童話遊戯
――サタニスト 本拠地
「一体、どうなっている……! 使うタイミングが早すぎる!」
ユートピアが怒りを含んだ声をあげ、玉座に拳を叩き付けた。
これまで声を荒げる事など殆ど無かった男である。そんなユートピアが激昂している姿に、隣の少女が小さく体を震わせた。
「マージめ……何を血迷ったのかッ!」
「き、きっと……不測の事態とかが起きたの……」
ユートピアが、横で震えている少女に冷たい蛇のような視線を送る。
言葉にはせずとも、目が物語っていた――この出来損ないが、と。他者の感情を“色”で見てしまう少女はつい目を伏せる。
そこには見たくもない――“悲惨な色”が見えたからだ。
「トロン……あれを持って残りの二つを聖城の前で使え、と伝えてこい。それぐらいは出来るだろうな――混ざり者の出来損ないでも」
「……う、うん」
黒いゴスロリ服を着た少女がトボトボと歩き、一度だけ玉座を振り返った。
少女は“何か”を期待したのかも知れない。
だが、返ってきたものは至って冷淡なものであった。
「さっさと行け――目障りだ」
まるで犬でも追い払うようにユートピアが手を振り、顔を背ける。
視界にも入れたくない、といった姿であった。
彼のように強大な力を持ち、尋常ならざる地位に居る“悪魔”にとって、混ざり者など存在そのものが不快なのだ。
戦力が不足していなければ、この少女などユートピアの手で五体を引き裂かれていただろう。
この少女もオルガンと同じ混血児――“魔人”であった。
■□■□
一人の道化がアルテミスへと近付いている。
言葉の比喩ではなく、彼は本当にピエロのような格好をしているのだ。彼は指示されていた集団から勝手に離れ、独自の行動を取っていた。
その足取りは非常に軽い。
ずっと付け狙っていた聖女が、何と無防備にも護衛すら連れず、単独で食事を楽しんでいるというのだ。
それを聞いた瞬間、彼は集団から離れ、聖女を暗殺すべく動き出した。
「お馬鹿な聖女も居たものねぇ……」
彼の名はカーミヤ。
裏社会ではちょっと名の知れた暗殺者である。その派手な格好で周囲を油断させ、様々なパーティーや舞踏会に入り込んでは標的を殺す事を仕事としていた。
彼の扱うものは様々な毒薬や、吹き矢。遅効性のものが多いので、誰が犯人なのか分からぬまま、まんまと会場を抜け出し、仕事を続けてこられたのだ。
今は食う為にサタニストの集団へと入り、様々な貴族を対象としている。
聖女は、その筆頭であると言っていい。ただ、彼はサタニストの集団に居る者としては異質であり、別に悪魔を信奉している訳でも何でも無い。
あくまで食う為のものであり――“ビジネス”であった。
「ここがあの女のハウスね……」
カーミヤが意味不明な言葉を吐きながら、アルテミスの扉を開ける。
店には大勢の客……それも貴族が居たが、何の問題も無い。
むしろ、カーミヤにとっては非常に好都合であった。
貴族などの立場の高い人間ほど、道化を好む。人ではなく、言葉を解する猿か何かのように思っているのだろう。
遠慮無く馬鹿にし、見下し、憐れみと共に小銭を放り投げる。道化は、彼ら貴族の自尊心を満足させる大切な存在なのだ。
「まぁ、何て尊き方々が集まっていらっしゃるのかしら! わたくし、目が潰れてしまいそうですわ!」
カーミヤがよろけながら、両手でわざとらしく目を塞ぐ。余りの眩さに目を開けていられない、と言った仕草である。
その剽げた動きは堂に入ったものであり、貴族の子供らがケタケタと笑う。
「余りの眩さに、わたくしの目から高貴な薔薇が……!」
一体、何処から出したのか――カーミヤが目から手を離した瞬間、両手に美しい薔薇の花束が現れ、その花弁が店内へと華麗に舞った。
思わぬ妙技に、店内から拍手が沸き起こる。
店内の客からすれば、これは“店の配慮”である、と思ったのだ。
「流石はアルテミスだな。このような事態であるというのに、客を安心させる為に道化を呼んだらしい」
「うむ、貴族たる者、このような時こそ堂々と構えていなければ」
「こんな騒ぎに怯えていては、我らの勇敢なる先祖に笑われようぞ」
貴族とは自尊心と見栄の塊である。
隣のテーブル客が悠々と道化を楽しんでいるというのに、自分が怯えていては沽券に関わる、と考えたのであろう。
内心では外での騒ぎに恐怖を感じているにも拘らず、彼らはそれを誤魔化すように、場違いな程の拍手や口笛を鳴らした。
カーミヤもそれに“乗る”形で次々とテーブルを回っては剽げた仕草で笑わせ、時には被った帽子から鳩を出し、遂には貴族から渡された銀貨を一瞬で金貨に変えるなど、手品の妙技を尽くして拍手喝采を浴びた。
よもや、この男が暗殺の為にこの店に来たなど、誰も思いもしないであろう。
そして、遂に彼は聖女が居るテーブルへと辿り着く。
彼にとって予想外だったのは、そこに社交界の重鎮であるマダム・バタフライまで居た事だ。人を見る目が非常に厳しく、その観察眼は決して侮れない。
カーミヤは内心、白刃の上を裸足で歩くような緊張感を覚えた。
だが、本当に警戒すべきはマダムの方ではなく――妖艶なまでの美しさを持つ、美女の方であったのだ。
「とても愉快な道化さんね。私からも一つ、手品を披露しても良いかしら?」
「あら、こぉんな美しい方が手品まで出来るなんて! わたくし妬いちゃう!」
カーミヤがおどけた仕草でハンカチを噛み、その姿に店内の客が大笑いする。
この男は実際、暗殺者でなくとも、この道で食っていく事が出来るだろう。おどけながらも、聖女から決して目を離さなかった彼だが、その目が固まる。
自分の“右腕”が何処にも無かったのだ。
「へ……あ、あらぁん……わたくし、の……」
何が起こったのか分からず、唾を飲み込んだ瞬間、次に左腕が消えた。
それも、肩の付け根からバッサリとだ。
「や、やぁね……なんで、うで、が……」
痛みが無い。
血の一滴も流れていない。
でも、腕が無い。
動かそうにも、感覚が無い。
思わずカーミヤが叫びそうになった時、美女が優しく問いかけた。
「――貴方が落としたのは右手? それとも左手?」
美女が嗤う。
その手には其々、自分の両腕が握られていた。
美女は傍目から見れば、どんな男であっても堕ちるであろう魔性の笑みを浮かべている。知らず、カーミヤの心臓が強い鼓動を打った。
勿論、恋心などという甘いものではない。濃厚な“死”を感じたのだ。
それも、絶対に逃げる事が出来ない類のものを。
「りょ、両方……かしら……」
「あら、欲張りなのね。でも、今日は特別にサービスしちゃう」
《――神の手:縫合》
一体、何がどうなっているのか――? 切り離された両手が元に戻っていた。
カーミヤの全身から、滝のような汗が吹き出てくる。
「あら……ごめんなさい、右と左を間違えて付けちゃったみたい」
「ちょ、ちょっと! そんなの笑えないわよぉぉッ!」
カーミヤの叫びに、店内の客が手を叩いて大爆笑する。
彼らはまさか、本当に腕が切り離されたなど夢にも思っていない。これも手品の一種であると思っているのだ。
むしろ、カーミヤの“仕込みの妙”に感嘆する者が多かった。
「あの道化、大したものではないか……今度、我が邸宅にも呼んでみるか」
「パパ、ウチにも呼んでよぉ!」
「うむ、子爵の御家族を招待し、パーティーを開くのも悪くないな」
「あれは何処の店から来た道化だ? 今度の舞踏会の目玉にするか」
カーミヤの知らない所で、どんどん話が大きくなっていたが、本人の心境は悲惨の一言である。本来、右手がある筈の場所に左手が付いているのだから。
間違えた、などで済む話ではない。
この荒唐無稽すぎる姿こそが、余計に手品と思われる要因でもあったが。
「じゃあ、お姉さん……次はちゃんと付けちゃう。良かったわね、道化さん?」
「は、は、ぁ”……! つ、付いてる! 私の手、付いてる!」
両手が元の位置に戻され、カーミヤは安堵の余り、両手を高々と突き上げる。
圧巻とも言える見事な手品を成功させた道化に、店内から万雷の拍手が送られた。アクやルナも笑顔を浮かべて拍手し、マダムまで思わず笑っている。
テーブルの人間は人間で、どうせ魔王の仕込みであると思っているのだ。現に悠が、道化の耳に何かを囁いている。
「次は落とさないようにね、道化さん? 後、懐の毒薬――酷く匂うわ。人を殺したいなら、もっと良い物を使わなきゃ。ね?」
「は、はい……」
「次、視界に入ったら生きたまま“活け造り”にしちゃうから気を付けて」
カーミヤが高速で首を縦に振る。その様はまるで壊れた人形のようであった。
実際、彼女は何の躊躇も無く、嗤いながら“それ”を行うであろう。僅かな接触ではあったが、カーミヤはそれを肌で感じる事が出来た。
その後、カーミヤはぎこちなく店内の客へと手を振り、投げられた大量のチップを皮袋へと詰め込み、店を後にした。
(出なきゃ、逃げなきゃ……一刻も早く!)
カーミヤはその後、狂ったように北へと馬を走らせ、そこでも安心出来なかったのか、更に都市国家にまで逃げる羽目となった。
“魔女”と遭遇して命が助かるなど、彼は古今稀な強運の持ち主であろう。
こうしてアルテミスでの騒ぎは一段落付いたが、騒乱の大本は未だ健在である。
残り二箇所の襲撃地点でも異変が起きていた。
悠姉さんの可愛い手品ショーでした。
これには店内の客も、思わずニッコリ(笑)