願いの祠
長髪の男が、年端も行かない子供をおぶって歩いている。
それだけ聞けば親子のようにも思えるが、男の姿が異様であった。この世界では珍しいとも言える黒い髪をしており、それが女性のような長髪ときている。
トドメに全身の服まで黒尽くめであり、見る者が見れば悪魔か死神のようにしか思えないであろう。
「願いの祠とか言ってたな? それはアレか、賽銭でも投げて手を合わせるような場所なのか?」
「僕も詳しい事は分かりませんが、その祠の力を借りて、智天使様は悪魔王を封印されたと聞いています」
その言葉に「オカルトかよ」と、魔王が小さく呟く。
彼はてっきり神社か何かの親戚のように思っていたのだが、どうも違うらしい。
そもそもの話として、智天使だの悪魔だの言われても、ピンと来ないのだろう。
中の人とも言える大野晶は宗教には無関心であり、無神論者に近い。
九内伯斗に至っては、神とは何ぞやと問われれば――それは即ち“自分”であると答えるだろう。
どう考えてもファンタジー世界で生きるには不適格としか言いようが無く、異端審問などがあれば、真っ先に火炙りにされるべき男達であった。
「何だか、行っても目ぼしいものは無さそう気がしてきたな……」
「そ、そんな事はありません! 来訪者の願いを叶えるって言い伝えがあるみたいです」
そう言いながら、アクが首に回した手の力を強める。
魔王の歩くスピードが恐ろしく速いらしい。振り落とされない為であろうが、どうも態度を見ていると、それだけでは無さそうだ。
「こ、こんなに、誰かと触れ合ったのなんて、その、はじめて、です」
アクが背中に顔を押し付けるように言ったが、それを聞いた魔王は片眉を上げる。
(こいつの性別って、未だにさっぱり分からんのだが……)
「ま、魔王様が祠に行かれればきっと、世界を支配する力とかが!」
「要らんわ、そんな力!」
既に大人としての態度が崩れつつある魔王であったが、ようやく目的地へと辿り着く。人気のない森の中でも、更に人が近寄らぬであろう空間。
それは大きな岩肌にポッカリと空いた――洞窟であった。
■□■□
(おいおい、この匂いって……)
洞窟に近づくにつれ、異臭が鼻をつき、魔王が顔を顰める。
「アク、ここで待ってろ。中は危なそうだ」
「は、はいっ!」
匂いの原因はすぐに分かった。洞窟の奥に、人の死体が散らばっていたのだ。
大きな爪で体を裂かれたような死体や、細切れになった体の一部、黒焦げになっている死体、それらが流す大量の血や、腸からバラ撒かれた糞尿などが混じり合い、酷い異臭を生み出していた。
(黒魔術の儀式かっつーの)
それらの死体を見下ろすように、一つの石像が鎮座している。
見るからに邪悪さが漂っている像であり、これが動き出して人を殺したのかと思える程だ。願いの祠と言う名称と、この有様は余りにも乖離しすぎていた。
魔王が更に足を一歩進めた瞬間、像の目が赤く光る。
その姿を見て魔王の右手がナイフへと伸びたが、像はそれっきり動く事はなく、むしろ、その目は侵入者の全身を観察しているようであった。
動く筈もない像の口が開き、何事かを呟く。
「なるほど――確かに“魔王”である」
「……ん?」
「幾多の願いを叶えてきたが、恐らくはこれが最後になるであろう」
「ちょ、ちょっと待て……お前は何を知ってる? もしかしなくても、俺を呼んだのはお前か?」
魔王の問いに像は暫く沈黙していたが、やがてその口を開く。その返答は魔王に取っては極めて重大であったが、像はあっけなく口にする。
「我ではなく――そこの者達と言うべきか。“魔王を降臨”させよ、とな」
「こいつらが……!? さっきの化物もこいつらが呼んだのか?」
「あれはとうに自力で復活した――奴のお陰で、我の力は尽きかけておる」
「尽きるって……なら、その前に俺を元の世界へ戻してくれ」
像の返答は実にシンプルであった――「それは出来ない」と。
酷く断定的な口調に、魔王が頭を掻き毟る。
「何で出来ないんだよ。賽銭でも欲しいのか? それとも、ここの連中みたいに死体を捧げろ、とか言い出すんじゃないだろうな」
「そこな死体は、グレオールがやったものよ。それに、願いに“反する願い”は叶えられぬ――」
魔王の降臨を願われ、叶えた――それを反故にするような願いは叶えられないと言う事だろう。ある意味、律儀であった。
「とは言え、お主が最後の来訪者であろう――これを与える」
像から禍々しい指輪が現れ、魔王の指へ強制的に嵌められた。そのおぞましいデザインを見て、魔王が必死に外そうとするが指輪はビクともしない。
「お前、ふざけんなよ! こんな指輪着けて歩くとか、罰ゲームだろうが!」
「お主の願いが――叶う事を祈る――」
「この邪神野郎っ……ちょっと待てよ!」
「我とて、元は白き姿であった――長きに渡る、人間達の邪悪な願いがこの身を変えた」
その言葉を最後に像がボロボロと崩れ出し、遂には砂となって台座から零れ落ちていく。その姿を見ても魔王にはどうする事も出来ず、その崩壊を呆然と見守るしかなかった。
「はぁ……こんな指輪だけ貰っても、どうすりゃ良いんだよ」
右手の中指に着けられた指輪を見て、魔王が項垂れる。
どれだけ力を入れようと、何をしようと、全く外れないのだ。見た目もそうだが、完全に負のアイテムであった。
「管理者権限――《アイテム鑑定》」
魔王がブツブツ言いながらアイテムの鑑定をし、更に項垂れる。
これが“呪いの属性”を持つアイテムなら、解呪するアイテムを使って外そうとしたのだが、アテが違ったらしい。
「何で普通のアイテム扱いなんだよ……その上、鑑定にもSP使うとか……」
魔王の溜息は終わらない。
これでは願いの祠どころか、溜息の祠だ。
洞窟の外へ出ると、アクが笑顔で「どうでした?」と話しかけたが、魔王は仏頂面のままであった。
「やっぱり世界征服でしょうか? それとも、酒池肉林とかですか?」
その言葉を聞いた魔王は無言でアクの首に手を回し、がっちりとロックする。
そして、おもむろに軽いゲンコツを頭へと見舞った。
「ヨガッ! ヨガッ!」
「痛い痛い! 止めて下さい、魔王様!」
■□■□
(どうしたもんだか……何処かの街にでも行って、情報を集めるべきか?)
“俺”は長い髪を後ろへ跳ね飛ばしながら、思考に耽る。
知らない事、分からない事が多すぎるのだ。
このまま何も知らずにいたら、思わぬ落とし穴に嵌りかねない。こんな辺鄙な森に居るのも、そろそろ潮時だろう。
(あの死体からは何も見つけられなかったしな……)
思い出すだけで、吐き気がしそうな光景だった。
GAMEの中ではいつでも死体が溢れていたが、現実で見るのとは違いすぎる。さっきの悪魔とやらがあの光景を作ったと言うなら、消しておいて正解だった。
あの悪魔は、生きているだけで死体を量産したに違いない。
「アク、この辺りに大きな街などはあるか?」
「はい……ですが、その前に僕の村へ寄って貰えませんか? 少ないですけど、持ち物とかもあるので……」
「うん? お前、付いてくる気か?」
「だ、ダメでしょうか……その、生贄に出されたのに、また戻って生活する訳にもいかなくて……うぅ……」
アクの言葉に頭を抱えそうになったが、悪くない提案だと思い直した。
何せ、自分はこの世界の事を知らなさ過ぎる。この世界の住人が隣に居れば、何かと心強いだろう。
それに、これまでの話を聞いてる限りでは、アクはその村に居てもロクな目に遭わないだろうしな。
「分かった、先にお前の村へ行こう。近いのか?」
「ありがとうございます! 魔王様の足ならすぐです!」
こうして再度、魔王が子供をおんぶして歩く図が出来上がった。
魔王は「子連れ狼じゃあるまいし……」などとぶつぶつ言っていたが、アクの頬は緩んでおり、心なしか嬉しそうであった。
■□■□
(この際だ、村に行くまでに色々と聞いておくか……)
道中、様々な疑問や質問をアクへぶつけてみる。
今更ではあるが、日本語が通じるようだし、メモ帳に書いた日本語や数字、アルファベットなどを見せたりもしたが、問題なく読めるようであった。
何らかのフィルターでもかかっているのか、元から日本語が通じる世界なのか、その辺りまでは分からない。
「ま、通じるならそれに越した事はない……この歳になって異世界語の勉強なんて真っ平だしな」
「……? とても綺麗な文字で読みやすかったですよ?」
そう、メモ帳に書いた文字は恐ろしい程に達筆だったのだ。
俺ではなく、九内の字が綺麗なのだろう。流石は高官という設定だけはある。
自分の字が汚い分、妙な所で敗北感を覚えてしまった。
「しかし、生贄とはまた前時代的なもんだな……この辺りでは、そういう風習でもあるのか?」
「悪魔王が何年か前に復活して、この辺りを荒らしまわったので……周辺の村から順番に生贄を出す、ってなったみたいです……」
「よく分からんな……お前の言ってた“国”は何もしないのか? 討伐なり何なりしても良さそうなものだが」
「この辺りは、神都から遠く離れた地なので……」
要するに“都会”から見れば、どうでも良い土地って事か?
日本でも限界集落だの、離島だの、ニュースでたまにやっていたが、あんな感じなのかも知れない。
「あの、魔王様は……何処からいらっしゃったのですか?」
何と答えるべきか一瞬、迷う。
日本と言っても分からないだろうし、まして大帝国など余計に意味不明だ。あれは自分の妄想が作ったゲームの世界であり、現実には存在しないのだから。
「ま、まぁ……遠くと言っておこうか」
曖昧に言葉を濁し、足を早める。ありのままに話しても誰も信じないだろうし、良くて狂人と思われるのがオチだろう。
「ぁ、魔王様、あの柵の向こうが僕の村です!」
「あれか……」
いつの間にか“魔王”と呼ばれる事に慣れつつある自分が怖かったが、柵の向こう側の光景はもっと怖かった。ゴーストタウンと言うより、まるで怪談に出てくるような、寂れた村が目の前に広がっていたのだ。
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装備品 ―― 魔王の指輪
座天使が残した最後の奇跡。
世に混沌と破滅を齎せば、数多の願いが叶うだろう。
地に光などなく、無からの再構築が望ましい。
管理者権限 ―― アイテム鑑定
時間の経過により、権限が復活。
SPを1消費する。
アイテムの名称と属性を判明させる程度で、詳しい事は分からない。
上位アイテム鑑定の権限も存在するが、まだまだ先は遠そうだ。





