其々の夜
「柵を変えねぇとな。向こうの区画も広げてっと……」
夜、村の中を田原がメモ帳片手に歩き回っている。
殆ど明かりらしい明かりなどないのだが、この男は超一流のスナイパーでもあるので、異常なまでに夜目が利くのだ。
殆ど昼間と変わらない仕草でメモに何事かを書き記していく。
「いっそ、こっちの山は“削っち”まうか?」
たまにとんでもない事を口にしていたが、彼ならやってのけるだろう。
田原の能力は、全方位への攻撃に向いているのだが、それが一箇所に向けられれば、戦車どころか山すら破壊してしまうに違いない。
随分と仕事熱心ね――
田原が振り向くと、そこには妖しい笑みを浮かべた悠が居た。
月夜に照らされた彼女の姿は、非常に美しくはある。だが、GAMEのプレイヤーがこんな暗闇の中、彼女と出遭ったら飛び上がるだろう。
せめて、明るい場所で死なせてくれ、と――
「ま、長官殿にあんだけ期待されちゃあなぁ……」
田原がぶすっとした表情で、何処か納得がいかない様子で返す。
そう、彼は無気力で怠惰でダラけているのが大好きな男なのだ。まかり間違っても、自分から能動的に動いたり、働いたりするような男ではない。
「おめぇの方こそ、随分と大人しいじゃねぇか? いつものお前サンなら、この辺りの“人口”が減っててもおかしかねぇんだが」
「酷い言い方ね。私は常に、長官の意を汲んで行動してきたつもりだけど?」
そう、それだ――と、田原は思う。
これまで、その“意”とやらに一番近いのは悠であった。彼女は“静”とは違い、狂いながらも非常に頭の切れる女なのだ。
無意味な殺しや、簡単に足が付くような犯行、出遭った者を片っ端から殺したりなどの短絡的な事はしない。
深く、静かに潜行し――
気が付けば、地上にはもう“取り返しのつかない地獄絵図”が出来ていた、というパターンだ。表に出てきた時には、既に“手遅れ”になっているという非常に厄介なタイプの大量殺人鬼といっていい。
「で、長官殿は一体、何を考えてンだよ? おめぇさんの事だ、幾つか答えらしいもんを持ってんだろ?」
あらゆる前準備を惜しまず、時には大枚を叩き、あらん限りの悪謀を張り巡らせ、遂には己にとっての“目的”を必ず成就させる。
その身が、どれだけの血と嘆きと悪名に塗れようとも。
そういったカテゴリーでは、九内伯斗と悠は非常に似ていると田原は見ているのだ。
また、それに対して田原は別に悪意を抱く事もなければ、嫌悪感もない。そうでもしなければ、あの世界では生きていけなかったのだから。
相手を嵌めなければ、時には殺さなければ、自分が破滅していた事だろう。
田原もそういった“人生”を歩んできた。
「正直、私も全ては掴みかねているの――」
「へぇ……こいつぁ、アテが外れたな」
田原が煙草に火を点けながら、さり気なく悠の表情を窺う。
嘘は言っていない――田原はそう判断した。
根拠らしいものは別にないが、田原には一種の独特の勘があり、彼は自分の“それ”を強く信じている。
「長官殿は、大帝国とは別の道を往く――とか言ってたけどなぁ」
「そうね、それは“退屈”だとも仰られていたわ」
「悠、おめぇさんはそれで良いのかよ?」
田原は思う――それこそ、悠にとっては“退屈”になるのではないか、と。
これまでの悠なら“実験動物”に溢れた世界など、存分に蹂躙しながら平伏させていくような道こそが望みに近いのではないか。
「――私はね、田原。“世界の断層”に触れたの」
「まぁた、妙な事を言いやがる……」
田原が乱暴に髪を掻きながら煙を吐き出す。
悠はたまに理解し難い、突拍子もない事を口にするのだ。紙一重な科学者などにありがちな、妙な言い回しやら哲学やらだ。
「それに、私は長官の中に“神の存在”を感じるの――」
「だぁっはっはっ! んだ、そりゃぁ……またアレか。人体の神秘だの、進化だの、おめぇさんの口癖の親戚みてぇなもんか?」
「いいえ、違うわ。時間と共にその想いは濃くなってる」
――貴方も、薄々感じてるんじゃないの?
悠はそれだけ言い残すと、音もなく病院の方へと去っていく。
数歩先ですら朧気な、墨を流したこんだかのような暗闇の中、白衣が揺れていた。田原はぼーっとそれを見ていたが、やがて吸っていた煙草を携帯灰皿に揉み消し、また村の中へと歩みを進める。
《長官の中に“神の存在”を感じるの――》
妙に頭へと残る、その言葉を考えながら。
一方、魔王なのに神呼ばわりされていた男は――
■□■□
「まぁ、流石にTVは付かんよなぁ……」
温泉旅館の最高級の部屋に堂々と陣取り、羽毛布団に寝転びながらリモコンを弄っていた。
その姿だけ見れば、出張先で寛いでいるサラリーマンのようである。
間違っても神などと言われるような姿ではない。
「部屋の中の饅頭もないし……やっぱり食い物関係はダメって事か」
本来の設定であるなら、食堂の中は元より、部屋の中にも様々な和菓子などが置かれている筈なのだが、何処にも見当たらなかったのだ。
拠点の中にあった“乾パン”は例外だったのだろう。
「ただ、消耗品は勝手に補充されてたしな。悪い事ばかりでもないか」
あれから魔王は様々な実験を行い、石鹸やシャンプーなどが湯と同じように補充され、循環するようになっている事を確かめた。
これなら消耗を気にせずに運営していける事だろう。使う度にいちいち作り出すような事になれば、SPが幾らあっても足りなかったに違いない。
「魔王様っ、温泉って本当に凄いんですね! 湯と湯気が、水がっ」
「落ち着け、アク」
襖がガラっと音を立てて開き、黄色い浴衣を着たアクが布団の中へと勢い良く滑り込んでいた。
当たり前のように一緒に寝るつもりらしい。
「今日はハーブ風呂というのに入ったんですっ!」
「ん……確かに、ハーブの良い香りがするな」
「本当ですか? えへへ」
「また一緒に寝るのか……」
魔王はそう溢しながらも、追い出すような事はしない。
何だかんだ言って、アクには甘いのだ。
魔王がリモコンで電気を消し、就寝しようとした時、荒々しい足音が廊下から聞こえてきた。
「アクっ! 今日は私の抱き枕になりなさいって言ったでしょ!」
ルナも自分のカラーであるピンク色の浴衣を着ていた。
恐らく、悠が着せたのだろう。
「アクなら私の隣で寝てるぞ」
「へ、へへ変態っ! アクに何をするつもりよっ!」
「何を想像してるのか知らんが、お前は頭の中までピンク色だな」
温泉に入った所為か、元々寝付きの良いアクは既に寝息を立てていた。
それを見たルナも、流石に沈黙する。
「しょ、しょうがないわね……なら、私も今日はここで寝てあげる」
「いや、お前は自分の部屋に帰れよ」
「うるさいわね……私はこの村の領主なんだからっ」
そう言いながら、ルナがアクとは反対側に回って布団の中に入り込む。
幼女とぺたん娘のサンドイッチであった。
だが、魔王の顔には“迷惑”という感情しか浮かんでいない。
「普通に大迷惑なんだが……」
遂には口に出していた。
ルナにはルナで、遠慮のない態度である。
「私は領主なの……ここで一番偉いんだからね……」
最高級の羽毛布団、その心地良さにルナが思わずうっとりと目を閉じる。
いかに聖女と言えど、これ程に柔らかいベッド(?)は経験した事がないだろう。これもまた、大帝国が作り出した最高品質のものである。
寝心地の良さと、柔らかさを何処までも追求した変態品質といっていい。
「何なの、この柔らかいの……信じ、られない……」
ルナが柔らかさを楽しむように何度か寝返りをうち、そのお尻が魔王の左手に軽く触れる。途端、ルナが悲鳴を上げた。
「あ、あんた! 今、私のお尻を触ったでしょ!」
「お前はどんだけ冤罪をバラ撒くんだ」
「い、言い訳したって無駄よ……! この悪い手は預からせて貰うわ!」
「おいおい……」
ルナが魔王の左手を掴み、それを枕にする。
始めからそうして欲しかったのか、何なのか――
「な、中々の固さじゃない……け、血管もピ、ピクピク動いてる……」
「揃いも揃って、妙な言い方ばっかすんなっ!」
寝室では妙な言い合いが続いていたが、それから数日後。
遂に社交界の重鎮である、マダム・エビフライが村へと訪れた。
部下やバニーが必死に働いている中、美少女二人をはべらす魔王。
やはり、この男は邪悪な存在だった(歯軋り)