその場を立ち去る。マダムの脳裏には、そんな光景すらありありと浮かぶのだ。
「とても感じの良い村ね……聞いていた噂とは大違い」
マダムが周囲を見渡し、小さく驚きの声をあげる。
村を覆う柵は全て新品に変えられており、畑や家屋も景観を崩さぬよう、上手く配置変えがされていた。
寂れた村ではなく、“鄙びた村”といったところであろう。
神都の騒がしい街並みに慣れたマダムにとっては、妙に新鮮であった。
「いえいえ、まだ手を付け始めたばかりでして。後、一月もすれば少しはマシな形になるでしょう。この地はご婦人方にとっての“天国”となりますよ」
「そうね――貴方はこれまで腐るほど見てきた、口だけの男じゃあない。貴方の口から出る言葉と、出す品には“実”があるわ」
その言葉を聞き、「石鹸が効いたな」と魔王は思う。
実際、驚くほどに汚れが落ちるし、サッパリするのだ。特にこの国は砂埃が多い為、一日外に居るだけで砂まみれになってしまう事も多い。
「光栄ですな――ですが、これから御覧にいれる施設は、より多くの驚きと、マダムの人生に“幸福”を齎す事を保証しますよ」
「あらあら、とても楽しみね――」
二人の笑顔とは裏腹に、何処か緊張感が漂う雰囲気であったが、馬車からもう一人、老いた男性がフラつきながら姿を現した。
「ほぅ、ここがマダムの言っておった村かの」
「ちょっと爺さん、呼ぶまで待ちなさいと言ったでしょ!」
「ふぁふぁ! 老人はせっかちでのぉ……」
それは、腰に立派な剣を佩いた老貴族であった。
だが、その目には青い布が巻かれており、異様な雰囲気を漂わせている。魔王は老人の佇まいを見て、少し“警戒”するような素振りを見せた。
「マダム、そちらの御仁は――?」
「急な事で申し訳ないわね……この爺はコマンド・サンボっていう死に損ないなんだれど、見ての通り目が悪いのよ。老い先短い爺だから、せめて最後くらいは良い思いをさせてやろうと思って連れて来たの」
「相変わらず、マダムは口が悪いのぉ……少しは老人を敬わんかい!」
「お黙り、爺!」
仲が良いのか、悪いのか――マダムが軽い口調でサンボを紹介する。
マーシャル・アーツという武断派を纏めている貴族の元腹心であり、勇猛な人物であったらしい。数年前、領内に出没した魔獣と戦った際に負傷を負い、視力の殆どを失ったとの事であった。
その話を聞いて、魔王と田原が痛ましそうな表情を浮かべる。二人の視線が一瞬だけ絡み合い――無言でイレギュラーへ対応すべく行動を開始した。
「それは、大変な思いをされたようで。しかし、私の部下には非常に腕の良い医者がおりましてな。そちらの御仁の負傷ですが――“問題なく治癒”する事が可能でしょう」
「お、おい……今の声! それはまことか!?」
サンボが両手を伸ばしながら、声のした方に詰め寄る。
その手を田原がそっと掴み、恭しく声をかけた。
「お客様――良ければ、まずはそちらへとご案内致しますが」
「お、おう……頼む! 頼む! たとえ少しでも可能性があるならワシは!」
「全く、困った爺ねぇ……申し訳ないわね、何だか手間を増やしちゃって」
「何の問題もありませんよ。では、田原――案内を頼む」
魔王が笑みを浮かべ、田原がマダム一行を野戦病院へと誘導していく。
その背を見ながら、魔王は何事かを通信で飛ばした。
■□■□
「これ、は……」
「――どうぞ、中へ」
マダムが野戦病院を見て目を剥いていたが、田原が恭しくエスコートをしながら中へと進んでいく。
建物の中に入り、最初にマダムが感じたのは絶妙といえる“涼しさ”である。
聖光国は暑い国であり、マダムは氷の魔石や風の魔石を使って涼を取れる身分ではあるが、魔石の影響が及ぼす範囲は狭いのだ。
冷房のように建物全体を冷やそうなどとすると、それだけで大変な費えである。
マダムはその体型もあって非常に暑がりであり、汗の対策だけでどれだけ悩んできた事か分からない。
だが、この建物の中に居ると一瞬で汗が引いていくのだ。
「随分と、涼しいのね……どれだけの魔石が使われているのかしら」
「我が主・九内は――様々な工夫をされる御方でして」
マダムが田原の背に声をかけるも、その返答は煙に巻くようなものであった。
本来なら不快になるであろう返答だが、マダムはそうは思わない。むしろ、あの男のミステリアスさが増すようではないか。
マダムのような立場の者にとって「分からない」という事など、もはやこの世に殆ど存在しないのだから。
(こんな建物、見た事も聞いた事もないわね……)
マダムは時に、叫び出しそうになるのを堪えながら歩いていた。
この世の珍しい物、富貴、芸術、華やかな社交――あらゆるものを経験してきたマダムではあるが、こんな“近代的な建物”の中を歩くなど初めての経験である。
「こちらが診察室でございます。どうぞ――」
田原が普段の姿からは想像も付かないような恭しさでドアを開き、二人をエスコートする。
「ようこそ、マダム。そして、サンボ様――」
中では悠がにこやかな笑顔を浮かべ、二人を迎え入れた。
その部屋にあるのは様々な器具や薬品、簡易なベッド。血圧を測るものもあれば、体重計もあり、人体模型などもある。
(まるで、違う世界にでも迷い込んだようね……)
マダムは素直なまでの気持ちでそう思った。
ここまで来ると、いっそ笑えてくるような心境になったのであろう。サンボの背中を強く叩き、椅子へと座らせた。
「ほら爺さん、さっさと見て貰いなさいな!」
「何というおなごか……男が逃げ出す訳じゃわい!」
「やかましい、この耄碌爺!」
二人のやり取りを微笑みながら見ていた悠であったが、その手がゆるりと伸び、目に巻かれていた布を取った。
そこにあるのは白く濁った眼球と、赤く爛れたような痕。
「すまんの、御嬢さん……不気味なものを見せて。赤斑の蛇の毒液を喰らってしもうての」
「なるほど」
「今では精々、人の輪郭がぼんやり見える程度じゃよ……少しでもマシになるのならありがたいんじゃが」
「ご安心下さい。わたくしどもの国では、この症状への“薬液”が既に完成しております」
悠が患者を安心させるような、力強い声で応える。
サンボはその声に半信半疑ながらも、嬉しそうな声を上げた。これまでどんな医者に見せようと、匙を投げられたのだ。
魔法も赤斑の蛇が出すような強力な毒液に対する治癒は難しく、まして、眼球のような複雑極まる器官の修復などは不可能であった。
「では、こちらへ――」
悠がサンボを簡易ベッドに寝かせ、薬品棚から小さな薬を取り出す。
目に爽快な気分を齎す――只の目薬であった。
悠はその蓋を開けながら、先程伝えられた内容を思い出す。
《上手く薬を使ったようにして治すんだ。“神の手”を見せるのは少々、マダムには刺激的すぎるだろうからな》
悠が目薬を挿した瞬間、サンボが奇妙な声をあげる。
それもそうだろう。
疲れた目に染み込むような爽快感があり、こんな効果のある薬など、この世界には存在しないのだから。
悠の親指が瞼へと当てられ、薬を揉み込むように優しく動く。瞬間、その親指がメスへと変わり――深々と眼球へと捻じ込まれた。
サンボが一瞬、呻き声を上げたが、その指が離れた時、彼の視界に劇的な変化が訪れた。
「お……おぉ……!? おぉぉぉぉぉぉ!?」
サンボが左右を見渡し、天井を見上げ、また左右に首を振る。
捻じ曲がり、歪み、失われていた視界が戻ったのだ。
「み、見える……見えるぞ! ワシの、ワシの目が戻ったんじゃぁぁぁぁ!」
「爺さん、あんた……本当なの!?」
「おぉ、マダム……また随分と太ったではないか! 何を食えばそんな体になるんじゃぁぁぁ!?」
「やかましいわッ、死に損ないが!」
マダムが躊躇無くサンボの頭を全力で叩き、その体がベッドから転がり落ちる。だが、床に転がったサンボは笑ったままであった。
腹を抱えて笑い、息をするのも苦しそうに転がる。暫くすると、その笑い声は泣き声へと変わっていった。
「ワシの、ワシの目が、見える。見える、んじゃぁ……」
その姿を見て、マダムも何とも言えぬ表情となった。
サンボとマダムは腐れ縁ともいえる長年の付き合いがあったが、彼が泣いている姿を見た事など、はじめてであったからだ。
やがてサンボが涙を拭き、姿勢を正して腰の剣を外す。
「御嬢さん、あんたは恩人じゃ……この剣を受け取ってくれぃ」
サンボが差し出した剣には余計な装飾などは無く、実用一点張りのものである。長年、彼と共に戦場に在った魂といっていい。
だが、それを見たマダムは呆れたような大声をあげた。
「お馬鹿ッ! 年頃の綺麗な御嬢さんが、そんなもんを貰って喜ぶ筈がないでしょうがッ! あんた、それでも貴族の端くれなの!?」
「そんなもんとは何じゃいッッ! この剣はサンボ家に代々伝わる家宝で――」
「お黙り! そこの貴方、この爺を馬車に放り込んできて頂戴!」
その声に田原が一瞬、迷う。
「……さっさとアーツのところに戻ってやりなさいな。あの爺も喜ぶでしょうよ」
「そ、そうじゃ! アーツ殿……今、サンボが戻りますぞぉぉ!」
サンボが突然、外へと走り出し、その背を田原が追う。
二人が去った後、診察室にはマダムの長い溜息だけが残った。
「ごめんなさいね、騒がしくして――謝礼は私が代わりに払っておくわ」
「これは……宜しいのですか?」
マダムが懐から出したもの。
それは小さな箱であり――中には一枚のラムダ聖貨が鎮座していた。相場にもよるが、最低でも軽く大金貨百枚はする代物である。
聖貨を初めて見た悠であっても、神秘的な何かを感じるような逸品であった。
治療代としては、余りに破格といっていいだろう。
「いいのよ、貴女のお陰で厄介な頑固者二人に大きな恩を売れたんだもの。それはね、このラムダ聖貨なんかより、何十倍も価値がある事なのよ」
マダムが妖しく嗤う。
実際、彼女からすればどれだけ大金を払っても惜しくない、と判断したからこそ出したのだろう。
金額以上の、何らかの利益があるに違いない。
「では、遠慮なく――マダムとは、とても良い関係が築けそうな気がします」
「あら、奇遇ね。私もよ」
二人が微笑を浮かべ、互いに見つめあう。
何処か似ている部分がある、非常に怖い女達であった。
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マダム(エビフライ・バタフライ)
種族 人間
年齢 不明
中央の社交界を牛耳る女帝。
貴族の奥様方から圧倒的な支持を受けており、巨大な派閥を形成している。
聖光国では、彼女の一言で流行が左右されると言っても過言ではない。
領内には「土」に適した魔石を産出する鉱山を多数所持しており、その富は汲めども尽きぬ領域にある。





