聖なる国
――聖光国 聖城
聖光国とは三人の聖女を頂に据えた国家である。
その下には聖堂教会と聖堂騎士団が同じ立場で並んでおり、外敵に対し、一致団結して国を守っていた。
教会は下は孤児から、上は大貴族の人間まで、魔法の素質がある者なら誰でも受け入れるという、間口の広い組織である。
騎士団も同じく、武の才能がある者なら誰でも受け入れる組織だ。
当然、其々に厳しい試験があり、それに合格する必要があるが、それでもあらゆる人間に対し、門を閉ざしてはいない。
これは諸国を見回しても――珍しい例と言って良い。
だが、最近では貴族の台頭が著しく、聖堂騎士団への囲い込みが進んでいた。
時には地位を、名誉を、金銭を、あらゆるものをチラつかせ、自分の子飼いのようにして取り込んでいっているのだ。
聖女の輩出には――聖堂騎士団の意見も重きをなすからである。
反面、教会の人間は買収するのが難しい。
魔法の才だけでなく、天使様に仕える身である、というのが大きく考慮される為、厳格なまでの清廉さを求められるのだ。
これを買収し、囲い込んでいくのは貴族であっても不可能であった。
故に、彼らは聖堂騎士団へと狙いを定め、自分達に都合の良い聖女を輩出させるべく、長い時間をかけて少しずつ聖域へと食い込んでいったのだ。
そして、現在――理想的とも言える聖女の輩出に成功している。
ルナ・エレガント ―― 魔法の才はあるが、政治には全く興味が無い。
キラー・クイーン ―― 戦闘に関しては理想的だが、政治にも金にも興味無し。
国のTOPが政治にも権益にも、全く興味を持っていないなど、理想的であろう。
平たく言えば、やりたい放題である。
そんな状況の中――
聖城の円卓では国を代表する貴族二人と、三人目の聖女が会議を開いていた。
「いやはや、ルナ様にも聖女としての自覚が出てこられたようで……」
男が太った体を揺らし、脂ぎった表情を崩す。
この男の名は――ドナ・ドナ。
多くの貴族を纏め上げる、聖光国で一番の大貴族であった。金と若い女には目がない、典型的な貴族でもある。
反面、貴族のあしらい方には天性の才を持っており、その統率力は中々侮れない。他にも領内に鉱山を多く抱え込んでいる為、年々魔石の価格を吊り上げ、実質的に経済を牛耳る男でもあった。
「……めでたき事」
ドナの正面に座り、短く呟いた男はマーシャル・アーツ。
貴族とは思えぬ引き締まった体をしており、何と彼は鎧まで着用していた。
歴戦の戦士、と言った方が早いであろう。その齢は六十を超えているが、白髪を後ろで一纏めにしており、その眼光は鋭い。
武断派とされる貴族を纏め上げる、もう一人のリーダーである。
「ですが、心配ですわ……魔王などと名乗る男に、あの子は誑かされているんじゃないかって」
円卓の上座に座り、ピンク色の髪を揺らしたのは最後の聖女。
エンジェル・ホワイトである。
その髪も、瞳も、唇も、全てが淡いピンク色であり、身に纏う気配すらも神々しい――その美しさは、とてもこの世の者とは思えない。
彼女を見たドナ・ドナの喉がごくりと鳴る。
下種な事を考えているのが丸分かりだ。彼はいずれ、この聖女を自分のモノにしようとしていた。
「ご安心を。その男が気掛かりであるなら、私の方で処断しましょうぞ……」
ドナ・ドナが粘着質な視線を聖女の胸元へと向ける。
その大きな二つの膨らみを、脳内で揉みしだいているのであろう。
円卓の下では手まで動いていた。
彼らの話題は――聖女ルナの事。
これまで教会の管理者に投げっぱなしであった領地を、何と自らが手腕を振るうと言い出したのだ。これを何らかの変化と見るべきなのか、小さな成長と見るべきなのか、ホワイトは頭を悩ませていたのだ。
黙りこんだホワイトを尻目に、二人の貴族がぶつかり合う。
「……仮にもルナ様が信用された方。我々が口出しすべき事ではない」
「フンっ、既に街には人相書きまで出回っていると言うではないか!」
「……ドナ、その男が具合的に何かの被害を齎したのかね。噂だけでルナ様が信用された方を処断すると?」
「辺境のビリッツォからは、村一つが焼き払われたと報告が来ておるわッ! 第一、ルナ様の護衛まで投げ飛ばしたと言うではないか!」
二人が敵意を隠そうともせずに睨み合う。
国に対する心情も違えば、それ以前に人として水と油であった。
「……私の手元に来た情報では、農家が一軒焼けただけ、との事だったが? 大方、ビリッツォが大袈裟に騒いでいるだけであろう」
「アーツ! 貴様は“貴族の言葉”を疑うと言うのか!」
「……身分では無く、信用に値する人間の言葉であるかどうかだ。少なくとも私にとって、ビリッツォの言より、自らが信用する部下の報告に信を置く」
二人の睨み合いは終わらない。
実質的な経済や、武力を握る貴族の頂点が割れている事により、聖光国は未だ長い沈滞から抜け出せずにいる。
「あの子が珍しく、この手の事で自発的に言い出した事です……いま暫くは、様子を見ようと思います」
「聖女様が、そうおっしゃられるのであれば……」
「……御意」
ドナは不満を露にしながらも頷き、アーツは静かに目を閉じた。
二人の貴族が部屋を出ていった後、入れ替わるようにクイーンが荒々しく扉を開け、派手な音を立てながら椅子に座る。
それが定位置である、と言わんばかりに足は高々と円卓の上へ放り出されていた。行儀も礼儀もへったくれもない姿である。
「先日は大変だったようね……無事で良かったわ」
ホワイトが声を掛けるも、クイーンは何処か上の空である。
いや、本当に耳に入っていないのかも知れない。
「…………惚れた」
「え?」
「惚れちまったんだよ、あの男に――今、思い出しても最高にイカしてた」
「ちょ、ちょっと……待ちなさいよ、何を言ってるの?」
ホワイトとクイーンは長い付き合いがあり、クイーンの言動や行動が突拍子もない事は百も承知していたが、その口から出た言葉は耳を疑うようなものであった。
色恋沙汰からは人類で一番遠い存在である、と思っていたのだ。
「まさか、噂の龍人とかいう人……? あのね、クイーン。普通に考えて、龍人なんて居る訳ないじゃない……」
「姉貴は見てねぇから、そんな暢気な事が言えんだよ! あの拳を! あの姿を! あの凛々しい顔立ちを! イカした台詞を!」
「お、落ち着いて……」
「早く零様を探さなきゃ……はぁぁぁ、あの服に顔をうずめてぇぇぇ……」
「何で、どうして、妹が二人ともおかしくなってるの……!?」
エンジェル・ホワイト――唯一、まともな聖女である。
そして、当然のように苦労人であった。
その苦労は――長く続くに違いない。
■□■□
それから、数日後――
「ここが神都か――随分と大きいものだ」
“俺”は生まれて初めて見る、ファンタジー世界の大都市に度肝を抜かれていた。
何より驚いたのは、都市の周辺には途方も無く大きい堀があり、その中には満々と水が湛えられていた事だ。
防御力という点では有効なのだろうが、ここでは水の価値が違うらしい。
「す、凄いですね! 僕も神都は初めて見るんですっ!」
「ふふん……アク、あそこに見える聖城が私の家なのよ」
「あんなに大きな城が家だなんて! やっぱり、聖女様は凄いです!」
「そう、私こそが最高の聖女――いずれ、この国を統べる者よっ!」
アホか、こいつは。
ルナが国の舵取りなんぞした日には3日で財政破綻か、クーデターでも起きるだろうよ。
政治のパラメーターとかがあるなら、こいつは1とか2じゃなかろうか?
俺も5ぐらいかも知れんが……。
《長官、入り口では検問のような事を行っているようですね》
《なるほど、それなりの防犯意識はあるか……》
日本でも、空港などでは厳しいチェックが入る。
これが外国になると更に厳しい。世界中の犯罪者データと照らし合わせ、入国するだけでも相当な時間がかかったりする。
俺の場合、人相書きが出回っているらしいから一悶着あるかも知れない。
「ルナ、打ち合わせ通り頼むぞ?」
「えぇ、あんたは私の下僕って事にして通すから」
「協力者だ――お前の頭はニワトリ以下か?」
聖女の顔と名を使えば、どうにか入れるだろうとは踏んでいたが、門番には何らかの話が既に伝わっていたのだろう。
拍子抜けする程、簡単に入る事が出来た。
まさか歓迎されてはいないだろうが、門前払いもしない、という事らしい。ルナの護衛を全員投げ飛ばした事を考えると、少し異様な態度でもある。
《聖女か、貴族か――長官にコンタクトを取りたい人間が居るのでは?》
《私もそう思っていたところだ。さて、鬼が出るか、蛇が出るか》
こうして、魔王が神都へその足を踏み入れた。
とてもではないが、平穏に調べ物をして帰る……と言う訳にはいかなそうな雰囲気である。