悪魔 VS 魔王
「この呪われた地に……災いあれ……」
マージがそう呟いた瞬間、手にした逆十字からびっしりと棘が生える。
それらがマージの掌を貫き、鮮血が迸った。
「父さん……すまなかった……」
マージは故郷の父を想う。
腕の良い靴職人だったが、不況の煽りを受けて注文が激減し、遂には廃業に追い込まれてしまったのだ。
そこからの父は酒に溺れ、家の中で暴れ回り、マージにも度々暴力を振るうようになった。
まだ若かったマージはそんな生活に耐え切れず、遂には父を刺し殺して村を飛び出したのだ。
転げ落ちるような転落の中、マージを拾ったのがサタニストの集団であった。
この時代、何処にでもある話であり、よくある話でもある。
逆十字から赤黒い煙が立ち昇り、マージの全身を包む。
それは自身を贄として悪魔を呼び出す儀式。赤黒い煙はマージだけでなく、更に後ろで蹲っている500名のサタニストの体も包んでいく。
人間如きの小さな贄では精々、呼び出せるのは下級悪魔であろう。
だが、ユートピアに手渡された逆十字が更にワンランク上の化物を誘き出す。それも、中級悪魔の中でも、極めて力の強い存在を。
「悪魔召喚――――」
血煙が一つの形となり――中級悪魔「カーニバル」が召喚された。
それらを見て、冒険者達が悲鳴をあげる。こんな事、あってはらない。
人の街に、こんな化物が現れるなどという事は。それも、ここは悪魔を退ける「神都」である!
「あら……人間なんかに呼び出されるなんて、一体何事?」
頭から生えた二本の角、黒い頭髪、焦げたような肌の色に、醜さを寄り集めて形にしたような顔。
見ているだけで体力が削られるような存在であった。
その癖、着ている服だけは場違いなまでに派手であり、金色の服のあちこちにはキラキラと光る石が無数に縫い付けられているのだ。
その背中には、奇妙な楽器まで背負っている。
「ま、いっか。美味しそうなのが一杯居るし――《美獄の地》」
カーニバルが悪魔特有のスキルを発動させ、周辺に不可視の壁が生み出された。
悪魔はまず、逃げ場を無くしてから遊ぶ事を好む。
殺すにせよ、喰うにせよ、バラして遊ぶにせよ、逃げられるというのは余り好ましくない。特にカーニバルのような人の悲鳴を歌にして、楽器を掻き鳴らすような悪魔にとっては“歌い手”の消失に繋がる。
冒険者がカーニバルを見て、慌てて逃げ出したがもう遅かった。
既に悪魔が固有の空間を作り出しており、その壁を打ち破る事など、並大抵の力では不可能である。
気付けば冒険者だけでなく、商業地域の一角、数千人にも及ぶ人間がカーニバルの作り出した空間に閉じ込められていた。
「嘘だろ、何でカーニバルがこんな所に!」
「ま、待ってくれ……俺達は只の冒険者だ!」
「そ、そうだ! 俺達は教会の人間じゃないんだぞ!」
「嫌……悪魔に食われるなんていやぁぁぁぁ!」
冒険者達が奏でる音色に、カーニバルがうっとりとした表情で目を細める。
“彼”にとって、愉悦とも言える時間であろう。
商業地区の人間達も家屋に潜み、身を震わせていた。無数の“ギャラリー”まで居るなど、カーニバルからすれば非常に好ましいステージである。
「歓迎されて嬉しいわぁん。さぁて、どの子猫ちゃんから歌ってくれるのかし――――ぎぃぃひゃぁぁぁぁぁ!」
愉悦に満ちた言葉が、途中で遮られる。
何処からか飛んできた小石が、カーニバルの角をへし折ったのだ。
余りの痛みに、悪魔が頭を抱えて絶叫する。悪魔としての誇り、叡智、それらを誇示する角が“石コロ”に砕かれたのだ。
「だ、誰がやりやがったぁぁぁぁァァ! この虫ケラがぁぁぁぁッ!」
カーニバルが今までの口調を捨て、剥き出しの声で絶叫する。
その声に冒険者達は身を小さくしたが、石を投げた本人の声は至って平静であり、まるで「明日は雨か」とでも語っているような声色であった。
「オカマ口調より――その方が似合っているな」
■□■□
「てめぇかぁぁぁぁ! このクソ野郎がぁぁぁ!」
「……何ともまぁ、品が無い。顔も悪い。声も汚い。着ている服も最悪だ。見るべき所は皆無だが、芸人として見るなら悪くないかもな」
そんな“魔王”の声にカーニバルが益々、その容貌を歪めて絶叫する。
この虫ケラには歌わせるような“贅沢”は与えない。カーニバルは即座にその頭を粉々に握り潰すべく、一歩を踏み出した。
が、その足が止まる。
それは、優れた悪魔である故に感じた、本能であったのかどうか。
魔王の口が静かに開く。
そこから紡がれる言葉とスキルの発動は――どんな悪魔であろうと、裸足で逃げ出すようなものであった。
「実のところ、悪魔とやらと会うのは二度目でね」
――生存スキル「闘争心」発動
(使用者の攻撃、防御に+10%)
「前回の“アレ”はあっけなく死んでしまったが」
――戦闘スキル「脱力」発動
(敵対者の攻撃に-10%)
「お前はどうなんだ?」
――戦闘スキル「威圧」発動
(敵対者の防御に-10%)
「後学の為にも、今回は本来のスタイルで行かせて貰うぞ」
――戦闘スキル「無双」発動
(使用者の攻撃、防御に+30%)
「カーニバルと言ったか――“準備”は良いか?」
言っている本人は気付いていないのであろう。
その体からは異様なまでのオーラが発せられており、カーニバルの体が見る見るうちに小さくなっていくような錯覚すら引き起こさせた。
逆に、本人の体は触れただけで破裂させられるような危険なものに満ちており、只でさえ圧倒的なステータスが、スキルの補正によって更に爆発的なまでに上昇している。
まさに、只の通常攻撃が――――神をも殺す状態である。
「ま、待って……待って! 素敵なムッシュ! 私が、私が悪かっ……」
「おっと、大切な事を忘れていた」
魔王のそんな言葉に、カーニバルが一縷の望みを繋ぐ。
こんな悪夢のような状況は、本来あってはならないのだから。強力な悪魔として著名なカーニバルが――“只の人間”に圧倒されるなど。
「そ、その大切な事をお手伝いさせて貰うわっ! どんな事だって私が!」
「基本態勢、変更――――《戦闘態勢》」
「応戦姿勢、変更――――《迎撃姿勢》」
カーニバルの言葉など耳に入っていないのか、魔王が基本態勢を変更する。
この態勢は敵プレイヤーを発見出来る確率こそ下がるものの、全ステータスに+補正を与えるものだ。相手がそのエリアに居ると確信している時、相手を逃げられないように追い詰めた時などに高い効果を発揮する。
対する応戦姿勢も変更し、完全な迎撃状態を作り上げた。
こちらも攻撃と防御に+の補正を与えるが、何よりの特徴は敵プレイヤーと非常に遭遇しやすくなる、という点だ。
必殺の態勢を作り上げ、敵を待ち構えて一撃で狩る。これが、魔王の本来の戦闘スタイルである。
が、カーニバルは動けない。
動ける筈もない。
一体誰が、“こんな相手”に攻撃を仕掛ける事が出来るであろうか。
「いや……こんな所で……人間なんかにごろざれるなんてぇぇぇ!」
「散々、殺してきたんだろう? 一度くらい自分が死ぬ経験もしておけ」
魔王が無造作にカーニバルへと近付き、その頭を掴む。
その後、野球のボールでも投げるかのように高々と空へ放り投げた。
巨大な悪魔が、猛スピードで空へと打ち上げられる。とてもではないが、現実のものとは思えない光景である。
商業地区の人間達も、固唾を飲みながらそれを見守っていたが、更に驚愕の光景が目の前で起きた。
魔王の手から白き閃光が走る。放たれたソドムの火がカーニバルに突き刺さった瞬間、大気を震わせるような大衝撃が発生し、夜空を赤く染め上げるような地獄の爆炎が神都の上空へ広がったのだ。
カーニバルのものと思われる、肉片や破片が辺りに降り注ぐ。
暫くの間、誰も身動きする事が出来なかった。
余りの光景に、声を上げる事すら憚れたのだ。
「思った通り――――汚ぇ花火だ」
魔王がカラリと笑った瞬間――凶悪な悪魔から解放された冒険者達が遂に喜びを爆発させた。
彼らのあげる大歓声に引き寄せられるように、閉じ込められていた商業地域の人間達も次々と街へ出ては互いに抱き合い、無事を祝い合った。
てっきり殺されると思っていた連中も涙を流し、拳をぶつけ合う。
「魔王様、万歳だ!」
「あんた、マジでとんでもねぇな!」
「あのカーニバルが子供扱いだなんて……故郷に良い土産話が出来たぞ!」
「旦那、今日は一杯奢らせてくれ!」
周囲の声に、珍しく魔王が狼狽したように辺りを見回す。
こんな展開になるなど、予想もしていなかったのであろう。だが、圧倒的な死の恐怖から解放されたのだから、彼らの反応も当たり前であった。
「ま、まぁ……私にかかれば、あの程度、造作もない事だ」
魔王がソワソワしながら煙草に火を点け、空を見上げる。
今頃になって、かなりノリノリで戦っていた事を思い出して恥ずかしくなってきたのであろう。だが、周囲の人間はそうは捉えない。
その言葉を真に受け、言葉すらも超えた歓声が周囲を包んだ。
「で、では……私は行く。他にも騒ぎが起きているようだしな」
魔王がそそくさと逃げ出そうとしたが、その前に一人の魔法使いが立ちはだかった。白き魔法使いユキカゼである。
「君は確か……」
「……おじ様に命を救われたのは二度目。恩を返したい」
「その必要は無い。私にとって、(SPを稼ぐのは)大切な事だったんでな」
「……おじ様」
その言葉にユキカゼが顔を赤くし、体もモジモジとさせる。
何か大切な言葉が抜けているような気がしたが、魔王としてはこの場を早く離れたかったのだろう。
だが、ユキカゼの乙女メーターは上がりっぱなしである。男であったが。
「……私の所為で、おじ様を二度も危険な目に遭わせてしまった」
「躊躇する理由にはならん。それ程に、(SPは)大切だったという事だ」
繰り返された言葉に、完全にユキカゼがノックアウトされる。
白く透き通ったような顔は、今やほのかにサクラ色となっており、非の打ち所のない美少女そのものと化していた。男であったが。
「……おじ様の名前を、教えて欲しい」
「おじ……わ、私は、九内伯斗と言う」
何度も繰り返される“おじ様”という単語に、今度は魔王がダウンする。
小さく「中の俺はまだ若いんだよ……」と必死に呟いていたが、喜びを爆発させている周囲へその声は届かない。
(と言っても、こんな子からすれば、三十代はもうオッサンか……)
魔王はそんな切ない事を考えながら、月を見上げる。
何処となく憂いを帯びた表情に、ついユキカゼの心臓が高鳴った。
この魔王は凄みこそあれ、その顔は決して悪いものではない。一流の悪党だけが出せる、一種の“色気”があると言って良いだろう。
「くない! クナイ! くない! クナイ! くない!」
気付けば、周りの冒険者が魔王の名を連呼していた。
吊り橋効果とでも言うのか、只のハイテンションなのか、死の危険が遠ざかった周囲の喜びは、そこへ酒が加わった事で更に大きくなっていく。
通りにある酒場の店主達が、祝いと称して酒を配り出したのだ。
(何だこれ! 冗談じゃないぞ……!)
悪い評判は消したかったのであろうが、ここまで来ると予想外であったのだろう。むしろ、この状況は罰ゲームに近い。
魔王は逃げるように屋根へと跳躍し、あらぬ方へと飛び去っていった。
「あれが魔王、か………」
ミカンが力無く呟き、その場にへたり込む。
500人にも及ぶサタニストを一瞬で屈服させ、中級悪魔すら殆ど鼻歌交じりに爆殺してしまう存在。
最早、人がどうこう出来るようなレベルではなかった。
「……私とおじ様は、赤い糸で結ばれていた」
「ま、待って! ユキカゼ……あんた騙されてるのよ、きっと!」
「……ミカン、嫉妬?」
「誰が嫉妬なんかするか! 私の好みはね、噂になってた銀の龍人みたいな正義を愛する人なの!」
「……いやらしい。性技を愛する人が好みなんて」
「何か言葉のニュアンスがちがーーーう!」
こうして無事、商業地区の脅威は跳ね除けられたが、他の地区では未だ騒乱が続いている。
更に、一人の道化が“アルテミス”へと近づいていた。
そこに、魔王へ忠誠を捧げる“恐ろしい魔女”が居るとも知らずに。