神都へ
「ユキカゼ、準備は良い?」
そう言いながら、女が背中に背負った剣を抜く。
生半可な男では持ち上げるのも難しいであろう大剣だ。
その剣には多数の魔石が埋め込まれているが、彼女は重量の軽減ではなく、重量を増すような物ばかりを組み込んでいた――攻撃力を上げる為だ。
その体は大きな茶色のマントに包まれているが、そこから見える肌は暑い国に相応しく、褐色である。
その髪も動きやすいようにしているのか、ショートヘアであり、見た目からして活発そうな印象であった。
その髪も瞳も――燃えるような赤色。
彼女の名はミカン。
鋭い眼光をしているが、その容貌は十分、美人のカテゴリーに入るだろう。
聖光国では知らぬ者が居ない程、著名な冒険者である。
「……いつでもいける。むしろ、イキすぎ」
ユキカゼと呼ばれた可憐な魔法使いが怪しげな言葉を返す。
その名に相応しく、その髪や瞳は抜けるような白色であった。
黒いマントと、一般的な魔法使いが愛用する三角帽子を付けているが、その目は何処か眠そうである。
「あんた、お願いだから真面目にやってよね……」
「……私はいつでも真面目にヤってる」
「何か言葉のニュアンスが変なのよ」
「そんな事はない。聞く側の問題。欲求不満」
ユキカゼの声はとても静かで、眠そうなものであるが、鈴の音のような可愛らしいものでもあった。
聖光国における彼女の人気は凄まじいものがあり、殆どアイドルに近い。
年齢も十五歳と若く、その可憐すぎる容貌は男達のハートを掴んで止まないものがあった。
――――だが、男の娘である。
「この辺りに砂狼の“群れ”が居るって話だったけど……」
「……暑いから蒸れる。胸の辺りが」
「あんたは胸なんてないでしょうが……あぁぁ、会話にならない!」
「ミカンの目は節穴。私の胸は心の綺麗な人にしか見えない」
ミカンが頭を掻き毟り、その言葉をスルーする。
二人の、いつものやり取りであった。
ちなみに、砂狼は単独でもそれなりのモンスターではあるが、群れになると途端、その数が爆発的に増えていき、凄まじい脅威となる。
餌を食い尽くせば、防壁に守られた街にすら平然と襲い掛かる程に凶暴となり、備えの無い村などが群れに襲われでもしたら、一巻の終わりであった。
だからこそ、群れが“小さい間”に対処しなくてはならない。
二人が群れを見かけた、とされる地点にようやく着いた時、その目が固まる。
そこには群れではなく――砂狼の“大群”が居たのだ。
■□■□
「無理無理! あんなの無理だから!」
「……あんなに一杯、受け止められない。私の体は一つ。穴も一つ」
「こんな時に何言ってんの!?」
“俺”は騒がしい二人を見て、思わず笑ってしまう。
だが、その後ろを追いかけてくる狼の数を見て段々、顔色が青くなっていく。
(何だ、あれ! 多すぎだろ!)
さっきまで嗤っていた顔に、冷や汗が流れてくる。
持っていた煙草までポロリと落ち、おまけに体まで震えてきた。
いかに強力なバリアに守られているとはいえ、あの数には原始的な恐怖を感じざるを得ない。
(何百頭居るんだよ……つか、“トレイン状態”じゃねぇか!)
MMOなどで、たまに見られる状態である。
敵から逃げ出し、多くの敵がそれを追いかけ、遂には無関係の人間まで巻き込んでしまう悲惨な状況を指す。
悪気があろうが無かろうが、これをやると荒らし扱いされる程だ。
「そこの人、逃げてッ!」
「……そこのダンディー親父、後は任せた。骨は拾わない」
(ふざけんなよ、こいつら! 責任持って喰われろッ!)
思わず叫びそうになったが、ギリギリの所で何とか堪える。
ここで自分が逃げ出したら、アクにまで危険が及ぶ。ルナは……まぁ、どっちでも良いが。
(だ、大丈夫だ……俺ならやれる。やれば出来る子なんだから!)
必死に自己暗示をかけ、自分を奮い立たせる。
バリアがあるから大丈夫大丈夫大丈夫……大丈夫、なん、だよな?
でも、GAMEでは当然、人間相手にしか発動しなかったし……。
いや、マジで……頼むよ!?
大きく息を吸い込み、気持ちを落ち着かせる。記憶にある“九内伯斗”のキャラクターを思い出し、それを完璧にトレースすべく、口を開いた。
「愚かしい――あんな獣相手に、逃げる必要が何処にある?」
逃げてきた二人に目をやり、自らに言い聞かせるように言い放った。
言葉にすると嘘でも段々勇気が湧いてくるのだから、人間の体というのは不思議なものだ。
「アク、ルナ、二人とも馬車から動くな――」
向ってくる大群の前に立ち、覚悟を決める。
先頭の一匹が飛び掛ってきた時、思わず目を閉じ、歯を食いしばった――が、その牙が届く前に電子音が響き、狼が目の前で弾き飛ばされてしまったのだ。
全身に、じんわりとした喜びが広がっていく――
(勝った……第一部、完ッッッ!)
思わずガッツポーズを作りそうになったが、そんな内面はおくびにも出さず、堂々とした態度で煙草に火を点ける。
馬車からあの二人が見ているかも知れないし、出来るだけ格好付けておきたかったのだ――男の悲しい性である。
「この私に牙を剥いたのだ――獣とはいえ、容赦は出来んな」
良い機会だ、こいつらを相手にスキルを使って練習台にしよう。
まともに戦う事など、殆ど無かった事だしな。
「さぁ、我が腕の中で息絶えるが良い――――《FIRST SKILL:突撃》」
抜き手も見せない速さで必殺のナイフを投擲し、それが数十匹の狼を貫通して貫いていく。その瞬間、体が高速で前方へと――翔けた。
(すっげ……!)
景色がまるでスローモーションのように流れ、静止した世界で自分だけが動いているような感覚であった。
俄然、テンションが上がってノリノリになってくる。
「下賎の眼に、私を映す資格はない――――ッ!《SECOND SKILL:目潰し》」
右手が隼のように動き、それが真一文字を描く。
周囲に居た狼の群れの目が次々と切り裂かれ、更に左手から粒子がバラ撒かれる。
大帝国製の、数十秒は視界を遮る砂タイプの目潰しだ。狼が混乱したような鳴き声を上げ、遂には背を向けて逃げ出す。
――知らなかったのか?
「”魔王”からは逃げられない――――《THIRD SKILL:迅雷》」
右手に持ったナイフが乱れ斬りを放ち、その度に数え切れない程の狼が両断されていく。最後に力を込めたナイフを投擲した時――群れの中央に突き刺さったナイフから衝撃波が生まれ、同時に巨大な炎が吹き荒れた。
数え切れない程の狼が炎に巻き込まれ、一瞬で消し炭と化していく。
気付けば呆気なく、三百頭近い群れが消えており、残った五頭余りは怯えを隠そうとしているのか、必死に唸り声を上げていた。
「所詮は獣――これでは汗一つ掻けんな」
咥えた煙草を悠々とふかし、偉そうな言葉を吐く。
何か途中からノリノリで魔王っぽいロールプレイをしてしまったが、昨日の暴走族野郎から受けたストレスが解消されてスッキリだ。
「己の矮小さを知ったかね――? では、散りたまえ」
その言葉に、狼が大慌てといった仕草で逃げ出した。
かなりスッキリした事だし、別に追いかけてまで殺す必要はないだろう。
殺しすぎて、動物虐待とか言われるのも嫌だしな。
■□■□
「あれが、噂の魔王だったのか……!」
ミカンは今、目の前で繰り広げられた一方的な虐殺に全身を震わせていた。
そう――あれは戦闘ではなく、虐殺であった。
何故かは分からないが、砂狼の牙は壁に阻まれたかのように魔王に届く事すら無かった。余りにも異常すぎる。
何よりも、本人自らが“魔王”と名乗っていたではないか!
「おじ様、渋い……お尻が熱くなった」
ユキカゼは今、目の前で繰り広げられた一方的な虐殺にお尻を熱くさせていた。
そう――あれは戦闘ではなく、陵辱であった。
砂狼の牙は見えない壁に阻まれたかのようにおじ様に届く事はなかったが、私ならどんな壁も乗り越えてみせる。
性別の壁であっても、だ。
「あれは、危険な存在よ……!」
「確かに、危険。私の貞操が貫かれそう」
「神都に行って、知らせなきゃ!」
「神都に行って、全身を磨かなきゃ」
二人の会話は微妙に噛み合っていなかったが、それこそいつもの事であった。
一方、馬車で戦闘を見ていたアクも興奮した声を上げている。
「魔王様、凄いです! 何だか胸がドキドキしてきました……」
アクが手を胸にやり、うっとりと目を閉じる。
あのまま生きていても、朽ちていくだけの自分を救ってくれた人。
いつも、自分を守ってくれる人。
あの人がとんでもない悪の存在だったとしても、もう自分はあの人の傍を離れる事は出来ない。
それこそ、“世界”を敵に回したとしても――
「――二人とも、大人しくしていたか? 特にルナ」
魔王が馬車に戻り、ゆったりと腰掛ける。
既にルナはブレザーに着替えており、その外見は実に可憐であった。見た目だけは御嬢様と言って良い。
ルナはスカートが気になるのか、顔を赤くしながら甲高い声をあげた。
「な、中々頑張ってたじゃない……その調子で私を守るのよ」
「別にお前を守った訳ではないんだが……」
「そ、それより、言う事があるでしょっ! こういう時には!」
その言葉に、魔王が心の中で溜息をつく。
彼は一応、と付くが大人だ。
新しい服を着た女の子に、何と言うべきであるのかは十分に弁えている。
「まぁ、似合っていると思うぞ。いや、正直よく似合う」
「と、当然でしょ……私ほどの淑女になると何でも似合うんだからっ!」
無い胸を張りながら、ルナが嬉しそうに言う。
だが、小さく「えへへ……やったっ」と呟いたのを魔王の耳は聞き逃さない。彼の聴力は異常なまでに優れており、聞き逃すという事が無いのだ。
とてもではないが、難聴系主人公にはなれそうもない男であった。
■□■□
「あーぁ、せっかく集めたワンちゃんが消えちゃった」
動き出した馬車を見て、一人の少女が小さく呟く。
その頭には獣耳が付いており、その手には可愛らしい虎の肉球とも言えるグローブまで付いていた。
獣人――それも、相当に高LVの存在である。
「でも、ワンちゃんよりもっと凄いの見つけちゃったなー」
少女の顔には虎じみたペイントまでされており、顔こそ可愛いが、その肉体的な能力は完全に化物である。
現に、その後ろには砂狼などとは比べ物にならない“シールドライガー”と呼ばれる怪物が頭を垂れ、彼女に従っているのだ。
この一匹が暴れ出すだけで、聖光国は騎士団を出さなければならないだろう。
「あの人間、本当に魔王なのかな? だとするなら、魔族の王だよね? 何で人間と一緒に居るの? 何で聖女と一緒に居るの?」
見た目の幼さに相応しく、思考がそのまま口に出ているらしい。
だが、彼女にとっては――いや、獣人族にとっては大切な事でもある。獣人族は魔族領と接しており、長い長い戦争を続けているのだから。
「どっちにしても、魔族領に行かれるとマズイよね」
少女の思案は取り留めもない。
これまた見た目と同じく、体を動かす事は得意だが、考えるのは苦手なのだろう。
「でも、あの人間なら“あいつら”にも勝てるかも……」
少女が小さく呟き、後ろに控えていた怪物の背に乗る。
何も指示せずとも怪物が走り出し、一瞬でその姿は豆粒のようになっていった。
長かったのか、短かったのか、一行はようやく神都へ近づきつつある。
そこではまた、新たな出会いと波乱が待ち受けている事だろう。
魔王と、悪と、聖女。
そして、噂だけが拡大しつつある銀の龍人や、サタニスト。
魔王が巻き起こす騒動は、遂に一国を揺るがす事態となっていくのだが……
――――それはもう少し、先のお話。
二章 -聖女- FIN





