キラークイーン
一つの大きな“建造物”が街道を爆走していた。
それは十頭もの馬に率いられた――“巨大な椅子”である。
椅子の下には巨大な車輪が幾つもついており、小石を踏み砕きながら凄まじい速度でヤホーの街へと迫りつつあった。
その周囲は聖堂騎士団から出された、選りすぐりの108騎もの精鋭が固めており、何処かと戦争でもしにいくような雰囲気である。
騎士団の男達も、鎧こそ統一された神聖なものを身に纏っているが、その頭はスキンヘッドやモヒカンの者が多く、とてもではないが天使を信仰している集団とは思えない。
聖女――キラー・クイーンが率いる軍勢である。
知らない者が見れば、世紀末な山賊集団にしか見えないであろう。
だが、彼女が率いる軍勢こそ、この国で最も頼りにされ、民衆からの愛情と尊敬を一身に集める集団であった。
理由は至って単純――悪を見れば見敵必殺、を旨としているからだ。
相手がどんな悪党であれ、権力者であれ、彼女が通った後は草木一本残らない。
分かりやすい正義であり、暴力なのだ。
他国が侵略してきた際にもその暴力は遺憾なく発揮され、戦場に彼女が現れれば、それだけで敵が壊乱して逃げ出した事すらある。
「姉御、もう少しで街へ着きます」
大きな岩としか思えないような大男が、敬愛して止まぬ主へと声をかける。
男の名は――マウント・フジ。
元は近隣を荒らしまわった手の付けられない程の山賊であったが、今では主の為に水火に飛び込むことも辞さない。
主に何度もぶちのめされ、遂には改心し、今では立派に聖堂騎士団の騎士として働くようになった男である。
大男の母親は涙を流して喜び、聖女へ感謝を捧げた。
彼女にはこの手の美談が非常に多く、その無慈悲なまでの暴力すら、全て是とされる稀有な存在であった。
「あの“クソ”が……手間かけさせやがって」
巨大な椅子の上で足を高々と組み、キラー・クイーンがワインを呷る。
疾走中であるというのに、椅子は小揺るぎもしていない。無駄に風と土の魔石が使われており、彼女に不快感を与えない作りをしているのだ。
「魔王を討伐しようなど、雄々しい事じゃありませんか。流石は姉御の妹君であると、周りも感心しておりますよ」
「この“ダボ”が……あのクソは目立ちたいだけなんだよ。大体、魔王なんざ居るかよ、阿呆が」
姉妹揃って極めて口が悪い。
もはや聖女という存在が何なのか分からなくなってくるが、騎士達の溢れんばかりの熱い感情は、全て彼女一人へと捧げ尽くされている。
口こそ悪いが、その美貌も末っ子とはまた違う種類のものであった。
長いストレートの金髪に、その身は戦闘で鍛えられているのか、細く引き締まっており、修道服に入った大きなスリットから覗く足は酷く艶かしい。
瞳だけは末っ子と同じくピンク色ではあったが、その眼光の鋭さは末っ子とは比較にもならない程である。どんな悪党であっても、彼女の眼光に晒されれば小便を洩らしながら命乞いするとまで言われる程であった。
修道服の帽子に当たる部分も後ろへ跳ね飛ばされており、見た目は殆ど破戒僧といった感じであったが、その美しい容貌が全てを是としていた。
全く――美人とは何をしても許されるのであろう。
「ですが、悪魔王が殺された――という話もあります」
大男の言葉に、クイーンが顔を歪める。
悪魔王の復活という一大事は、彼女の下へ届かなかった情報である。
裏から手を回され、その情報が届かぬように細工されていたのだ。
(姉貴の奴……何のつもりだ)
クイーンは自分の下に情報が届かぬようにした相手を思い浮かべ、舌打ちする。
その相手が何を考えてそうしたのか、何となく察してしまったからだ。
(俺が負けると思ったのかよ……クソッタレが)
事実、彼女では――あの存在に勝つ事は出来なかったであろう。
どれだけ弱っていたとしても、あの怪物相手にダメージを与えられる存在など、この世界においては絶望的なまでに少ない。
(魔王、か……)
クイーンの頭に、そんなあやふやなものが浮かぶ。
そんな存在は、伝承やお伽噺の類で謳われているだけのものだ――
歴史を遡っても、そんな姿を見た者など誰も居ない。普通に考えれば、完全に眉唾物の存在であり、空想の産物であった。
「フジ、おめぇは信じてんのかよ――魔王とやらを」
クイーンのそんな声に、フジが驚いたように目を見開く。
彼女が誰かを呼ぶ時は大抵、クソやらダボやら、阿呆やらウスノロなどであり、名前で呼ぶ事など滅多にない。
それだけ――真面目な問い掛けであったのだろう。
「私に意見などありません。姉御が信じるものが、私の信じるものです」
「ダボが、頭にまで筋肉が詰まってんのか? この蛆野郎」
フジはそんな罵声を浴びせられたが、嬉しそうに笑っていた。それを見て、周りの騎士達の顔が嫉妬で歪む。
クイーンからの罵倒は、彼らにとって何よりのご褒美なのだ。
最早、主従と言うより――
「女王様と、その下僕達」と言った方が早いであろう。
■□■□
一方、噂の魔王は――
「都市国家の先にある、海の向こうの品ですか……」
「えぇ、由緒正しい《茶器》です。私の国では論功行賞の際、領地や金銀だけではなく、茶器が褒美になる程でして」
商人相手に、全力で詐欺師と化していた――
商人の名はナンデン・マンネン。
この街で長く美術品を扱っている、大手の美術商だ。
「領地や金銀ではなく、この器が褒美になる……と?」
「雅な男達は、領地などよりも優れた茶器を求めるのですよ。金銀では腹は膨れませんが、大きな領地にも匹敵する茶器で喉を潤すなど――何とまぁ、剛毅な話ではありませんか」
魔王が両手を広げ、雄弁に語る。
この男は魔王というより、天性の詐欺師であるのかも知れない。ただ、この男は全くの嘘は言っていない。
確かに、戦国時代などでは金銀や土地よりも茶器が尊ばれた事もある。
全部が嘘ではなく、真実も混じっているからこそ、この男はここまで堂々としていられるのであろう。
「な、なるほど……」
現に魔王の堂々たる態度と、その身なり、そして大富豪という評判が背景となり、その言葉に重厚な重みを与えている。
それに加え、聖女と極めて親しい間柄である――というオマケ付きであった。
ここまで条件が揃ってしまえば、この人物が出す品をガラクタと思う者など、居る筈もない。
「初回の取引です。今回は――大金貨一枚でお売り致しましょう」
「だ、大金貨ですと!?」
魔王が堂々と大金貨を要求する。
実の所、魔王は大金貨どころか、この国の通貨の価値など殆ど知らない。
ただ、聖女が持っていた金の中で一番大きかったものを言っただけだ。無知とクソ度胸が重なり、奇跡的なまでのハーモーニーが奏でられていた。
「名品とは、付けられた値によって更に輝きが増すものです――それは貴方も、十分にご存知の筈では?」
「それは確かに、その通りですな」
魔王の言葉に、マンネンが深々と頷く。
彼も交易の街に店を構え、多くの美術品を扱っている男であった。その言葉には納得出来るものがあったのであろう。
現に、マンネンはこの《茶器》と呼ばれる品を見た事も聞いた事もない。
聖女と極めて親しい人物が、海の向こうから運んできた品、ともなれば欲しがる者は幾らでも居るであろう。
「ただ、これを他者にお売りになる際には――最低でも大金貨五枚の値は付けて頂きたい。それが出来ぬのであれば、この話は無かった事に」
「だ、大金貨五枚、でありますか……」
その言葉からは、この品に対する、圧倒的な自信と自負が溢れていた。
それ以下の値では――売る事すら許さないと言うのだ。
マンネンはその自信に対し、とうとう腹を括った。
「承知しました。その条件、必ず守らせて頂きます」
「話が早くて助かりますな。サービスとして、これも出しておきましょう」
魔王がテーブルの上に置いたのはGAMEのアイテムの一つ、《蜂蜜》であった。
体力と気力を60回復するという優れものであり、SPを20も消費して作り出したものである。彼のなけなしの良心がこれを出させたのか何なのか。
GAMEでは使えば消える消費アイテムでしかなかったが、この世界において、体力と気力を同時に回復する――その劇的とも言える効果は筆舌に尽くし難い。
一説では神の涙とも言われる「エリクサー」に近いものであった。世界中の冒険者達が、王侯貴族が、望んで止まぬ奇跡の品である。
「これは……蜂蜜ですかな?」
「大帝……いえ、私の国の物は特別でして。体の弱った方などに」
「ありがたい事ですな……妻が長い間、患っておりまして」
「そうでしたか。では是非、奥方にどうぞ」
魔王とマンネンが握手を交わし、無事に商談が終わる。
この取引によって魔王は大儲けしたが、茶器の方も珍しい物には目が無い大富豪がすぐさま買い入れ、マンネンの方も大儲けする事となった。
彼は右から左に品を動かしただけで、大金貨四枚のボロ儲けである。
おまけに、病で弱っていた妻まで蜂蜜を飲んだ瞬間に元気を取り戻し、その肌まで若返ったような姿となった。
これによってマンネンは益々、魔王の持ち込む品を信用するようになっていく。
■□■□
「あっはっは! やれば出来るじゃないか、俺も!」
人気のない通りへと出て、魔王が大笑いする。
内心の怯えを隠し、ひたすらに堂々とした態度で振舞っていたのだ。その解放感たるや、凄まじいものであった。
「さて、金も入ったし――次はどうするかな」
魔王が笑みを浮かべ、空を眺める――
雑多な形をした雲がのんびりと流れており、何とものどかな光景であった。
「しかし、本当に雨が降らないんだな……」
この男は――“雨”が嫌いだ。
その点、この国の風土は彼にとても合っていると言える。しかし、ここで生活をしている人間からすれば、様々な苦労があるのだろうと思いを馳せた。
時には乾いた太陽が――人の心も乾かしてしまう時があるのだから。
――ルナ、出てこいッ!
のどかなひと時は、そんな声によって破られた。
この国には、滅多に雨が降らない。
だが、この日は街に大量の“血の雨”が流れる事となった――