正義漢
――聖城前
二箇所を襲撃したサタニストの残党が続々と聖城前へと集結する。
高級地区と一般地区に其々、かなりの被害を与えたが、サタニスト側の被害も馬鹿にならないものであった。
何より一番の想定外は、商業地区を襲撃した集団が一人も帰ってこなかった事であろう。
本来であれば、襲撃は一定の時間で切り上げ、聖城前で逆十字を三つ重ねて使う予定であったのだから。
その一つを失う事は、計画に大きな狂いを生む。
片方はクイーンから、もう片方からはミンクに追い立てられるようにしてサタニストが押し込められていく。
二人の指揮官が目を合わせて頷き――逆十字を片手にありったけの声で叫ぶ。
「悪魔召喚――――!」
逆十字からびっしりと棘が生え、指揮官とサタニストの集団を黒い霧が包み込んでいく。
それはカーニバルを召喚した時よりも大きく、力あるものだ。
およそ700名の命と二つの逆十字を元に、上級悪魔が姿を現した。
――闇公爵オルイット
カーニバルとは違い、上品な燕尾服のようなものを身に纏った力ある悪魔だ。
青白い肌には傷一つなく、その顔も非常に整っており、その頭髪は腰まで届きそうな長さである。その色も透き通ったような白色であった。
その背には美しい黒き羽が生えており、貴族よりも貴族らしい風貌である。
「おや、随分と忌まわしい場所に呼ばれたものですね」
オルイットが目の前の“聖城”を見て、眉を顰める。
そこは長い年月をかけ、智天使と多くの天使が心血を注いで作り上げた聖なる結界が何重にも敷かれており、悪魔にとっては苦痛極まる場所であった。
オルイットにすれば、近くに居るだけでどうしようもない脱力感と不快感が込み上げてくる。
それもその筈であった――この結界は力があればある程、その光と強度が増すように敷かれているのだから。
「本当に、不愉快ですよ――」
であるのに、オルイットはこの場から立ち去らない。目の前の気配が、この城が、憎くて仕方が無い。
今すぐにでも粉々にしてしまいたい。この結界をブチ破り、中をメチャクチャに破壊したいという衝動が抑えられない。
違う――抑えようとも思わない。
「闇公爵だと……何がどうなってやがる……」
駆けつけたクイーンが、オルイットの姿を見て絶句する。
間違っても、“それ”は人の世界に現れて良いような存在ではなかった。だが、オルイットの方もクイーンを見て顔を歪める。
只でさえ不愉快であるというのに、更に不愉快が重なってしまった。
「その上、忌まわしい天使の犬ですか……《公の威風》」
「カスども、目ぇ閉じろ――ッ!」
オルイットの目が紅く光り、それを見たクイーンが叫ぶ。
瞬時に相手のスキル発動を察知したのだが、その声は一瞬遅く、クイーンの後ろに居たフジや騎士団の連中が一斉に吹き飛ばされた。
「私は、蟻が二本足で歩く事など認めていませんよ――?《美獄の地》」
悪魔が、悪魔特有のスキルを発動させる。
カーニバルよりもその範囲は広く、聖城を除いたこの辺り一帯に不可視の閉鎖空間が作り上げられた。
「てめぇら! 全員、聖城の中に入れ――ッ!」
「おやおや、そんな事を私が許すとでも?」
オルイットが聖城の前で両手を広げ、やれやれと首を竦める。
見た目が美しいので、どんなポーズを取っても絵になる悪魔であった。だが、その美しい顔が再度歪む。
非常に強い、聖なる力を宿した存在が現れたからだ。
「闇公爵とはね……やはり、闇と闇は引き寄せ合う運命なのね」
Sランク冒険者、スタープレイヤーのミンクであった。
彼女も聖素を扱えば大陸でも有数の存在である。
聖女と、スタープレイヤー、更に聖城の結界。
オルイットにとっては、ちょっと考えられないくらい不利な状況である。
だが、彼は退かない――この城から感じる、忌まわしい気配をこの手で引き裂かなければ気が済まないのだ。
まるで退く気配を見せないオルイットを見て、クイーンがフジのもとへと行き、その大きな体を足で引っくり返す。
「……久しぶりに使うか」
クイーンがフジの背中に背負われていた、神槌シグマを握る。
高い攻撃力だけでなく、簡易な魔法まで使える大陸有数の伝説武器と言っていい。手にした瞬間、クイーンが“それ”をオルイットへと叩き付ける。
オルイットは神槌を手刀で弾いたが、その顔が痛みに歪む。上級悪魔が顔を歪めるなど、人間とは思い難い程の一撃である。
「何とも品のない女性ですね――《暗黒光線》」
無詠唱でオルイットが強力な第四魔法を放つ。だが、クイーンの手にした神槌がそれを拒むように光を放つ――!
「ちゃっちゃと俺を守れ――《光壁/ライトウォール》」
ありがたい伝説武器に対し、まるで奴隷に命ずるようにしてクイーンが吐き捨てる。
光の壁が黒き光と衝突したが、防ぎきれずにその体を貫く。間髪を容れず、オルイットは次の魔法を放とうとしたが、横から入った邪魔に魔法をキャンセルする。
ミンクが駆け寄り、手にした十字の武器を振り下ろしたのだ。
オルイットは両手を盾にしてそれを防いだが、その両手から白い煙が発生した。ミンクが手にしているのは、悪魔にとって非常に厄介な武器。
触れただけで悪しき存在にダメージを与える星の十字杖と呼ばれる、これまた特異武器であった。
聖素を扱う彼女にとって、相性は抜群である。
「ハハッ――やるじゃねぇか、乳デカ女!」
「ち、乳って……あなたね……!」
「人間どもが……」
オルイットにとって、そこからは防戦一方の展開となった。
とにかく、相性が悪い。その上、場所まで悪い。
本来の彼なら、こんな場所では決して戦わず、即座に別の場所へと移動して戦おうとしただろう。
だが、冷静な彼ですら腹の底から込み上げてくる激情を抑え切れなかった。
遺伝子にまで刻み込まれた、悪魔にとっての怨敵とも言える存在――その本拠地が目の前にあるのだから。
クイーンが接近戦を仕掛けたのを見計らい、ミンクが更に詠唱を重ねる。
「我、鮮血の黒を纏う者――《天使の聖衣/エンジェルクロス》」
ミンクの全身に聖なる鎧が浮かび上がり、その忌々しい光にオルイットが呻き声を洩らした。見ているだけで魂が削られるような光である。
対悪魔に強力な補正を付けたミンクも、クイーンの横に並び、手にした武器をオルイットへと叩き付けた。
聖素がオルイットの体を蝕み、逆にオルイットの闇素も二人の体を蝕む。
一閃、二閃、三閃――ぶつかり合う度に三者ともに傷付いていく。互いの相性を考えると、殆どノーガードで殴り合っているようなものだ。
だが、あらゆる不利な状況がオルイットを時間と共に追い込んでいく。
このまま時間が経過すれば、二人は勝利を掴む事が出来たであろう。
だが――べちゃり、と。
空から黒い液体が降ってきた。
見上げると、そこには宙にぷかぷかと浮かんでいる少女が居る。その手に持った箱から落とされたのは“奈落”であった。
地表を走るようにして黒い液体が広がり、一瞬で二人の足元を浸す。
「クソ……また奈落か、よ……」
「嘘でしょ!? 何で、奈落がこんな所に!」
二人の腰から力が抜け、その場に倒れ込む。
多くの力を吸った所為か――奈落の“強さ”は、以前よりも格段に強くなっていた。
「この、人間、どもがッ!」
蹲ったクイーンへオルイットが蹴りを放ち、その体が大きく吹き飛ばされる。
続けざまにその右手の爪を大きく伸ばし、ミンクの体を切り裂いた。
「これで、終わりですよ――《暗黒獄光線》」
オルイットが凶悪な第五魔法を放ち、二人の体どころか、背後の家屋ごと貫き、聖城前に並んでいた直線上の建物が次々と倒壊した。
「結界があるから勝てる、とでも思ったのですか――人間風情が」
オルイットの放った言葉に、二人は反応すらも出来なかった。
聖女とSランク冒険者の敗北に、周囲が静まり返る。
しかも、オルイットの傷付いた体は奈落の影響か、みるみるうちに修復されていくのだ。
「クイーン!」
「来るな、姉貴……結界を維持してろ……ッ!」
たまらずホワイトが聖城の入り口まで出てきたが、クイーンが大声を張り上げる。聖城の結界は、聖女が完全に不在となると効果が薄れてしまう。
この状況でそんな事になれば、聖城は陥落してしまうだろう。
「さて、素敵な饗宴を始めましょうか。私を苛立たせた罪は重いですよ?」
オルイットがクイーンの腹部へ足を振り下ろし、骨が砕ける音が響いた。
彼はそのままミンクの首を掴んで持ち上げると、その全身を執拗なまでに殴る。殴る。殴る殴る殴り続ける。
もっと効果的に、効率よくダメージを与える方法はごまんとあるのだが、その忌々しい鎧を自らの手で踏み躙りたいのだろう。
「あ、貴方の闇なん……て……私に……」
「黙れ、小虫」
奈落が刻一刻と広がっていき、聖城前には容赦の無い打撃音が響く。
相手を楽に殺さぬよう、一発一発を計算した攻撃であった。オルイットは非常に理知的で冷静であったが、その本性はどうしようもなく“悪魔”である。
■□■□
(何だ、ありゃ……冗談じゃないぞ……!)
ようやく聖城前に着いた魔王が、眼下に広がる光景を見て頭を抱える。
安全に状況を見れそうな、聖城近くの時計台へ入り込んだのは良いが、真っ先に目に飛び込んできたのは、あのイカれたヤンキー女であり、次に入ったのが得体の知れない化物であった。
魔王がそれを見て、また悪魔かと目星をつける。
(それに、あの格好……あれが最後の聖女か)
城の入り口で何かを叫んでいる聖女を見て、魔王の背筋が震える。
あれも見た目だけはとんでもない美人のようだが、この男の感覚ではもう聖女がまともな筈がない、という強烈な先入観があるのだろう。
実際、ルナやクイーンを見てきた彼からすれば当然の判断であった。
(クソッタレが……今更、あんな化物に好き勝手にされて堪るか!)
調べものもあれば、事業も始めようとしている。
こんな状況で、この国がメチャクチャになってしまえば元も子も無い。かといって、その後の面倒な事態を考えれば容易く出る事も出来ない。
(ぁ……!)
その時、魔王の頭に電流走る――!
(そうだ、面倒な聖女なんぞ“あいつ”に押し付ければいいじゃないか)
脳裏に浮かんだのは、時代錯誤な暴走族野郎。
しかも、あのヤンキー聖女は明らかに零に対して好意らしきものを抱いているようでもあった。
まさに、割れ鍋に綴じ蓋というやつだろう。
一気に面倒事から解放され、魔王がウキウキ気分で管理画面を呼び出す。
(どうせ時間が経ったら戻るしな。これで世はなべて事もなし、ってやつだ)
魔王の決断と共に、時計台の屋根から辺り一面を照らすような白き光が放たれた。それはまるで、神話の一幕のようでもあり、闇を払う光そのものであった。
オルイットがその光に目を細め、周辺で震えていた数万にも及ぶ住人達ですら天使様が降臨したのかと目を剥いた。
光の後に現れたのは――純白の特攻服の背に、巨大な銀龍を背負った男。
天使でも何でもない、“暴走族”であった。
銀色に染め上げられた髪が揺れ、誰の目にもその“龍”が目に眩い程に映る。
「零さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
その姿を見て、周囲の目も気にせずクイーンが叫ぶ。
満身創痍の体であるというのに、完全に痛みすら忘れているようであった。
その姿を見て、零が軽く笑う。
零から見た彼女は、いつも黒い液体(?)に浸され、蹲っているのだ。
「何だ、おめぇ……また“虐め”られてんのかよ」
零からすれば、こんな状況は訳が分からないものだ。
見渡す限り見た事のない街並みばかりであり、笑ってしまう事に、目の前には西洋の城っぽいものまであるのだ。
目に入る人間も、全て外国人である。GAMEへの参加者は“外国人”が多かった事もあり、彼の脳内は一つの結論を導き出す。
「これもクソ帝国の新しい“会場”か……。変なバケモンも居るしよ」
大帝国なら、何をしてもおかしくない。
あのイカれた国は、イカれた人間を集め、イカれた武力で世界をメチャクチャにしていったのだから。
GAMEの後半期には人間だけでなく、様々な動物にまで実験を施し、キメラのようなそれらを会場に解き放っては参加者を襲うように仕向けていたのだ。
大帝国がどんな“化物”を作ったとしても、あの世界の住人なら驚きもしない。
「貴様は……何だ。一体、何処から来た?」
オルイットが思わず問いかける。上級魔族の目から見ても、何か得体の知れないものを感じさせる、不気味な存在であったのだ。
零はその問いに答えず、軽々と屋根から飛び降りると、無言でオルイットへと近付いていく。
その歩みを、驚くべき事に奈落が避けた――
黒い液体を割るようにして、“龍”が進む。
聖城の前に居る全員が、その姿を固唾を飲んで見守っていた。
オルイットに近付く度、“龍”の眼光が鋭くなり、遂には額と額がぶつかる程に接近し――ニヤリと龍が笑った。
「臭ぇな、てめぇ――“人殺し”の匂いがすんゾ?」
オルイットが無言で爪を振るう。零はそれを屈んでかわすと、その腹へ無造作に蹴りを叩き込んだ。
誇りある上級魔族の体が数メートル吹き飛び、その高貴な服に土足の跡が付く。
「き、貴様……ッ!」
零の体からは既に青白い炎が迸っている。
《狂乱麗舞》を発動させているのだろう。だが、彼の真骨頂はそこにはなく、本来は“別の所”にある。
まるでそれを誇示するかのように――
何と、戦いの最中であるにも拘らず、彼はオルイットに背を向け、その龍をまざまざと見せ付けたのだ。
「天下無敵の看板背負い、辿り着いたは修羅の道――!《正義漢》」
(相手の殺害数1に対し、5ダメージの上乗せ。上限50ダメージ)
零が時代錯誤としか言いようが無い大音声を放ち、その体が紅い炎に包まれた。
戦闘スキル《正義漢》の発動である。
「何と下品な……今のは詠唱のつも――あぐげぇぇぇぁあああぁぁぁッ!」
次はオルイットが“下品”な叫び声をあげた。
零の左拳が、いつの間にかその腹部に突き刺さっていたのだ。
間髪入れず、右拳が唸りを上げながらその顔面へとぶち込まれる――!
オルイットの体が地表を削りながら吹き飛び、後ろにあった無人の聖堂へと激突する。
余りの衝撃に耐えかねたのか、聖堂の壁にいくつものヒビが入り、遂に建物全体が悲惨な音を立てて倒壊した。
「ぐ……ぁぎ……っ!」
瓦礫の中から這い出てきたオルイットの姿は、凄まじいものであった。
その髪は乱れに乱れ、その高貴な服は土に塗れている。
何より、その眼から――“涙”がこぼれていた。
闇公爵とまで謳われる上級悪魔が、人間の前で哭く。その姿に周囲の人間が言葉を失う。
「女を泣かす屑が――――てめぇがどんだけ“弱ぇ”か教えてやる」
零が凶暴な笑みを浮かべ、その右腕をぐるりと回す。その颯爽たる姿に周囲から異様などよめきが溢れ、もはやこらえる事が出来なくなったのだろう。
遂に――数万にも及ぶ観衆から、一斉に大歓声があげられた。